作品ID:1597
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永遠の終わりを待ち続けてる
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
後悔と昔話
前の話 | 目次 | 次の話 |
「あの子の言葉を覚えている? あの子の悲痛な叫び、今度こそ貴方達には届いたかしら?」
挑戦的なルーシアの言葉。けれど、気付いてしまった事実が本当ならば、ヴィルフリートは何も言える立場にはいない。そんなヴィルフリートに代わるように、ルーシアの言葉に応えたのはウィリアムだった。
「いつの話なんだ。どうして俺の従兄弟は……ヴィルフリートが気付けなかった? シエルリーデは、いつにインドに生まれていたんだ。ルーシア、きみはインドであの子のなんだった?
俺達は放浪生活を続けていた。タイミングによっては、俺達は巡り会えない。けれど、違うんだろう? インドに生まれていたシエルリーデと俺の従兄弟は出逢っている。
従兄弟が気付けなかったのは何故だ? 綾袮の言葉は『売らないで・気付いて』だった。それを知っているというなら、なぜきみは止めなかった!?」
ウィリアムの言葉に、ルーシアは怒りをみなぎらせた。
「自分達の罪に気付いた途端に責任転換とは、随分なことね。もういいわ、二度とあの子の周りに現れないで!! 消え去りなさい、あの子とあたしの周囲から永遠にね!!
いっそ、そのまま灰になってしまえばいいのよ。現代日本であろうと関係ないわ、あの子の周りを懲りもせずにうろつくのなら、銀の短剣も十字の杭も貴方達二人の心臓に突き立ててやるわ」
「……教えて欲しい、ルーシア」
「あたしの言葉が……」
呟いたヴィルフリートの言葉に、喰い付こうとしたルーシアの目の前で、ヴィルフリートは地面に膝を着け、握り締めた拳を震わせてルーシアを見上げた。
「教えて欲しい。対価なら何だって払うと誓う。僕の心臓でも構わない。だから、教えて欲しい。リーデはいつ、インドに生まれて僕の助けを必要としていた? どうして僕がそれに気付けなかった?
どうして僕があの子に、シエルリーデに気付けていないんだ!! 教えて欲しい、頼むから教えてくれ。どうして……どうして……あの子が『気付いて、売らないで』なんて言ってるんだ!?」
ヴィルフリートの言葉にルーシアは答えない。
「教えて欲しい。教えてくれ。あの子に僕は何をした?」
「対価は貴方の心臓。それで構わないの?」
表情を失くしたルーシアが告げる。ヴィルフリートは迷うことなく肯いた。
「僕があの子にしたことを教えてもらえるのなら」
「妹のリーデがインドに生を受けたのは、インドが大英帝国領だった時代よ。イギリス領インド帝国と呼ばれた時代。あたしは妹に三年遅れて同じ地に生を受けたわ。あの子の妹としてね。
当時の妹の名前はヴィマラ。あたしの名前はタラ。あたし達が生まれたのはとても貧しい家庭で、妹、いいえ、ヴィマラとあたしは人買いに売りに出されたわ。ヴィマラが四才、あたしが一才のときよ。
当時の妹はリーデの記憶をはっきりと持って生まれ、貴方の許へ帰ることが出来る日をいつも夢見ていたわ。あたしもルーシアの記憶を持ち得たままだった。当然、妹の願いが叶うことを望んでいたわよ。
ヴィマラが五才になろうという頃よ。あたし達はセットで違う人買いに売られる場面だった。子ども好みの色狂いの許へとね。意味が解るかしら?
貴方のことを覚えていて、リーデの記憶を持ち得ているヴィマラがそんなこと耐えられるはずはなかった。あの子は二才を迎えるばかりの年のあたしを連れて逃げることを選んだわ。目を盗んで走って逃げた。
けれど、当時のあの子は五才。その上、昔の姉であり、妹として生まれていたあたしのことも、見捨てることなど出来なかった。商人が怒り狂って怒鳴りつける中、あたしの手を引っ張り、走って走って……。
あたしが転んで動けなくなったら、あの子はあたしを抱えて逃げた。絶望しかない逃走劇だったの。だけどね、ヴィマラは助けを見たと疑わなかったの。何故だか解る?
