蜜雨

 都に向かうブルマたちと別れ、と悟空は筋斗雲でカメハウスに向かう途中パオズ山の悟空の家へと寄ることにした。

「なんだかずいぶん懐かしく感じるな……」

 すべてはここからはじまった。少しでもなにかが違っていたら悟空ともブルマとも出会えなかったのだ。
 悟空の家の外で感傷に浸っていれば、準備を終わらせた悟空が荷物を抱えてやってきた。その荷物を筋斗雲に乗せきると、悟空の腹の虫が鳴る。

「悟空、俺の家にも寄ってくれないか? ついでにご飯ごちそうするよ」

 ご飯と聞いた悟空はすぐさま筋斗雲に乗り込み、にも早く乗るよう急かした。
 まったく本能に忠実というかなんというか――本当に悟空と一緒にいると飽きない。



其之八




 パオズ山からふた山越え、さらには川を越え、集落を越えたずっと先にの住んでいる家がある。の家と悟空の家は、本来ならば一週間掛からないくらい、の足ならば二、三日で着けるほどの距離離れているのだが、極度の方向音痴であるは二週間と少し掛かった。それが筋斗雲だとあっという間だ。本当に頼りになる。が筋斗雲を労うように撫でてやると、また少しスピードが上がった気がした。

「あそこが俺の家だ!」

 山の中にぽつねんと建つの家はまるで自分の家のようで、悟空は親近感が湧いた。悟空の家のようなドーム型の家の横に、木でできた小さな小屋がある。の研究部屋らしい。興味本位で中を覗いてみると悟空にはよくわからない難しそうな本や、乾燥させているのか色々なものが天井や壁際に吊るされている。乾燥したものたちを詳しく聞くのはなんだか嫌な予感しかしないとさすがの悟空も本能で悟ったのか、触れないようにした。

「さあ、ご飯にしよう。すまないが悟空は薪を割ってきてくれないか?」
「おう! メシだメシーっ!!」

 は家にある保存食や家の周りの野草等を使って悟空に様々な料理を振る舞った。どれもこれもうまいうまいと食べてくれる悟空に懐かしさがこみ上げる。数年前までは当たり前のように師匠と向かい合って食事をしていた。しかしそれは決して当たり前なんかではなく、とても尊いことだったのだ。
 気づかぬうちには頬がゆるんでいたらしく、悟空は食べる手を止めてその顔をジッと見つめていた。は突然どうしたのかと首を傾げる。

「オラ、の笑顔好きだ!」

 は目を丸くした。いつも悟空の一挙一動には驚かされてばかりだ。本人にとったら思ったことを素直に口に出しただけなのだろうけど、案外とそんな簡単なことが難しい。いつもまっすぐで裏表がない悟空を少し羨ましく思う。

「メシもうめえし、のメシだったら一生食ってられっぞ!」

 悟空は何事も深く考えない性格だ。だからこそこちらも深く考えてはいけない。受け取り方によっては、一生のご飯を食べ続けたいとプロポーズ紛いな発言をしているが、男女の区別もつかない悟空がそこまで考えているはずはない。

「……悟空、あんまり気軽にそんなこと人様に言うなよ……」

 は嬉しい反面複雑な気持ちであった。自分の発言がにそんな思いを抱かせているなんて当然気づかない悟空は、清々しいほどの笑顔でおかわりと高らかに茶碗を掲げるのだった。

 腹も膨れて胃の調子を整えるという特製のお茶も飲み、亀仙人のとこへ行こうかと出発の準備をする悟空には声を掛ける。

「悟空、時間も時間だし武天老師さまのとこへは明日行かないか? そのかわりと言っちゃなんだが……俺と、組手をしてくれ」

 の瞳は挑発するように悟空をしっかりと捉えていた。



 地の利というハンデをなくすために、パオズ山との住む山の中間地点にある山へとやってきた。
 天叢雲と如意棒はなしの、拳のみの勝負。との組手にワクワクする悟空と、孫悟飯の弟子との手合わせにワクワクするはどちらも似た者同士――まるで子供だ。

