蜜雨

第15話

 宮城遠征の話を猫又とすると、何日か宮城に宿泊する予定だったらしく、青葉城西とも練習試合を組む約束を交わした。は明日早速監督に掛け合って日程調節をすることにした。他にも宮城で練習試合を組んでくれそうな学校を幾つか紹介し、がここまで来た経緯を話し(学校に不法侵入したことは怒られたが黙ってくれるらしい)、お互いまたコートで会おうと笑顔で別れた。はスッキリした顔で体育館に戻ろうとすると、体育館の扉に黒尾が寄り掛かっているのが見えた。

「黒尾くん? どうしてここに?」
「あー……携帯返しに……な」
「……本当は?」

 どうやらすべてお見通しのようだ。
 黒尾は携帯を素直に返すが、受け取ったの口角は上がり、眼は探りを入れていた。

「わりぃ、監督と話してたの聞いてた……」
「やっぱり。でも黒尾くんが聞いても面白い話してなかったでしょ?」

 決まりが悪そうに謝る黒尾とは対照的にはからからと笑った。

「んなことねーよ! ただ事故のこととか……俺が聞いてよかったのか……」

 普段飄々としている黒尾が決まり悪そうに呟くが、意外にもはあっけらかんと答える。

「聞いて良い悪いとかないよ。影山、事故、で調べれば出てくるし、なんならスポーツ紙にばーんと取り上げられたこともあるし」

 翼の折れた天使だなんて一昔の前の歌じゃあるまいし――だが幼いの心を抉るには申し分ない謳い文句であった。再起不能、復帰は絶望的、若きエースオリンピック前に散るだなんて、好き勝手に書かれた。そしては文字通り本当に引退を余儀なくされる程の怪我を負い、スーパー中学生はその短いスポーツ人生に終止符を打った。

「はじめはバレーができなくなるなんて信じられなかったし、信じたくもなかった……けど、私の分までプロになって活躍するって誓ってくれた弟とか、一緒に戦ってくれって言ってくれた仲間が死にかけていた私に命を吹き込んでくれた。だから今私はその人たちの為にバレーをしてる」

 その瞳はどこを見ているのだろう。遠くを映す眼差しの先にはきっと自分の知らない好敵手たちがいる。もし自分が宮城に住んでいて、ともっと早く出会っていたら、顔も知らない好敵手たちを追いやってその瞳の奥に入り込めたのだろうか――彼女をそんな顔に出来ただろうか。

「……そいつらのことよっぽど大切なんだな」
「うん、大好き」

 自分に向けられた言葉なわけでもないのに、柄にもなくどきりとした。混じり気のないまっすぐな想いに嫉妬すら覚える。

「その謎の女子は黒尾さんの彼女だったんすか?!!」
「リエーフ!!」

 またお前か。
 人間拡声器であるリエーフはどうやらご丁寧にもの大好きという発言のみ聞き取ってしまったようだ。

「彼女? なんのはな、し……うわっ! 電話!」

 黒尾から受け取った携帯が手の中で震え、思わず反射で通話ボタンを押してそのまま地面に落としてしまった。

「うげっ! 電話出ちゃった!」
「てめゴルァ! 電話出たと思ったらうげとはなんだうげとは!!」
「うわっその声ははじめ!! ごめんなさいごめんなさい!!」

 地べたに座り込んで携帯に向かってが頭を下げる状況に黒尾とリエーフは置いてけぼりだ。

「なに? 今度こそ?」
「ままままっつん! もしかしてもしかしなくても……怒ってます?」
「あんな突然わけわかんないこと言い残して教室飛び出して俺が怒らないわけないよね? おりこうさんなマネージャーならそれくらいのオツム持ってるよね?」
「っさーせんした! 今度ラーメン奢らせて頂きます!!」
「ついでにシュークリームもな」
「マッキー! そこにいるなら面白がってないで2人をなだめてよ!!」
「無理」
「薄情者ーーー!!」
「はあ~? ンなこと言っていいのか? 松川がお前の机に飾ってある弟の写真燃やそうとしてたの止めてあげたのになあ」
「シュークリーム何個いる?」
「ちょっちょっと! みんな及川さんを無視して話進めないでよ!」
「あれ? 徹いたの?」
「最初からいたよ! ところで、例の黒尾くんから携帯返してもらったんだね」
「え? 黒尾くんって……」

 携帯に平謝りしていたが黒尾へと意識を向ける。黒尾はの視線を通り過ぎ、地に伏している携帯を拾い上げた。

「ハァイ、例の黒尾くんです。先程はどうも。今度そちらさんとウチ、練習試合組ませてもらえるらしいんで、その時は宜しくお願いしますね。あ、試合に勝つのはもちろん、チャンのことも勝ち取るんで」
「……ん? は? ちょっ?!」

 黒尾は言いたいことだけ言って(後ろでリエーフが宣戦布告!!?と目を輝かせていた)、通話を切った。再度電話を知らせるバイブレーションとメッセージ通知の嵐がの携帯の充電を奪っていく。

「っつーわけなんで、やっぱり連絡先教えてくんねえ?」

 恋は落ちるものだと誰かが言った。いや、落ちるなんて優し過ぎる――否が応でも落とされるのだ。底知れぬ理解不能の感情の波に呑まれ、自我を失い、みっともなく恋とかいう不確かな激情に溺れる。そもそも恋なんてどんなものかも知らない。人が心理を整理する為に作られ、名付けられただけではないか。そう、まだこの感情に名前をつけるのは早急過ぎる。だが確実に彼女に触れるたびに燻っていた熱が膨れて腫れ上がり、自身を灼くのだ。



(黒尾ポエマー説)






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