※話の都合によりヤジロベー出番なし
悟空の気がまたさらにぐんと上昇した。界王にはせいぜい二倍までのパワーにおさえておけと忠告を受けていたが、何人もの仲間を葬ったナッパに天才戦士と言わしめたベジータが相手だ、己の身の負担を考慮しても、きっと二倍から三倍へと上げなければ勝ちめがなかったのだろう。いや、たとえ三倍であろうとも、あのベジータに勝てるかどうか――
其之六十八
戦地から遠く離れた場所を飛んでいるたちまで大気の震えが届きそうなほどの、大きな気と気のぶつかり合いが終わったと思ったら、次はイヤな感じがする気が膨れ上がった。おそらくベジータの気で間違いないだろう。加えて悟空たちが向かった方角に、やけに明るく輝きを放つ星のような物体が浮かんでいた。
「っ……行かなきゃ……悟空が、悟空が……!」
とてつもない胸騒ぎがを襲う。あやしく光る物体を険しく見つめて小さく声を震わせると、まだ柔らかさが残る幼い手がの服を掴んだ。
「ボク、わかるんだ……おとうさん、あぶないんでしょう……? このままじゃ死んじゃうんでしょう……?」
その声はほとんど確信めいていた。父親に死が近づく音が聞こえているのだろう。恐怖と絶対的な強敵に立ち向かう覚悟でその手は震えていたけれども、は自分や悟空に似て頑固な一面がある悟飯の手を振り払おうとは少しも思わなかった。悟飯の気持ちを尊重していると言えば聞こえはいいが、母親としては失格だろう。みすみすかわいい我が子を死臭のする戦場へと連れていくのだから。
「行こう、悟飯……一緒に、悟空のところへ」
もう誰も死なせない――戦う前からとっくに決意を固めていたは、服を掴んでいた悟飯の手を取り、ぎゅうっと握ってすぐに放した。悟飯の手には死から一番遠い場所に在るぬくもりだけが残り、震えは止まっていた。
悟空の気がどんどんちいさくなっている。
もっと、もっと速く悟空の元へ辿りつかなければ、今度こそ永久にうしなってしまう。
は荒くなる呼吸に抗うように歯を食いしばり、加速に加速を重ねた。
「悟飯! クリリン! 下に降りてかくれて!!」
先頭を切って飛んでいたが緊迫した声を上げる。
もう夕方に差し掛かろうというのに、あたりは妙な光の玉に照らされ、やけに明るい。おかげで大猿化したベジータが、今にも悟空を握り潰そうとしていることにいち早く気づけた。
多くの戦闘経験を積んでいるクリリンはの声に瞬時に反応して下降していくが、悟飯は大猿に襲われている父親を目の当たりにして呆然としていたので、は有無を言わさず、悟飯の手を引っ張ってベジータの背後の岩陰へと隠れた。
「クリリンと私でスキをみてシッポを切る。悟飯にはベジータの気をひいてほしいんだけど……できるね?」
こうしている今も、刻一刻と悟空の命の火が消えようとしている。
は厳しい表情で幼い悟飯に残酷な言葉を投げ掛けている自覚はあった。恐ろしい敵相手に囮になれと言っているのだから。しかし、この窮地を打開するには悟飯の力も必要である。技は粗削りで実戦経験などないに等しく、心身ともにまだまだ未熟な悟飯だが、父親の死が近づいているのに気づく賢しさはあった。だからこそ弱音なぞ吐かずに、躊躇いなく母親の言葉に頷いたのだ。息子の決心を受け止めたはクリリンへ目配せし、散り散りに分かれた。
「よーく見ておくんだな! あとかたものこらんようににぎりつぶしてやるから」
悟飯がベジータの気をひいているスキに、クリリンはベジータの背後で気を高める。気を読む力がないベジータは、クリリンが練り上げた円盤状の気弾――気円斬に気づかないだろうと思って射出したが、背中に目でもついているかのように、大きな図体からは想像もつかないほど軽やかによけてしまった。だが、ベジータが着地した瞬間を狙って、が天叢雲でシッポを一刀両断する。
「ち……ちくしょう……!!! オ……オレのシッポを~……!!!」
ぐうううと悔しそうに唸りを上げるベジータのカラダが見る間に縮んでいくと、その手からズルと悟空が地面へ滑り落ちた。すっかり元の姿に戻ったベジータは、相当気と体力が削られたのか肩で息をしているが、その瞳は獰猛な殺意で鈍くギラついている。
「まずはきさまからぶっ殺してやるぞ、女……!!」