港で下ろされたヴィマラは、人混みの中に、貴方達二人の姿をみつけていたのよ!! ヴィルフリート、貴方に駆け寄ったヴィマラは、妹は、必死で助けを求めたわ。貴方達は覚えてもいないのでしょうね。
赤ちゃんに近い年頃のちいちゃな子どもを抱いたみすぼらしいカッコをした五つの子どもが、必死でコートの裾を掴んだこと、助けてと叫んだこと、自分はシエルリーデだと訴えたことも!!」
ルーシアの言葉に、ヴィルフリートは首を振った。
「……シエルリーデと名乗る女の子に出逢ったことはリーデが眠ってから僕の記憶の中にはない。君の話が本当なら、どうして僕が覚えていない?」
ルーシアは憎悪に満ちた視線で睨み付けてきた。
「それなら訊くわ。みすぼらしいカッコで、どう考えたって教養があるわけのない衣を着た、五才の女の子が、貴方達の母国語で、クマリと地面に書いたわ。インドの言葉で王女を示す名前よ。
クマリと書いてもわかってはもらえなかった子は、スジャータと書いたわ。高貴な生まれという意味の名前よ。それでもわかってもらえなかったあの子は、デヴィと書いた。インドの言葉で神とね!!
クマリ、スジャータ、デヴィと続けて書いた女の子は、自分のみすぼらしい衣の裾を掴んで、ワルツの仕草を踊ってみせた。だけど貴方は何も気付こうとはしてやらなかった。
ヴィマラはね、口がきけなかったの。インドに生まれた当時、あの子は喋れなかったのよ!! どうしてクマリなんて、スジャータやデヴィなんて書いたと思うの?
シエルリーデと綴りかけたあの子の文字を、貴方は土足で踏み消したのよ。いいえ、正確に言えばそこの貴方の従兄弟がね!! 『お前みたいな子には相応しくない』とね!!
その次には何をしたの? ヴィリーと綴ったあの子の文字を貴方達は何と解釈した? それはヴィルフリート、貴方が踏み消したわねっ! 『おまえにそんな口を聞かれる筋合いはないよ』と。
喋れないあの子は、文字とジェスチャーで訴えるしか出来なかったのに、それを踏み躙った! コイン一枚をポンと投げて、逃げ出した商人からは助けたわ!! ええ、確かにね。
けれど、次に貴方がしたことはなに? あの子の必死の言葉を無視して、親を名乗って現れた新たな商人に振り向くこともせず、投げたコインと同じようにポンと投げ出したの。
貴方は嘘だと見抜いていたはずよ!! あの子は必死に嘘だと伝えたわ、渡さないで売らないでとね。覚えてなどいないでしょう!!」
ルーシアの言葉に、一つの場面が浮かんだ。そうだ、ヴィルフリートがウィリアムと連れ立って、ほんの気紛れにイギリス領だった地に足を運んだことがある。
港町で長い船旅に疲れ切っていたヴィルフリートが、宿を探そうとウィリアムと相談していたときのことだ。幼い子どもが息を切らしてヴィルフリートに駆け寄って来た。自分よりも小さな子どもを抱えて。
どちらも女の子だった。息を切らした様子と背後で響いた怒鳴り声に、ああ逃げた奴隷かと冷めた瞳で見下ろした。あまりに幼い子どもだったので、コインを放ってやった。『僕が買う』と言って。
奴隷商人は引き下がったのに、その子は何故かヴィルフリートから離れようとはしなかった。だから言った。『別にホンキで買ったわけじゃない。逃げてきたのは解ってる。僕はおまえの主になる気はない』
ヴィルフリートの言葉に、その子は地面に文字を綴りだした。シエルリーデとも続きかねない綴りの文字を踏み消したのはウィリアムだった。ヴィルフリートのことを案じてくれていた従兄弟は、小さな子には残酷な言葉でその字を踏み消した。そうだ、ルーシアの言う通り、『お前に相応しい綴りじゃない』と。
次に子どもが綴りだした文字はヴィリー。けれど、そのとき、ヴィルフリートはその文字を踏み消した。ウィリアムと話をしているときにでも名前を聞いていたかと、決めつけて。
大事な響きを、目の前の突然現れた子どもに取り入るために使われるなど真っ平御免と、文字を踏み消して、冷たく告げた。『おまえにそんな口を聞かれる筋合いはないよ』と。