! 早く早く!」
「待て悟空! 試合前は一礼!」
「あ、そうか!」

 武道とは礼に始まり礼に終わる。が武道をはじめるにあたって、師匠から最初に教わったことだ。これはただの挨拶ではない。武道とは、相手がいないと成し得ないことが沢山ある。切磋琢磨し自身を高めることができるのも、相手がいるからだ。だからこそ、その相手に敬意を払うという意味で礼をする。

「どちらかが先に参ったと言うか、気絶したら負け。いいか?」
「おお!」
「じゃあこの小石が落ちた瞬間からはじめるぞ」

 は手に持っていた小石を、ちょうど自分と悟空の真ん中あたりにぽーんと投げた。ふたりは小石の描く放物線を視線で追いかける。とん、と小石が地につくとも悟空も同時に相手に飛び掛かった――勝負開始だ。

 は手はじめに悟空へ突きを繰り出すが、悟空は腕でガードしつつ、蹴りを放つ。は悟空の蹴りに瞬時に反応して後ろへ飛んだ。間合いを取り、どちらも負けてたまるかと気を引き締めて構え直す。まさに一進一退。

 ちょっとした開けた場所で攻防を繰り返すうちに、と悟空は森の中へと入っていた。元々自然とともに生き、自然の中で修行してきたふたりにとって自然は障害物ではなく活用する存在。は軽々と木々の枝を飛び移り、自然と同化して気配を消す。完璧に悟空の後ろを取ったは枝を両手で掴んで支点にし、自身を振り子のように動かした勢いで悟空の背中に蹴りをぶちかました。完全に隙を突かれた悟空は、の蹴りをまともに喰らって一瞬だけ息が止まる。しかしの猛攻は止まらない。
 吹き飛ばされた悟空を追いかけ、悟空の着地地点に先回りして腹にもう一発突きを入れてやった。どさりと地に倒れ、動かなくなった悟空を見遣る。いくらタフな悟空でもこれは起き上がれないだろう――だが勝負は勝負だ。
 は悟空が本当に気絶しているか確認しに近づこうとすると、突然の土砂降りがふたりの体を一気に濡らす。雨のおかげで意識が戻ったのか、悟空が咳き込みながら起き上がった。

「いちち……今のはオラも危なかったぞ」
「本当に悟空はタフだな……今のはさすがに起き上がれないと思ったんだが……」
「じいちゃんに厳しく鍛えられたからな!」
「なるほど……お互いよい師匠に巡り会えたってわけだ」

 悟空とは笑い合う。雨は勢いを増すばかりだが、そんな雨などふたりは気にも留めていない。
 悟空はさらに集中力を高め、ぬかるんだ土を蹴ってに連続で突きを繰り広げた。足場は悪いが、も負けじと悟空の突きをなんとか受け流す。守りに徹していてもなお強さを垣間見せるだが、足元に伸びていた木の根に滑ってわずかに隙を見せた。もちろんそんな隙を悟空が逃すはずもなく、に回し蹴りをかます。とっさにガードして大きなダメージは免れたが、そのままふき飛ばされてしまった。

「いっ……てぇえええええー!!!??」

 が着地した衝撃と雨で地盤が緩んでいたせいで崖が崩れ、谷底へと落ちていく。

っっ!!!」

 悟空はの名を叫びながら、自らも飛び降りた。まさか悟空が追ってくるとは思わなかったは目を見開く。悟空はとともに落ちていった岩を足場にして移動し、を横抱きにした。

っ、首にしっかり腕まわしてろよ!」
「あっああ……!」

 悟空との二人分の重力によって、ぐんぐんと落下スピードは増していく。は悟空に言われた通りしっかりと首に腕を回すと、悟空はかめはめ波の構えを取り、気を溜めて地面に向かって一気に放出した。かめはめ波によって落下の勢いは殺され、悟空はを抱え直してふわりと着地する。

