蜜雨

其之九

「いちち……なんでオラの家にきて何回も殴られてんだ?」
「自分の行いを振り返ってみろよ」

 見事なまでの真っ赤なもみじを頬に添えた悟空とは、筋斗雲に荷物を乗せて亀仙人の元へと向かっていた。はまだ朝のことを怒っているのか、悟空に対して大層冷ややかである。
 幼い時分に師匠を亡くし、一般常識を教わることができなかったのだろう。それでももう少しなんとかならなかったのか、孫悟飯よ。は嘆くしかない。しかしはそのおかげで悟空に女だとバレずに済んだので、一概に責められはしないのだが。

「あっ! あったぞ!」

 ようやくの怒りが落ち着いてくると、海の上にぽつりと建っているカメハウスが見えてきた。
 そうだ、やっと憧れの亀仙人に修行をつけてもらうのだ、今までのことは忘れよう。

「おーいじいちゃん!! オラきたぞーい!!」
「ごめんくださーい、武天老師さまー!!」
「そっその声はかっっ?!!」

 悟空の声には反応がなかったがが呼び掛けると即座に玄関が開いた。なんとも欲望に忠実であるが、にぶにぶコンビはそんな亀仙人の邪な思いには気づいていない。

「お、お久しぶりでございます、武天老師さま」

 亀仙人の勢いに押され、は少しだけ後ずさる。
 それからと悟空は家の中に招かれた。は二階へ上がってすぐの部屋に入って待っているよう言われ、悟空はリビングへと通される。どうやら個別で話があるらしい。てっきりふたりまとめてみっちり基礎から修行するものだと思っていたが、いきなり個別で指導してもらえるなんて恵まれすぎている。が軽く感動していると、亀仙人がの待つ部屋へと入ってきた。

「悟空とのお話は終わられたんですか?」
「あいつはあるものを探しに出かけた。さて、よ。お前にも試練を与えてやるぞい」
「はっはい!!」

 不安と期待が入り混じった瞳でまっすぐと亀仙人の次の言葉を待つ。

「お主は身につけているものをすべて外し、そのクローゼットの中のものどれでもいいから身につけてわしのとこまで来るのじゃ! いいか、ぜんぶ外して着るんじゃぞ!!」

 亀仙人は甚く真剣な顔つきで念を押し、が質問する間もなく出て行ってしまった。仕方なくは亀仙人に言われた通りクローゼットを開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。



「むっ、武天老師さま……これは本当に修行なのですか……?」

 は身を隠すようにしてドアの隙間から顔だけを出して、いつの間にかスーツに着替えている亀仙人を呼んだ。亀仙人はパッとイヤらしく顔を歪めたが、すぐに引っ込めて威厳たっぷりの表情を作り出す――これがスケベを追求する者の顔である。

、そんなところにおらんで早くここに座らんか!」
「うっ……は、はい……」

 は腕で胸元を隠しながらゆっくりと亀仙人に近づき、床へと座した。

「……お前の師匠は弟子に正しい座り方も教えなかったのか?」

 相変わらず腕で胸を隠して背中を丸めていたは、亀仙人の言葉で姿勢を改めた。姿勢を正したことでの張りのある胸が強調される。想像以上だ――亀仙人は予想よりも大きく実ったのおっぱいに釘づけになっていた。幸か不幸か、サングラスをかけている亀仙人はどこを見ていようが誰にも気づかれない。

「武天老師さま、あの、修行は……?」

 こんなにもムッチリとしたイヤらしい胸をしているのに、頬を赤らめて恥じらう姿が初々しくて堪らない。亀仙人はふき出しそうになる鼻血をなんとかせき止める。
 現在は亀仙人に修行という名目でメイド服を着させられていた。しかも胸元はぱっくりと開けていて、スカートもかなり太腿が露出する長さだ。クローゼットの中にはもっときわどいナース服やチャイナドレスがあったが、その中でも一番布の面積が多かったものを選んだ結果がメイド服である。亀仙人の言う通り、着ていた服はもちろんサラシも外し、亀仙人が用意した下着を身につけた。師匠の言いつけをきっちりと守る様はまさしく弟子の鑑である。

「それがおまえの修行じゃ! 普段男装をし、男を演じることで本当の自分を隠しているじゃろう。そこで本来の姿をさらけ出すことにより、己と真剣に向き合い、精神を鍛える……これこそがおまえに一番足りていない部分じゃ!!」

