其之十六
と悟空は筋斗雲によって超特急で西の都まで到着した。ここは世界で最も科学技術が発達した近代都市だ。超高層ビルが立ち並び、さまざまな車が行き交い、少しでも気を抜けば人にぶつかりそうなくらいゴミゴミとしているが、街並みは整然とされていて美しい。
「さすが西の都……いつ来てもすごい大都会だ」
きょろきょろと田舎っぺ丸出しでは辺りを見渡していると、同じくきょろきょろと辺りを見渡していた悟空が、勢いよく車が走る車道のど真ん中を横切ろうとしていた。当然クラクションの嵐だ。しかし悟空にそんなのが通用するわけもなく、退ける気がさらさらない悟空を慌てて歩道まで引っ張っていった。悟空を轢きそうになった運転手は去り際に今度同じことをしたら轢き殺してやると暴言を吐いていたが、きっと悟空の体にぶつかって壊れるのは車だろうなと変な心配をしながら会釈だけしておいた。
「悟空、ここは俺たちが住んでいる山と違うんだ。下手にうろちょろするな」
これ以上へたに動き回らないようにががっちりと手を握ると、悟空は自分の手との手をじっと見つめる。
「おまえ意外と手ぇちいせえなあ」
悟空がの手をぐっと握りしめた。掌の皮は分厚いが、指は細長くて折れそうだ。よくこんな手であの重そうな刀(と言っても刀身はないが)を握れるものだと悟空は感心していた。自分よりも身長も低く、年齢だって下なのに、割と大きくてゴツゴツした手に包み込まれて、が不覚にもドキッとしてしまったのは神様にも内緒だ。
「っあ! あそこにソフトクリーム屋さんがあるぞ! せっかくだから食べないか?」
誤魔化すようにが口を開くと、悟空の意識がの指差す先に向かった。公園の中にはこぢんまりとしたソフトクリーム屋さんがあり、女の子を中心に少し列を作っているのが見える。
「そふとくりーむってなんだ?」
「いいからいいから! 食べてみればわかる!」
はそのまま強引に悟空の手を引っ張り、ちょうど人がはけたタイミングで注文することが出来た。
「おねえさん、バニラをふたつもらえますか?」
「あらいやだよおねえさんだなんて! 男前にそんな呼ばれちまうとサービスしないといけないじゃないか!」
(無駄に顔が良い)の自然なおねえさん呼びを気に入った相当年上のおねえさんは、言葉通りいつもよりも多めにソフトクリームを盛ってくれた。それに気づいた(無駄に顔が良い)は輝く笑顔でお礼を言って、かなり年上のおねえさんの手にそっと触れながらソフトクリームを受け取った。ここまでの一連の流れは全ての無意識下で行われたものだ。あなおそろしやマダムキラー。
「ほら悟空、あのおねえさんがおまけしてくれたぞ!」
またひとり犠牲者を出したことにまったく気づかないはニコニコと悟空にソフトクリームを渡した。ソフトクリームを前にしても相変わらず不思議そうな顔をする悟空に、試しにがぱくりとソフトクリームを食べてみせて、冷たくて甘い食べ物だと教える。悟空もに倣って食べてみると、はじめて味わうソフトクリームが思いの外美味しかったのか凄い勢いでがっつく。気に入ってくれたようでよかった。
「そふとくりーむってうめえな!」
「ああ。俺も都に来て初めて食べたとき感動したよ」
「は都に行ったことあるんか?」
「東の都の学校に行ってたからな」
学校というワードに悟空はあからさまに顔色を悪くする。
「げえ~……学校ってベンキョーするとこだろ? オラきらいだ……」
「あはは! 悟空らしいな! でも武術だけでなく、知識があることで広がる世界だってあるんだ。例えばこのソフトクリームだって、悟空は知らなかったが、俺は知っていた。だから悟空は俺の知識のおかげで美味しいソフトクリームにありつけたってわけだ」
「ってことはオラはと一緒にいればいいんだな! と一緒にいればうめえメシ食えんだな!」
「……いやだからなんでそうなんだよ……」
ひとりでうんうんと納得している悟空の横でがっくりと肩を落とし、静かにツッコミを入れるであった。
「そこのお兄さん!」
「……ん?」
