蜜雨

其之四十

 が女に戻って下界にきてから波乱の連続であるが、餃子のおかげで仲間どうしが当たることなく、みな順調に予選を勝ち進んでいた。

「オレにも……オレにもやらせろよ……!!」
「きっ気持ち悪っ……!!」

 当然も順調に予選を勝ち進んでいたのだが、今回の相手の気持ち悪さは異常であった。先ほど無防備に胸を揉まれていたを見て、なにを勘違いしたのか自分も触らせてもらおうと気持ち悪く手を蠢かせているのだ。

「オレ、男装していたの気持ちなんとなくわかるなあ……真面目に武道やってるのに女ってだけで相手があんなんじゃなあ……」

 あんなに可愛くては無理もないが、それでもあんまりである。クリリンはの試合を見てしみじみと呟いていた。ヤムチャも天津飯も同感だと深く頷く。
 悟空はクリリンの言葉を聞いて自然と口角が上がる。自分たちの仲間はが男とか女とか関係なく、武道にひたすら打ち込むひとりの武道家として見ているのだと今すぐに伝えたくなった。

「はじめ!!」
「っはあ!!」

 試合が始まると同時には突きによる衝撃波だけで相手を場外へ運んだ。どうやら触れるのすらおぞましいらしい。

「っあ゛ー!! 気持ち悪かったあ!!」

 自身を抱き締めて腕をさすりながら舞台を降りると、仲間たちが笑顔で迎えてくれた。容姿や性別だけじゃなく、自分の実力をきちんと見てくれる大切な仲間だ。も自然と破顔してしまう。まだまだ女だからという視線はもちろんあるが、今はこの仲間たちが認めてくれるだけでいいのだ。周りの目なんか気にならないくらい、互いを高め合い、共に戦う仲間がいる。それだけではしあわせだった。



 無事天下一武道会出場を決めたのは、、悟空、クリリン、天津飯、謎の女の子、マジュニア(ピッコロ)、シェン、ヤジロベーであった。餃子はヤジロベーに、ヤムチャはシェンに惜しくも負けてしまった。

「……ん? ヤジロベー?!!」
「よう」
「どっどうしたの? あんたが武道大会に出場するなんて……!!」
「どうせおめえのことだからオレのこと無理矢理連れていくと思ったんで、癪だから自分で出場してやったんだよ!」
「っあはは! さすが私の行動はお見通しってわけね!」

 とヤジロベーがやけに親しげに話しているのを見て、クリリンはそっと悟空にあのふたりがどういう関係か尋ねた。

「ん? 亀仙人のじっちゃんより前の師匠んときの兄弟弟子だ」
「そ、そっか……」
「ああ。ただの、兄弟弟子だ」

 笑っているのに、まったく笑っていない――どこか棘のある言い方をする悟空とは結構前からの付き合いだが、こんなにもあからさまに黒々と嫉妬の炎を燃やすキャラだとは思わなかった。クリリンは触らぬ神に祟りなしと静かに悟空から距離を取るのであった。

 そんなこんなでくじが引き終わり、第一試合はと匿名希望(謎の女の子)、第二試合は悟空とヤジロベー、第三試合はクリリンとマジュニア、そして最後はシェンと天津飯に決まった。

「あれ……? あなたさんですか?」
「え? はい、そうですけど……」

 いつものサングラスのアナウンサーが首を傾げながら個人に話し掛けてきた。

「あの……失礼ですが、男性の方じゃあ……」
「ああ! 私今まで男装してたんです」
「いぃ?! なっなぜまた……あなたの強さを見たら、女性だからと口にする人なんていないはずなのに……!!」

 ここにも自分を認めてくれる人がいるとは思わなかったはアナウンサーの言葉に目を丸くした。

「……っふふ、ありがとうございます」

 みんなあなたのように公平に接してくれる人ばかりだったらよかったのに――は見惚れるような笑顔で一礼して去っていった。そこには頬を赤らめたアナウンサーが残されていたとかいないとか。



 ついに第一試合、と匿名希望の試合が始まろうとしていた。

「いきなりぶって悪かっただ。おら気が動転してて……でも! が悪いんだ!!」
「ええっ?!」
「それでは第一試合、はじめてください!」

 いつも通りが一礼し、試合が始まると匿名希望の鋭い蹴りが先制されたがは難なく躱した。

「おらのことだまして……! ずっとおめのこと待ってたのに!! なんもかも忘れちまって!!」

 会話をしながら匿名希望は突きを猛攻するが、はすべて往なしていく。

「それは謝ります! 確かにみんなの目を誤魔化すように男装していたときはありました。でも、男装してあなたを傷つけることなんて……!!」

 匿名希望は突きと蹴り、時々痛烈な膝蹴りも織り交ぜているが、はすべて軽々と受け流していく。なかなかに攻撃が当たらなくて、匿名希望の苛立ちは積み重なっていく一方であった。

「いっぱいいっぱい傷ついただ!! おらのこと嫁にもらってくれるって言ったのに……おめおなごでねえか!!」

 嫁――確かに匿名希望はにそう言った。匿名希望の言葉に仲間のみんなは驚愕して各々叫び声をあげていたが、悟空だけが話についていけず、クリリンに嫁とはなにか尋ねていた。

