蜜雨

「やっぱのメシはうめえなあ!」
「まだまだあるからいっぱい食べてね!」

 悟空は元々死んでいるので餓死こそしないがハラはへるらしく、慣れ親しんだの手料理を修行の合間に堪能していた。ガツガツガツと景気よくかっ込む悟空に、は自然と顔が緩む。サイヤ人が襲来する前までは当たり前の光景だった。しかし今やその当たり前が脅かされ、壊されようとしている。この幸せがあっけなく奪われるのだと知ったからこそ、と悟空はなんとしても守ろうと決意していた。

「ふむ、確かに……この油淋鶏なんか絶品じゃ」
「だろ! が作るメシはなんでもうめえんだ!」

 が振舞う料理に舌鼓をうつ界王。自慢の嫁を褒められ、悟空は自分のことのように喜んだ。

「まったく、おまえはとんだ幸せ者だのう」
「ああ! オラはが笑ってるだけで幸せだ!」
「もーっ、界王さまの前で恥ずかしいよ悟空!!」
「ぶっ?!」

 どんがらがっしゃーん!!
 思わず照れ隠しでが悟空の背中を叩くと、まだ地球の十倍ある重力に不慣れな悟空は、食卓に並んでいたエビチリの海へと見事に顔から突っ込んだ。おかげで界王の至る所をチリソースが彩る。赤と青のコントラストがなんとも美しい――なんて言っている場合ではない。はまたやってしまったと半泣きになりながら謝り倒していた。

「ごめんなさい! 悟空、界王さま!!」
「はは……おめえまた力強くなったんじゃねえか?」

 苦笑をもらしながらも相好を崩す悟空の横で、ハンカチで顔を拭いながら界王はポツリと呟く。

「……なぜおまえたちが夫婦なのかわかった気がするわい……」



其之六十六




、なんかおめえ戦い方変わったか?」

 引き続き界王星で修行に明け暮れていたある日のこと――と組手をしていた悟空が少し前から思っていた疑問を口にした。

「え……? もしかして弱くなった、とか?」
「いや、むしろびっくりするくれえ強くなってるぞ?」

 元々の武術の基本は形から始まり、それから実戦へ応用していたためか、どこか枠に収まった戦い方であった。それでも類稀なる戦闘センスによって、何度もその枠を飛び越えた戦いぶりをみせてくれていたのだが、時の最果てから界王星にやってきてからのは、どこか荒々しくも熟練された動きが随所にみられていた。気の感じも変化し、気の乱れこそ以前より大きいが、膨大な気を己の力として使いこなす力は確実に上昇している。

「きっと(悟空の)おとうさんと修行したからだね」
、とうちゃんと会ったんか?!」
「うん。すごく……すごく強い人だったよ」

 悟空の父親は、の父親でもある――義理ではあるが。嘘はついていない。
 は惑星ベジータ消滅の真実や、バーダックと会ったことを悟空へ話すつもりはなかった。確かにバーダックは惑星ベジータを救おうとした英雄なのかもしれない。もまた惑星プラントでバーダックに助けられた。だが、バーダックは決して善人ではない。フリーザの命令とはいえ、罪もない者を殺し、数多の星を滅ぼした非情なサイヤ人だ。その真実をわざわざ悟空に教える必要はない。知らなくてもいい真実を教えることがその者の幸せに繋がるとは思えないからだ。

「……悟空?」

 スッと腕を伸ばしての手を取り、自身の指をしっかりと絡める。容易く解けぬよう、強く、強く。
 切なく双眸を細め、どこか苦し気で張り詰めた顔をしている悟空に、は戸惑いと驚きに目を見開いた。

「わりい……なんでかまたが遠くに行っちまいそうでさ……」

 ぎゅっとさらに力を込められれば、悟空の熱がへ鮮明に伝わってくる。の心臓がきゅうっと締めつけられた。
 どこか遠い目をして、自分以外の――たとえそれが父親だとしても、寂しそうに想いを馳せるの健気で意地らしい姿に悟空は嫉妬していたのだ。

「だいじょうぶ、私はここにいるよ……ずっと、ずっと……大好きな悟空のそばに」

 両手で悟空の大きな手を包み込み、まるで誓いを立てるように額に当て、ゆっくりと離すと微笑んだ。その笑みには悟空を想う揺るがぬ気持ちが滲み出ていた。一気に悟空の中で燻っていた黒くドロドロした蟠りが消え去る。
 互いに離れ離れになったからこそ、互いの絶対的な存在に支えられ、そしてその大切さを再認識した。もう二度と失わない。だれにも失わせやしない。そのためには強くなる。ただそれだけだ。

