蜜雨

其之三十八

「それじゃ、行ってくる!」
「今まで本当にお世話になりました!」

 とうとう天下一武道会当日となった。
 今日で人類が滅亡するかどうか命運がかかった日だというのに、ふたりにはまったくその緊張感がない。それでも、なぜかこのふたりならば大丈夫と思ってしまう――神でも不思議に思うことがあるのだ。



 神殿から飛び降り、筋斗雲に乗っていったふたりを見送った神は深く息を吐いた。

「やれやれ……これでピッコロが倒されて世が平和になり、ふたりが結婚して一緒にここで神をしてくれたらわしはもう思い残すことはない」
「神様、まだ気が早い。あのふたり、告白すらしていない」
「っな、なんじゃと!? どっ、み、っこ……!??」

 どう見たって恋人同士だろう――そう言いたい神の気持ちは痛いほどポポに伝わってくる。
 あの時を追いかけていった悟空は神の期待通り無事と和解し、ふたりで微笑み合う様は相思相愛そのものだった。きっかけはどうであれ、ふたりがくっついて神も心配事がひとつ減ったと胸を撫で下ろしたものだ。それがなんとくっつくどころか、告白すらしていないとはさすがの神も愕然としていた。

「でも、もやっと悟空が好きと自覚した。あともう少し」

 なんと歯痒いふたりだろう。あの位の年頃ならばキスのひとつやふたつ――いや、神にあるまじき思考をしてしまえばまたピッコロ大魔王が生まれてしまうのでやめておこう。



 その問題のふたりは現在カリン塔に寄り道をしていた。

「カリン様ーっ! お久しぶりです!」
「久しぶりだな、カリン様!」
「うむ……ついにこの日がきたな」

 と悟空は筋斗雲からおりて、カリンに挨拶をする。

「あれ? ヤジロベーは……?」
「あやつなら何日か前に出ていったっきりじゃよ」
「まったく! 無理やりでも天下一武道会に出場させてやろうと思ったのに!」
「やけにあいつのことを気にかけるんじゃな」
「それはまあ、あんなんでも付き合い長いですから……」
、そろそろ行かねえと」
「う、うん」

 どことなく機嫌が悪い悟空にぎこちなく返事をするは、この短時間でなにかあったのだろうと小首を傾げる。
 ヤジロベー相手に嫉妬している悟空の心情を察したカリンだけは密かに笑っていた。

「ほれ、。少しばかり仙豆を持っていけ」
「わっ! ありがとうございます!」
「気をつけるのじゃぞ」
「「はいっ!!」」

 と悟空の返事が仲良く揃うと、筋斗雲に乗って南へと向かっていった。

「あれでなぜ恋人どうしでないのじゃろうか……」

 それは神にもわからない。






「あの~……悟空さん? この体勢やめない?」
「なんでだ?」

 この体勢とは悟空のあぐらの上にが座るという、なんともにとっては羞恥心しか生まれない体勢のことだ。しかし、ここ最近筋斗雲に乗っていなくて忘れていたが、ずっと前からと悟空はこの体勢で筋斗雲に乗っていたはずだ。悟空にしてみたら今更なにを嫌がるのかわからない。

「なんでって……」

 以前の幼い頃の悟空とは違って今や完全にを包み込めるほどがっしりとした悟空に後ろから抱きしめられたら、いくらでもまごついてしまう。しかも悟空への恋心を自覚してしまった今、悟空がなにをしていても格好良く見えてしまうのだから恋の力とはおそろしい。だからこそ普段は極力考えないようにして平静を保っているのに、悟空が許してくれない。

「なあ、なんでた?」
「ひゃあ!」

 悟空が後ろからの顔を覗き込もうとして耳元に口を寄せて喋れば、の口から聞いたこともないような甘い叫びがもれる。

「……?」
「っや、もう耳元で喋んないでよぉ……っ!!」

 悟空も驚いたが、それ以上にの方が驚いていた。恥ずかしさに耐えきれず、耳を手で塞ぎながら小さく丸まって悟空を涙目で睨みつける。しかし悟空としては、そんなの反応はもはやかわいくて仕方なくて、もっともっといろんな表情を見てみたいとわくわくしてしまった。それと同時に背筋にぞわりとした、寒気にも似た感覚が走ったが、悟空にはいまいちこの感覚がなにを意味するかわからなかった。

「あっ! そうだ忘れるとこだった!」

 は悟空から逃げるように懐から大きい布を出して、頭部全体をその布で覆ってしまった。

「なっなんだあ?」

 可愛らしいがけったいな格好になってしまった。見てくれには頓着しない悟空でも、さすがにの顔が見れないのはがっかりするらしい。

「みんなは男装してる時の私しか知らないからさ、今の自分を面と向かって見られるのなんとなく恥ずかしくて……結局あとで取るんだけどさ」

 えへへと笑うもきっと可愛いのだろうが、いかんせん目元しか見えない。まことに遺憾である。






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