其之四十三
「ちっくしょー!! おまえらいきなり結婚なんかしやがって!! 幸せになれよーっっ!!!」
選手控え室へと向かうと悟空の背中には鳴りやまぬ拍手と歓声が響いていた。そんなふたりを涙ぐみながら迎え、祝福するのは付き合いの長いクリリンであった。亀仙人の元で共に修行し、命も救ってくれたふたりが結婚したとなれば感無量の極みである。当のふたりはクリリンのあまりの感激っぷりに苦笑をもらしながらも、お互いうれしそうにはにかみ合った。しかしと悟空はふと視線を感じて選手控え室を見遣ると、シェンと目が合った。いまだと悟空との思い出を熱く語っているクリリンには悪いが、ふたりはクリリンを宥めながらもシェンの元へと歩みを進めた。
「なっなんだよふたりとも……オレはっオレはほんとにうれしかったんだからな……くそーっ!! オレだって結婚してえよおお!!」
ふたりの背中を見つめながら本音を叫んで膝から崩れ落ちたクリリンの横で、天津飯が気まずそうに無言で肩をそっと叩いていた。
そんなクリリンをよそに、悟空は選手控え室に佇む男に声を掛けた。
「神様」
「孫にか……ようやくおまえたちが一緒になってくれて安心した。これで全力で試合に臨める」
「ご自分の手でピッコロを倒すおつもりですか……?」
「おまえたちではピッコロを倒せんからだ」
神のその言葉に悟空とは目を見開き、視線を逸らした。ふたりはポポから神とピッコロの関係を聞いていたのだ。ピッコロを殺せば神も死ぬ――その事実を知ったと悟空がピッコロを殺さない選択をすると思ったからこそ、神は自らの手で解決しようとここまで来たのだ。
「では、行くとするかの……孫悟空、をしっかり支えてやるのじゃぞ」
神の言葉に応えるように、悟空は神を見据えながらの肩を抱いた。は悟空に包まれて安心すると同時に、武舞台へと歩いていく神の背中を見ていると言いようのない不安に駆られた。
「神様っ! 死んだら怒りますからね!!」
絶対に誰も死なせはしない。
の強い意志を持つ瞳を横目に、小さく笑って神はゆっくりと去っていった。
神とピッコロの攻防は一進一退し、やがてふたりは誰にもわからない言語で口論をし始めた。会場は事態が飲み込めず、静かに成り行きを見守っていた。
「あの言葉は……!」
「、わかんのか?」
「うん……神様の図書室にあの言語で書かれた本があって、神様とポポさんに教えてもらったんだ」
神は自殺しなくてもピッコロを食い止める手段があると言っているが、一体どうするつもりだろうか。どんどん嫌な予感が膨らんできたが思わずそばにいる悟空の道着をギュッと力強く掴むと、の手の震えに気がついた悟空が安心させるように手を重ねた。
「魔封波だっ!!!!」
かつてのピッコロ大魔王のように魔封波で小瓶に封印するつもりらしいが、ピッコロ大魔王から生まれた分身はニヤリと笑みを浮かべていた。
「魔封波がえし!!!!」
の嫌な予感は的中し、ピッコロは魔封波を跳ね返して神を小瓶に封印してしまったのだった。
神は負け、ピッコロが決勝戦へと進んだ。ついに悟空とピッコロが対決する時が近づいてきた。
「そのビンをかえして」
武舞台を降りたピッコロの前には立ち塞がる。
「ふっふっふっ、ジョーダンじゃない。せっかくうっとうしいやつを封じこめたんだ」
ピッコロはせせら笑って小瓶を丸呑みしてしまった。これでピッコロを殺さない限り小瓶は取り返せなくなった。
「よ、くも……!!」
怒りで気が昂ると、ぶわりとの髪の毛が舞い上がった。ビリビリと肌を刺す荒々しいこの気は本当にのものなのだろうか。
「」
ピッコロを射殺さんばかりの双眸をしていたの手を掴んだのは悟空だった。落ち着いたやさしい悟空の体温で、一気にの凍れる怒りが溶かされる。
今ここで自分がピッコロと殺し合いをはじめてしまったら、それこそ今まで積み重ねてきたことがすべて灰燼と化すことに悟空が気づかせてくれたのだ。
