改札を出て一秒と経たないうちに見つけた。
周りの人と比べて頭一つ分抜けてる人。何かを探しているのか眺めているのかわからないけど、端末に視線を落としている。
少しは驚いた顔が見られるかもしれない。そう思って静かに近付いたのに、あと少しのところで気付かれてしまった。春秋さんはぱっと顔を上げて、わたしと目が合うなり表情を崩した。

「ひどい。驚かそうと思ったのに」
「ええ?」

悪戯が失敗した言いがかりをつけてやると春秋さんは困ったような声を出した。けど、表情はこれっぽっちも困っていない。何ならずっとにこにこしっぱなしだ。三週間という期間は春秋さんにとっては長いのかもしれない。あまりにも嬉しそうにしているのが長い間留守番をしていた犬みたいで、生えているはずのない尻尾まで見えてくる。
駅を出ると、より一層寒くなった。タートルネックの首元を整え直して、肩を少し上げて。マフラーを持ってきたほうが良かったかな、なんてことを話しながらお店に向かう。


「はい?」
「クリスマスに行く店なんだけど、」

春秋さんを見上げたところで、その背の向こうに着飾っている樹が視界に映った。オレンジ色のような黄色のような暖かい色。キラキラした光が春秋さんの輪郭をなぞる度に、宙にその名残が零れ落ちていく。路面店から漏れてくる明かりでさえ眩しくて、でも不思議と痛いわけじゃない。イルミネーションに興味がないせいでイルミネーションの中にある春秋さんを意識したことがなかったけど、今日はいつもの春秋さんとは違って見える。何がどう、とは上手く言葉にできないけど。

?」

綺麗だなあと思って眺めていたら名前を呼ばれた。はっとして目の焦点を合わせると、春秋さんが不思議そうな顔をしてこちらを見下ろしていた。しまった、何も聞いてなかった。咄嗟にごめんなさいという言葉が口をついて出る。でも春秋さんはそれを咎めることなく、何かに気づいたようにわたしが視線を送っていたほうに顔を向けた。

「イルミネーションか。大学の周りも綺麗なもんだよ、相変わらず」

相変わらず、という言葉にそういえば一緒にその風景を見たこともあったなと思い出した。でもあの時はこんなに綺麗だなんて思わなかった気がする。どうしてだろう。そういえば、この頃今まで何とも思っていなかったものが美しいと感じることが増えてきた。これも年齢がもたらす影響なのだろうか。大学を卒業して大して経ってもいないのにずっと前の出来事のように感じることも含めて。
再びぼーっとし始めたわたしの顔を春秋さんが覗き込んだ。久しぶりに、今度うちに来た時に見に行ってみるか?の家からは遠いけど、うちからは近いだろ。春秋さんが目を細めて言うので、考える間もなく頷いてしまった。わたしはイルミネーションを見てもあまり心が動かないし春秋さんもそれを分かっている。でも、大学のイルミネーションなら春秋さんとの思い出がある。春秋さんと同じ大学で過ごした日にちょっとだけ帰ることができる。
春秋さんは嬉しそうに笑うと「そうだ」と何かを思い出したように声を上げた。

、年末は実家帰るのか?」
「え?」

もう年末の話?と思ったけどこの前春秋さんの誕生日の話を持ちかけたわたしが言えることではない。
年末。正直何も考えてない。仕事は年末ギリギリまであるし、正月が来たと思った頃には仕事始めがやってくるだろう。実家に帰ったってそんなに長い間いられるわけでもない。

「決めてないです。どうして?」
「うちに泊まりに来ないか?大晦日から三日の夕方まで」

ぴた、と脚が止まった。いや、脚というか全身もろとも。何なら力が抜けたせいでずるりとバッグが地面に落ちて、わたしに気づかず先を行ってしまった春秋さんはその音でわたしが隣にいないことに気づいた。振り返ったらわたしがバッグを放置したまま呆然としていたことがよっぽど驚いたのだろう。ぎょっとした顔でわたしに駆け寄ると、バッグを拾い上げて傷と汚れがついていないかを念入りに調べ始めた。
よかった、ちゃんと口が閉じるタイプのバッグで。そうじゃなかったらハンカチとかお財布とかメイクポーチとか、いろんなものが散らばっていたかもしれない。でも、人間ってすごいな。驚きすぎるとこんなに動けなくなるものなんだ。