「だっだいじょうぶかっ?!」
「っく……ははははは!」

 をゆっくりと地面に下ろして悟空が焦ったように声を掛けるが、そのが突然笑いだした。が壊れた――崖から落ちたとき頭でも打ったのだろうか。
 悟空は笑い続けるになんて声を掛ければいいかわからず、珍しく面食らっていた。

「参った」

 は確かにそう言った。悟空は一体なんのことだと戸惑ったが、そういえば今は勝負の真っ最中であった。自分と同様相当な負けず嫌いなはずのが、こうもあっさり負けを認めるとはどういうことだろう。

「俺があんな崖から落ちても平気だって悟空ならわかりそうなもんなのに、勝負を擲ってまで俺を迷いなく助けるなんて……おまえも大概甘い奴だな」

 くくく、とまた笑いをこぼす。悟空にしてみれば本気で心配して助けたのにと不満顔だ。

「でも……嬉しかった。ありがとう、悟空。おまえのそういうとこ、俺は好きだな」

 は照れ臭そうに少しだけ頬を染め、笑顔で悟空の頭を撫でながら礼を述べる。悟空はのそんな表情になぜだか胸のあたりが熱くなるのを感じた。今まで感じたことのないようなドキドキ感、強い奴と戦うのとはまた違う高揚感、の掌から伝わる心地良さ――綯い交ぜになった感情は濁流となり、悟空の心を酷く揺さぶる。こんな情動の変化が今後もたびたび頭を擡げ、影響を与えるなんて、このときの悟空は想像だにしなかった。



「だから! 俺はいいから悟空が先に入れ!」
「一緒に入ればいいだろ!」
「~~~っっ!! くそっ頑固者め!」

 雨や汗と泥でぐちゃぐちゃに汚れたふたりは筋斗雲に乗っての家へと帰ってきた。そこでは客人だからと悟空に先に風呂に入るよう促したのだが、悟空はも自分と同じように雨に濡れて汚れているのだから一緒に入った方が話が早いと主張する。またこのやり取りが始まった。一緒に寝ることは許容できても、今回の旅で女に関する知識を少ないながらも身につけた悟空に裸を見せることはできない。

「……わかった。ジャンケンで俺が負けたら一緒に風呂に入ろう。ただし悟空が負けたら先に入れよ」
「ほんとか! おーっし! ぜってえ勝つぞー!!」

 折れることを知らない悟空を納得させるには、やはり勝負に持ち込むのが手っ取り早い。これは今回の旅でが学んだ悟空の扱い方である。もちろんただ闇雲に勝負を挑むわけではない――勝算はある。の目と反射神経ならば悟空が次になにを出すのかをその場で見極め、勝つように手の形を変えることが可能だ。少しずるいかもしれないが、背に腹はかえられない。

「いくぞ! じゃんけん、ぽん!」
「っあー!! 負けたあ……」
「ほら、さっさと行ってこい。服は洗うから俺のを貸してやる」

 悔しそうではあるが、勝負に負けた悟空は諦めて風呂場へと向かう。これで平和は保たれた。ふうとため息を吐いたは、悟空の服を準備しに自室へと歩みを進めるのだった。



「やっぱり我が家のお風呂は落ち着くなあ……」

 は久しぶりにゆっくりと湯舟に浸かり、今までの旅の疲れをたっぷりと癒していた。しかしあまり長湯すると先に悟空の空腹が限界を迎えてしまうかもしれない。そろそろ切り上げるかと風呂から上がると、自動で開くはずのない扉が開いた。

「なー、腹減ったからコレ食っていいか?」
「………………」
「いぃっっ?!! タマもチンもね「っっこんの!!!」

 悟空の言わんとすることが嫌でもわかってしまったは激昂し、悟空の鳩尾に膝蹴りを喰らわすと、不意をつかれた悟空は見事壁にめり込むこととなった。その間には手早く着替え、悟空の様子を見に行った。

