「ただいまよりスクリーンDを開場いたします」

建物内にアナウンスが響き渡った。前に並んでいる列を一瞥してから腕に巻いた時計を確認する。うん、大丈夫。まだ開演まで十五分ある。

「時間、大丈夫ですか?」

そう言いながらが俺の腕に絡みついてきて時計を覗き込んだ。普段は恥ずかしがるくせにこういう時は何ともないみたいな顔で身体をくっつけてくるんだからよくわからない。手を繋ぐよりこっちのほうがよっぽどイチャイチャしてるように見えると思うんだが。

「大丈夫だよ。ちょうどいいと思う」
「よかった。今日の映画ちょっと時間長いですよね?飲み物のサイズどうし、」

ぴたりと言葉が途切れる。の言葉につられてメニューの看板を見上げていた俺は今度は下を見下ろす。すると食い入るように俺を見つめる瞳と目が合って、絶対にそういう雰囲気ではないことはわかっているんだけど、今ちょっとでも屈んだらキスができそうだなと頭の隅で思った。もちろんこんなに人がいる場所でしないけど。
ぱち、とが瞬きをする。上に向かってくるりとカーブを描く睫毛が揺れて、そのすぐ下で茶色がかった瞳がこちらを見つめている。

「春秋さん、髪切りました?」

どうかしたのか、と聞こうとした瞬間にから尋ねられた。今度は俺がびっくりしてを見つめる。よくわかったな。俺の言葉には顔を輝かせて「やっぱり」と笑った。いや、本当に驚いた。まさか気づかれるとは。整えただけだから長さでいったらせいぜい一センチくらいしか変わっていないはずだ。

「いつ切りました?」
「昨日だな。大学院の帰りに切ってきた」
「……あれ?でも前に切ったの先月とかじゃ……」
「ああ、うん。来月忙しくなりそうだったから」

さすがに二ヶ月切らないと長くなるだろうなと思って。言いながら毛先を摘まむと、その向こうでがふうんと言いながら同じように俺の毛先を見つめた。

「でもすぐわからなかったです」
「いや、気づいただけすごいと思うぞ」
「ふふ、そうでしょ」

が得意げに笑う。いつの間にか俺との前にいた人はいなくなっていて、カウンターで飲み物を注文する。その間もは隙あらば俺を見上げていた。劇的に変わったわけじゃないから新鮮味もないだろうに。

「ね、春秋さんって中学生とか高校生の時はどれくらいの長さだったんですか?」
「え?そうだなあ……。……あ、初めて会った時の髪型、覚えてるか?」
「はい」
「たぶんあの時は高校の時とそんなに変わらないと思う」
「えっ、あの時も結構長めでしたよね?」

不良だ!と冷やかしてくるがなんだか子どもっぽくて笑ってしまう。二人分の飲み物を受け取って受付に向かうと、が二人分のチケットを店員に渡した。半分になった紙きれを受け取ってと俺は薄暗い廊下を進む。予告ポスターに目を奪われてたまに足を止めるに合わせて、俺も時折歩くのを止めて彼女を待つ。は数秒ポスターの前に立って、ごめんなさいと言いながら俺の元に戻ってくる。それを繰り返しながら、少しずつスクリーンに近づいていく。

は?」
「え?」
「高校の時どういう髪型だったんだ?」
「高校の時?……うーん、ボブだったかな」

ちょうど春秋さんくらいだったかも、と言うので想像してみたけど、正直まったく想像ができない。いつか卒業アルバムを見せてくれないかと頼んでみたらは急に顔を曇らせた。やっぱりそうだよな。俺は自分の卒業アルバムを見られても気にしないけど、の気持ちはわかる。エスカレーターに乗ったところで嫌だったらいいと伝えると、いつもより視線が近くなったが首を横に振った。

「嫌とかじゃなくて、その……ちょっと恥ずかしいってだけなので」
「うん」
「見ても笑わないでくださいね」
「笑わないよ。だって俺の卒業アルバム見ても笑わないだろ」
「笑うわけないじゃないですか。春秋さんはどうせ昔からかっ、」

まずい、と言わんばかりには口を閉じる。でも何を言おうとしたかわかってしまって、の反応も相まって笑いが堪えられなかった。もうほとんど言ったようなもんだぞと揶揄ってやるとは恨めしそうに俺を睨む。少し膨らんだ頬が柔らかそうで、食んでやりたい。エスカレーターを下りて、スクリーンはもうすぐそこだ。

「俺のことそんなにかっこいいと思ってくれるの、この世でだけだろうな」
「……かっこいいなんて一言も言ってないです」
「でも思ってるだろ?」
「いいから、もう」

はそう言って俺の後ろにまわって身体をぐいぐいと押してくる。ほんの少し髪が短くなっただけで、赤くなった顔がよく見えるようになった。素直なのかそうじゃないのかわからない子だ。本当に。