消された文字に泣きそうになった子どもは、その後も何かを幾つも綴っていたけれど、そのときのヴィルフリートにとって、それは意味のあるものだとは解らなかった。
幾つも文字を綴った後に、子どもはいきなりステップを踏み出した。みすぼらしい衣の裾を、ドレスの裾を持ち上げるようにして、ヴィルフリートの手を取って……。
けれど、ヴィルフリートは子どものやっていることの意味が解らなかったし、船旅で疲れていて、ただただ面倒なだけだった。そこに、親だと名乗る男が現れた。
男の言う言葉が嘘だろうとは知っていて、それでもヴィルフリートは突き放した。疲れているのにこれ以上、突然現れた変な子どもになど付き合っていられない、と。
そうだ、あのときのヴィルフリートが少し考えられていれば、簡単に解ったはずだ。奴隷商人から逃げて走る子どもが、異国の文字を、ヴィルフリートの祖国の文字を流暢に綴った。
教養など有るはずもない身分の小さな子どもが、異国の文字を自在に綴った。ヴィリーと綴られた文字に嫌悪感を抱く前に、ヴィルフリートは気付けたはずだ。
そのときの自分達は、他の名前を使っていたことに、気付けたはずだ。シエルリーが眠りに就いたあの日から、ヴィルフリートとウィリアムが本当の名前を使ったのは、口にすることを許したのは年に一度。
そして、港町で子どもがヴィリーと綴ったあの日は、ヴィルフリート達が本当の名前を許していた日などではなかった。
「……俺が踏み消した文字?」
ウィリアムの声が響く。そんなウィリアムの声に、ルーシアは憎しみに満ちた声を被せた。
「そうよ!! 『お前みたいな子には相応しくない』と貴方に踏み消された文字を、あの子は、ヴィマラはとても悲しんだわ。どうすればいいのか必死になって考えたの!! それがどんな結果を招いたか!!」
ルーシアが憎しみそのものをぶつけるように叫んだ。
「あたしがどれだけルーシアの記憶を持ち得たままで生まれていたとしても、当時のあたしは、タラは二才になるかならないかっ!! 解る? ヴィマラは口がきけなかった。タラは赤ちゃんに近かったの!!
ヴィマラに代わって貴方達にその子はリーデよと伝えたくたって、意味のある単語をつっかえつっかえ口にするのが、ようやっとよ!! それでもあたしは伝えたかった。
だから、あたしは二才の子どもの言葉で叫んだわ。何度も何度も貴方達に!! いいえ、ヴィルフリート、貴方にあたしは伝えたわ!! 何度も繰り返して、『弟』、『あたしの弟』、『昔』、『妹』とね。
二才の子どもの話す言葉よ、聴き取りづらくて当然だわ。けれど、貴方達が、貴方が少しでも、耳を傾けようという気になれば、判ったはずのことにも、貴方は気付かなかったわよ。
インドで奴隷商人から逃げてきた五つの子どもが抱えて走ってきた。当然、貴方はあたしのことだって奴隷商人の元から連れ出された子だと理解したはず。そのあたしは、昔の言葉で喋っていたのに!!」
ルーシアの叫びに、もう一つ。想い描ける場面が確かに在った。ヴィルフリートのコートの裾を掴んで離さなかった子どもが抱えて走っていた、赤ん坊に近いような幼子。
地面に文字を綴りだした子どもの隣で、文字を綴る子どものみすぼらしい衣を掴んで、何かを必死に喋っていた。まるでヴィルフリートやウィリアムに何かを訴えるように。
けれど、赤子の言葉は聴き取りにくくて、それ以前の問題として、そのときのヴィルフリートには、子どもの言葉を聞こうとする耳を最初から持ちはしなかった。ルーシアの言葉が正しい。
あのときの赤子が発音させたのは、ヴィルフリートの祖国の言葉だ。聴き取りづらい発音で口にされた言葉は、祖国の言葉で『弟』と…………。ルーシアの言葉は、当然の非難だ。
「あたしと一緒に新たに売られた先で、あの子はとても努力したわよ。奴隷作業の合間を縫って出来ることだけで必死になって綺麗な女の子になろうとした!! 何故だか解る?
