悟空の朝は早い。寝るのも早いが、起きるのも早い。朝日が昇ると同時に起き、夕日が沈むと同時に寝る。それは人工的な明かりがない悟空なりの自然の摂理なのだろう。
いつも通り勝手に目が開くと、飛び込んできたの顔の近さに寝ぼけた悟空はピタピタとの頬の形を確認するかのように優しく叩く。白くモチモチとしたの頬の感触が意外と気持ち良く、今度はびよーんと頬を伸ばした。夢現ながらもしっかりと遊ぶ悟空。さすがのも起きるかと思いきや、ううんと呻いて抱き枕にしていた悟空をさらにギュッと抱き締めるだけであった。いつもなら悟空はスッと起きるのだが、のなめらかでやわらかな肌とその体温が心地良くて、また訪れた睡魔に身を委ねてしまった。
「っん……うーん……ん?」
もまた朝は早い方だが、久しぶりにまともな寝床にありつけたのと、悟空の体温も相まって少し寝坊してしまったようだ。人肌恋しかったのか、いつの間にか悟空を抱き枕にしていて、は苦笑いを浮かべた。昨日散々悟空を注意したというのに、自分からくっついて寝てるなんて人のこと言えない。
とりあえず悟空を起こそうと起き上がろうとすれば、悟空がの服をそれはもうガッチリと掴んでいた。服が伸びてしまうので、仕方なくもう一度寝床に戻って悟空を起こすことにする。悟空、と声を掛けながら体を揺すると意外にもあっさり起き上がった。悟空の手から逃れられたもよっこらせと起き上がる。まだ寝ぼけ眼の悟空に挨拶をすると、半開きの目を何度かしぱしぱさせて大きなあくびをひとつ。完全に覚醒した悟空は、元気よく挨拶をしてくれた。
「オラ、と一緒に寝たからかよく眠れた気がすんだ!」
「ははっ俺もだ。悟空の体温が心地良くて今日は寝坊だ」
お互いににししと歯を見せて笑い合うと、またも悟空の腹の虫が朝ご飯の準備を促してきた。朝から笑わせてくる。
さあ、今日もワクワクがはじまる。
其之二
熊に引き続き、魚もが捌いて新鮮な刺身を食べようということになり、悟空はとびっきり美味しい魚を、は薪割りとキノコや山菜をそれぞれ分担することにした。キノコや山菜は素人では判別が難しく、孫悟飯が亡くなってからは食べてこなかったという悟空に野菜を食べてもらおうとは意気込んでいた。は生薬、漢方に精通しており、よく薬草の類も採取していたことから山菜やキノコに関しても知識が深いのだ。
件の刀身がない刀で薪割りを済ませ、さあ山菜を採りに行くかと歩みを進めると、静かな森に似合わない音が響いた。はまさかと悟空の身を案じてすぐさま走り出す。
「悟空っ!!」
方向音痴なが奇跡的に悟空の元へ辿り着けたのは、絶えず大きい音がの耳に入ってきてたからだ。あらゆる修行を重ね、常人よりも感覚が鋭くなっているは、もちろん聴力も抜群に良い。そんながなぜ方向音痴を克服できないのかは、の師匠も永遠の謎だと語っていただとか。
ともかくは驚異的な速さで悟空を見つけ、そして一瞬で状況を把握した。
大方魚を獲った帰り道を歩いていたら、猛スピードで走ってくる車とぶつかりそうになり、間一髪で避けるも、初めて見る車を怪物と勘違いして投げ飛ばし、投げ飛ばされた方も逆上して応戦してきた、というところだろう。
「! 見てみろ!! こいつこそ妖術使いだ!!」
「……はあ……思った通り……」
は悟空のわかり易すぎる思考にため息を吐くと、妖術使いと勘違いされている少女の元へと歩みを進めた。横転した車から顔を出している少女は大きな瞳を吊り上げ、震える手で拳銃を握りしめ、を警戒している。それもそうだろう。年端もいかない少女が自動車をひっくり返され、妖術使いと呼ばれるなんて混乱しない方が難しいというもの。
「お嬢さん、怪我はありませんか? 怖かったでしょう? もう大丈夫です。俺はあなたを傷つけるようなことはしません。さ、お手をどうぞ」