ベジータは勢いよく地を蹴り、悟飯を庇うように立っていたへ向かっていく。
シッポを斬られて逆上しているかと思いきや、が手に持っている天叢雲を警戒し、先にエネルギー弾を飛ばしてはじき落とす冷静さは残っていたようだ。もで、今ここで天叢雲を拾ったら、それこそベジータの一撃を正面から受けてしまうだろうととっさに判断し、悟飯へ被害が及ばないよう突き飛ばして自分は反対方向へと飛んだ。これで回避したつもりであったが、が対処することを見越して動いていたベジータは、自分の思惑通りに行動してくれたへ横薙ぎに蹴りを入れた。
「ぁっ、が……ッ!!」
まずい。モロに入った。息が詰まる。上腕骨と肋骨が折れ、そこを支点としてカラダはくの字に曲がった。その慣性によって頸椎が急激に側屈され、脳が揺さぶられる。一瞬意識は遠のき、手も足も出せず硬く乾いた岩石に打ちつけられた。の治癒能力を危険視しているベジータは、確実に息の根を止めるために追い打ちを掛けにいこうとするが、すかさずクリリンが阻止せんと躍起になってベジータへ突っ込んでいく。しかしながら圧倒的な力の差でクリリンはねじ伏せられ、無情な荒野へ転がされた。
「ゴミが……そう急がなくても、あの女を殺したら順番に殺してやる」
ベジータは岩石にめり込んで動かなくなったへエネルギー弾を放つと、無力にもは吹き飛ばされた。進撃の手を緩めずベジータは素早くの細い首を掴み上げて指先に力を入れる。
「やめろーーーっ!!!!!」
武道家として己よりも遥かに成熟した両親とクリリンがあっけなくやられてしまった。現実を受け止めきれない悟飯の足は竦み、まともに声も出せないでいたが、殺されそうになっている母親を前にしてしまえば、奥底に眠る力と勇気がみなぎる。
「おまえを……たおす!!」
悟飯は湧き上がる怒りに歯を食いしばりながら、目尻を吊り上げてベジータを激しく睨みつけた。クズから生まれたクズのガキが喚きやがってとベジータは悟飯を一瞥して鼻で笑う。バカにされてもなお悟飯の眼光の力強さは変わらない。それどころか先ほどまでの及び腰が嘘のように悟飯の気は上昇し、果敢にベジータに立ち向かっていった。ベジータは片手で持ち上げていたを邪魔くさそうに石塊だらけの大地へと投げ捨て、悟飯の荒々しい攻めに応戦する。ベジータの気が逸れているうちに、虫の息の悟空はクリリンを自分の元へと呼びつけ、地球じゅうからすこしずつあつめた気――元気玉をわたした。
「く……くっそ~~~!! あんなにうごかれちゃオレのウデじゃあてられない……!!」
悟空から元気玉を受け取ったはいいものの、凄絶に繰り広げられるベジータと悟飯の攻防を前に歯がゆい思いをするだけであった。そこで見かねた界王が、元気玉は悪の気を感じ取って放つのだとクリリンに助言を与える。
『クリリン、そろそろ悟飯の気も落ちかけている……私がベジータの動きを止めるから、その時は迷わず元気玉を撃って……!!』
界王に引き続き、までもクリリンの心の中に語り掛けてきた。
「……?! アイツの動きを止めるって……おまえボロボロなんじゃ……!!」
『心配しないで。悟飯が時間を稼いでくれたおかげで回復できたから』
冷淡な大地にうち捨てられていたはベジータに気づかれないよう静かに立ち上がり、苛烈なエネルギー弾を連続で撃ち込まれ、為す術もなく蹲る悟飯へと猛追しようとするベジータの顔面に一発ぶち込んでやる。完全に目の前の獲物に夢中になっていたベジータは不意打ちを喰らい、今度は自分がふっ飛ばされた。
「……っきさま、まだこんな動けるとは……ッ!! いや、自分にも治癒能力を使えるのか……?!」
「さあね……ただひとつ言えることは、私を殺そうと思ったら腹にでかい風穴をあけるくらいのことはしてもらわないと……!」
「くっくっくっ、きさまのその口ぶり……なにを企んでやがる。オレがそんな安い挑発にのるとでも思ったか?」
がニヤリと口角を上げると、ベジータは嘲笑いながら乱石の海から立ち上がった。
「しかし……オレさまはやさしいからな、その挑発にのってやろう」
言うや否やベジータは瞬く間にの懐に入り込み、腹部に鈍重な痛撃を加えた。宣言通り、ベジータの拳はの薄い肉を貫く。