昔の高貴で綺麗な姫君に戻れなければ、今の自分はもう、ヴィルフリートには気付いてもらえないんだと思い詰めたのよ。それがどんな結果を招いたかを貴方達は知る覚悟がある!?
いいえ、知らないままではもう終わらせてやらないわ! 七つになる頃のあの子はね、奴隷の身分でも、誰もが振り返らずにはいられないような綺麗な子になっていたわ。それがどんな結果を招いたか!!
五才のときに逃げ出したのと同じ理由で新たな買い手がついたのよ! 意味が解る? 子ども好みの変態親父に目を付けられたのよっ!! 目新しい綺麗な玩具としてね!」
憎しみと怒りに燃えた瞳でルーシアは叫ぶ。
「貴方達があのとき少し、ほんの少し考えてくれたならば、あの子はそんな目に逢うことなどなかったのに!!
おかしいとは思わなかったの!? 当時のあの子が逃げ出した奴隷だと貴方達は気付いていた。
それならどうしてっ!? どうして思いを馳せようとはしなかったのよ!! あの子は出来得る限りの表現全てを使って、シエルリーデよ、気付いて、私に気付いてと叫んでいたのにっ!!
ねぇ、おかしいとは思えないの? 奴隷商人から逃げ出した身分の小さな子どもが、異国の文字を流暢に綴るのよ?
まるで王女様のように優雅にワルツを踊ってみせたの。疑問を持ってはくれなかったの?
あの子が綴った文字が貴方達の祖国のものだと、あたしが喋った言葉が貴方達の祖国のものだということに、ルーシアの記憶のものだと、昔の言葉だと、気付こうとはしてはくれなかったのよっ!!?」
叫んだルーシアの瞳は怒りと憎悪、そして、何よりも哀しみの色に満ちていた。
「逃げたくたって、五才のときの出来事を知っている商人は、主人にそのことを伝えていた。
七つのあの子は新たな買い手が決まってから、逃げられることがないようにと鉄の重しを付けた鎖で繋がれた。
あの子には、ヴィマラにはもう何も残されてなかった。絶望しか残されてはいなかったのよ。
繋がれていた鎖でね、あの子は自分の首を締めたの。聖女様と呼ばれて育った記憶を持ち合わせたままにね!
もう一度言うわ、いいえ、何度でも聞かせてあげるわ!! 七つのヴィマラは絶望と孤独の闇の中で、指を切った血文字でヴィルフリートと床に綴って、自らの命を自分を繋ぐ鎖で絶ったとねっ!!」
あまりのことにヴィルフリートは崩れ落ちた。けれど、ウィリアムも立っているのがやっとの状態と言った体で、巨大な塀にもたれていた。ウィリアムの瞳は無気力な色を宿していた。
裏切ったのは綾袮なんかじゃない。シエルリーデなんかじゃない。裏切ったのは、裏切り続けて絶望の中に彼女を貶しめたのは、疑いようもなくヴィルフリートだ。ヴィルフリートが気付こうとしなかった。
綾袮の拒絶反応など、当たり前だ。なのに、ヴィルフリートは当初から綾袮の言い分になど耳も貸さずに、どうして忘れたと責め立てた。裏切ったのはシエルリーデだと思い込んで決めつけて……。
綾袮がシエルリーデの記憶を取り戻そうとすればヴィマラの記憶が甦ってしまうのなら、綾袮が壊れずにいるためには、綾袮はシエルリーデの記憶を封じたままでいることしか許されなかっただろうに。
挑戦的なルーシアの言葉。けれど、気付いてしまった事実が本当ならば、ヴィルフリートは何も言える立場にはいない。そんなヴィルフリートに代わるように、ルーシアの言葉に応えたのはウィリアムだった。
「いつの話なんだ。どうして俺の従兄弟は……ヴィルフリートが気付けなかった? シエルリーデは、いつにインドに生まれていたんだ。ルーシア、きみはインドであの子のなんだった?
