戦いが終わった後もの激務は続いた。緑谷たちと碌に言葉を交わす間もなく、すぐに相澤の手術に13号の治療、事件の調査と分析が課せられたのだ。その仕事の合間を縫って相澤の病室までやって来たは、いまだ麻酔が効いて眠っている相澤のそばに椅子を持ってきてしばらく様子を見ていたが、安心した反動で急に襲ってきた眠気に抗えずそのまま目蓋を落としてしまった。
No12
これ以上を悲しませたくないのに「っ消太くん!!」と悲痛な叫びが鼓膜にこびりついて離れなかった。学校では相澤先生と呼べと口に出したくてもまったく身体が言うことを聞かない。なぜいつも自分は肝心な時に無力なのだろう――反吐が出る。いくら力を持っていようが、適切な時に適切なだけ発揮されない力など無に等しい。そうならないよう合理的に動いていたはずなのに、いつもいつも大事なものだけこの手をすり抜けていく。
暗い闇の底から漏れてくる血のような朱色にどきりと心臓が――全身が震えて力むと自然と目蓋が持ち上がった。鈍重な肉体に鞭打つことも出来ず、眼球のみを横にスライドさせれば、まるでこの世の終わりを儚むように輝く西日が相澤の目を焼く。起き抜けに刺激の強いものを見せやがってと勝手に眉間に皺を寄せた相澤は、次に反対方向へと眼球を動かすと、深い意識の中心にいたが今まさに相澤のそばで眠っていた。その小さな身体は夕暮れで朱色に染まっているだけだと頭では理解しているのに、まるで血の海で溺死してしまったかのように相澤の目には映ってしまった。まるで無力な自分では何も救えないと現実を突きつけられたようだった。
相澤の思考の波を堰き止めるように軽快なノックが静かな室内に響くと、一拍置いてドアが開かれた。姿を現したのはトゥルーフォームの八木である。
「相澤くん……君、目を覚ましたんだね。よかった」
と同様に病院の椅子を相澤のそばまで引っ張てきて彼女の隣に座した。その貧相な椅子が今の枯れ木のような八木の姿にちょうど良い大きさだという事実がまた彼の存在の切なさを助長させる。
「相澤くんと13号のおかげで生徒たちは全員無事だ。そしても怪我はしていない……」
怪我は――随分と含みを持った言い方をする。それでは怪我以外に何かあったと言っているようなものだ。相澤は続きを促すように目を細めると、八木は明らかに表情を曇らせた。起きる様子のないの寝顔を一度見つめ、そして再度相澤と目線を合わせると口を開く。
「……あの時のことを思い出してしまった」
その言葉だけで相澤はすべてを察した。
どうしてこんな年端もいかないばかりに重荷を背負わせるのだ。この時ばかりは相澤も包帯を巻かれた両手で彼女を抱きしめられないことに歯痒さを感じていた。
「んう……っは! 私寝て……よっよだれなんて垂らしてないからね!?」
大の男ふたりが深刻な顔を突き合わせているのに、が目を覚ませば一瞬で重たい空気がぶち破られた。心配していたのがアホらしくなるくらいはひとりで勝手に焦って袖口で垂らした涎を拭きながら弁解している。
「もう! ふたりとも起こしてよね!」
ぷりぷりと怒る彼女は全然こわくないどころか通常運行すぎて、どうかこのままに安寧な日常を送らせてやってくれと願うのは罪なのだろうか。
八木のセーフハウスへとと共に帰ってくると、安堵感がふたりを包んだ。長い1日であった。
ふたりは力なくふにゃりと笑い合い、各々の部屋で着替えを済ませて食事の準備をする。とは言っても胃を全摘している八木の為にオートミール粥(最近のお気に入りは塩昆布と梅干だ)を準備し、用に買ったカツサンドを軽く温めれば終了だ。レンジのみで事足りる。食後は買い置きしているアイスを半分こにして食べるのがお決まりとなっていた。
簡単に食事を終わらせてまったりしていると、次に襲ってくるのは睡魔だ。完全に目を閉じ切ってテーブルに突っ伏してしまったを可愛そうに思いながらも、八木は心を鬼にして揺り起こす。今夜しっかりと休まなければ、明日の仕事にも影響を及ぼしてしまう可能性があるからだ。
「、眠いのはわかるけどお風呂に入ってきなさい」
「んー……ん、じゃあ洗いっこしよ?」
高校生になってもは昔の――それこそ出会った当初(幼稚園か小学校低学年くらい)の感覚のまま接してくる。だから今でも八木だけでなく昔馴染みの者たちには平気で裸を晒すし、もちろんお風呂を一緒に入ることになんの抵抗も示さない。もはやにとって親密なプロヒーローたちは家族も同然なのだ。年齢も年齢である八木も今更ソッチの雰囲気でないとお風呂に入ってどうこうするつもりはないが、のこれからの行く末が心配になるのは否めない。しかし、どこぞの馬の骨とも知らないガキンチョに肌を許すのだけは何としてでも阻止しようとは思っている八木であった。
お風呂から上がると、ソファに座る八木の脚の間にソファを背もたれにさせてを座らせ、ヘアオイルを馴染ませてドライヤーを掛けてあげる。最後冷風でキューティクルを引き締める頃には程よい頭皮の刺激によってはうとうとしてしまっていた。
「さ、お姫様……もうおやすみしよう」
とびきり甘い声でに囁くと、は応えるようにとろんとした表情で八木の首に腕をぎゅっと回す。八木はゆっくりとを横抱きにして寝室に向かうと、キングサイズのベッドにとさりと降ろした。広いベッドの上でお互い身を寄せ合うように小さくまとまり、電気を消して眠りにつく。こわい夢など見ないようにおまじないのキスを額に落とすのも忘れずに。
八木はどんと鈍い音に思わず目を開けた。さっと身を起こせば、隣で寝ていたはずのがベッドから落ちて蹲っている。肩を大きく上下させて苦しそうに胸をおさえている手は痙攣していた。過呼吸だ。あの事件が起きてしばらくは繰り返していたが、次第になくなっていたというのに――このタイミングで過呼吸になってしまった原因はひとつしか思い当たらなかった。死柄木弔とあの事件を思い出してしまったからだろう。笑顔を見せてくれていたから安心しきっていたが、幼い頃から数多くの訓練をこなしたからと言っても彼女はまだまだ子供だ。そんなこと誰よりもわかっていたはずなのに、の強さにすっかり甘えてしまっていた。大人失格だ。
「、大丈夫……大丈夫だ……私がここにいるよ」
そのか細い背中を擦りながら安心させるように声を掛け、ゆっくりと呼吸を繰り返すよう促してあげる。やがて呼吸が落ち着くと、今度は涙を溢れさせた。どうやら自分でも感情の制御が出来ないようだ。
「ごめ……っなさ……」
「何を謝る必要があるんだ……、君は泣いていいんだ。そのために私がいる」
「わたっわた、し……救えなかった! お父さんもっお母さんも……弔くんも……!!」
「私だって誰も……彼らを救えなかった」
「ちが、う……私は俊典さんに救われた!!」
「私もに救われたさ」
「そんなことなっ、い……っ!」
「いいや、救われたんだ……に」
懺悔するように言葉を紡ぐを八木は力強く掻き抱くと、そのまま八木の胸でしばらく咽び泣くうちには再び寝てしまった。きっと起きたらいつものに戻ってしまうのだろう。それでもいい――これからも大人の目を誤魔化してひとりひっそりと泣いてしまわないようを見守るだけだ。そう決意を固めながら八木も眠りについたのだった。