第6話
無事診察を終えて通院の必要は無いとお墨付きを貰い、青城に戻れば最終セット前の休憩中だった。監督に報告を済ませたがふと烏野に目を向けると、日向と目が合った。日向は青ざめた顔で申し訳なさそうに勢いよく頭を下げる。その反応だけではあの話を澤村あたりから聞いたのだろうと察した。気にしていないと伝えようと最大限の笑顔で手を振ると、露骨に安堵した表情になった日向はもう一度深く頭を下げた。ほら、やっぱりいい子だ――はくすりと笑った。
「! 及川のアップ付き合ってやれ」
「はい!」
監督の言葉で日向から視線を外し、先にアップに向かった及川の後を追った。
体育館内を軽く走っている及川の後ろにくっついて同じペースで走ると、に気付いた及川は口を開いた。
「思ったより烏野に押されてるね」
「烏野は決して弱く無いチームだからね」
「飛雄ちゃんも加わったことだしね」
「別に飛雄自体総合的に見たらまだまだ徹には及ばない」
「えっどしたのちゃん! ホントのことだけどさ!」
「前向いて走って! また捻挫する!」
あの常に弟の写真をお守りのように持ち歩いて、隙あらば飛雄に会ったことすらないクラスメイトや部員に延々と弟の話をしている根っからの弟ラブのでも、バレーに関しては色眼鏡で見ることも贔屓もしない。わかってはいたが、に直接褒められると舞い上がってしまう。
ウォームアップ中なのも忘れて思わず後ろを振り返る及川を、はピシャリと嗜めた。
「あくまで事実を言ったまでよ。でも、もし飛雄の力がチームで上手く機能するようになったら……脅威になるでしょうね」
横目でちらりとコートを見ると少しだけ烏野がリードしていた。と同じようにコートを見ていた及川も厳しく目を細める。
「……そうだね。飛雄はサーブもブロックもスパイクも……そしてトスも、ムカつくくらいなんでもこなすしね。誰かさんに似て」
誰かさんとはもちろんのことだ。彼女もまた飛雄の姉らしく、飛雄以上の才能とセンスに恵まれた選手であった。中学生の時点で天才セッターとメディアに取り上げられ、最年少で全日本選手となった。
「徹」
「……ごめん。言い過ぎた」
それもが事故に遭う前までの話だ。あの事故での羽はもがれてしまった。彼女はもう元通りに飛ぶことも、あの頃と同じ精度のトスをあげることもできなくなった。それでも彼女が高いレベルの選手であり続けているのは、地道に辛いリハビリを耐え抜いたからだ。しかし決して元の実力に戻ることはない自分の体にプロの道は諦めた。
「飛雄の今が在るのは私と徹の所為でもあるんだからね」
飛雄はバレー以外ダメダメだが、バレーだけは遺憾無く才能を発揮する。しかしもそして及川も、飛雄に技術的なことを手取り足取り教えることはしなかった。上達したければ見て盗めと、勝負の世界は甘くないと突きつけ、ことバレーに関しては厳しく接した。飛雄はそんな2人の背中を見て技術面や貪欲さ、ストイックさを学んだが、コミュニケーション能力だけは見てるだけではなんとかならなかった。
「どうして俺たちの背中を見てきたはずの飛雄ちゃんはああも独善的になってしまったんだろうね」
そうして孤独の王様が生まれ、飛雄はトラウマを抱えることになった。しかしはそれでいいと思っていた。天才が故に挫折を知らない飛雄に言葉でチームワークを説くなどナンセンスである。多少荒療治ではあるが、その身を以て挫折を味わうことで更に強くなれることを期待していた。もしそのまま潰れるようであれば、それまでの選手だったという訳だ。半端な気持ちでプロを目指すことを良しとしないは、私生活においては弟をどろどろに甘やかしていたが、その反面バレーにおいては誰よりも厳しく冷たい言葉を弟に浴びせていた。
「でも、あの子も変わろうとしている。自分から歩み寄ろうと努力してる」
今過去の話を掘り返すのは愚行だ。大事なのは今現在飛雄が何を考え、どう行動するかだ。
は烏野側のコートでギラギラと瞳を滾らせる弟の姿を懐かしく感じた。あんないきいきとした、未知の領域を開拓しようと果敢に挑戦する飛雄は久しく見ていなかった気がする。
「やっぱり飛雄と同じ学校に行きたかった?」
唇を尖らせてわかりやすく拗ねる及川にはきょとんとする。
「なあに? やきもち?」
「べっつにぃーが飛雄ばかなのは知ってるしー」
「うん、うちの飛雄ちゃん世界一!!!」
きゃっはー言っちゃった言っちゃったととろける乙女のようにはしゃぐは呆れるほど弟にデレデレである。わかってはいたが、こうもあからさまに弟ではあるが好意を示すに正直ムカつくのが及川の本音である。
「でも、私は徹と……はじめと、一緒に戦いたいと思ったからここにいる。そこに飛雄は関係ない」
きっぱりはっきりと言い放つの言葉には、迷いも嘘偽りも含まれてなどいなかった。及川はいつものこのまっすぐさに負けてすべてを許してしまうのだ。そんなに及川が照れ臭さを隠すようにおちゃらけた返しをするのがいつもの流れである。
「及川さんのそーゆーとこ好ぐふぅっ!!」「ちょっといきなり止まんないでよ! また怪我するでしょ?!」
これだけ会話を続けているが、今はアップ中だ。
の前を走る及川は急に止まって振り向きざま彼女を抱きしめようと腕を広げた。しかし後ろを走っていたは及川にぶつからないように持ち前の反射神経で咄嗟に避けようとするが、中途半端になってしまった結果及川の半身をどつくこととなった。イケメンにあるまじき声を発する及川が蹲ったので、は一言叱責してそのまま柔軟体操をするよう促した。これがが及川と共に過ごしていくうちに身につけたスルースキルである。
「柔軟しっかりして早くピンサ出なよ」
「いてて! ちょっいつもより厳しくない?!」
ぐいぐい背中を押すは及川の言葉で力を緩めることはない。
「当たり前。試合終わったら捻挫防止にバランスディスクも乗ってもらうからね」
「その後サーブ練も付き合ってね」
「はいはい。いいから烏野の穴、ちゃんと見といて」
「ああ、あの5番と6番?」
「うん、レシーブ苦手っぽいね。でも、あの5番……」
なにか飛雄とやらかしそうだ――のバレーボール選手としての勘が知らせていたが、不確定すぎて及川に伝えることはしなかった。だがの勘は見事的中することとなる。
(及川はどうあがいても影山姉弟に掻き乱される運命)