蜜雨

其之十

 そんなこんなで修行を終えてパワーアップしたたちが天下一武道会に参加する日がやってきた。亀仙人からそれぞれ道着をもらい、予選のくじを引きに行く。

「お、三番だ」
「ってことは一ブロックか!」
「オラとクリリンは三ブロックだから離れちまったな」
「どうせ俺たち予選を勝ち抜いて本戦で会うことになるよ。健闘を祈る」

 ひらひらと手を振りながらにしては軽い発言をして、あっさりと一ブロックの方へと進んでいった。もちろんの自信ありげな言葉は、きちんと裏付けされているからこそ口から出たものだ。と悟空、そしてクリリンは天下の亀仙人からシゴキを受けた。きっとその努力は実を結び、良い結果となって自身に返ってくるだろう。

 きょろきょろと自分のブロックにはどんな選手がいるのか視線を動かしていると、ふわふわの髪に濃い目の化粧を施した女性と目が合った。あの女性も選手だろうか――明らかにへ向けて妖艶に微笑み、ウインクを飛ばしてきた。は無視するわけにもいかず、会釈だけしておく。きちんと誠実に対応したつもりだったが彼女はどこか不満そうで、ふんと鼻を鳴らして踵を返してしまった。
 なんだなんだ。は男装こそしているが、生物学上は歴とした女だ。そんな女の自分でも、やはり乙女心はわからない。

「次! 三番と四番あがってください!」
「はい!」

 気持ち切り替えていこう。今は目の前の相手を倒すことに集中だ。

「っけ、オレの相手は優男かよ! ここはコンサート会場じゃねえんだよ! そんなヒョロッちくて戦えるのかあ!?」

 の予選初戦の相手は奇抜なマスクを被った筋骨隆々の大男だった。武舞台を囲むように観戦している者たちがそれぞれ、あれは有名なプロレスラーだ、三番がかわいそうだ、自分が相手でなくてよかっただのヒソヒソ話している。当のはといえば、自分が戦うときは大概外野がこのようにうるさいので放っておきつつ、敵選手に見られながら戦うとなると自分の手の内を見せないように注意しなければと気を引き締めていた。

「はじめっ!!」
「そのアイドル顔ボコボコにしてやる!!」

 試合前のの一礼が終わり、ついに試合が始まった。早速プロレスラーはの顔面に蹴りを入れようとするが、はそれよりも早く飛び上がってプロレスラーの眉間にデコピンを入れる。プロレスラーはいとも簡単に一直線に場外へとふき飛んでいった。あまりの早業に、審判もそして観戦者も開いた口が塞がらない。

「あのー……ここから落ちたら負けですよね?」
「っは!? さっ、三番の勝ち!!」

 は静まり返る周りに首を傾げ、なにか自分はルールを誤ったのだろうかと心配そうに審判へ尋ねると、の声で我に返った審判がやっと勝者コールを発した。はホッと武舞台を降りていく。

 まだまだ予選は始まったばかりだ。



 はやはり女性はわからんと顔を顰める。
 あれから順調に勝ち進み、あと一回勝てば本戦突破というとこまできた。そしてその最後の対戦相手に文字通り絡まれてしまっていた。ランファンと(訊いてもいないのに)名乗った女性は、の腕を自分の腕に絡ませて胸の谷間に挟み込み、うっとりとした上目遣いでを見つめる。

「あなた、よく見るとわたしの好みよ……次、お手柔らかによろしくね」

 とろけるような甘えた声でに擦り寄り、(呆れて)言葉も出ないに満足したのか去っていった。このランファンという女性は、が一ブロックの会場に来たときに目が合った選手だ。先ほどは鈍すぎるに対してつれない態度をとってしまったが、まさか自分の対戦相手になるとは思わなかったランファンは、作戦を変更して少しでも自分が有利になるよう色仕掛けの方法を変えてに近づいた。もちろんはそんなランファンの思惑など気づかず、きょとんとするばかりである。

「では第一ブロック一人目の天下一武道会出場者を決める試合を行います!!」

 とランファンは番号で呼ばれ、武舞台に上がる。はランファンに一礼し、ランファンはそんなを見て、優しくしてねと蠱惑的な声で周囲の男を巻き込んでを誘惑していた。審判もすっかり魅了され、頬をほのかに赤く染めながら軽く咳払いして試合を開始させる。の最終予選が始まった。
 試合開始直後、先程の甘やかな声とは一変して力強い声を発しながらいきなり飛び掛かるランファンを軽やかに躱すと、ふとの耳に観戦者の声が届く。

「いいよなあ、オレも女とやりてえなあ」
「女のくせにここまで勝ち残ってるのすげーな」
「女だから本気でやれなかったんだろ」

 師匠は武道に男女は関係ないとに言い聞かせていた。ありのままの自分を受け入れ、強くなれと言ってくれた。しかし、その反対を押しきってが男装をし始めると、師匠はそれ以来なにも言わなくなった。
 わかっている――師匠は男だろうが女だろうが、いつだってのことをというひとりの人間として見てくれていた。だが、は許せなかったのだ。女だからとなめて掛かり、手加減され、たとえが圧倒的実力で相手をねじ伏せようとも、結局は女だから本気でできなかったと言い逃れされることが。

「どりゃああ!!」

 次々と繰り出されるランファンの突きや蹴りをはひたすらに避け、逃げていた。

「どうしたの? わたしが女だから手が出せないのかしら?」

 どれほど攻めても一切攻撃が当たらず、息ばかりあがるランファンだが、試合が始まってからずっとは逃げの姿勢だ。このまま制限時間がくれば、確実に自分の判定勝ちだろう。

「……あなたはすごいよ。女の武器を最大限に活かしてここまで勝ち上がってしまうのだから……」

 自分には到底できないことだ。
 ポツリとこぼしたの微かな囁きは誰の耳にも入ることなく、ざわめきに掻き消された。

「残り十秒です!」

 審判からまもなく試合終了の宣告を受け、動かなくなったにランファンは勝ちを確信した。その刹那、から凄まじい殺気が放たれる。

「っっ?!!」

 確かに自分は目の前に立つを捉えていた。ところがランファンが一度瞬きをすると、の姿が忽然と消えている。脳がが消えたことを認識すると同時に、ランファンのすべての身体機能が奪われた。は誰も気がつかぬほどの瞬息でランファンの視界から失せ、延髄に軽く手刀を落として気絶させたのだ。常人には突然ランファンが崩れ落ちたようにしか見えなかった。

「……しょっ、勝者三番! 天下一武道会出場決定!!」

 勝った――しかしながらはどこか浮かない表情で武舞台を降りていく。その様子をひとりの老人が見ているとは知らずに。






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