其之三十四
どんどんも悟空も成長し、修行はすこぶる順調だ。しかしには不満があった。
「ポポさん助けてください!!」
その日の修行が終わってお風呂で汗を流し、食事をし終えたあとの自由時間にはポポに訴えていた。
「確かに男とか女とか関係ないって言ってくれたのは嬉しかったんですけど、だからと言って一緒にお風呂入るとか寝るとかはまた別のお話だと思うんです!! どう思いますかポポさん!!」
「……また悟空が寝ぼけてのベッドに潜り込んでたのか」
「ここは似ている部屋も多いし、私と悟空の部屋も隣どうしですし、寝ぼけて部屋を間違えるのはわかるんです。じゃあ部屋離してもらうって言ったら、お風呂一緒に入るならいいって言ってきたんですよ?!」
そもそも悟空にそんな許可をもらう必要もないし、従う理由もないのだが、もしが勝手に部屋を変えたら、間違いなく悟空も勝手にのお風呂に入ってくるだろう。それがおそろしくては悟空に抗い切れないのだった。悟空にしたら、それこそ羞恥心もへったくれもないような強靭な精神を持っているので、男だろうが女だろうが関係なくと一緒にお風呂に入り、と一緒に寝たいのだろうが、の方はそういうわけにはいかない。一応女としての自覚はあるので、男である悟空と共にお風呂や床につくのは遠慮したい。ましてや恋人どうしでもあるまいし。
「だからポポさん! 師匠のあなたから悟空に男女とはなんたるかを教えてあげてくださいお願いします!!」
ポポからしてみれば、痴話喧嘩にしかみえなかった。どう考えても、なぜと悟空が付き合ってないのかが不思議である。あの堅固な信頼関係、互いを思いやる気持ち、苦楽を乗り越え、生死を共に彷徨い、本気で相手の力になりたいと願うひたむきさ――いっそ結婚してしまえ。
もしかしたら神はとんでもないドタバタふたり組を神殿に連れてきてしまったのかもしれない。ポポはこれから積み上がっていくであろう自身の心労を心配し始めるのだった。
「悟空、ちょっといいか」
修行の休憩中、が別メニューをこなしていてこの場にはいないタイミングでポポは悟空に声を掛けた。
「なんだ?」
「のことだ」
「がどうかしたのかっ?!」
のこととなると目の色がかわる悟空。これが無意識なのだから厄介である。
「おまえ、と一緒に寝ようとするのやめろ。風呂も入ろうとするな。困ってる」
「それがわっかんねえんだよ。なんでは嫌がんだ?」
悟空は本当に理解ができていないらしい。悟空らしいといえば悟空らしいが、からしたら迷惑以外のなにものでもなかった。
「それはおまえが男で、が女だからだ」
「でもはなんだろ?」
「……では、逆に訊く。なぜおまえはと一緒に寝たり風呂に入ったりしたがる」
「オラ、と一緒にいると安心すんだ。修行中はいつも一緒に寝てたし」
誤解がないように弁解すると修行中一緒に寝ていたのは事実だが、それはやむを得ない状況だったからだ。が持っている外で寝泊まりする用のホイポイカプセルは一人用の狭いタイプだった。だからといってホイポイカプセルを持っていない悟空をひとり外で寝かせて、自分だけぬくぬくと優雅に寝るわけにもいかないは仕方なく狭い寝床で一緒に寝ていたのだ。
「それが神殿に来たら別々に寝るって言うしよ、そんなら風呂はって言ったら顔真っ赤にして怒るし。オラはただと一緒にいてえだけなのに」
悟空は純粋にと一緒にいたいという理由だけで、一緒に寝るだのお風呂に入るだの言っているのだ。下心がない分たちが悪い。
「でもおまえは男で、は女。特に女は裸見られるの恥ずかしがる。人前に肌をさらしたくない気持ち大きい。一緒に寝るのも恥ずかしいこと。互いの距離が近づけば近づくほど、恥ずかしいもの。それが許されるのは恋人関係の者たちだけ」
「こいびと?」
「恋人は好きって気持ちがお互い通じ合って、一緒にいたいと思えるような存在」
「オラもが好きだし、もオラを好きって言ってくれたぞ?」
「悟空との言っている好きは違う。好きにも種類がある。肉が好き、戦うのが好き、友達が大切、憧れや尊敬とかいう好き。これはおまえたちが言っていた好き。恋人の好きは特別な好き。相手の幸せを願い、一緒にいたい、支えたい、独り占めにしたいと思う気持ち。これには相手を考えるとドキドキしたり、思わず目で追っていたり、相手がいないと不安で、気がついたら相手のことばかり考えて切なくなる気持ちも含まれている」