『クリリン!! 元気玉を!!! はやくッッ!!!!』
の決死の声に、クリリンの身体は勝手に動いていた。クリリンの手から元気玉が放たれると、悪の気を持たないは元気玉によるダメージを受けることもなく、そのままベジータへ直撃。元気玉が爆発的なエネルギーを四方八方に散らしながら空高くまでベジータを押し上げたおかげで、の腹からずるりと拳が抜けた。ベジータの憤激を露わにした劈くような叫びを聞き届けると、は再び崩れ落ちる。
「やった……やったぞ……っ!!!」
が身を呈してベジータの動きを止めてくれたおかげで、見事元気玉をあてることができたクリリンは喜びを噛み締め、ぐったりと横たわっているの元へと駆け寄った。
「! だいじょ……おまえ、腹の傷はどうした?!!」
どれだけ深手を負おうとも死なないの特殊体質を知らないクリリンは、ベジータによって開けられた腹の穴が塞がりつつあることに腰を抜かす。数々の経験と修行を重ねたの回復力は日に日に速度を上げており、たとえ腹にどでかい穴が開こうとも短時間で回復できる自信があった。だからこそベジータにあんな無謀ともとれる挑発ができたのだ。
「説明はあと……っそれよりも、最悪なことにベジータはまだ生きてる……!!」
の焦躁と動揺とが入り混じった声が、緩みつつある空気を切り裂く。
「あ! あれ……!!?」
「っ悟飯!! 空を見上げたら……ッッ!!」
やっと長い闘いが終わった安心感で少しだけ力が湧いてきた悟飯は、傷だらけの身体を引き摺りつつも、たちの方へ向かっていた。その途中、頭上に人影が見えた悟飯は思わず空を見上げてしまった。ベジータが造りだした小さな満月がある空を――
「アオオ……!!」
シッポがいつの間にか再生していた悟飯は、野太い唸り声とともにみるみるうちに大猿と化していった。子供らしいまるみを帯びた体つきから一変し、筋肉は盛り上がり、獣のようにふさふさと体毛が生え、上下の顎が発達して前方に飛び出すと口は大きく裂けていき、鋭い犬歯が目立つようになった。
「しっ……しまった……! か……かなりのダメージをくったうえに、ガキが大猿に変身しやがった……!!!」
元気玉のダメージの余韻も強く、体力の消耗も激しい。さすがのベジータも、理性をなくし破壊衝動に身を任せた凶暴な大猿を相手にはしたくない。面倒なことになる前にシッポを引きちぎろうと力を籠めるが、悟飯の猛々しい拳に頭部を思い切り殴打されて阻止された。
「ガアアッ!!!」
完全に大猿化した悟飯は雄叫びを上げて巨大な石巌を砕き、その塊を高く掲げた。どうやら悟空も悟飯も、理性がなくなるというより、大猿になったときだけ凶暴なサイヤ人にもどるようだ。
「悟飯……! お願い、サイヤ人を……っ!!」
「サイヤ人だ……!! サイヤ人をやれーーーっ!!!!」
『ご……悟飯……!!!』
破壊の限りを尽くそうと咆哮する悟飯に、、クリリン、悟空がそれぞれ強く悟飯へ呼び掛けると、その想いが通じたのか目に見えて迷い始めた。やがて悟飯はサイヤ人であるベジータに狙いを定め、攻撃を仕掛けた。しかしスピードこそ速いが、単純な動きの攻撃は満身創痍なベジータでも避けられる。
「悟飯……もしかしてすこしだけ心が残って……?!」
悟飯は完全なサイヤ人ではない。それが幸いしたのか、それともの血が混ざった突然変異なだけなのか――いや、そんなことどうでもいい。いくら修行して強くなったとはいえ、まだまだ幼気な子供を頼って闘わせるなんて無慈悲かもしれない。でも今は、今だけは地球を救うために力を貸してほしい。
「くそったれーーーっ!!!!」
気円斬にも似た円盤状の気弾が、ベジータを踏み潰そうと飛び上がった悟飯の無防備なシッポを切り払う。これでベジータの勝利が確定したと思いきや、かなり高密度な気弾を放ったせいで身体が思うように動かせず、そのまま自身の倍以上の体躯の悟飯に押し潰されることとなった。
「……あ……あう……あぐ……ぐぐう……」
か細い呼吸を繰り返しながら呻き声を漏らすベジータは、もはや気力だけで戦闘服の懐から小さなリモコンを取り出す。何度か操作すると、大の字になって力尽きた。
「こ……この……このオレが……まさか……ひ……ひきかえすことになるとは……」
