蜜雨

 まさか師匠の遺言に従って孫悟飯に会いに行き、その弟子の孫悟空と出会い、そしてブルマと共に旅に出ることになるとは思わなかった。一人で気ままに、というのも確かに悪くはないが、こんな賑やかな仲間がいても楽しいだろう。そう思っていた――こんなイザコザが起こるまでは。

「オラがと寝る」
「ダメよ、はわたしに添い寝するんだから! っね、!」
はオラと寝たらよく眠れるって言ってたんだ。ブルマはひとりで寝ればいいだろ!」
をあんたと同じ床で寝させるわけにはいかないじゃない!」

 先程からこの調子だ。そろそろ両腕が引っ張られて痛いということにふたりとも気づいて欲しい。
 そもそもブルマは少なからずを異性として見ているのだから、もう少し危機感を持つべきである。しかし風呂のときのブルマを鑑みると、一緒に寝たところで逆にがブルマに襲われる図が浮かび上がる。
 は風呂の概念もよくわかっていない悟空に、風呂の入り方を教えるようブルマに頼まれて悟空を風呂に入れていた。悟空は男同士なんだからも一緒に入れと勧めてきたが、もちろん男装をしている身でそんなことはできない。そんなと悟空のやりとりをブルマがこっそり覗き、の体……とあやしく笑っていることにはもちろん気づいているので、は悟空の誘いをきっぱりと断った。ブルマは一瞬だけ残念そうにしたが、その次には堂々と風呂場に侵入してそれじゃあわたしと一緒に、と笑顔で言い放つものだから、都会の女の子はいろいろとすごいなと思った瞬間であった。

「……ブルマ」
「なあに、
「ブルマは女の子なんだからもう少し自分を大切にしなさい。俺は床で寝るよ」

 困ったように眉尻を下げてブルマを諭すと、腕を引っ張る力が弱まった。その隙を逃すまいとブルマの拘束から腕を引っこ抜いて床に敷いてある布団に横になる。ブルマとの勝負(?)に勝った悟空は満足げにと一緒の布団に入り、その一瞬の内に寝てしまった。ベッドの上に残されたブルマはのあまりにも紳士的な態度や言葉に、またも身も心も焦がしていくのであった。



其之三




 朝、誰よりも遅く起きたブルマが準備を進めている中、暇だからと悟空は体操しに行き、は散歩に出掛けると、周囲の岩に紛れて亀を見つけた。

「ウミガメ……?」
「す、すいません……塩水を一杯、できればワカメをそえていただけませんか?」

 カメを見たときの頭の中は亀の甲羅を使った漢方は女性に大人気だったことが頭を過ぎったが、助けを求めてくるカメの肉を削ぎ落として薬を作るわけにはいかないと踏み止まる。そんな恐ろしいことを考えているとは知らないカメが再度に声を掛ければ、ハッと我に返って台所へと走った。

 体操から帰ってきた悟空と準備中のブルマとともにカメの話を聞くと、松茸狩りに行って迷子になり、海を求めて一年ほど彷徨い続けていると言うではないか。かく言うも極度の方向音痴で苦労しており、ウミガメの気持ちは痛いほどわかった。にとっては他人事と思えない。

「俺が海に連れていくよ」
「えっ!! 本当ですか!?」
「ちょっ?! ちょっと、そんなカメなんてほっときなさいよ!!」
「同じく方向音痴の俺としてはほっとけないんだ。ブルマと悟空と別れるのは残念だが、達者でな」
が行くんならオラもついてくぞ!!」
「おっ悟空が一緒なら心強い! なんせ俺とウミガメじゃあ方向音痴もの同士だからな!」

 あははと笑いをこぼすがカメを背負おうとすると、悟空がこれも修行だから背負わせてくれとカメを背負い、じゃあ交代で運ぼうなとと悟空はお互い笑い合った。

「……ブルマはどうするんだ? 旅、急いでるんだろ? 無理に俺たちに付き合わなくていいからな」
「う、……ずっずるいわよ、そんなの」

 はにかむような笑顔を浮かべながら、ブルマに残酷な選択肢を与える。
 はわかっていた――ここの周りには凶暴な動物が多いこと、悟空の持つドラゴンボールが最終的に必要になること。しかしあくまでもブルマの意見を尊重しようと決断はブルマに委ねる。優しい顔してとんだ策士だと悔しがるが、いい男にはとことん目がないブルマが出す決断はとっくに決まっていた。

「でも……そんなとこも素敵!!」

 ブルマは思い切りに抱きつき、はブルマの勢いによろける。

「ブルマ! が歩きづらそうじゃねえか!! はなれろよ!」
「へっへーんだ! あんたはそのウミガメと仲良くしてなさいよ!!」

 一度は離れかけたと悟空、そしてブルマは再びウミガメを助けるべく海へ向かうのだった。

 ブルマはバイクに乗り込むと、に後ろへ乗るよう呼び掛けた。しかしカメを抱えている悟空を差し置いて自分がバイクに乗るわけにはいかないと遠慮する。

「孫くんは体力馬鹿だから大丈夫よ! だからわたしを後ろから抱きしめるように「ブルマおまえただとくっつきたいだけだろ!」
「あ、はは……それより早く出発しないか?」

 またも両腕を引っ張られているの呟きは悟空とブルマの喧騒にかき消され、届くことはなかった。
 結局ウミガメを悟空と交互に抱えるため、も悟空もウミガメを抱えていないときはブルマの後ろに乗ることとなった。最後までブルマは不満タラタラだったが、ブルマがウミガメをバイクに乗せてと悟空が並走するのが最善策だとに提案されて口を噤んだ。
 そんなこんなで現在悟空がウミガメを抱え、ブルマとがバイクに乗っているとき事件が起きた。