俺達は放浪生活を続けていた。タイミングによっては、俺達は巡り会えない。けれど、違うんだろう? インドに生まれていたシエルリーデと俺の従兄弟は出逢っている。
従兄弟が気付けなかったのは何故だ? 綾袮の言葉は『売らないで・気付いて』だった。それを知っているというなら、なぜきみは止めなかった!?」
ウィリアムの言葉に、ルーシアは怒りをみなぎらせた。
「自分達の罪に気付いた途端に責任転換とは、随分なことね。もういいわ、二度とあの子の周りに現れないで!! 消え去りなさい、あの子とあたしの周囲から永遠にね!!
いっそ、そのまま灰になってしまえばいいのよ。現代日本であろうと関係ないわ、あの子の周りを懲りもせずにうろつくのなら、銀の短剣も十字の杭も貴方達二人の心臓に突き立ててやるわ」
「……教えて欲しい、ルーシア」
「あたしの言葉が……」
呟いたヴィルフリートの言葉に、喰い付こうとしたルーシアの目の前で、ヴィルフリートは地面に膝を着け、握り締めた拳を震わせてルーシアを見上げた。
「教えて欲しい。対価なら何だって払うと誓う。僕の心臓でも構わない。だから、教えて欲しい。リーデはいつ、インドに生まれて僕の助けを必要としていた? どうして僕がそれに気付けなかった?
どうして僕があの子に、シエルリーデに気付けていないんだ!! 教えて欲しい、頼むから教えてくれ。どうして……どうして……あの子が『気付いて、売らないで』なんて言ってるんだ!?」
ヴィルフリートの言葉にルーシアは答えない。
「教えて欲しい。教えてくれ。あの子に僕は何をした?」
「対価は貴方の心臓。それで構わないの?」
表情を失くしたルーシアが告げる。ヴィルフリートは迷うことなく肯いた。
「僕があの子にしたことを教えてもらえるのなら」
「妹のリーデがインドに生を受けたのは、インドが大英帝国領だった時代よ。イギリス領インド帝国と呼ばれた時代。あたしは妹に三年遅れて同じ地に生を受けたわ。あの子の妹としてね。
当時の妹の名前はヴィマラ。あたしの名前はタラ。あたし達が生まれたのはとても貧しい家庭で、妹、いいえ、ヴィマラとあたしは人買いに売りに出されたわ。ヴィマラが四才、あたしが一才のときよ。
当時の妹はリーデの記憶をはっきりと持って生まれ、貴方の許へ帰ることが出来る日をいつも夢見ていたわ。あたしもルーシアの記憶を持ち得たままだった。当然、妹の願いが叶うことを望んでいたわよ。
ヴィマラが五才になろうという頃よ。あたし達はセットで違う人買いに売られる場面だった。子ども好みの色狂いの許へとね。意味が解るかしら?
貴方のことを覚えていて、リーデの記憶を持ち得ているヴィマラがそんなこと耐えられるはずはなかった。あの子は二才を迎えるばかりの年のあたしを連れて逃げることを選んだわ。目を盗んで走って逃げた。
けれど、当時のあの子は五才。その上、昔の姉であり、妹として生まれていたあたしのことも、見捨てることなど出来なかった。商人が怒り狂って怒鳴りつける中、あたしの手を引っ張り、走って走って……。
あたしが転んで動けなくなったら、あの子はあたしを抱えて逃げた。絶望しかない逃走劇だったの。だけどね、ヴィマラは助けを見たと疑わなかったの。何故だか解る?