「悟空……俺はむやみやたらと覗くなと言ったはずだが?」

 がこれほどまでに怒りをあらわにしたことがあっただろうか――悟空をキツく睨みつけて冷たく言い放った。負けじと悟空は自分は悪いことなどしていないと言い返す。

「水浴びは覗いてねーぞ!」
「問題はそこじゃない」
「にしてもって、女だったんか?」

 は悟空へ背を向け、俯いた。

「……今まで悟空には黙っていたんだが……世の中には俺みたいな男もいるんだ……けど、俺みたいな奴は滅多にいなくて……男らしくない体を見られるのが嫌だったんだ。だから俺の体のことは誰にも言わないでくれるか……?」

 、人生最大の大嘘だ。
 果たしてこんな嘘に引っかかる奴が――

「なーんだ! だからオラと一緒に風呂に入りたくなかったんか!」

 ここにいた。

「タマもチンもなくたってだ! オラ気にしねえぞ!」
「あ、ありがとう……」
「それよりもオラ腹減っちまった!」

 思い切り殴られたことも忘れ、のんきに腹の虫を鳴らす悟空に救われたであった。



 お風呂場での騒動など忘れ、晩ご飯をたらふく食べた悟空は満足げだ。食休みもそこそこに、は布団の準備をし始める。

「なんでふたつも布団敷いてんだ?」
「なんでって……俺と悟空の布団敷いているだけだが……?」
「? 一緒に寝ないんか?」

 確かに一緒に旅をし始めてから布団の数の関係上悟空と一緒に寝ていたが、それはやむを得なかったからだ。

「人数分の布団があるんだから別々に寝ればいいだろ」
「オラと一緒に寝た方がよく眠れるから嫌だ」

 こうなった悟空はてこでも動かない。はまたしても頭を抱えることになった。そもそもこんな駄々を捏ねるだなんて、普段の悟空ならば考えられないことだ。どうもひとたびが絡むと悟空は子供っぽくなる傾向がある気がする。

「………………わかった」
「やりー!!」

 先程のお風呂ジャンケンでズルをしてしまった手前、罪悪感もあって再びジャンケンをするのは気が引けたが出した苦渋の決断であった。






 の家の窓から朝日が差し込むと、悟空はその光で目を覚ました。布団に入ったときは背を向けて寝ていたは、今は悟空と向かい合うようにして寝入っている。やはりの体温は酷く安心する。悟空はの方へともっと身を寄せると、むにゅりと柔らかな感触に包まれた。どうやら寝ている間にサラシが緩んだらしく、の豊かな膨らみが出てきてしまったらしい。そんな事情を悟空は知るはずもなく、自分の体にはない感触を確かめるように掌で包み込んだ。少しだけ力を入れれば簡単に指が沈む。やわやわとただ胸を揉む悟空の手つきにイヤらしさはない。そこにあるのは無知ゆえに生まれた好奇心だった。

「っんん……」

 は悟空が無意識に与える刺激に堪らず声をもらすが、まだ意識は完全に浮上していない。の艶かしい声を聞いた悟空は、なぜだか昨日のの笑顔を見たときのような、ざわついた妙な感情がぐずぐずと芽を出しそうになっていた。

「んっ、う……?」

 悟空はこの感情はなんだろうと思案しながらも、手はの胸に添えたままだ。この状況がどれほどまずいか、もちろんわかっていない。やっと意識が覚醒に近づいてきたが目を開け、飛び込んできた悟空の手の行方が自分の胸だと知ると、一気に目が覚める。

「ん? 起きたんか?」
「ごっごく……っっ??!!!」
「なんだ?」
「っいい加減にしろーーーっっ!!!」
「いぃっ?!」

 またも朝からの鉄槌をもらう悟空だった。






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