蜜雨

※設定深堀回






 悟空はピッコロと協力し、自身の兄だというラディッツとの戦いに辛くも勝利した。だが、その勝利を得るために払った犠牲はあまりに大きい。は光とともに消え失せ、悟空は命を落とした。最悪な状況に加え、一年後にラディッツを凌ぐ強さを持った戦士が地球にやってくる。聡いピッコロは一年後に備え、ラディッツを倒すきっかけを作った悟飯の秘めたパワーに賭けて鍛えようと連れていってしまった。



其之六十二




 本来であれば、死ねば魂のみの存在となるのだが、神の計らいで悟空は肉体から魂を剥がされることはなかった。風穴のあいた悟空の身躯やボロボロの道着を神が修復すると、悟空は小さく呻いた。

「ぅ……っ」
「孫よ、目覚めたか」
「っ……神様?! あれ……オラ、死んだんじゃ……?」
「ああ。だから今からあの世へ行って閻魔大王さまにお会いするぞ」

 神の声を聞いた悟空は身を起こすと、あたりを見渡した。神とポポが神妙な面持ちで悟空を見つめるこの場所は、つい何年か前までとともに修行をしていた天界。ここではいつも悟空のとなりにがいた。そう、が――

!! 神様っ、はどこいったんだ?!!」
「悟空、落ち着く」

 悟空の脳裏に、あの激しい閃光が焼きついていた。あまりの光の強さに霞んでいたが、その中心にいたのは間違いなくだった。
 過ぎ去った自分の死なんかどうでもいい。それよりもがどこへ消えてしまったのか。一度思い出してしまえば、悟空の頭は怒涛の如くでいっぱいになった。とのべつ幕なしに捲し立て、見境なく神にまで掴みかかりそうだった悟空をポポがなんとか押さえつける。

「う……うむ……」

 悟空の剣幕に圧倒された神が焦ったようにもごもごと口ごもった。

「すまん、孫。の行方は、この神にもわからんのだ……」
「神様がわかんないんだったら、一体誰がわかんだよ!!」

 いつも温厚な悟空がここまで声を荒げることは珍しかった。それほどまでに悟空にとっての存在は大きく、大切なのだろう。

「あの世におられる閻魔大王さまならあるいは……」
「じゃあオラその閻魔大王さまっちゅーのに会ってくる!!」

 神の言葉を聞くや否や悟空は筋斗雲を呼ぼうとするが、慌ててポポと神が止めに入る。

「まっまて! 悟空!!」
「閻魔大王さまはあの世にいらっしゃるんだぞ?! どうやっていくつもりだ!」
「あ……そういやそっか!」

 やっと冷静になった悟空は、頭をポリポリかきながらのんきに笑った。その頭には死んだ証としてわっかが浮かんでいるものの、やはり悟空は死んでも変わらずを愛してやまない悟空であった。



 悟空をあの世に連れてきた神は、まず閻魔大王に蛇の道を通り、その先にいる界王の元で修行をさせてくれまいかと訴えた。神の願いに渋面を作って唸る閻魔大王に、悟空は話が終わるのを待たずして切り出した。

「なあ、オッチャン」
「こ、こら……! 閻魔さまにむかってそのようなクチを……!!」

 誰に対しても変わらぬ悟空の態度に神は肝を冷やす。

「オラの嫁……がどこ行っちまったかわかっか?」

 しかし悟空の口は止まらない。良くも悪くも悟空はのことしか見えていないのだ。

「ああ、あの者なら……」

 閻魔大王は知っていた。がどこへ行ってしまったのか、そしてが何者なのかを――






*







 延々と広がる砂の上に楼閣が建っている。気がつけばはその扉の前にぽつねんと立っていて、なにかに導かれるように扉を開くと長い回廊に繋がり、螺旋階段が上へと続いていた。楼閣の中心部には、天からぱらぱらと砂が降っている。まるで時を刻む砂時計のように、一定の量と一定の速さで。どうやらここ一帯の砂はこの天から落ちてくる砂のようだ。
 はどこか奇妙な感覚に襲われた。ここがどこかもわからないのに、不思議と不安や恐怖に駆られることはなかったのだ。それどころか懐かしさに胸が震え、涙が込み上げてきそうになる。はその想いを振り切るように、無心で階段をのぼっていった。

「っ天叢雲?!」

 螺旋階段をのぼりきると、そこには生まれた時からとともに在った天叢雲が光を纏い、ふよふよと宙に浮かびながら佇んでいた。

『ようこそ、時の最果てへ……』

 直接に語り掛けてくる優しい声。どうやら天叢雲が発しているようだ。

「ねえ悟空は?! 悟飯は?! どこいったの?!!」

 ここがどこだとか、天叢雲がしゃべったとか、そんなことよりも夫と子の安否が気になるは矢も盾もたまらず天叢雲に詰め寄る。天叢雲は刀であって感情など読み取れないのだが、のいろいろと空気の読めない行動にずっこけたようにみえた。

『落ち着きなさい。まったく……おまえといい孫悟空といい、似たもの夫婦だな』

 今度はまた別の深い声がに沈み込んでゆく。

「似たもの夫婦、って……悟空を知っているのね!?」
『ええ……この天叢雲を通してあなたたちのことはずっと見守っていたわ』
「見守っていたって……あなたたちはいったい……?」
『私たちはおまえの父と母だ』