左半身をイルミネーションに照らされた春秋さんが必死にバッグを回転させるのを見上げながら、そんなことを考える。視界の隅っこを流れる人たちがこちらにちらちらと視線を送りながら歩いていくのが見える。その真ん中で春秋さんはわたしよりよっぽどわたしのバッグの心配をしている。やっぱり綺麗だ。これが所謂「ロマンチック」というものなのだろうか。街路樹を見ては真緑の葉を落として必死に寒さに耐えているところにあんなに電球をぐるぐる巻き付けられて可哀想に、と思っていたけど、お洒落ができて嬉しいと思っているのかもしれない。そう思うと、イルミネーションも悪くない気がしてくる。

確認を終えると、念には念を、と思ったのか春秋さんはバッグを軽く手で払ってからわたしに差し出した。わたしの身体はそこでようやくスイッチが入る。今度は落とさないように、抱えるようにして腕の中に仕舞った。

「ありがとうございます」
「そんなに驚くことか?」
「だって、なんか……夢みたいで」

四日も一緒なんて、ほんとにいいんですか?
わたしの質問に春秋さんは何を感じたのか、口をぽかんと開けたままぱちぱちと瞬きを繰り返している。きっとわたしもさっきこんな顔をしていたんだろう。なんて力の抜けた顔だ。
でも、「そんなに驚くことか?」なんて。春秋さんとは長くても二日しか一緒に過ごしたことがなかったんだから、それがいきなり四日まで伸びたらわたしが驚くのは当然というか、不思議じゃないというか。春秋さんからはそう見えないかもしれないけど、さっきから心の中がそわそわするし、頭はふわふわしてるし、身体は軽いし、なんだかこのまま浮き上がって宇宙まで飛んで行ってしまいそうなくらいだ。きっと、春秋さんが前付き合ってた人はそんなことなかったんだろうな。……あと、春秋さん自身も。
なんて、可愛くないことを考える。しばらく道端で見つめ合っていたら、大通りを走る車から突然クラクションの音が飛び出した。それが引き金になったのか、春秋さんの目がぱっと見開かれる。

「すまん」
「うん」

何を謝られたのかわからなかったけど、とりあえず返事をする。

「そこまで喜ばれると思ってなくて」

わざわざ言わなくていいのに。返事のかわりに小さく頷くと春秋さんは優しく笑って、そのままわたしの手を引いて歩き出す。よかった、春秋さんのおかげで遠くに飛ばされずに済みそうだ。でも、なんだか身体がおかしい。さっきの余韻が残ってるのかあんまり上手く歩けない。ちゃんと頭の中で考えないと思う通りに動かなくなっている。

右の脚、左の脚。右。左。右。左。やけにヒールの音が耳を突いてくる。
横断歩道があるから、止まって。赤い信号が青に変わったら、今度は、えっと……左から。

春秋さんはわたしに合わせて、ただでさえ小さくしてる歩幅をさらに小さくしてくれている。歩きにくいことこの上ないだろう。

「そういえば、前言ってたプレゼントだけど」
「え?……もしかして、決まりました?」
「うん。でも、年末うちに泊まりに来た時に言うよ」
「えっ」

また脚が止まりかけたけど、春秋さんが笑ってわたしの手を引いたから、完全に止まる前に脚が勝手に前に出た。

「その場で買えってことですか?」
「うん、まあ、そんなところだな」
「ええ?」

春秋さんの横顔をじっと見つめても、笑顔に隠されてしまって何を企んでいるのかまったくわからない。わたしのセンスが悪いから一緒に買おうとしてる?という考えも過ったけどそんなことないはずだ。……多分。
教えてくれてもいいじゃないですか。わたしの文句に春秋さんがドアを押しながらこちらを振り返る。宥めるように笑いながら春秋さんは何か言おうとしたけど、お店の中から聞こえてきた「いらっしゃいませ」の声に上書きされて、結局答えはわからなかった。