蜜雨

其之七

 ピラフ一味にドラゴンボールとホイポイカプセルが入ったカバンを奪われてしまったたちは、偶然を装って現れた同じくドラゴンボールを狙うヤムチャたちと協力することとなった。
 ピラフ一味を追ってヤムチャの持つ乗り物に乗り込むが、あいにく四人乗りだったため悟空とは筋斗雲で移動だ。

「は? ここに座れって……なんでだ?」
「おまえこの間胡座の上にチチ乗せてたじゃねえか」

 それはそうだが――悟空は時々突拍子もないことを言う。
 は頭を抱えていた。つまり悟空は、がチチにしたように自分も胡座の上にを乗せたいと主張しているのだ。なぜ悟空がそんな考えに至ったのかよくわからなかったが、短い付き合いでもわかっていることは、悟空は甚く頑固で自分の意見を譲る気がないという点。

「……俺の胡座に悟空を乗せるんじゃ駄目なのか?」
「それはなんかいやだ」

 なんかってなんだよ。
 は困り果てていた。ブルマもブルマでにくっつくなんて百億年早いとかキーキー言い出す始末。このまま注目を集める方が気まずいと判断したはとうとう折れた。

「まったく、いきなりどうしたんだよ悟空」

 腹部に回された子供ながらに意外と筋肉があり、硬さを持つ腕の感覚に居心地悪そうにしながら悟空の胡座の上に座るは、後ろを振り向きながら少し強めの語気で疑問をぶつけるが、悟空からの返事はない。

「って寝てるし! 本当なんなんだよ……」

 これからドラゴンボールを取り返しに敵の本拠地に向かっているというのに、なんとも緊張感のない寝顔だ。おまけに涎まで垂らしている。

「ほっときなさいよ! どうせお兄ちゃんみたいなにくっついて寝たかっただけでしょ!」

 助手席に座るブルマは安心しきったような顔で眠る悟空に呆れつつ、憂さを晴らすように運転するヤムチャに頬ずりしている。女が苦手なヤムチャはそんなブルマの行動に翻弄され、障害物にぶつかりそうになりながらもなんとか目的地へと向かうのだった。

「(お兄ちゃん……ね)」

 それぞれの思惑が行き交う中、無事ピラフ一味の城に到着。
 その頃にはヤムチャも多少の女の免疫がついた――訳はなく、戦う前から疲労の色が見えてプーアルに励まされていた。

 荒野に聳え立つピラフの城に一同そうっと入ると、悟空は床に描かれた矢印を見つけた。最後尾にいる以外の者たちは矢印を辿って角を曲がり、行き止まりに行き着いた瞬間、帰り道を塞ぐように壁が降りてくる。閉じ込められずに残ったは相棒の刀を握りながら、聞こえるかわからないが壁から離れろと声を張り上げた。天井や柱があるような狭い場所では崩落のおそれもあり、残念ながら大振りはできない。半分ほどの力でもある程度壊せるだろうと踏んで抜刀しようと構えると、天井から出てきた機械の手がにスプレーを噴射する。まともに喰らったは段々と動かなくなる体、薄れゆく意識に抗うことができなかった。



*




「う……っ」
「ようやく起きたか」

 体を縄で縛られて天井から吊るされたところから、悟空たちが映るモニターが見える。悟空たちからもが見えるらしく、が目を覚ますと悟空たちは心配と焦燥を含んだ声での名を呼ぶ。

っ!!』
「み、んな……?」

 ここはどこだろう――頭がぼーっとする。体もまともに動かせない。
 悟空はモニター越しに見るの様子がおかしいことに気づいた。いつものならばあんな縄から抜け出せるはずなのに。まさか奴らになにかされたんじゃないか。

「くっそー!! になにした!!」

 普段大抵のことは笑い飛ばしてしまうくらい楽天的で温厚なあの悟空が怒りを露わにしている。
 ガンガンと再び壁を殴り出した悟空を見て、ブルマたちは驚いていた。
 ピラフ一味は埒が明かないと悟空たちの密室に催眠ガスを流し、ついにドラゴンボールを手に入れることに成功したのだった。



 ピラフ一味は神龍を呼び出したが、間一髪のところでウーロンの願いによって世界の平和は保たれた。しかしピラフの逆鱗に触れた悟空たちは今度は壁に傷一つつけられぬよう、さらに頑丈な部屋へと隔離される。