 の瞳が驚愕に見開かれた。



 ――地球からはるか遠く離れた場所に位置する自然豊かな星では生まれた。その星には守り人と呼ばれる質実剛健で心優しい一族が住んでおり、の父はその一族のひとりであった。母は時空を自由に移動し未来と過去を紡ぎし悠久の民で、全宇宙で起こったこと全てを記録し、神々に報告する役割を担っている。その特異的な能力を持つが故、存在はごく一部の限られた者しか知らない。
 母は父の星を記録しに降り立ち、ひょんなことから恋に落ちた。立場も種族も違う彼らだが、互いに愛し合い、そしてが生まれた。

『あなたの人並み外れた怪力も、膨大な気も、すべてわたしたちから受け継がれたものよ』

 基本的に守り人は穏やかな性格であるが、筋骨隆々な体格と大地をも砕くと謳われる凄まじい腕力を持っていた。一方悠久の民は、神々より与えられし清らかな魂と時空移動をするための膨大なパワーを内在している。その両方の性質が融合した結果が今のであった。

「……ひとつ、訊かせてほしい。私は不死なの?」
『……正確には不死ではないわ』

 生命力が高く、長寿傾向である守り人は成人の姿になると、それ以降姿形が変わらないという民族であった。そして悠久の民は清らかな魂を汚されたり、神々から見放されない限り、その存在は維持される。

「魂を汚される……?」
『あのサイヤ人にされそうになったことよ』

 ハッとは自分が光に包まれる前の出来事を思い出した。ラディッツの冷たい体温に今でも寒気がする。しかしの両親が一度だけ娘と対話するくらいの力を前もって天叢雲に残していたおかげで、は消滅せずに済んだ。

『どこまでサイヤ人は私たちを苦しめるのだ……!』
「なに? どういうこと?」
『……わたしたちの星はサイヤ人によって滅ぼされたのよ』

 天叢雲が空を斬り裂くと亀裂が生まれ、真実を紡いだ巻物がの手に落とされた。は恐る恐るひもを解き、読み始める。



 ――守り人の星は美しく、資源も豊富であった。ひじょうに高値で売れる星を見つけたフリーザ一味は、戦闘民族であるサイヤ人を差し向けた。当然守り人たちも大人しく殺されまいと応戦したが、力こそあれど戦う術など知らない温和な守り人たちが勝てるはずもなく、星に住む者はみな殺されてしまったのだ。

『私たち家族が助かる道はひとつしかなかった……』

 サイヤ人によって死の寸前まで追いやられたの父は、妻と生まれたばかりのを連れ、一族のご神体である天叢雲を手に取った。
 天叢雲――その太刀筋は天まで届き、雲や野火を薙ぎ払うとされている。しかしその刀身を見た者は誰一人としていない。
 その昔、洪水を起こす八つの頭と尾を有する怪物がいた。その大きさたるや、頭は八つの丘をゆうに超え、尾は八つの谷の間まで伸びている。その巨大な怪物を倒した時に使用された刀が天叢雲である。
 の父は守り人として特殊な能力があった。それは、自分の魂を天叢雲に宿らせる能力。守り人の中でもただ一人しか持つことのない能力である。代々その能力を持つ者が天叢雲を守り管理するといった、一族の中でも名誉ある役割を与えられるのだ。

『そして私は魂を天叢雲へと捧げた』

 の母もまた、夫の魂と添い遂げたいと願った。元々悠久の民には魂を入れる器がない。記録するその地に降り立った時、その地に適合した姿になるのだ。だから夫とともに魂を天叢雲へ注ぐことに躊躇いはなかった。だが、これから輝かしい未来が待っているだけは道連れにしてはいけない。そう考えた母は、自分たちの魂を宿らせた天叢雲ととともにを遥か彼方の星へと飛ばした。天叢雲はの母親の魂を宿したおかげで、時空をも斬り裂いて移動できる刀と化していたのだ。時空移動の力を完璧に制御できたら、我が子を飛ばす場所や年代も指定できたのだが、生憎の母にそこまでの余力は残されていなかった。そうして偶然にも、あの年代の地球にやってきたは沙門に拾われたのだった。

「そ、んなことって……だって私一度も時空なんて……」
『わたしが意図的に力を封印していたから、発動はしなかったの。でも、それももうおしまいね。あなたはきっとこれからたくさんの試練にぶつかるわ。守り人、そして悠久の民の末裔としての能力が必要な時がくるはず……だから力を解放しておくわ』

 まだまだ未熟なには力のコントロールは難しいだろうが、ならば必ずやものにするだろう。そう母は信じていた。

『さて、そろそろおしゃべりの時間は終わりだ』
「えっそんな! 長々とこんな濃い設定語ってはいさようならなの?!」
『せっかくの親子の再会なのに、もっと他にないの!?』

 今度こそ天叢雲はずっこけた。

「ずっと……ずっと一緒にいてくれたんだね……ありがとう、父さん、母さん」
『っ……!』

 どれだけ――どれだけ我が子に父と母と呼ばれる日を夢見ただろう。もう二度とやってこないこの時間を、しっかりと魂に刻みつける。

『最後に訊いていい? 孫悟空がわたしたちの仇のサイヤ人と知ってもなお、あなたはとなりにいたいと思うの?』

 終わりを告げるように、天叢雲は強く光り出した。母の問いも掠れて聞こえるが、はっきりには届いたようだ。満ち足りた笑顔で口を開く。

「悟空は悟空だし、私は私だよ。これから先もずっと、悟空のとなり以外考えられない」

 爆発的な光量に視界が覆われたが、なぜだか両親の笑った顔がの網膜を焦がしていた。






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