蜜雨

其之十三

「……だから俺は方向音痴なんだってば」

 レッドリボン軍に筋斗雲を撃ち壊され、悟空と共に飛行機で北へ向かっていると、燃料が切れて墜落してしまった。寸前で脱出に成功したたちだが、よりも薄着であった悟空はあまりの寒さで体が凍りついて動けないでいた。もなんとか悴む体に鞭を打ち、悟空を抱えて一面真っ白な銀世界を歩く。ブルマのくれたドラゴンレーダーが方向音痴のにとって唯一の救いではあるが、このまま歩いてたんじゃ凍死は免れない。村か人か、なにか希望はないのか――視界も霞んで気力も磨耗してきたの耳に、可愛らしい声が聞こえた。そろそろ命の灯火が消えようとするを天使が迎えにきてくれたのか、とうとう幻聴まで聞こえてしまったようだ。

「あなたたちここでなにしてるの?」

 次はもっとはっきりと声が聞こえた。これは幻聴ではない。現実だ。

「た、すけ……さむ、……い」
「たいへん!! あっちにわたしの家があるわ! ついてこれる!?」
「な、……んと……か、……」

 唇がなかなか動いてくれない。
 上半身は悟空を抱えた体勢のまま凍って動かなかったが、足だけはなんとか動かして最後の力を振り絞って女の子について行った。



 あたたかい。
 目蓋を持ち上げると見知らぬ天井が視界に広がり、ぱちぱちと薪が爆ぜる音が聞こえた。

「……こ、こは……?」
「かあさん!! おにいちゃんが気がついたよ!」

 がゆっくりと重い体を起こすと、そばにいた少女が声をあげる。まだぼうっとする意識であたりを見渡すと、すぐ横で同じように悟空が寝かされていてホッとした。

「さあさ、これを飲んであったまって」
「あ、ありがとうございます……」

 少女の母であろう女性があたたかい飲み物を手渡してくれた。じんわりと掌に伝わるあたたかさが心地よい。

 体もあたたまり、やっと落ち着いたはスノと名乗る少女とその母からこれまでの経緯を聞いた。は礼を言いながらスノの頭を撫でる。

「スノ、俺たちを助けてくれて本当にありがとう」
「おっ……王子様……!!」
「ん?」

 (無駄に顔が良い)の極上の微笑みでゆでダコみたいに真っ赤に頬を染めたスノは、に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
 幼い少女の憧れと初恋を一瞬にして奪った罪深い男(性別は女)は、スノの後ろに立っていたお母さんも虜にしていた。自分には愛する夫が――スノほどではないがお母さんもポッと頬を染めて呟いている始末。家庭崩壊の危機である。

 自分が微笑んだだけでそんな大変なことになっていると思っていないは、別の部屋から出てきたスノの父親の存在にすぐ気がついた。

「お客様は目が覚めたのかい?」
「とうさん!」
「あなた! もう少し休まなくて体は大丈夫なの?」
「あまり長く休みすぎると奴らにバレてしまうからな……」

 明らかに調子が悪そうなスノの父親を見て、はスノの父親を引き留めて幾つか質問をしたのち、懐からホイポイカプセルを取り出して少し開けた床に向かって投げた。
 急にどうしたのだろうとホイポイカプセルから出てきた麻袋の中をあさるをスノたちは不思議そうに見つめている。

「お母さん、白湯ありますか?」
「え、ええ……」
「き、きみはいったい……?」
「助けてくれたせめてもの恩返しですよ。これは俺が作った薬です。これを飲めばきっと良くなるはず……ただ、ほんの少しばかり苦いですがね」

 は麻袋から薬包紙に包まれた薬を取り出すと、そのひとつをスノの父親に手渡した。
 こんな初対面で、知り合って間もないを簡単に信用してよいのだろうか。しかし目の前に立つの一切曇りのない瞳を見ると、問答無用で信用してしまいそうになるのはなぜだろう。の持つ不思議な雰囲気だろうか、それともこの陰鬱とした村には眩しすぎるくらい陽の気を感じるからだろうか。

「俺を信用出来ないのなら今無理に飲まなくてもいいですよ。いくつかこちらに置いておきますから、よかったら飲んでください」
「……わたしにはきみが人を騙すようには思えない。薬、有難く頂くよ」
「……ありがとうございます」

