女子は身だしなみを整えるのに時間がかかるんだな。初めてそう思ったのは中学の時だった気がする。姉妹がいればもっと早いうちに知っていたんだろうけどあいにく俺にはそういう存在がいなくて、母もそれなりに身なりには気を遣っていたけど、思春期の女子と比べると慣れているせいかどうしても時間をかけているようには見えなかった。だから同じ教室で女子同士が髪を結び合ってああでもないこうでもないと言ったり、制汗剤がどうだスカートの丈がどうだと話しているのを見たりしているうちに、ああ女子ってそういうところに意識を向けて時間をかけるんだなと思ったのだ。それにしても、どうして中学生からあんなに変わるのだろう。いや、もしかしたらただ記憶がなかっただけで、小学生のうちから女子はそうなっていたのだろうか。
「」
ドアの向こうに声をかけてみるけど、ドライヤーの音は止まらない。やっぱり聞こえてないか。は俺と違ってドライヤーの時間が長い。髪の長さが違うというのもあるけど、は俺よりもずっと丁寧に髪を乾かすから余計に時間がかかる。ちらりと指先に目をやると、数ミリにわたって入ったまっすぐな赤い線の端っこでぷくりと液体が浮かび上がっていた。怪我というのも気が引けるけど、気になるから早く絆創膏を貼ってしまいたい。ここで待っていても仕方ないか、と再びリビングに戻ろうとした瞬間、ぴたりとドライヤーの音が止まった。
「、入るぞ」
声をかけながらドアを開けたのと、向こうから「えっ、ま、まって」と声が聞こえてきたのはほとんど同時だった。身体を少し曲げて今まさに下着に脚を通そうとしている体勢のまま、はこちらを見て硬直する。俺のティーシャツは彼女の身体には当然大きくはあるけど、まあ、身体を少し曲げているせいでだいぶ際どい場所で裾が揺れている。俺とはそのまま数秒ほど見つめ合う。が、は悩んだ末に下着のほうを諦めたらしい。ドアノブに手をかけて閉めようとしたので、力任せに開けてやるとあっさり陥落してくれた。
「下着穿くだけなんだからちょっとくらい待ってください!」
「今穿いたらいいだろ」
「よくない!」
俺を押し出そうとするを逆に押しのけて浴室に入り込む。洗面鏡を開けて収納から絆創膏を取り出すと、それまで威嚇していたがすべてを忘れたかのように「どうしたんですか?」と心配そうな声を上げた。紙で切ったことを伝えるとはこの世の終わりみたいな顔をして、自分の指に絆創膏を貼るのは難しいだろうからとかわりに巻いてくれた。さっきまでの警戒心はどこへ行ったのか。いつか詐欺師とかに騙される日が来てもおかしくは……いや、でもがこうなるのは俺だけだから心配しなくてもいいか。
「痛くなかったですか?」
「切った時は少しだけ痛かったけど、さっきので全部どうでもよくなった」
「さっきの?」
「……いや、さっきというか今もだな」
絆創膏が巻かれた指での下腹部のほうを指さす。今も穿いてないだろ?と聞くとはぱちぱちと瞬きを繰り返して、すべてを思い出したようにバスケットの中に広がっていた下着を手に取った。けど、俺の目の前で穿くことにまだ躊躇があるのか、早く出て行けと無言で視線を送ってくる。
「いつも下着穿かないで乾かしてるのか?」
「あ、暑いから夏だけ……っていうか、何ですかその質問!」
「そうだったら興奮するなと思って」
「ばか!変態!」
「……あれ、そんな下着持ってたか?」
「な、え、」
胸の前でしっかりと握られている下着に見覚えがなくて聞いてみると、は戸惑ったような恥ずかしがっているような何とも言えない表情で俺と下着を交互に見た。そして小声で「何でそんなことわかるんですか……」と複雑そうに言う。そりゃあまあ、の下着に興味があるのは当然だから一回見た物は覚えてるってだけなんだけど、これもそのまま言ったら罵られるだろう。に近づくとはその分後ろに下がって、でもすぐに壁に追いやられて逃げ場を失った。背中を丸めてに顔を近づけると、はさらに強い力で下着を握りしめる。それがさらに加虐心を煽ってきて、が弱っていくような声を出してやる。
「いいな、チェック。可愛い」
「あ、の……言わなくて、いい……ですから……」
の声がどんどん萎んでいく。ああもう、最高だ。もっと滅茶苦茶にしてやりたい。背筋が震えるのを抑えて身体を元に戻すと、怯えたようなの目が俺を見上げた。気づかないふりをしてヘアブラシを手に取るとは怪訝そうな顔をする。
「髪、乾かし終わってすぐ俺が入ってきたから梳かせてないだろ?」
だからおいで、とは言わない。それでも、怯えた表情のままは操られたようにたどたどしく俺の元に歩いてくる。黒と白の可愛らしいチェックはまだ胸の前にいる。少なくとも今日この後穿かれることはないかもしれない。はこの下着を買うのにどれだけ時間をかけたのだろう。その合間に俺のことを少しでも考えてくれたのだろうか。ほんの少しでいい、俺のことを思い出しながら服やアクセサリーを選んだり髪を整えたりしてくれていたら嬉しいけど。冷風を当てられて冷えた髪を梳かしていく。その隙間から真っ赤になった耳が顔を出す。鏡越しにを見ると、顔も同じように赤く染まっていた。緊張のせいか、唇はさっきからぎゅっと閉じられてしまっている。もう反抗する余裕すらなくなったらしい。こんなになるまで虐められて可哀想に。まあ、虐めたのは俺なんだけど。
全体にブラシを通して、髪を整えてやる。これでもかというほど丁寧に、自身がかけている時間よりもっと時間をかけて、綺麗に仕上げていく。
「できたぞ」
声をかけるとの身体がかすかに震えた。振り返った瞳が潤んで、何かを俺に訴えている。にこりと笑ってそれを跳ね除けると、の顔が歪んだ。俺と出会わなければこんな目に遭わなかったのに。こんなに純粋に生きてきたのに。ああ、もう、
これからどうやってぐちゃぐちゃにしてやろうか。