蜜雨

 季節は夏から秋、そして冬へと移り、ついに入試当日の朝を迎えようとしていた。
 八木とは多古場海浜公園に着くと、緑谷が朝日を背に雄叫びを上げていた。そこには何年も顔を出さなかった水平線が広がっていた。たちが予想していた範囲以上の区画を整理し終えた緑谷が浜辺に倒れそうになっているのが見えると、一瞬でマッスルフォームになった八木が緑谷を受け止めた。も後に続こうとしたが、ふと緑谷の荷物が目に入った。そこには緑谷がいつも背負っていたリュックと、ボロボロに擦り切れたスニーカーが佇んでいた。はくたびれたスニーカーを再生してあげようと手を伸ばしたが、やめた。綺麗に再生してしまえば、緑谷の努力を消してしまいそうだったからだ。は緑谷の努力の結晶に笑みを浮かべ、「お疲れ様」と小さく呟いた。これから執り行われる男同士の授与式を遠目に見ながら。

 緑谷が思っていた授与式ではない授与式は、最終的にオールマイトの髪の毛を無理矢理食べさせられて強制終了した。そんな緑谷に「お互い今日の試験がんばろうね」とは声を掛けて別れた。無茶だけはしないようにと念を押すことも忘れずに。

「そういえば、さんも今日試験だって言ってたけど、どこを受けるんだろう……?」

 勉強があまり得意ではないらしいはよく課題に泣かされていた。緑谷も努力の結果、雄英を受けられるくらいの学力はある。なにかと自分を気に掛けてくれているに恩返しをしたくて自分でよかったら教えようかと申し出たが、頑なに緑谷に頼ろうとはしなかった。
 自分は緑谷をサポートする為にいる。ただでさえ時間がいっぱいいっぱいなのだから、今は自分の為に時間を使って欲しいというの願いがあった。緑谷はそんなの願いに思わず泣きそうになりながら、より一層トレーニングに励んだ。それ故にの志望校すら聞くこともなく、入試当日を迎えたのだった。



No7




「はい! 鉛筆置いて~」

 根津ののほほんとした声を聞いたは鉛筆を机に置いた。同じく試験監督をしていた相澤はパイプ椅子から立ち上がり、机の上から問題用紙と答案用紙を回収する。その姿は相変わらず気怠げで、あまりにも通常運転過ぎて思わず安心してしまう。

「では、10分間の休憩を挟んで面談に移るよ!」
「わかりました」

 国のお偉いさんも来席しているこの場では、あくまでも一受験生として振舞っていた。
 しかしはこれから行われる面接ではなく、面談という名の話し合いにため息を吐きたくなった。そのため息をぐっと堪えてお手洗いへと席を立つのだった。



「ではまず、さんに対して学校側はどう対応するのかお聞き願おう」

 国のなんとか省から来たお偉いさんが口を開いた。筆記試験を終えて放心状態だったがその様子をぼーっと眺めていると、頭空っぽになっていたのを早速祖母に気づかれ、いつも持っている杖で強めに小突かれた。いった!いったあ!!となんとか普段読まない空気を読んで声に出すのを耐えると、祖母に睨まれた。なぜ!

「当初の取り決め通り、彼女には表向き普通科の特別通信生としてこの雄英に在籍してもらう。そして今までリカバリーガールが担っていた学外の活動は全て彼女に引き継いで、今まで以上にヒーロー活動を積極的に行う。一般教養の授業は校長である私が直接見よう。そしてセキュリティ面だが、学校内は先日話した通りだ。彼女のGPSは携帯と、体内埋め込み式の2点。居住地はいくつかに分け、あまり同じ場所に留まらないようにする」

 の能力は他に類を見ない複合型で、その希少性から治癒能力以外はあまり公表されていなかった。しかし数年前彼女の別の能力を知り、力づくで手に入れようと敵に襲われることが多くなった。敵側にが捕われ、そこで洗脳でもされれば確実に脅威となる。そこで国を挙げて彼女を保護することになったのだ。が最年少プロヒーローとして活動するのも、一般市民や他のヒーローへの認知度を上げ、なにかあった時に助けを借りやすくし、更にはのヒーローとしての力を示す意味もあった。同時に敵に存在を晒す危険性を国は訴えたが、の強い希望とオールマイトを筆頭にプロヒーローたちが協力して説得してくれたおかげで、今のの立ち位置が確立された。
 はいつまでも守られるだけのお姫様でいたくなかった。自分が弱い所為でたくさんの人が犠牲になったのを目の当たりにして、強くなることを誓ったのだ。

「最後に、さんから要望があればなんでも言ってくれ」
「……ひゃいっ?!」

 自分の目の前で難しい話ばかりされて、半分意識を今日のおやつに向けていたは、突然の視線の集中攻撃に変な声をあげてしまった。またしてもの態度が気に入らなかった祖母は、の太ももを強めに抓った。この攻撃に声を上げなかったは自分自身を賞賛する。

