其之三十九
パパイヤ島についたと悟空は天下一武道会場近くで筋斗雲から降りると、ぽつりと雨が降ってきた。雲よりも高いところに位置している神殿で過ごしていたふたりに、この恵みの雨は懐かしさすら覚える。だが、もちろん今の今まで必要のなかった傘など持ち歩いていないは、傘を買おうと辺りを見渡していると頭上にスッと影が出来た。
「なにやってんだ、濡れるぞ」
「あれ? いつのまに傘なんて……」
「神様がくれたんだ。も入れるくれえでっけえのをな」
修行ばかりで恋人らしいことをさせてあげられなかった神のささやかな計らいと、せめてもの罪滅ぼしであった。後に彼らが恋人どうしでない事実を知った神だが、ふたりの距離が物理的に縮まったので概ね思惑通りだろう。
「え、いいよ。私そこで傘買うから……っと、すみません!」
「ほんとおめえは目がはなせねえなあ……」
いまだ覆面状態のは視界が狭くて人とぶつかってしまった。危なっかしいが自分のそばから離れないように肩を引き寄せてそのまま歩き始める。肩を抱かれて必然的に悟空に密着してしまったは覆面をしていてよかったと心底安堵していた。こんな真っ赤な顔誰にも見せられない。願わくは、この高鳴る鼓動が悟空まで届いていませんように。
「おっす!」
天下一武道会場の受付近くに見知った姿がいくつか見えて悟空が声を掛けるが、いまいち反応がない。しかし悟空が構わず亀仙人が生きかえったことや、クリリンたちの話題を振ると、やっと合点がいったのかみな一様に目を見開いて悟空の名を叫んだ。
「とっとりあえず孫くんなのはわかったけど……その孫くんが親しげに肩を抱いているそちらの方は……?」
「まっまさか悟空の恋人なんてことは……」
「ちっちがいますからっっ!!」
「いっ!?」
ブルマと亀仙人がこれまた驚愕の眼差しをに向けると、亀仙人の言葉に恥ずかしさのあまり全力で否定した結果、隣にいた悟空をそれはもう力いっぱい突き飛ばしてしまった。おかげで武道会場の立派な壁は脆くも崩れ去り、またも壁は犠牲になったのだった。
「わーっごめん悟空!!」
「天下一武道会はまだはじまってねえぞ……」
思わずふっ飛ばしてしまった悟空を起こし、ギャグ漫画のような立派なたんこぶを治してあげた。に頭を撫でられて嬉しかったのは内緒だ。
「……? ほんとになの?!」
「じゃと?!」
悟空とは立ち上がって目を合わせると、悟空は頭の布を、は覆面の布を取り払った。すると悟空の特徴的な髪型が現れた。しかしそれよりも驚くべきは、美しくも可愛さやあどけなさが残る顔立ちと艶やかに伸びた長い髪が覆面の下に眠っていたである。
「みんな、今まで黙っててごめんね……私の勝手で男装してたんだけど、踏ん切りがついたので元の性別に戻りました」
にっこりとなんでもないような顔で新事実を暴露したに一同ぽかんとしている。ブルマと亀仙人はの真実を知っていたのだが、あまりにが女の子らしくなっていて驚いたのだ。
「よっほー」
と悟空の変貌ぶりにみな言葉を失っていると、クリリンの陽気な声が響いた。クリリンのそばにはヤムチャ、天津飯、餃子もお揃いだ。だが思いの外みんなの反応は薄い。
「元気そうだな、クリリン」
「え?」
「これでみんなそろったな!」
悟空がクリリンの肩を叩くが、同じくクリリンの反応も薄い。しかし目の前にいるのが悟空だとわかると、喜びのあまり悟空に抱きついた。もよかったとニコニコ笑っていると、クリリンが少し頬を染めて悟空とを交互に見遣る。
「あ、あの、さ……悟空の隣にいる……その、かわいこちゃん……誰だ?」
「え? 誰って……」
「っぷ! あっはっはっは! かわいこちゃんて……ふふっ、かわいこちゃんって……冗談はよしてよクリリン」
美しい顔を崩して大声で豪快に笑う様に、クリリンは呆気にとられていた。
「こいつはだぞ?」
「ーーーっっ??!」
クリリン、本日二度目の衝撃である。
「それにしてもあのが女の子……そりゃキレイな顔はしてたけどさあ……」
