其之二十一
あのレッドリボン軍をたったふたりだけで壊滅に追いやったと悟空は、ドラゴンレーダーで探し出せない七つ目のドラゴンボールを探してもらうために、クリリンとヤムチャ(とプーアルとウパ)と共に占いババの宮殿にやってきた。ただし、占いババに占ってもらうには一千万ゼニーが必要なのだが、占いババが選抜した五人の選手全員に勝てばタダで占ってくれるらしい。
三人目まではクリリンとヤムチャが健闘して(亀仙人とブルマの手を借りながら)、なんとか勝ち進んだ。しかし、四人目の選手からは桁が違うと占いババに脅されながら、外の競技場へと移動していた。
広大な競技場に到着し、白と黒の色違いの狐のお面をつけた男性がたちの前に立ちはだかる。
亀仙人はあのお面をつけたふたりを見て、腑に落ちない表情を浮かべていた。どこかで会ったことがある気がするのだ。亀仙人の言葉に、は黒い狐のお面をつけた人物を見遣る。確かに自分もあの黒い狐の面をつけた男は見覚えがある気がしていた。悟空は悟空で、白い狐の面をつけた男からはうれしいニオイがすると言うし、一体あの二人組は何者なのだろう。
「ヤムチャ、四人目ともなると疲れているだろう。代ろうか?」
「なあに、ここまで来たんだ。俺にやらせてくれ!」
勝ち進んで大分自信がついたのだろう、ヤムチャはの言葉に首を振る。
どうやら次は黒狐の方が出るらしい。なんだか危ない予感がするのだが、この予感が当たらないようには祈るばかりだった。
「次も勝つっ!!」
「………………」
ヤムチャは気合を入れて構え、黒狐の方は無言で手を合わせて一礼した。その流れるような動作はがいつもしている動作に酷似していて、隣にいた悟空もみたいだと笑った。なんだろうか、この引っかかる感じ。
「試合はじめっっ!!」
「はあっっ!!」
占いババの掛け声と共に飛び出したヤムチャは突きを繰り出すが、そこには黒狐の残像しか残っておらず、気がつけばヤムチャは背後から蹴りを入れられて場外へ吹っ飛ばされていた。まさに青天の霹靂。
黒狐の動きはと悟空、そして亀仙人しか捉えられなかった。確かに占いババの言う通り、四人目からは格が違う。
「………………」
ヤムチャに勝っても黒狐は一切の感情は見せず、礼を終えると無言でを見つめて挑発するように手招きした。この舞台に上ってこい――言葉にせずとも伝わってくる。
「悟空、次は俺がいっていいか?」
「ああ! あいつなら思いっきりやれるな!」
悟空はと拳を合わせて激励を送った。
悟空に見せた笑顔は舞台に上がると同時に消え、静かに瞳に炎を宿らせる。お面をつけていて表情は読めないが、凄まじい気迫がビリビリと肌を伝わってくる。こんな洗練された威圧感をまともに受けるのは久しぶりだ。だが不思議とこの緊迫した空気が心地よく感じるのはなぜだろう――いや、考えるのはよそう。余計な雑念を持ったまま挑んではいけない相手だ。
は黒狐に一礼すると、男もまた一礼した。どちらも流麗な動きで、それだけでふたりの底知れない実力が垣間見える気がした。
「試合、はじめいっ!!」
と黒狐はじりじりと間合いを詰め、一気にぶつかりあった。
「っらあ!!」
黒狐は顔面に向けて繰り出されたの拳を手掌で受け止め、握り締めることでの片手を封じた。だががそんなことで怯むわけもなく、鳩尾に膝蹴りを喰らわそうとする。しかしそれも黒狐は自分の脚と腕で腹部をガードすることにより防いだ。ならばとは拳を握られながら、その腕を支点にして黒狐と背中合わせになるように飛んだ。その勢いで投げられると悟った黒狐はパッと手を離した。そのまま投げても、手を離されてもよかったは次の動きに移ると、背後にまわったは頸椎に手刀を入れて終わらせようとするが、の動きを読んでいたのか、さっと黒狐はしゃがみ込みんで足払いをした。
「ぅ、っく!?」
がバランスを崩したところを逃さず、地面に押し倒して全身での体を固めて動けなくし、頸部を締めつけた。どんな達人でも逃げられないくらい、一瞬で見事に技が決まっている。
「参ったと言わないと死ぬぞ」
黒狐の面が初めて言葉を発した。
ギリギリ声帯を震わすことができるくらい締め上げられているは、好戦的な目で睨みつけながら言った。
「っ死、んで……っも、言うかああああああ!!!!」