「……ごめん」
「はーっはっは! そう急がなくとも孫悟空を殺したら、次は真っ先にきさまを殺す! 今度は跡形もなく消し去ってやるぞ……!!」
ピッコロは以前のピッコロ大魔王の記憶も受け継いでいるらしく、殺したと思っていたに腕を斬り落とされた怨みを言葉の端々に感じた。
「そんなことオラがさせねえ……!!」
悟空は掴んでいたの腕をそのまま自分の方へと引き寄せ、ピッコロを睨みつけながらを護るように抱き締めた。ピッコロもそんな悟空とを睨み返して無言で去っていった。
その後やってきた亀仙人にどういうことか説明を求められ、悟空とは神とピッコロについて語った。
話終えると、やはり世界を救うには悟空に頼るほかないという結論に至った。
「……ところで」
まるでお通夜のような雰囲気に亀仙人が謹厳な面持ちでこほんと咳払いをした。
「ふたりはいつまでくっついておるつもりなんじゃ!! うぐぐ……っ羨ましい……羨ましいぞ悟空っっ!!」
「へへっいいだろ! でもはオラのヨメだからじいちゃんにもあげらんねえぞ」
亀仙人は血の涙でも流さんばかりの勢いで嫉妬と羨望の眼差しを向けると、悟空はうれしそうにぎゅうっと更に力を込めてを抱き締めた。
クリリンはされるがままのに首を傾げる。
「なんだよ、いつもだったらここで悟空のこと引っ叩いてんのに」
「う……確かに恥ずかしいけど、嫌じゃないから……」
顔を真っ赤にして困ったように笑うは完全に恋する乙女の顔つきで、の強さも性格もよく知っているクリリンからしたら驚くほどしおらしい反応だ。
想いが通じ合う前は悟空に触れられるたびにへんな期待をしてしまうから距離を詰めるのを避けていたが、悟空がの想いを吐露し、もそれに応えて晴れて恋人どころか夫婦になってしまった。今まで素直に悟空を受け入れられなかった分、だって悟空とくっつきたいし甘えたいと思う(さすがに人前では限度があるが)。そんなはこの間まで男装していたなんて信じられないほど可愛らしかった。あのをここまで骨抜きにしたのが恋愛偏差値皆無の悟空なのだから、世の中なにが起こるかわからない。
「、ちょっとあっち行くぞ」
「なんじゃ!? あっちでふたりでエッチなことするんじゃなかろうな!!」
「武天老師さまじゃあるまいし! 世界の存亡をかけた試合をする前なんですからふたりっきりにさせてあげましょうよ!!」
「いやじゃあ!!!」
の返事を聞く前に悟空はの手を引いてこの場を離れた。亀仙人を羽交い締めまでして押さえつけてくれるクリリンに、はひっそりと感謝と謝罪をしていた。
悟空は人気のない場所まで来ると、を真っ正面から掻き抱いた。
「悟空……?」
悟空の内に秘める激情を肌に感じながらも抵抗せずにいると、悟空の精悍な顔立ちが近づいてきた。の頬にそっと手が添えられて親指で唇をひと撫でされたと思ったら、次の瞬間唇に柔らかな感触と熱い吐息が降り注いだ。
「っ!?」
「へへへ……あとでいくらでもしていいって言ったろ?」
悟空はの言葉通り、人のいない場所を選んでキスをしてきた。とてもこの後この世を決める試合をするとは思えないくらい気の抜けた笑顔をしている。でもなぜだろう――そんな悟空の笑顔を見ていると、なんとかなってしまうような気がしてしまう。どんなピンチでも、悟空と共に笑顔で乗り越えてきたからこそ思うのかもしれない。
「私、信じてるから。なにがあろうと……私は悟空を信じてる」
余計な言葉はいらない。ただただ悟空を信じていると全身で伝える。笑顔が好きだと言ってくれた悟空のために、笑顔で信じて待っているだけだ。
「ああ! 勝ったらからキスしてくれよな!」
「……ばか」
悟空にとっては世の平和とか、天下一武道会優勝者という名誉とか、お金だとか、そんなものはきっとどうでもいいのだろう。ただ強者と戦い、勝つ。そしてと共に在ればいいのだ。それがわかってしまったから、少しぐらいの照れ隠しは許してほしい。