 の心境は複雑であった。
 常に自分を男と偽って人の目を欺いて生きているにとって、スノの父親の言葉は良心の呵責を感じざるを得なかった。だが、これだけは信用して欲しい。自分のつくった薬だけは嘘をつかない。
 スノの母親から白湯の入ったコップを受け取り、スノの父親は白湯を口に含んで粉と共に一気に飲み干した。すぐに猛烈な苦味が襲ってくる。ほんの少しの苦味どころではない。口にはしないが、恨めしそうな視線をに送ってしまったのは仕方ないだろう。

「良薬は口に苦し、ですよ」

 スノの父親の無言の訴えに、は苦笑を漏らす。



 スノの父親が出て行ってすぐに悟空が目を覚まし、スノとスノの母親からこの村の事情を聞いたと悟空は、助けてくれたお礼にレッドリボン軍を倒そうとマッスルタワーに乗り込んで次々と敵を倒していった。
 そしてついにと悟空は忍者ムラサキを追い詰めて四階と最上階の間に来ていた。そこで待ち受けていたのは、や悟空よりもはるかに大きい人造人間8号であった。ムラサキは檻に入れられていた人造人間8号を解放し、と悟空を襲うように命令した。しかし人造人間8号はムラサキの命令に首を振った。

「生きものころす、いけない。オレ、悪いこと、キライ。」

 顔面にキズがあり、いかつい見た目に反して人造人間8号は心優しかった。と悟空はぽかんとムラサキと人造人間8号の言い争いを口を開けて見守っていた。
 どれだけ脅されようとも頑として悪事は働かないときっぱり断る人造人間8号の姿に、と悟空は互いに笑みを浮かべ、目を合わせて頷いた。
 人造人間8号を爆破しようと距離を取るムラサキに、は声を張り上げる。

「させるか!!」

 は天叢雲を抜刀し、人造人間8号に斬りかかった。
 一瞬狼狽たムラサキであったが、刀身のない刀で人造人間8号を斬る真似をしたの不可解な行動に、馬鹿にしたように笑いながら手元の爆破スイッチを押した。しかしなにかの間違いだろうか――スイッチを押せばすぐに木っ端微塵になるはずが、なにも起こらない。何度スイッチを押しても爆発しない。はその様子を見て、したり顔で笑う。

「悟空! あとは任せた!」

 の声を合図に悟空はムラサキに飛びかかり、顔面に思い切り拳を入れてやった。ついでに爆破スイッチも壊してやる。これにて一件落着。

、あん時その刀でなにやったんだ? 斬ったのに、キズついてねえ」

 悟空はどこをどう見ても無傷の人造人間8号を見て首を傾げる。は天叢雲を鞘に戻すと、口を開いた。

「天叢雲は万物を斬る刀。だがこいつは俺の意思を汲み取り、斬るものを選択してくれるんだ」
「……よくわかんねえ……」
「つまり、俺が人造人間8号の中にある爆弾を斬りたいって強く思えば、天叢雲はそれだけを斬ってくれるんだ。だから例えば悟空の心臓だけを斬りたいって思えば、体の表面を傷つけずに心臓だけを斬ることが可能というわけだ」
「い!? オラの心臓だけを……!??」
「俺が望めばな」

 ニヤニヤとからかうように笑う。悟空が露骨に嫌な顔をするものだから、さらには笑みを深める。そんなふたりに人造人間8号はおずおずと声を掛けた。

「たすけてくれてありがとう。うれしい。」

 人造人間8号の言葉にと悟空は嬉しそうに笑い合った。

 助けてくれたお礼に人造人間8号、もといハッチャン(悟空命名)が案内してくれることとなった。
 四階と五階の間は迷路になっていて、とてもと悟空では攻略できなかっただろう。根っからの方向音痴であるは、ハッチャンがいてくれてよかったと心底安堵していた。
 しかしハッチャンのおかげでスムーズにホワイト将軍の部屋に辿り着いたたちは、落とし穴に落とされてしまった。
 さてさて、次は一体なにが待ち受けているのやら。






 其之十二 / 戻る / 其之十四