全身から気を放出すると、凄まじい衝撃波が生まれた。堪え切れず上空へ吹っ飛ばされた黒狐の手は、瞬間的にの体が熱を持ったのか軽い火傷を起こして発赤していた。しかしそんなものはなんのその、重力を利用して上空からを狙う。しかしも素直に待っているはずもなく、すぐに立ち上がって攻撃を受け流す準備をした。黒狐は落下と共に鋭い蹴りを喰らわすが、はそれを受け流して逆に回し蹴りを喰らわす。の蹴りを喰らって地に落ちた反動で、お返しとばかりに顔面に突きを喰らわせる。蹴りが決まって油断していたのか、まともに顔面に一発もらったの鼻からは血が流れていた。亀仙人がいつも垂らす鼻血とはわけが違う。
「ってえ……!」
「………………」
垂れてくる鼻血を手で拭いながらも、お互い視線は外さない。次はなにをするのか――それは誰にもわからない。
両者一歩も譲らない攻防に、と黒狐(とワクワクしている悟空)以外は固唾を呑んで見守っていた。
「まだまだぁ!!」
普段も、戦っている時も、割と冷静沈着なあのが子供のように笑い、本当に楽しそうに戦っていた。心なしか黒狐の張り詰めた空気の中にも、柔らかさが滲み出ている気がする。
「………………」
「いくぞっ」
次が最後の攻防戦になるか。
両者地面を蹴り、突きと蹴りの応酬を繰り広げた。しかしの動きが読まれているのか、やや受け流される回数が多い気がする。も気づいているはずだ。とうとうの拳は再び掴まれることとなった。だがはこの時を待っていたとばかりに、もう片方の手で突きを繰り出す。何度しても同じことだと黒狐は受け流そうとするが、気づいてしまった。今までの突きとは違う――対処しようにも今からでは間に合わない。
黒狐はの拳から放たれる熱と閃光と衝撃波を至近距離で受け、地面にめり込んだ。舞台に大穴が開く。
「っは、っは……参ったって言わないのか?」
穴の上から黒狐を見下ろす。
一度死を体験したは、気に関する感覚が研ぎ澄まされていた。相手の気を読むことはもちろん、自分の中の溢れ出るほどの膨大な気をコントロールする力を身につけたのだ。だからこそ全身から衝撃波を出すことや、拳一点に集中して気をぶつけるなどの芸当が出来た。
「………………」
もちろん黒狐は死んではいない。しかし戦える状態ではないはずだ。
「強くなったな……だが、これはどうだ?」
にしか聞き取れないくらいの声で黒狐は意味深な言葉を呟いた。
よろよろと膝をついて俯いているため、表情は読み取れない。元よりお面をしていたのでわからなかったが、からんと音がしたと思ったら黒い狐のお面は外れて地面に落ちていた。ついにその顔が拝めるのかとは男を凝視するが、男は素早くまた別のお面をつけてに飛び掛かった。完全に油断していたは顔と顔を突き合わせて固まった――彼はリップスのお面をつけていたのだ。
「……っっひぎゃあああああああ!!!!」
おお、!倒れてしまうとはふがいない!
「……やはりまだ克服していなかったか……」
説明しよう。男が黒狐の代わりにつけたお面、リップスとはが気を失うほど苦手なモンスターである。なにやらトラウマがあるらしく、は実物でなくても恐れ慄いて気絶してしまうのだ。マッスルタワーのブヨンは系統が似ていたので、即気絶には至らなかっただけだった。
「起きなさい」
に勝利した男は、リップスのお面を外して黒狐のお面をつけ直すと、倒れたの胸倉を掴んで往復ビンタをかます。容赦のないしごきに、さすがの占いババも冷や汗をかいていた。
「っは! ほぎゃあああ「静かに」あががががっっ!!!!」
ビンタで強制的に目を覚ましたはまた恐怖が襲ってきたのか叫ぼうとするが、黒狐がの顔面を掌で覆い、頭蓋骨を握り潰すかのように指先に力を入れた。やがてが痛みのあまり叫べなくなったのを確認して黒狐は手を離す。ずべしゃあとが力なく落ちると追い討ちをかけるように、後ろが閊えているのだから早く一礼して舞台から降りるように冷たく言い放った。
鬼だ……!!!!
誰もが同じことを思ったが、悟空だけは無邪気に笑っていた。正気か。
ふたりの関係性はいまだはっきりとわからないが、と黒狐のやり取りはお互いの絶大なる信頼関係の上で成り立っているのだと悟空はなんとなく察していた。ふたりの間に深い絆を感じたのだ。
は負け、勝利した黒狐は悟空との勝負を白い狐のお面へと託した。
「……まったく、わしと悟空の戦いを最初から見せたいからって無理くり起こしおって……昔からおまえのやさしさはわかりづらいんじゃ」
「が弱いのが悪いのだ。まだあんなので気絶しおってからに……」
「とか言うて、腕をあげたあの子を見て一番喜んでおるくせに……」
なんて会話を白黒の狐のお面ふたりがしていたことは、誰も知らない。
さあ、次にバトンタッチだ。
※ちなみにリップスとはドラクエに出てくるモンスター。詳しい外見の説明等は割愛。鳥山先生関連ということで引用してみました。