普段ならば修行の時以外こんな小難しい話を長時間聞くなど悟空なら耐えられないはずなのだが、ポポと向き合って一生懸命理解しようと耳を傾ける姿は至極真剣だ。今や悟空の頭の大部分は修行とが占めているのだろう。
「そっか……がブルマとかヤジロベーと仲良くしてるときも、一緒にいれねえってなったときも……が死んだと思ったときも、本当にここが死にそうなくれえ痛くなって、目の前が見えねえくらい怒っちまった……」
悟空は苦い表情を浮かべながら胸をおさえる。
「こんな思いすんなら、よりもオラが死んだ方がマシだって思ったんだ。でもよ、その前にオラが強くなってを守ればいいんだって気づいた。そうすればとずっと一緒にいられるって……そう思う気持ちってが好きってことなんか?」
それはもう好きとかいう次元の話ではない――を愛しているのだろう。だが、やっと自分の恋心を自覚した悟空にこの話をするとまたややこしくなるので、落ち着いたらまた話そうとポポは珍しく長々と喋り続ける悟空の話をじっと聞いていた。
「そうだ。好きという気持ちをお互い伝え合ってはじめて恋人どうしなる。でも急に距離を縮めるのもよくない。段階を踏むの大事」
「うーん……こいびとどうし、っちゅうのもむずかしいんだな」
「修行と一緒。最初から強くなろうとするの無理。まず基礎からはじめる」
恋愛と修行を一緒に説明してなるほどと思うのは悟空ぐらいだろう。
「相手を思いやるの大事。相手に訊いてから身体をくっつけたり、一緒に寝たり、お風呂入ったり、接吻したりする」
「せっぷん……?」
「口と口をくっつけることだ」
「あーっ! キスっちゅうやつか! そんならオラにキスしたぞ!!」
「……怒らなかったか?」
「怒った怒った! そうかあ、キスって好きだからするもんだって亀仙人のじいちゃんに聞いたからオラにしたんだけど……」
それはそれであながち間違いではないが――キスしたいほど好きなのにもかかわらず、無自覚なのもおそろしいし、そんなまっすぐな悟空の気持ちに少しも気づいていないにも問題があるのではなかろうか。
「じゃあに好きって言って、その恋人どうしってのになったら、一緒に寝んのも風呂もいいんだな?」
「まあだいたいそんな感じだ」
「オラに言ってくる!! 色々ありがとな、ポポ!!」
「まっまて悟空!!」
修行の成果によりスピードも気を探る力も向上した悟空に、ポポの制止の声は届くことはなかった。
「!」
「あれ? 悟空、おつかれ」
ちょうど悟空とは別メニューの修行が終わったのか、汗を拭うを見つけた。やわらかい笑顔で悟空に言葉を掛けるに、どうしようもなく抑えきれない感情がぶわりと溢れ出た。自覚すればするほどに対する想いがとめどなく湧き上がる。そこでやっと悟空はずっと前から自分の中で膨らんでいた好きという気持ちに気がついた。なによりも大切で、絶対に失いたくなくて、その笑顔を守りたくて、誰にも渡したくない――気づいていなかっただけで悟空はこんなにものことが好きで好きでたまらなかったのだ。
「どうしたの? もう修行は終わったの? ポポさんは?」
の口から自分以外の名前が出ると、その瞳が自分以外を映すと、その小さな手が自分以外に触れると胸がざわついて仕方がなかった。しかしそれはすべてを自分だけのものにしたいという独占欲だったのだ。
「あっポポさん! 悟空が――」
「!」
先ほどから一言も喋らない悟空の様子にどうしてしまったのだろうとが悟空の後ろから慌ててやってきたポポに声を掛けると、悟空がそれを止めるようにの手を掴んだ。
「オラ……が……」
悟空が口を開くと、次の言葉を待つようにの透明度が高くて意志の強い双眸が悟空を見つめてきた。そんなを直視してしまえば、急にやってきた恋心が堰を切ったようにこぼれ出て、その感情の荒波に呑まれた悟空は顔を真っ赤にして倒れてしまった。手を掴まれていたが地面に衝突する前に悟空を支えてことなきを得たが、あの悟空が倒れるなんてよっぽど具合が悪いのだろうかと額に触れて確かめれば、ものすごく熱くなっているのに気がついた。