「ゴホン! おまえたち……わしがいるの忘れておらんか?」
「「あ、界王さま」」
「あ、界王さま、じゃないわい! まったく、地球に危険が迫っているというのに、おまえたちときたらイチャイチャイチャイチャ……本当に地球の命運を握っている自覚はあるのか! そもそも近頃の若い者は――」
「す、すまねえ……」「す、すみません……」

 神聖な場所で地べたに正座させられるこのふたりが地球最強の夫婦だなんて誰も思うまい。



*




「さておまえたち、よくぞここまでついてきた」

 修行はいよいよ山場に差し掛かろうとしていた。ついに界王拳と元気玉を習得する段階へと進んだのだ。悟空とは顔を見合わせ、喜びと期待に顔を綻ばせる。なにせあの閻魔大王よりも強い界王が夢に描きながらも極められなかった技。数々の修羅場を潜り抜け、逆境に立ち向かい続けた彼らですら、会得は難しいだろう。だが、それほどの技を身につけられれば、きっと今よりももっと強くなれるはずだ。

「界王拳と元気玉か……どんな技か名前だけじゃ想像もできねーや! 今からワクワクすんな、!」
「うん! 自分がどれぐらい強くなれるか楽しみだね、悟空!」

 これから先、待っているのは並大抵の修行ではない。けれども、この夫婦ときたら強くなることしか頭にないうえに、とことん修行を楽しんでいる。地球が滅亡の危機に瀕しているというのに、のんきなものだ。しかし、どこまでもまっすぐで一切の邪さがなく、清々しいまでに力を追い求めるからこそ彼らは強い。幾多の猛者をみてきた界王ですら、ふたりの底知れぬ強さと水晶よりも透きとおった心に感心していた。

「う……む、には悪いが、おまえに界王拳と元気玉は教えられん……!」

 やる気に満ち溢れた彼らに冷や水を浴びせたくはなかったが、それでも伝えなければならないと重々しく界王は口を開いた。

「ええっ?! なんでですか界王さま?!!」「なんでそんな意地悪言うんだよ界王さま!!!」
「ええい! 落ち着けおまえたち! これから理由を話してやるから!!」

 界王の言葉を聞いた途端、一斉に食ってかかるふたりの勢いにさすがの界王もたじたじ。
 界王拳――カラダじゅうのすべての気をコントロールして瞬間的に増幅させ、うまくいけば力やスピード、破壊力や防御力もぜんぶなん倍にもなる技。
 元気玉――草や木、人間や動物、はては物や大気にいたるまでのあらゆるエネルギーをほんの少しずつわけてもらい、それを集合して放つ技。

「おまえの湯水のように湧き上がり続ける気を完璧にコントロールするなど不可能に等しい……もし仮にコントロールできたとしても、界王拳で無理に気を増幅させた瞬間、カラダが耐え切れず――ボン! 爆発四散するだろう」
「ば、ばくはつ、しさん……」

 想像してしまったのか、は顔を引きつらせる。
 しかしながら、そうは言っても悠久の民の血を引くにとって、あくまで肉体は魂を入れるだけの器に過ぎない。見た目も中身も完全に地球人ではあるが、たとえ心臓や脳天を貫かれようと爆発四散しようとも、魂が存続している限り再生ができる。だが、界王拳を発動させるたびに肉体が弾け飛んでしまっては、まともに戦えやしない。

「そして元気玉だが……おまえは他者よりも気を集めやすい体質だ。故に、己が思う以上に気を吸い上げてしまう――地球がエネルギー切れを起こして死の星と化すか、が作り上げた元気玉にそのまま呑み込まれるか……どちらが早いだろうな……」
の元気玉で地球が滅んじまうのか……?!」

 深刻な表情を浮かべる界王に、さすがの悟空も衝撃を隠せないようだ。

「まあ界王拳や元気玉を会得せんでも、おまえにはおまえしかできない戦い方がある」
「それって……?」

 彼らに残された時間は永く、そして短い。果たして刻一刻と迫りくるサイヤ人の脅威を退けられるだろうか。いや、彼らなら必ずや地球を救ってくれるだろう。どんなに苦しくて辛い修行でも、いつだってこの夫婦はともに乗り越えてきた。いかなる強敵が目の前に立ち塞がろうとも、必ず最後には勝利して平和を取り戻す――家族そろって笑える日はきっと近い。






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