にっこりと安心させるように綺麗に微笑むと、少女はぽっと頬を赤らめ、の手を握るどころか両手で包み込んできた。そう、は少女の好みドンピシャのいい男だったのだ。
はそんな思いに気づくことなく少女を車から脱出させると、少女はすぐにぴったりとの腕に自分の腕を絡ませ、怖かった……としおらしく振る舞った。随分な演技派である。
「ええと……思ったより元気そうで良かった」
「、ホントにこいつ大丈夫なんか? なんか騙されてねえか?」
「まあまあ……それよりも悟空。この子は女の子だよ。きちんと優しくしてあげないと」
「そうよそうよ!!」
「いぃっ?! こいつが女か?! ……あいつもだけど、女も弱っちいんだな……」
「アレは自動車。機械だ。悟空は師匠に女性には優しくしろって言われなかったのか?」
「そうだ! 女と会ったら優しくしてやれって言われてた!」
やはり兄弟弟子。孫悟飯もまたの師匠と似たようなことを言っていたらしい。
悟空は放り投げていた魚を抱え直し、少女を家に招待することにした。ももちろん賛同し、歩き出そうとすると、急ににしなだれかかっていた少女がへたりとその場に座り込んでしまった。
「ぁ……安心したら急に力が……」
必殺上目遣い。
本当に少女は演技派のようだ。
猛アプローチをかける少女にはたじたじである。できればあまり密着はしたくないのだが、仕方がない。この状況で悟空に運んでもらうわけにもいくまい。
「っきゃ!」
「すまない。嫌かもしれないが、俺の首に腕を回して落ちないようにしてくれ」
はい、喜んで。
口にはしないが、お姫様抱っこを軽々とするに対して目がハートになってしまった少女からは嬉々とした感情が読み取れる。もしかしてへたに助けない方が自分の身の為だっただろうか。はひっそりと冷や汗を垂らしていた。
いや、そんなことを思ったら義理堅い師匠にまた怒られてしまう。しかし、できれば誰にも女だとバレたくはないのだが、こんな調子でくっついていたら、いつかこの少女に勘づかれてしまいそうだ。
「どうしたんだ? 早く行くぞ」
「ああ、今行く! ところでお嬢さん、お名前を訊いてもいいか?」
「……え゛?!」
今までかわいこぶりっ子していた少女の仮面は剥がれ落ち、カエルが潰れたような声を出した。
「俺は。あっちの少年は孫悟空だ」
「………………ブルマ」
ひどく間をあけて嫌そうに少女は自身の名を口にした。
「ブルマか! 可愛くていい名前だな!」
「やめてよ! みんなわたしの名前を聞いたら絶対笑うんだから!!」
「ははーっ!! 変な名前だな!」
「ほらね!」
ブルマは一切の遠慮もなく笑う悟空を睨みつける。
ああ、やっぱり――いつもそうだ。だから自己紹介って好きになれない。
ブルマ自身、全然気に入ってない自分の名前だが、やはり他人に笑われるのは気分良いものではない。かと言ってお世辞を言われても嬉しくない。
「悟空、人の名前を笑うんじゃない。その人自身を侮辱するだけでなく、その人を想い考えて名づけてくれた両親まで侮辱することになる。悟空も師匠を馬鹿にされたら嫌だろう?」
朗らかな雰囲気を持つが、今はピリリとした緊張を含ませ、目を冷ややかに細めて悟空をピシャリと嗜める。顔立ちが綺麗な分迫力も増し、悟空は思わずすまねえと謝罪を述べた。わかればよろしいとがくしゃりと笑えば、悟空もいつもの調子を取り戻し、自分の家へと案内し始める。
ぽかんとするブルマの耳元へは唇を寄せて勝手言ってすまないと謝ると、今度こそブルマのときめきは最高潮に達し、ボンッと煙を上げて完全にオーバーヒートしてしまった。
の一連の行動は完全に女たらしそのものであったが、本人にそんな自覚はない。なぜこんなにもブルマが顔を真っ赤にし、ぐったりしているのか首を傾げるばかりである。
こうして、悟空、そしてブルマを加えた奇妙な一行が誕生した。
悟空の家でドラゴンボールの話を聞くまであともう少し。