 ここで勘違いしないでもらいたい――最もらしい御託を並べてはいるが、今の亀仙人を突き動かしているものはスケベ心ただひとつ。しかしは残念ながら亀仙人の真意に気づいていないようで、武天老師さまの修行の意図に気づかないなんて自分もまだまだ修行が足りないとさえ思っていた。本当に修行不足である。

「おーいじいちゃん連れてきたぞー!!」
「む、どうやら悟空が帰ってきたみたいだ。少しここで待っておれ」

 外から悟空に呼ばれ、亀仙人は玄関へと向かう。チラリと窓の外を見てみるが、悟空たちの様子はここからでは見えなかった。
 落ち着かない。あの村での女装に続き、またこんな姿を悟空に見られてしまうのだろうか。今すぐ隠れてしまいたい。落ち着かないと言えばこの髪だ。は髪が伸びてくると、ただでさえ女顔なのに(実質女なので当たり前なのだが)なおさら女に近づいてしまうので適当にハサミで切っていたのだが、今は亀仙人が(用意周到に)準備したカツラを被り、肩につくくらいの髪の長さになっている。もう一度窓を見れば、どこからどう見ても女にしか見えない自分がいた。自ら捨てたものに、今更どうして向き合うことができよう。

「まったくおまえのギャルを見る目のなさにはあきれたもんじゃのう!」
「そうかなあ……いっ??!!!」

 外での用事が済んだのか、亀仙人と悟空がなにやら話しながらのいるリビングまでやってくると、悟空は目の前に飛び込んできた人物に驚いた。その人物から発せられるにおいは確かにのものだが、格好がいつもとまるで違う。

なんか……?」
「うう……見るな……!」

 のその言葉は肯定を示していた。悟空がぽかんと呆けていると、亀仙人はごほんとひとつ咳払いをする。

もまたキビシイ修行中じゃ……」
「そっそうなんか……?」

 悟空にはとてもそうは見えないが、確かに言われてみればなにか(羞恥心)に耐えるように伏せ目がちに頬を赤らめ、決してこちらを見ようとしないはどこか辛そうだ。

「さて悟空、テストじゃ。どっちがキレイなギャルだ!?」

 亀仙人がテーブルの上にふたつのパネルを用意した。あからさまにふたつの写真には差があるのだが、悟空は頭を悩ませてやがて答えを出した。

「うーん……!」
「っだから俺は男だと……!!」
「でもオラがキレイだと思うのはだけだ!」

 いっそ清々しいまでの言葉には二の句が継げなかった。

「ま、まあはキレイじゃがの……そうではなくてな……」
「そうだぞ! の笑顔はキレイで、一緒に寝ると気持ちよくて、の胸にくっついてるやわっこいのも「~~~っっこれ以上言うと殴るからな!!!」

 そう言ったは、すでに悟空に回し蹴りを繰り出しており、なんなら巻き添えを喰らった亀仙人もともにふっ飛んでいった。このとき亀仙人は思った――もしかしたら羞恥心が限界を迎えたは物凄くおそろしいのではないかと。
 しかし懲りない亀仙人は、回し蹴りのおかげで見えたのパンツにまた鼻血を垂らしそうになるのであった。






 新たに弟子に加わったクリリンと、くしゃみで性格が変わってしまうというちょっと不思議なぴちぴちギャル要員のランチを迎え、ついに本格的な修行に突入だ。

 かつての亀仙人の弟子である孫悟飯と牛魔王、そして沙門がしていたという牛乳配達や畑仕事を終えて朝ごはんを食べたたちは、カメハウス近くに植えられているヤシの木のそばでお勉強会を始めようとしていた。

「あの……武天老師さま。俺は大学を卒業している身です。できれば別の修行をしたいのですが……」
「すっすげー……はあの歳で大学卒業してるのか……!」

 は幼い頃薬学に興味を持ち、その延長線で医学の勉強に手を出した。みるみる知識を吸収していくの類稀なる頭脳をもっと伸ばすべきだと考えた沙門は、を大学まで卒業させたのだ。

「大学? 大学ってなんだ? うまいんか?」
「……おまえには一生縁のないとこだよ……」

 大学を食べ物だと勘違いして瞳を輝かせる悟空に、クリリンは呆れてものも言えなかった。

「ふむ……よかろう。この時間、は自由時間とする」

 ちょいとには刺激的すぎる教科書を使うしな、と亀仙人が考えていたことは誰も知らない。

「オラも勉強よりと修行したいぞ……」

 勉強という言葉を聞いてイヤな予感しかしない悟空だが、この場にいる誰もが一番勉強が必要なのは悟空だと切に思うのであった。






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