「ボウズ、そのウミガメよこさんか? 大好物なんだよなー」

 ギラギラと光る剣を持ち、大岩のような体躯をした猛獣がたちの前を塞いだ。怯えるブルマの肩をそっと抱き、は優しく大丈夫だと耳元に落とす。まさかこんなちょっとした自分の行動でブルマの心をまたも鷲掴みにしているとは思うまい。えっえっと真っ赤になってブルマが混乱している中、はバイクを降りて猛獣の前に立つ。悟空にウミガメを頼むと、悟空はニッと笑った。その笑顔にもニッと笑い返し、目の前の敵を睨みつける。

「なんだなんだ、随分と貧相な優男がきたもんだ」
「図体だけの奴がよく吠える」

 小馬鹿にするようなの態度に、猛獣は堪らず大剣を振り下ろした。は難なくさらりと避けたが、が立っていた場所はしっかりと地面が抉られている。その威力を目の当たりにしたブルマは顔を真っ青にして悟空に助太刀するよう喚き散らした。ウミガメもあたふたするが、悟空は相変わらずのほほんと構えており、を心配する様子などこれっぽっちもない。

「おまえもこうなりたくなかったらさっさとウミガメをよこすんだな! 次はないぞ!」
「わかった。それじゃあ遠慮なく」

 は腰に提げていた刀を抜く。しかしそこにはあるはずの刀身がなかった。いよいよ猛獣は大笑いし、ブルマとウミガメは声も出せずに震えている。

「そんな使えない刀でオレさまを倒そうなんざ笑っちまうぜ! お遊びは終わりだ!!」

 もう一度に向かって大剣を振り下ろすが、はニヤリと笑いながら刀を振る。すると、見えない刀身によって大剣は見事に折られた。状況が把握し切れていないままの猛獣の後ろに回り、刀の柄の頭で延髄を小突いてやる。刹那、巨体が地に伏せた。

「じゃ、行こうか」

 にっこりと、先程見せた好戦的な笑みとは大違いな柔和な笑みにブルマはハートを乱舞させる。悟空もどきりと小さく胸を弾ませたが、いまいち感じたことのないこの感覚を、強者に会った高揚感だと片づけた。

 海まであともう少し。



 無事ウミガメを海まで送り届け、お礼がしたいと言うウミガメを待つこと数十分。ようやく帰ってきたと思ったら、ウミガメはファンキーな老人を連れきた。老人の名は亀仙人。その名には誰にも気づかれない程度にぴくりと反応を示した。
 ウミガメによってと悟空は恩人として紹介され、亀仙人はそんなふたりにプレゼントをあげると言う。しかし、はその提案を遮ってまで欲しいものがあった。それは――

「あ、あの! 俺はプレゼントよりもその……」
「なんじゃ?」
「あっ握手してもらっていいですか?!!」

 普段比較的冷静で大人びた雰囲気を持つだが、このときばかりは酷く取り乱していた。悟空とブルマは目の前でキャラ崩壊を遂げているをぽかんと見つめるだけである。当の本人はキラキラした瞳で手汗を拭いて亀仙人を待っていた。

「ふむ……本来ならば握手はわしが認めたものとしかせんのだが……」
「とか言ってただ男に触れたくないだけではないですか」
「おまえは黙っとれ!!」

 ウミガメのツッコミにお怒りの亀仙人は、ごほんとひとつ咳払いをしてに手を差し出した。はぱあっと無邪気な笑顔で師匠の師匠である亀仙人の手を震える手で握る。ほんのひと時ではあったが、は満足げに手を離した。亀仙人はそんなの手に違和感を覚える。を握った自分の手を交互に視線を移動させ、己の疑問をぶつけようと口を開こうとするが、それよりも早くウミガメが悟空にもプレゼントを贈るよう催促した。

「わかったわかった! 年寄りを急かすんでない!!」

 に抱いた疑問を頭の隅に追いやって亀仙人は不死鳥を呼ぶが、どうやら食中毒で死んだらしく、そのかわりに空に向かって筋斗雲を呼び出した。すると、どこからともなくやってきた雲の一欠片が亀仙人の前でとまる。意のままに空を飛べるありがたい雲である筋斗雲は、清い心を持っていないと乗れないらしい。まずはお手本と亀仙人が乗ろうとしたが、拒むようにすり抜けてしまった。腰を痛めた亀仙人の横から飛び乗った悟空は、なんと見事筋斗雲に認められ、自由自在に操っている。これには亀仙人もびっくり。

「なあなあも乗ってみろよ!」
「え? あ? は?!」

 憧れの亀仙人との握手で放心状態だったの手を取り、悟空は半ば強制的に筋斗雲に乗せた。

「く、雲に乗って空飛んでる……?」

 やっと自分が置かれている状況を把握したのか、全身を撫ぜる風と海の上ギリギリを滑走しながら上昇してゆく浮遊感を感じた。一周回って冷静に状況説明をし出したに悟空は笑い声を上げる。

「なんだいま気づいたんか!」
「えっちょ、え、えと俺は亀仙人さまと握手して、それから……それからどうしてこうなった?!」
「よいこしか筋斗雲にのれねえんだけどよ、オラはならのれると思ってたぞ!」

 わははと大口開けて笑う悟空にますますは混乱するが、段々と落ち着きを取り戻してくると、まあいいかと流してしまうのであった。
 なにはともあれ、思いがけず旅の目的のひとつである亀仙人に会うことができた。まだまだ自分が未熟者過ぎて師匠の話はできなかったが、この旅を通して成長したら今度こそ師匠の弟子ですと胸を張って言おう。






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