項垂れるに可愛らしい女の子が声を掛けてきた。
その女の子はわざと胸の谷間を強調してに近寄るが、もちろん性別が女であるはなんとも思わない。むしろピチッとしたタイトな服装はブルマも好んで着ていたから、今時の若い女の子の間で流行っているのだろうかと冷静に分析していた。これが亀仙人ならば鼻血の出し過ぎで貧血を起こしていただろう。
「写真撮ってもらってもいいですか~?」
「ああ、はい。悟空、ちょっとここで待っててくれないか?」
はじめに声をかけてきた女の子とは別のもうひとりの女の子がの腕を取り、この場から少し離れたところにある噴水へと引っ張っていく。意外と力が強い女の子にされるがままのは悟空に一言声を掛けて連れ出されてしまった。
「はい、チーズ」
噴水の前で可愛らしくポーズを決める女の子を写真に収める。綺麗にお化粧をして、可愛らしい服を着て――もし自分も女として生きていたらこうなっていたのだろうか。天下一武道会で亀仙人に負けて以来、少しだけ女としての人生を考えるようになった。今はまだ女として生きる勇気は出ないし、亀仙人の前で決意したことも果たせていない。いつの日か、なにもかも乗り越えて、本当の自分を受け入れられるようになれるのだろうか。
「うまく撮れたかな?」
女の子たちに写真を確認してもらおうとカメラを返そうとすると、ガッとカメラごと女の子の手に包まれた。えっなにごと。
「お兄さん、これから時間ありますか?」
「わたしたちと一緒に遊びましょうよ~」
「い、いやあ……これから予定が……」
「その予定終わってからでもいいですからあ」
「そっそういうわけには……」
ブルマの時も思ったが、最近の女の子は積極的過ぎやしないか。笑顔を取り繕いながらは冷や汗を流していた。
掴まれた手を振り払うことは容易いが、か弱い女の子相手に乱暴はできない。これが男相手だったらすぐに投げ飛ばしてやるのに――ああ、世の男性が女の子に強く出れない理由がわかった気がする。女の自分もかつては男にこう思われていたのだろうか。武道においてはは誰にでも容赦しないし、女の子扱いもしない。しかしそれは自分が女だから。自分がもし男の立場ならばあるいは――だめだ。考えれば考えるほど、思考がモヤがかってくる。
「」
「……っへ!?」
動けずにいたの空いていたもう片方の手を掴んだのは悟空であった。悟空の力に敵うはずもなく、女の子はたまらず手を離した。はつんのめりそうになりながら、悟空についていくしかなかった。
の名を呼んで以来、口を開く様子はない。いつも穏やかで、なにがあっても笑い飛ばしてしまうあの悟空がなんだか不機嫌そうで、とてもじゃないがいつものように話し掛けられる雰囲気ではない。
「」
「な、なんだ……?」
「オラなんかおかしいんだ……たまにここんとこが変になるんだ……」
悟空は胸の辺りをぎゅっと握りしめた。
「もしかして心臓かなんかの病気か?! 今は痛くないのか!??」
「痛くはねえ。の手握ってたらいつの間にか苦しいのおさまっちまった」
「そっそうか……でももしまた同じ症状出たら教えてくれよ!」
が全力で悟空の心配をしている。今の瞳には悟空しか映っていない。なぜだか酷く安心した。
が女の子たちに連れて行かれた時は平気だった。だがその後やたらベタベタとに触る女の子たちを見て、悟空は胸のあたりがざわめきはじめた。気がついたらの手を掴んでいて、その手から伝わる体温に触れたら胸の痛みにも似たざわめきはいつしか散り散りになっていた。この息苦しさを感じるのはなにもはじめてではない。悟空の中ではっきりとした原因はわからないが、もしかしたらが関係してるのではと思うことはあった。
ほかの誰にも抱いたことがないこの感情の正体に、悟空は気づくのだろうか。もしかしたら先にが気づくだろうか。
「あっ! もしかしていきなり冷たいの食べたから体が冷えたんじゃないか?」
「オラそんな体弱っちくねえよ」
「うーん……それもそうだな……」
「「ま、いっか!」」
いや、このふたりならば一生気づかないかもしれない。