いまだ驚きを隠しきれないクリリンは、先ほどからぶつぶつと独り言を重ねながら道着に着替えていた。
「まあオレも驚いたさ。まさかあのがあんな可愛いなんて……なあ、天津飯?」
「なっなぜオレに振る……?! 見た目よりもがどれほど強くなったのかが問題なのであって……オレは別になんとも思ってないぞ……!!」
そう言う天津飯の頬はほんのり赤みを帯びていて、ウブな反応にヤムチャはニヤニヤと笑っていたが、悟空はそんな彼らをなんとなく面白くないと思っていた。今までは神殿でと神(悟空とをくっつけ隊)とポポ(同じく悟空とをくっつけ隊)と共に過ごしていて気づかなかったが、を可愛いと思うのは自分だけではなかったのだ。その事実に気がつくと、急にもやもやと胸のあたりに黒い渦が渦巻いた。きっとこれはポポに教えてもらった嫉妬と独占欲と、ほんの少しの不安。
「いい加減にしてもらえます?」
「そんな可愛い顔で釣れないこと言うなよ……つよーいオレ様が君を守ってあげるからさ、今すぐこんな危険な場所から離れて応援席でオレだけを応援しててよ」
女子更衣室で着替え終わり、悟空たちを探していたは厄介な男に付き纏われていた。所謂イケメンという部類に入る顔立ちと筋肉質な体はさぞ数々の女の子を虜にしてきたのだろうが、生憎には無敵に素敵なカッコいい悟空しか眼中にないので、冷たくあしらっていた。
「お、おい悟空……が……」
と男のやりとりを見ていたクリリンが悟空に声を掛ける前に、悟空はの方へ向かっていた。
「っだから! しつっこい!!」
しかし悟空が助ける前にはブチギレて、予選会場の壁にぽっかりと穴を開けていた。これで何枚の壁が犠牲になっただろうか、無念。
「これ以上なにか話すことありますか?」
にっこり――怒ったときの笑顔よりこわいものはない。
の突きの速さと威力を見て、腰を抜かしている男はあらん限り頭を振り続けた。
「あれ? 悟空そんなとこでなにしてんの?」
「い、いや……はは……」
へたな男はに手も足も出ないのだと気づいたら少し安心した悟空であった。
ナンパ事件はさて置いてたちが雑談を重ねていると、どこか身に覚えのある凍えた殺気を感じた。
「……悟空」
「……ああ」
ピッコロ大魔王だ――クリリンやヤムチャは知らないだろうが、唯一対峙したことのある天津飯はすぐに気がついた。しかしピッコロはなにも言わず、そのまま不敵な笑みを湛えて去っていった。
「私も頑張らないとな……」
が静かにピッコロ大魔王の背中を見つめていると、後ろから衝撃が突っ込んできた。
「っぐふ?!」
「ーーーっ! おら会いたかっただあ! 会いたくて会いたくてここまできてしまっただよ、おらだけの王子様!!」
を王子様と呼んで熱烈に抱きついてきた可愛らしい女の子に、はまったく身に覚えがなかった。仲間たちがどういうことだと視線を送るが、こそ知りたいくらいである。少なくともの男装時代に出会った女の子で間違いないだろうが、いかんせん男装時代は決して短い年数ではないので、思い出すとなるとかなり記憶を遡ることになる。
「え、えっと……」
「ん? ……おめえ……」
抱きついたときに触れたの胸にあるふたつのやわらかなふくらみの疑念を晴らそうと、謎の女の子は神妙な顔つきでの胸を無心で揉みしだいた。
『お、おお……っ』
女に飢えたむさ苦しい武道家たちの永遠の夢を目の前で実行に移す女の子は、男だらけのこの環境には少し刺激的過ぎたらしく、羨望といやらしい目がとその女の子に集まる。黙って見守っていた悟空も、我慢ならず声をあげた。
「おいおめえ……」
「いやだああ!! おらの、っおらの王子様がおなごだったなんてーーーっ!!」
ぱあん、と小気味のいい音をたてて頬を叩かれたは痛みよりも驚嘆の方が大きい。叩くだけ叩いて走り去っていった女の子の背中を、はただ見つめるしかなかった。
「だいじょうぶか?!」
「あ、うん……」
あの子、泣いていた。
悟空の心配そうな声をよそに、の視線は相変わらず女の子の背中を追っていた。