「あーーーっ!!」
「っっ!!」

 はチチの嫁発言ですべてを思い出したが、つい力んだ拍子で放ってしまった衝撃波で匿名希望をふっ飛ばして場外にしてしまった。は慌てて匿名希望に近寄る。

「ごっごめん! チチ、大丈夫?」
「やっとおらのこと思い出しただか……」

 は武舞台から手を差し伸べてチチと呼んだ少女を引っ張り上げた。思えば、はじまりもこんな感じであった――筋斗雲に乗ろうとする自分を気遣って優しくエスコートしてくれたこの手からはじまったのだ。幼かった自分をお姫様のように扱ってくれたその様は、まさしく憧れの王子様そのものであった。

「……はじめて会った時も、こんな感じだったね」

 も同じことを思っていたのか、穏やかに微笑んでチチの手をきゅっと握ってから手を離した(そういうところが乙女心を掴んで離さないとは知らずに)。思ったよりも小さくて薄いその手はやはり男の人の――チチの望んだ手ではなかったけれど、その笑顔も、瞳も、ぜんぶあの時の、チチの思い出のまま美しかった。

「本当に申し訳ない……あの時、チチの言葉がうまく聞き取れなくて適当に返事した私が悪かったんだ。チチはずっと私を待っててくれたのに……ごめんね……」
「なんで……っなんで! おめがおなごだって頭じゃわかってんのに好きだって思っちまうんだああ!!」
「えっ?!」
「もういいだ! いっそ女でもいいからおらと「っだめだ!!」
「ごっ悟空?!!」

 武舞台の近くで応援してくれていた悟空がなぜ今現在武舞台の上でを庇うように目の前に立ち塞がっているのだろう。お願いだからこれ以上話をややこしくしないでくれ。

をヨメにもらうのはオラだ!!」

 悟空の乱入でますます観客(という名の冷やかし)が沸き立つ。

「おーっと! ここで孫悟空選手が乱入! これは興味深い展開となりました! この奇妙な三角関係の行方はどうなるのでしょう!?」

 なぜこんな武道会場で修羅場がはじまり、そしてなぜ自分はここにいるのだろうと一瞬の意識が何処かへ飛んだ。というかふざけた解説してないで止めてくれ、アナウンサー。

「ああもうっ!!!」

 羞恥と怒りでプッツンしてしまったは声をあげて片足を武舞台にめり込ませると、武舞台に鈍い衝撃が走って半径三メートルほどがひび割れ、観客席まで揺れが伝わった。一気に会場が静かになると、悟空の首根っこを掴んで選手控え室へと引っ込む。

「なに怒ってんだ……?」
「悟空、嫁にもらうって意味わかってんの?!」
「ああ、クリリンから聞いたぞ! ヨメにもらうって、結婚して夫婦になって、ずっと一緒に暮らすってことだろ!」
「っだったら――」

 意味がわかっているのだったら、軽々しく口にしないで欲しい。

「え、えーと気を引き締めて第二試合をはじめたいと思います!」
「……呼ばれてるよ、悟空」

 なぜか怒っているが気になるが、試合に行かなければ失格になってしまうので、悟空は後ろ髪を引かれる思いでから離れた。

「はあ……」
「孫悟空のこと好きなんだか?」
「うわっしょい!?」

 悟空が大人しく武舞台へ向かってホッとしていると、急に後ろから声を掛けられては奇声をあげてしまった。

「なんだチチか……びっくりした……」
「どうなんだ? 孫悟空のこと好きなんけ……?」

 チチはどこまでもド直球で自分に正直に生きていて、その曇りなき眼の前では嘘も誤魔化しもしてはいけない――こんな純真無垢な子になんて残酷なことをしてしまったのだろうと思うからこそ、は自分の気持ちを正直に伝えなければならないと思っていた。

「……うん、だいすき」
「っっ!」

 自分に向けられた言葉ではないのに、愛おしくて仕方ないと微笑むにこちらが照れてしまう。

「な、なら! なんでおめはそんな怒ってたんだ?」
「悟空がへんに私を期待させるから……ただでさえ悟空が触れてくるたびにおかしくなりそうなのに……そもそも好きの本当の意味も知らないくせに嫁だのなんだの……」

 が本当にそう思っているのだとしたらとんだ天然記念物だ。あの時武舞台でを嫁にもらうと宣言した悟空の顔は本気だった。が好きどころではなく、愛してやまないという想いが言葉の端々に滲み出ていて、誰がどう見てものことが大好きだとわかるのに、一番伝わらなくてはならないになにひとつ伝わってないだなんて悟空が哀れにさえ思えてくる。

「おめと一緒になるやつは苦労するだ……」
「へ?」

 チチの呟きはの耳に届かなかったらしい。
 もちろんチチがに悟空の気持ちに気づくよう協力するのは簡単だ。だが、少しばかり意地悪するくらいいいだろう。の本意ではないが、こうして自分を騙して振ったのだから。

「おらと出逢えてうれしかっただ。おめの気持ちが知れて、おらも諦めがついた……っありがとな!」

 チチは自分ができる限りの精一杯の笑顔をつくって走り去った。去り際にチチの目元が光っていたのは、きっとの気のせいではない。






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