「あーあ、こんなときがいればあの不思議な刀でスパスパ斬ってくれるのによー」
……無事かしら……ああー!! こんなことならとキスのひとつやふたつ済ませとくんだったー!!」
「キスってなんだ? なんでとキスっちゅうもんをすんだ?」

 ウーロンは愚痴をこぼし、ブルマはの身を案じているのかいないのか。悟空はキスの意味がわからず、なあなあとブルマの服を引っ張っている。ヤムチャは勝手にブルマとのキスを思い浮かべて頭に血が上り、プーアルはそんなヤムチャの身を案じていた。こんなんで本当に大丈夫なのだろうか。



 所変わってモニター室。
 だいぶ意識がはっきりしてきたは、まだ痺れの残っている体でくしゃみをしていた。誰か噂でもしているのだろうか――まさか死にそうになっている仲間が自分の話題で盛り上がっているなんて夢にも思わないであった。

「こんな状況でくしゃみとはずいぶんと余裕だな! まあおまえにかけた痺れ薬は超強力で、くしゃみ以外なんもできんと思うがな! 無抵抗なおまえにふさわしい処刑方法を明日ゆっくりと決めてやる!」

 ピラフはそれだけ言い残すと、見張りもなにもつけずに去っていってしまった。
 こんなゆるい悪の組織でいいのだろうか。しかしとしては都合がいい。あの様子だときっとまだ悟空たちは生きているはずだ。
 は徐々に回復しつつある自分の体がどのくらい動くか確認作業に入った。こちとら自分の薬で死にかけるくらい人体実験をしていて、痺れ薬にはある程度耐性があるのだ。しかしそうは言ってもピラフが言うように超強力な薬には違いないようで、まともに動けるまであと数時間といったところ。それまで仮眠を取ることにしたはみんなの無事を祈りつつ、ゆっくりと目を閉じた。



 獣の咆哮とともに城が大きく揺れたことでは目を覚ます。相変わらず周囲に人の気配はないが、なんだか外が騒がしい。今なら混乱に乗じて逃げ出せるのではないだろうか。
 本来ならばこんな縄自力で千切れるのだが、まだ薬の効果が残ってフルパワーが出せないには無理だった。仕方なく片腕の関節を外して縄から抜け出し、刀で縄を斬る。
 本当にピラフ一味は世界征服を目論む悪の組織なのだろうか――敵の武器ひとつ取り上げないとは。と言ってもこの刀は以外が触れると高熱を発するので、簡単にから離すことはできない。だからピラフ一味も諦めての体を縄で何重にもぐるぐる巻きにしたのだろう。
 なにごともなく拘束を解いたがモニター室の地を踏んでも、罠もなにも作動することなく案外あっさりと部屋の外に出られた。ますますピラフ一味に対して一抹の不安を抱えるが、こちらとしてはありがたい。
 廊下に出るとすぐに外が見える窓を見つけた。次城を建てるときはもう少し複雑な構造にするようアドバイスをしたいくらい、脱走者にとっては易しいつくりだ。これならば方向音痴のもすぐに外に出られる。
 窓を刀で斬り刻み、外へ出たが見たのは城を次々と壊していく大猿であった。しかし大猿はなにか目的を持って動いているようだ。矛先はどこだろう――視線を動かすと、ヤムチャたちの姿が見えた。どうやら大猿はヤムチャたちを標的にしているようだ。の速さなら大猿よりも先にヤムチャたちの元へ辿り着く。

「ごめん、みんな。待たせたな」

 ブルマが挟まれてしまった崩れた城の一部を愛刀で斬って助け出すと、ブルマは助かったと泣きながらに抱きつく。はブルマをなだめながら、この状況の説明を求めた。

「孫くんが満月を見たら大猿になっちゃったのよ!!」
「! あの大猿が悟空……?!」
「のんびりしてる場合じゃねえぞ!! 早くなんとかしろっ!! 踏み潰されるーっっ!!!」

 ウーロンが絶叫しながらの後ろへ逃げ込んだ。
 ウーロンを追いかけるようにして大股で近づいてくる大猿を見て、はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。なにか考えがあるのか悟空の踏みつけを素早く躱し、隙だらけの足の間を通り抜けて無防備なシッポをスパッと斬り落とした。すると嘘のように大猿は元の悟空へと戻り、平穏が戻った。
 やはりが思った通り、シッポが弱点であった。以前チチが悟空のシッポを掴んだだけでヘナヘナになってしまったのを見ていたは、大猿になっても弱点は変わらないだろうと踏んで斬り落としたのだ。
 ドラゴンボールも四方八方遥か彼方へ飛んでいき、悟空の大事なシッポも斬り落としてしまったが、今は悟空の安らかな寝顔を見られるだけでは満足だった。
 こうして夜は更けてゆく。



*




「うう……ん」
「お、目を覚ましたか悟空」
「??! っっ!!」

 ごちん!!!