港で下ろされたヴィマラは、人混みの中に、貴方達二人の姿をみつけていたのよ!! ヴィルフリート、貴方に駆け寄ったヴィマラは、妹は、必死で助けを求めたわ。貴方達は覚えてもいないのでしょうね。
赤ちゃんに近い年頃のちいちゃな子どもを抱いたみすぼらしいカッコをした五つの子どもが、必死でコートの裾を掴んだこと、助けてと叫んだこと、自分はシエルリーデだと訴えたことも!!」
ルーシアの言葉に、ヴィルフリートは首を振った。
「……シエルリーデと名乗る女の子に出逢ったことはリーデが眠ってから僕の記憶の中にはない。君の話が本当なら、どうして僕が覚えていない?」
ルーシアは憎悪に満ちた視線で睨み付けてきた。
「それなら訊くわ。みすぼらしいカッコで、どう考えたって教養があるわけのない衣を着た、五才の女の子が、貴方達の母国語で、クマリと地面に書いたわ。インドの言葉で王女を示す名前よ。
クマリと書いてもわかってはもらえなかった子は、スジャータと書いたわ。高貴な生まれという意味の名前よ。それでもわかってもらえなかったあの子は、デヴィと書いた。インドの言葉で神とね!!
クマリ、スジャータ、デヴィと続けて書いた女の子は、自分のみすぼらしい衣の裾を掴んで、ワルツの仕草を踊ってみせた。だけど貴方は何も気付こうとはしてやらなかった。
ヴィマラはね、口がきけなかったの。インドに生まれた当時、あの子は喋れなかったのよ!! どうしてクマリなんて、スジャータやデヴィなんて書いたと思うの?
シエルリーデと綴りかけたあの子の文字を、貴方は土足で踏み消したのよ。いいえ、正確に言えばそこの貴方の従兄弟がね!! 『お前みたいな子には相応しくない』とね!!
その次には何をしたの? ヴィリーと綴ったあの子の文字を貴方達は何と解釈した? それはヴィルフリート、貴方が踏み消したわねっ! 『おまえにそんな口を聞かれる筋合いはないよ』と。
喋れないあの子は、文字とジェスチャーで訴えるしか出来なかったのに、それを踏み躙った! コイン一枚をポンと投げて、逃げ出した商人からは助けたわ!! ええ、確かにね。
けれど、次に貴方がしたことはなに? あの子の必死の言葉を無視して、親を名乗って現れた新たな商人に振り向くこともせず、投げたコインと同じようにポンと投げ出したの。
貴方は嘘だと見抜いていたはずよ!! あの子は必死に嘘だと伝えたわ、渡さないで売らないでとね。覚えてなどいないでしょう!!」
ルーシアの言葉に、一つの場面が浮かんだ。そうだ、ヴィルフリートがウィリアムと連れ立って、ほんの気紛れにイギリス領だった地に足を運んだことがある。
港町で長い船旅に疲れ切っていたヴィルフリートが、宿を探そうとウィリアムと相談していたときのことだ。幼い子どもが息を切らしてヴィルフリートに駆け寄って来た。自分よりも小さな子どもを抱えて。
どちらも女の子だった。息を切らした様子と背後で響いた怒鳴り声に、ああ逃げた奴隷かと冷めた瞳で見下ろした。あまりに幼い子どもだったので、コインを放ってやった。『僕が買う』と言って。
奴隷商人は引き下がったのに、その子は何故かヴィルフリートから離れようとはしなかった。だから言った。『別にホンキで買ったわけじゃない。逃げてきたのは解ってる。僕はおまえの主になる気はない』
ヴィルフリートの言葉に、その子は地面に文字を綴りだした。シエルリーデとも続きかねない綴りの文字を踏み消したのはウィリアムだった。ヴィルフリートのことを案じてくれていた従兄弟は、小さな子には残酷な言葉でその字を踏み消した。そうだ、ルーシアの言う通り、『お前に相応しい綴りじゃない』と。
次に子どもが綴りだした文字はヴィリー。けれど、そのとき、ヴィルフリートはその文字を踏み消した。ウィリアムと話をしているときにでも名前を聞いていたかと、決めつけて。
大事な響きを、目の前の突然現れた子どもに取り入るために使われるなど真っ平御免と、文字を踏み消して、冷たく告げた。『おまえにそんな口を聞かれる筋合いはないよ』と。