「え、えっと……もちろん、高校生になったらヒーロー活動中心の生活って最初から決まっていましたし、私の個性でひとりでも多くの人が救えるのなら救いたい。でも、学校では休み時間くらい普通に過ごしたい……です。友達も欲しいし、お昼休みは食堂でご飯食べたり、放課後は一緒に訓練したり、たまにはアイス食べに行ったりプリクラ撮りに行ったり……普通の女子高生がすることをしてみたい!」

 祖母の計らいで普通の中学校には通っていたが、私的活動は制限されていた。ヒーロー活動中以外の門限は17時であったし、友達と出かける時は半径100メートル以内に護衛を3人つけられていた。は高校生になったら、それら制限事項を無くして欲しいと口にしたのだ。国のお偉いさんは失礼と席を立ち、どこかに電話し始めた。そして数分後、ある条件をクリアしたらの要望を呑むと約束した。そう、その条件とは――



「国が極秘で開発しているオールマイトロボットと戦闘して勝て、ね」

 雄英の先生や他の一流のプロヒーローは軒並みの知り合いだ。それでは不正が生まれる可能性がある。そこで国側は独自の個性値把握AIを組み込んだロボットでに一定の実力があるかを測るというのだ。ロボットの動作は、これまでのオールマイトの戦闘データに基づいてプログラムされている。いわば最強に勝てという条件であった。
 オールマイトの項に備えられているコアを的確に壊し、動きを止められたらの勝ちだ。が参ったと言ったり、ロボット自体を消したり、全壊させれば負け。制限時間は30分。

「国はよっぽどお姫様を籠に閉じ込めておきたいみたいですね」

 自由に暴れられる場所へと移動したとオールマイトロボットは勝負の準備をしていた。一方、国のお偉いさん方と根津校長、リカバリーガール、相澤はモニターでその様子を眺めていた。お偉いさんは教師陣から少し離れた椅子に座り、悠々と傍観している。きっとが負けると思っているのだろう。相澤はその様子を横目に、胸糞悪そうに呟いた。相澤の言葉はしっかり根津とリカバリーガールに届いており、ふたりはモニターを見ながら笑みを浮かべていた。

「うちのじゃじゃ馬娘がそんなタマに見えるんだったら、あの老眼鏡新調した方が良さそうだね」
「さあ、私たち自慢のお姫様の戦いぶりを見せてもらおうじゃないか」

 は白を基調としたメイド服のようなクラシカルなワンピース型のナース服に着替えていた。これがのヒーロースーツだ。防火防水防塵加工が施された長めのワンピースの下にはナイフや麻酔銃が太ももに固定されている。の個性は戦闘向きではないが、様々な訓練を重ねた彼女は自分の個性を応用して戦闘に活かすことができる。そしてもし個性を使えなくされても、敵と戦えるように格闘技や射撃、ナイフの使い方まで教え込まれていた。彼女はプロヒーローとしての英才教育を幼い頃から叩き込まれているのだ。この実力こそ彼女が最年少プロヒーローとして認められている所以だ。

「やんなるなあ。思ったよりオールマイトじゃない」

 国の思惑をは理解していた。ロボットとはいえ、最強と謳われるオールマイトの姿を見れば戦意喪失もいいところだ。加えてはオールマイトもとい、八木俊典が大好きだ。愛していると言っても過言ではない。そんな相手を本気で倒そうとするだろうか。

「普通は、躊躇うよねえ……」

 目の前のオールマイトロボに対峙すると、カメラに向かってこくりと頷いた。準備が出来た合図だ。一拍置いて根津がはじめ、とアナウンスすると同時には地面に触れて再生の個性を使った。無機物をも超再生させてしまう彼女の能力によって地面は歪に盛り上がりながらオールマイトに迫るが、全てを吹き飛ばすスマッシュによって地面は抉られた。その先にはいない。目の前の出来事は囮――は自分の足の筋肉を一瞬だけ活性化させてオールマイトの後ろを取ったのだ。しかしさすが百戦錬磨のオールマイトは直ぐに自分の項を狙う蹴りを察知し、の足に込められたパワーごと手に取り、遥か遠くへ投げた。ビル街から森林地帯へと投げ飛ばされたは、休む暇をも与えない凄いスピードでこちらに向かってくるオールマイトを遠目に確認した。ものの数秒でここまで来るだろう。オールマイトの瞳はしっかりとを捉えていた。

「あの子、こんな時でも笑ってるね」
「なんでだろうね、彼女が笑っているとなんだって救えちゃう気がするんだ」

 リカバリーガールと根津の言葉はしっかりと相澤の耳に届いていたが、彼が口を開くことはなかった。ただ、のあの顔はなにかを企んでいる顔だと察知していた。相澤は依然なんにも分かっていない様子の能天気なお偉いさんを一瞥して再度モニターを見詰めた。