「逃がさない」
無様に地面に倒れるベジータにの重く低い声が突き刺さる。その手には、ベジータに弾き落とされたままであった天叢雲がしっかりと握られている。悟飯がベジータと闘っている間に探し出していたのだ。元々天叢雲とはどれだけ離れていようとも、なんとなく感覚で所在がわかるので、見つけるのは容易であった。
「く……くそ……!!! カ、カラダがいうことを……!!」
見下ろすの酷薄な視線にベジータは死を肌に感じ、冷や汗が滲んだ。
天叢雲を握る手が震える。この震えが最愛の家族、そして大切な仲間たちを傷つけた怒りからなのか、それとも死んでいった者たちの仇を取れる喜びからなのか、ぐちゃぐちゃになった情動が渦巻いて自分でも自分がわからなくなっていた。
サイヤ人が両親の仇であると知ったとき、は両親の魂が宿る天叢雲でとどめをさすことも厭わないと覚悟を決めていた。サイヤ人はの故郷を滅亡に追いやり、サイヤ人もまた自分たちよりも巨悪のフリーザによって滅ぼされた。そして今、巡り巡ってがベジータの命運を握る立場になっていた。ベジータと両親の死は直接関係こそないが、きっと彼はの仲間たちの他にもたくさんの者を殺し、そして生きている限り殺戮を繰り返すだろう。
は怒りと悲しみを多分に含んだため息を吐き出し、呼吸を整え、天叢雲を――
『!! 待ってくれーーーっ!!!!』
心臓に突き立てようとすると、の心の中に悟空の悲痛な叫びが響き渡る。ハッとして悟空を見れば、目が合った。指の一本も動かせないくらい、力なく岩肌に背中を預けているにも関わらず、悟空の瞳は気力が充実していた。
「悟空……」
『……おめえをまもるって約束したのに……オラが弱えせいでそんな顔をさせちまってすまねえ……』
は沈痛な面持ちで黙って首を振る。
『まちがってるのはわかってるが……そ……そいつを行かせてやってくれねえか……』
「……私も悟空も界王さまのところで修行して、頂点を極めたつもりでいた……それでもベジータの実力は私たちよりもずっとずっと上をいっていた……」
それなのに、悟空はベジータを逃がせと主張する。
今回の勝利は半ば奇跡に近い。体力を回復させたベジータが再び地球へ来たとき、今度こそ地球はの故郷のように滅ぼされるだろう。
『ああ……びびったよ……正直いってまいっちまった……』
「でも悟空笑ってる」
『こ……心のどこかで、うれしくてドキドキしたんだ……ピッコロのときみてえに……や……やっぱりオラもサイヤ人だからかな……わ……わるいクセだ……』
敵の前だというのに、はふっと気の抜けた顔で小さく笑う。つられて悟空も笑った。
「つぎはぜったいにベジータを超える実力を身につけるから、オラひとりにやらせてくれって言うんでしょう?」
どうやら悟空の気持ちはお見通しのようだ。やはりにはかなわない。
そうしてベジータはどこからともなくやって来た丸い宇宙船に乗り込み、すぐさま飛び立った。不敵な笑みを浮かべ、こんどはきさまらに奇跡はないぞと言い残して。
「ごめんね、クリリン……私たちのわがままに付き合わせちゃって……」
「気にすんなって……おまえたちにはわがままをいう資格があるさ。いまの地球があるのもたちのおかげだ……」
まだ意識が戻らない悟飯を抱え込み、はクリリンに頭を垂れた。立て続けに仲間の死を目の当たりにしたクリリンは、怒りや憎しみ、恨み辛み――きっと色んな感情が込み上がったはずだ。それなのにたちがベジータを逃がす話し合いをしていても、すべてを呑んでベジータを逃がしてくれた。本当に感謝してもしきれない。
「それに……もしかすると、死んだみんなを生きかえらせることができるかもしれないんだ……」
「それって……?」
比較的軽傷な悟飯とクリリンを早急に回復させ、重症である悟空の治療をじっくりしていると、クリリンが小さく呟いた。半信半疑のようで、煮え切らない態度だ。そんなクリリンの次の言葉を促すように悟空は視線を、は直接疑問を投げ掛ける。しかしクリリンが口を開く前に、ブルマたちが迎えに来て話が中断されてしまった。
クリリンはいったいなにを話すつもりだったのか――その話が後の希望や絶望に繋がることになろうとは、今はまだ誰も知らない。