消された文字に泣きそうになった子どもは、その後も何かを幾つも綴っていたけれど、そのときのヴィルフリートにとって、それは意味のあるものだとは解らなかった。
幾つも文字を綴った後に、子どもはいきなりステップを踏み出した。みすぼらしい衣の裾を、ドレスの裾を持ち上げるようにして、ヴィルフリートの手を取って……。
けれど、ヴィルフリートは子どものやっていることの意味が解らなかったし、船旅で疲れていて、ただただ面倒なだけだった。そこに、親だと名乗る男が現れた。
男の言う言葉が嘘だろうとは知っていて、それでもヴィルフリートは突き放した。疲れているのにこれ以上、突然現れた変な子どもになど付き合っていられない、と。
そうだ、あのときのヴィルフリートが少し考えられていれば、簡単に解ったはずだ。奴隷商人から逃げて走る子どもが、異国の文字を、ヴィルフリートの祖国の文字を流暢に綴った。
教養など有るはずもない身分の小さな子どもが、異国の文字を自在に綴った。ヴィリーと綴られた文字に嫌悪感を抱く前に、ヴィルフリートは気付けたはずだ。
そのときの自分達は、他の名前を使っていたことに、気付けたはずだ。シエルリーが眠りに就いたあの日から、ヴィルフリートとウィリアムが本当の名前を使ったのは、口にすることを許したのは年に一度。
そして、港町で子どもがヴィリーと綴ったあの日は、ヴィルフリート達が本当の名前を許していた日などではなかった。
「……俺が踏み消した文字?」
ウィリアムの声が響く。そんなウィリアムの声に、ルーシアは憎しみに満ちた声を被せた。
「そうよ!! 『お前みたいな子には相応しくない』と貴方に踏み消された文字を、あの子は、ヴィマラはとても悲しんだわ。どうすればいいのか必死になって考えたの!! それがどんな結果を招いたか!!」
ルーシアが憎しみそのものをぶつけるように叫んだ。
「あたしがどれだけルーシアの記憶を持ち得たままで生まれていたとしても、当時のあたしは、タラは二才になるかならないかっ!! 解る? ヴィマラは口がきけなかった。タラは赤ちゃんに近かったの!!
ヴィマラに代わって貴方達にその子はリーデよと伝えたくたって、意味のある単語をつっかえつっかえ口にするのが、ようやっとよ!! それでもあたしは伝えたかった。
だから、あたしは二才の子どもの言葉で叫んだわ。何度も何度も貴方達に!! いいえ、ヴィルフリート、貴方にあたしは伝えたわ!! 何度も繰り返して、『弟』、『あたしの弟』、『昔』、『妹』とね。
二才の子どもの話す言葉よ、聴き取りづらくて当然だわ。けれど、貴方達が、貴方が少しでも、耳を傾けようという気になれば、判ったはずのことにも、貴方は気付かなかったわよ。
インドで奴隷商人から逃げてきた五つの子どもが抱えて走ってきた。当然、貴方はあたしのことだって奴隷商人の元から連れ出された子だと理解したはず。そのあたしは、昔の言葉で喋っていたのに!!」
ルーシアの叫びに、もう一つ。想い描ける場面が確かに在った。ヴィルフリートのコートの裾を掴んで離さなかった子どもが抱えて走っていた、赤ん坊に近いような幼子。
地面に文字を綴りだした子どもの隣で、文字を綴る子どものみすぼらしい衣を掴んで、何かを必死に喋っていた。まるでヴィルフリートやウィリアムに何かを訴えるように。
けれど、赤子の言葉は聴き取りにくくて、それ以前の問題として、そのときのヴィルフリートには、子どもの言葉を聞こうとする耳を最初から持ちはしなかった。ルーシアの言葉が正しい。
あのときの赤子が発音させたのは、ヴィルフリートの祖国の言葉だ。聴き取りづらい発音で口にされた言葉は、祖国の言葉で『弟』と…………。ルーシアの言葉は、当然の非難だ。
「あたしと一緒に新たに売られた先で、あの子はとても努力したわよ。奴隷作業の合間を縫って出来ることだけで必死になって綺麗な女の子になろうとした!! 何故だか解る?