「「いってえ……!!」」
「まったく、なにしてんのよ孫くん!! の膝を独り占めしといて頭突きはないでしょ!!」

 深く眠り続ける悟空の身を案じては膝枕をしていた。ブルマは悟空ばかりずるいと膨れていたが、悟空のシッポを斬り落としてしまった罪滅ぼしだと説得されてしまえば渋々引き下がるしかない。
 そして目を覚ました悟空は冒頭の通り、頭突きをかますのであった。無理もない――悟空の記憶でははまだ捕まっていたはずなのに、なぜか目の前にいるのだ。しかし事情はよくわからないが、無事みんなで城の外から出れて、がいる。悟空はもうそれだけでよかった。

ありがとな! やっぱと寝るときもちーから、また膝貸してくれな!」
「あ、はは……考えとく」
「孫くんばっかりずるい! 次はわたしの番なんだからね!」

 朝からを巡る争いが再び勃発。当事者以外の者は平和になったのだとしみじみ実感するのであった。



 悟空とブルマの喧嘩も、またいくらでも膝枕をするというの魅力的な提案で無事収束した。
 さて、これからどうしようかとブルマが思案していると、みんなから少し距離を置いた物陰へとに手招きされる。

がこんなところに呼び出すなんて珍しいわね……っまさか! 死線を乗り越え、ふたりの間に芽生えた愛が抑えきれなくて――わたしならいつでもいいわよ!!」

 いつになく熱いブルマにはたじたじだ。
 目を閉じて胸の前で手を組み、唇を寄せる動作はまさしくキス待ち状態。女の子にこんなことをさせてしまって大変申し訳ない。
 がやさしくブルマの両肩を掴むと、ブルマは一瞬びくりと震えたが、変わらず唇を寄せたままだ。ブルマの緊張感が伝わる。もゴクリと唾を飲み込み、申し訳程度に喉を潤す。

「ごめんねブルマ、私女なんだ」
「………………へ?」

 ブルマは耳に入ってきた情報をうまく理解できず、固まってしまった。
 頭を下げていたはこれも自分のせいだと観念して胸のサラシを緩め、ブルマの手を自分の胸まで持っていく。服越しでもわかるくらいあたたかくてやわらかな立派なおっぱいがブルマの掌に伝わる。なんなら自分の自慢の胸より大きいのではなかろうか。
 ブルマの手を放し、ささっとサラシを締め始めるを見ても頭が追いつかない。
 狼狽るブルマにはまた申し訳なさそうに口を開いた。

「このことは死んだ師匠と武天老師さましか知らないから、みんなには黙っておいてね」
「………………ぇぇぇえええ!!!??」

 ブルマ、人生史に残る衝撃的事件であった。

「……が女だったなんて……女だったなんて……っだったら思わせぶりな態度しないでよね!!」
「思わせぶりな態度? なにそれ?」

 ブルマは膝から崩れ落ちた。
 そして無自覚ほどおそろしいものはないと学ぶのであった。あんなこともこんなこともにとったらただの優しさ、親切心だったのだ。それがこれほどまでに残酷だったなんて思いもしなかった。

「わたしを騙した罪は重いわよ! 今度買い物でもなんでも付き合ってもらうんだから!!」
「わかったわかった! 本当にごめん! ……それより、そろそろ戻った方がいいかもね。ブルマのことが気になって仕方ない人がいるみたいだし」

 ずっとこちらに視線を寄越しているひとりの男にははじめから気づいていた。やはりそうか――はくすりと小さく笑いをこぼす。
 は余程の事情がない限り、自ら女だと正体を明かすことは絶対にしない。しかしブルマの恋愛の障害にはなりたくなかった。自分の存在がブルマの人生のなにかしらの歯止めとなるならば、いっそキズが浅いうちに女だとバラしてしまった方が得策だと考えたのだ。それに、ブルマが武道家でないことも女と明かせた大きな要因だろう。同じ武道家に女扱いされるよりは、ブルマのような普通(ではないかもしれないが)の女の子に変な目で見られた方がマシだ。
 ただの胸には不思議と不安はなかった。なぜだろう――きっとブルマはこれからも変わらず接してくれる。そう信じている自分がいたのだ。






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