「大変! 神様、ポポさん! 悟空熱があるみたいなので部屋に運びます!!」
は神(実はとずっと一緒に修行していたのだが、悟空の目には入っていなかった)とポポの返事を待たずに、悟空を横抱きにして部屋へと走った。背が伸びつつあるとはいえ、まだよりは小さい悟空を、これまた華奢なが軽々とお姫様抱っこする図はなかなかどうしてときめかないものだ。筋肉質で完全脱力している悟空はかなりの重さではあるのだが、女の子にしたら少々(というかかなり)力があるにとったら悟空を横抱きにして全力疾走など息切れもしないレベルであった。
「ふつう逆なのではないか……?」
「ポポもそう思う……」
いつも飄々としていて竹を割ったような性格の悟空が恋を自覚したことによって、あんなにも無防備に恋に溺れてぽんこつになるとは世の中わからない。
「うわあっ!!」
にお姫様抱っこをされた悟空は、部屋に辿り着く前に意識が戻った。そして自分がのやわらかい体と体温につつまれていることに動揺し、悟空にしては珍しく声をあげてを思い切り突き飛ばして逃げてしまった。悟空の力で神殿の壁に激突する羽目になったであるが、ほぼダメージはない。むしろにぶつかって崩れた壁の方が可哀想なことになっていた。
「人がせっかく心配してあげたのに……っざけんな!!」
わけもわからず突き飛ばされた挙句、逃げてしまった悟空に当然ブチギレたは瞬時に悟空の気を探して全力で追いかけた。
一方悟空はというと――
「ポポ! オラ変になっちまったんだ!! を見ると好きって言えなくて、ぶわーって頭に血がのぼって……オラ病気なんか?! 神様! 神様ならなおせるか!?」
それは恋の病だとポポも神も言えず、なんともいえない微妙な顔をする他なかった。
「悟空ーーーっっ!!」
「やべえっだ!!」
悟空はブチギレたの飛び蹴りを躱してみせたが、すかさずは回し蹴りを喰らわせる。の脚はギリギリ鼻先を掠め、悟空はスピードを上げてから距離を取った。
「人がっ!」悟空が取った間合いを一瞬で詰め、「せっかく!」話しながら高速で突きを繰り出す。「心配してあげたのにっ!」珍しく悟空が押され気味である。「っく!」なぜかの顔が(恋のパワーにより)キラキラ輝いていてまともに見れず、「うわ!」防戦一方であった。「っと!」もちろんは、まさか悟空が恋を自覚していっぱいいっぱいなことなど気づくはずもなく、「思いっきり突き飛ばして!」咄嗟に突き飛ばしてしまった後ろめたさから攻撃してこないのだと思っている。
「悟空さっきから変だよ? なんか拾い食いでもした?」
いつもの悟空と様子が違いすぎて不安になってきたは攻撃の手を休めた。
「なんてね」
やっと離れてくれたに悟空がホッとしたのも束の間、は急激に悟空の顔の前まで、それこそ悟空が仰反るほど顔を近づけて妖艶に微笑むと、悟空が怯んだ隙に渾身の一撃を下から突き上げるようにして顎に入れた。悟空は綺麗に宙を舞い、そして床に倒れた。
恋を自覚して互いにドギマギしたり、好きだけど好きと言えないもどかしさだったり――そんな、そんな甘酸っぱくてむずむずするような青春劇が始まるのかと思いきや、いざ始まったのはブチギレたが悟空に攻撃を仕掛けて尚且つ美しい一発を決めるという、なんとも色気も甘さもないいつもの痴話喧嘩であった。なんだこれ。
「ミスター・ポポよ、あのふたりが一緒になるにあたって障害となるのは、もしかしたら悟空ではなくの方ではないのか……?」
「ポポもそう思った……」
と悟空が相思相愛なのはまず間違いないのだが、いかんせんふたりとも神懸かり的(神公認)に鈍い。しかし恋愛に疎い悟空が自覚したら一気に関係が進展するかと思っていたが、もなかなかの強者であった。
「へへっ……やっぱ、はだな!」
だが、そこはあの悟空らしく、の一撃をもらっていつもの調子を取り戻したようだ。いやだからどうしてこうなった。
ちなみにまったく悟空の思考が読めないは、自分に一発もらって笑っている悟空の頭の心配をしていた。
そしてふたりの様子を見守っていた神とポポは、まだまだ恋仲になるのは長い道のりだと嘆息をもらしたのだった。