「やっぱり、ロボットでもオールマイト。一筋縄じゃいかないね。よく研究してるわ」
「さあ、次はどう出る? 少女」

 ボイスや口調までオールマイトだ。
 はじりじりとにじり寄ってくるオールマイトを睨みつけながら後退していくが、背中にぶつかる木が行く手を阻む。

「逃げてばかりじゃ私に勝てないよ」

 に向かって飛び出してきたオールマイトのパワーを避け、横に飛んだ。が背中を預けていた木は根元から倒れている。オールマイトが本気を出したら木は倒れるどころか消し飛んでいるだろう。それをしなかったのはが途中で避けるとわかったからだ。
 はその後も逃げ続け、そろそろタイムアップの時間も迫ってきた。何本もオールマイトによって折られた木が横たわり、鬱蒼とした森林もだいぶすっきりしている。は身代わりとなる木が無くなり、オールマイトの拳を避けるように上へと飛んだ。しかしオールマイトはの後を追い越すようにさらに上へ飛び、空中で身動きの取れないに今度こそ渾身の一発を打ち込んだ。これまで以上の風圧のせいで土埃が舞い上がる。やオールマイトだけでなく、モニターも視界が閉ざされた。土埃が落ち着くと、切り株に手を置きながら跪いていると、そんなの目の前に立ち塞がるオールマイトが映し出された。

「これで終わりにしよう。もう一度言う。少女、君じゃ私に勝てない」
「………………」

 は無言でオールマイトを見詰めて今直ぐにでも自分に向かってくるであろうオールマイトに、苦し紛れなのか大腿部に固定していたナイフを素早く投げつけた。そんな見え見えの攻撃に当たる訳もないオールマイトは易々と避けてしまう。

「さあゲームオーバーだっ……?!!」

 構えをとったオールマイトはいつの間にか項を貫かれていた――の超再生で伸びた木の根によって。
 機能停止したオールマイトロボットはその場に倒れた。

「言っとくけど、本物のオールマイトは私のこと少女なんて呼ばないんだからね!!」

 後半不機嫌そうな顔が目立った理由はこれか。
 相澤は深いため息をついた。しかしにとったら一大事だ。いくらロボットとはいえ、不特定多数の人間と同じ呼び方をされるのは許せないのだ。口に出したらイライラしてきたのかキーキー騒いでいる。まるで猿だなと相澤は更に深いため息をついた。
 絶対にオールマイトロボットが勝つと信じていたお偉方は、いまだ口をあんぐりと開けて現実を受け止められないようだ。たかが15歳の少女に、ロボットとはいえあの無敵のヒーローが負けるとは夢にも思わなかったのだ。

「そっ……んな……あんなの不正だ! 認めんぞ!!」

 お偉いさんのひとりが口を開くと、他の面々も言い訳をする始末。訓練所からモニター室へと戻ってきたは、喚き散らし放題のお偉いさんの目の前まできてにっこりと笑った。

「一芸だけじゃヒーローは務まらない。私は自分の持てる個性と道具を使っただけです。これを不正と言うならば、もう一度やりましょうか?」

 紛れもない笑顔なのに圧が凄まじい。
 お偉方はの要望は前向きに検討する、とだけ言い残してそそくさとモニター室から出ていった。

「なにが一芸だけじゃヒーローは務まらんだ」
「いたっ! 消太くんが教えてくれたんじゃん!」

 自分の言葉を勝手に使われて複雑な思いをチョップで隠すと、は思わず素で返答してしまった。

「それよりもお疲れ様! よくやってくれたね!」
「……あんた、どこまで計算してたんだい?」

 リカバリーガールはニヤリと口角を上げた。も祖母と同じように口角を上げ「ぜんぶ」と答えた。最初に奇襲を仕掛けたのも、森へ飛ばされるため。オールマイトの攻撃はパワーは桁外れだが、豪快で真っ直ぐなものも多い。パワーをうまく受け流しながら、ずっと隙を狙っていたのだ。逃げ回っていたのも、追い詰められている自分を演出し、パワーを引き出すため。オールマイトならば絶対最後はパワーで押すと思ったから。わざと木を切らせたのも、木の幹の方でなにかするんじゃないかと思わせ、切り株から注意を逸らすため。なぜ切り株にしたか。それは超成長させる媒体は小さい方が速いし楽だから。そして最後の風圧で地面をガタガタにし、根を地下へと伸ばしやすくした。フェイクを重ねに重ねて、時間ギリギリまで使い、苦し紛れにナイフを投げて注意をこちらに向けさせればさあチェックメイトだ。

「ロボットとはいえ見た目はオールマイトそのもの。よく躊躇いなくやれたな」
「そこが一番ムカついてるの!」

 八木を弱点として扱われることも、唯一の存在である八木を模している存在も、は許せなかった。

「俊典さんと約束しているの。もし、オールマイトが間違っていたら、もし、オールマイトが死ぬことで世界が救えるのなら、迷わず殺してくれって」

 そのぐらいの覚悟を持たなければ、あの人の隣に立つ資格なんてない。
 そう豪語するは誰よりもヒーローで、相澤は八木との異様な関係性に狂気を感じるとともに激しい嫉妬心に苛まれることとなった。あの人も、そして自分も、随分と厄介なお姫様に惹かれてしまったものだ。






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