第5話
「ほんっとありえない」
「だーかーら、こうやって謝ってんじゃん」
「誠意が足りない。瓢箪揚げとたい吉の鯛焼きね」
「それはデートのお誘い?」
「え? はじめとまっつんとマッキーと行くけど?」
「そこまで呼ぶなら俺も呼んでよ!」
「ずんだシェイク追加」
と及川は病院の待合の硬めのソファに並んで座り、周囲の人間に迷惑にならない程度の小声で会話をしていた。
先々週足を軽く捻って違和感を覚えた及川の異変に最初に気がついたのはだった。居残り練習に付き合っていた時、なんとなく歩き方がおかしいと声を掛けたら案の定怪我をしていたというわけだ。本人は大したことないと豪語するが、捻挫を繰り返す理由は靭帯は治りにくく、きちんと治らないうちに運動を開始するからだなんだと正論の嵐で及川を撃沈させ、無理矢理知り合いのトレーナーが所属する病院に連れてきたのだった。
「仕方ないじゃん、昨日病院が学会で休みなの忘れてたんだもん」
「だもんとか言わないでパワー5リラ」
が不機嫌なのにはきちんと理由がある。及川は本来であれば練習が休みである月曜日に病院で最終チェックをしてもらい、万全の状態で火曜日の練習試合に臨むはずであった。だが以前から貼り紙で知らされていた休診の予定をすっかり忘れていた及川は、結局練習試合当日に病院へ行くことになったのだった。一応部活動中なのと、色んな意味で心配な及川に付き添えと監督命令が下ったのテンションがガタ落ちしたのは言うまでもないだろう。
「せっかくの新生烏野を最初から見たかったのに……」
「……飛雄は王様から抜け出せるの?」
中学時代の飛雄の話は(聞いてもいないのに勝手に話し始める)から聞いていた。天才だが独裁的な飛雄を、いつか民に首をはねられる王様になるとは評価していた。そして事実飛雄は中学最後の公式試合でコートから追放された。
「……それはまだわからない。けど、舞台は整ってる。あとは飛雄次第」
が弟のことをちゃん付けではなく、飛雄と呼び捨てる時はバレーに関わっている時だけだと及川は知っている。ことバレーに関しては厳しい発言が目立つは、いつも溺愛している弟相手でも容赦ない。
「は飛雄を青葉城西に誘おうと思わなかったの?」
「飛雄がうちに来たらきっと同じことを繰り返す。英ちゃんと金田一と共倒れするのがオチよ。それに、こんな壁自分で乗り越えられないくらいじゃプロになるなんて到底無理」
自分に対しても他人に対しても厳しく現実を突きつけることは、残酷なようで優しさでもあった。時に真実は人を一歩踏み出す手助けになる。はそのことを身をもって経験していた。
「……傷……痛まない?」
「もう3年以上も経ってるんだよ? いい加減腕の傷も、目の見えにくさも慣れたよ」
「そっか……そう、だよね」
嘘だ――たまに鎮痛薬をこっそり服用しているのも、どこにも吐き出せないどうしようもない痛みを抱えているのも知っている。そうでなければあんなにも切なそうに苦しそうにバレーを見るはずがない。伊達にずっと近くで見てきた訳ではない及川は、の隠した本音に気付かないふりをして、の左手に指を絡めた。3年前の事故で右目はほぼ視力を失い、利き腕である左手には感覚鈍麻が残り、ブレザーの下には一生残る傷がいまだ眠っている。が夏でも頑なに肌を露出しないのもその傷のせいだ。
「徹?」
急に手を握ってきた真意がわからないは訝しげな表情で及川の様子を窺うが、無理に手を払うことはしなかった。しっかりと手が繋がれているとはいえ、分厚い皮の遠くに圧迫を感じるくらいで、はその感覚の鈍さに随分と慣れたはずなのに、何度目かわからない切なさに襲われる。
「こうしてると俺たち美男美女カップルじゃない?」
「は?」
珍しく真剣な顔をしていたと思ったら、急に外交用の人好きのする笑顔を貼り付けて笑った。するとの背後から声が飛び込んできた。
「こら! 病院でいちゃつかないの! 全く羨ましい! 早く診察室入って!」
「はーい」
看護師のお姉さんに茶化されながら、間延びした返事をする及川に手を引かれて診察室へと歩みを進める。かれこれ中学からの付き合いだが、いまだに及川がわからない。
ただ掌から伝わるかすかな体温に、悲しみが溶けていく感覚だけは確かに残るのだった。
(冒頭仙台駅周辺の食べ歩きグルメ紹介。笹かまはしらけん派。)