昔の高貴で綺麗な姫君に戻れなければ、今の自分はもう、ヴィルフリートには気付いてもらえないんだと思い詰めたのよ。それがどんな結果を招いたかを貴方達は知る覚悟がある!?
いいえ、知らないままではもう終わらせてやらないわ! 七つになる頃のあの子はね、奴隷の身分でも、誰もが振り返らずにはいられないような綺麗な子になっていたわ。それがどんな結果を招いたか!!
五才のときに逃げ出したのと同じ理由で新たな買い手がついたのよ! 意味が解る? 子ども好みの変態親父に目を付けられたのよっ!! 目新しい綺麗な玩具としてね!」
憎しみと怒りに燃えた瞳でルーシアは叫ぶ。
「貴方達があのとき少し、ほんの少し考えてくれたならば、あの子はそんな目に逢うことなどなかったのに!!
おかしいとは思わなかったの!? 当時のあの子が逃げ出した奴隷だと貴方達は気付いていた。
それならどうしてっ!? どうして思いを馳せようとはしなかったのよ!! あの子は出来得る限りの表現全てを使って、シエルリーデよ、気付いて、私に気付いてと叫んでいたのにっ!!
ねぇ、おかしいとは思えないの? 奴隷商人から逃げ出した身分の小さな子どもが、異国の文字を流暢に綴るのよ?
まるで王女様のように優雅にワルツを踊ってみせたの。疑問を持ってはくれなかったの?
あの子が綴った文字が貴方達の祖国のものだと、あたしが喋った言葉が貴方達の祖国のものだということに、ルーシアの記憶のものだと、昔の言葉だと、気付こうとはしてはくれなかったのよっ!!?」
叫んだルーシアの瞳は怒りと憎悪、そして、何よりも哀しみの色に満ちていた。
「逃げたくたって、五才のときの出来事を知っている商人は、主人にそのことを伝えていた。
七つのあの子は新たな買い手が決まってから、逃げられることがないようにと鉄の重しを付けた鎖で繋がれた。
あの子には、ヴィマラにはもう何も残されてなかった。絶望しか残されてはいなかったのよ。
繋がれていた鎖でね、あの子は自分の首を締めたの。聖女様と呼ばれて育った記憶を持ち合わせたままにね!
もう一度言うわ、いいえ、何度でも聞かせてあげるわ!! 七つのヴィマラは絶望と孤独の闇の中で、指を切った血文字でヴィルフリートと床に綴って、自らの命を自分を繋ぐ鎖で絶ったとねっ!!」
あまりのことにヴィルフリートは崩れ落ちた。けれど、ウィリアムも立っているのがやっとの状態と言った体で、巨大な塀にもたれていた。ウィリアムの瞳は無気力な色を宿していた。
裏切ったのは綾袮なんかじゃない。シエルリーデなんかじゃない。裏切ったのは、裏切り続けて絶望の中に彼女を貶しめたのは、疑いようもなくヴィルフリートだ。ヴィルフリートが気付こうとしなかった。
綾袮の拒絶反応など、当たり前だ。なのに、ヴィルフリートは当初から綾袮の言い分になど耳も貸さずに、どうして忘れたと責め立てた。裏切ったのはシエルリーデだと思い込んで決めつけて……。
綾袮がシエルリーデの記憶を取り戻そうとすればヴィマラの記憶が甦ってしまうのなら、綾袮が壊れずにいるためには、綾袮はシエルリーデの記憶を封じたままでいることしか許されなかっただろうに。
後書き
作者:未彩 |
投稿日:2015/11/18 22:36 更新日:2015/11/24 14:54 『永遠の終わりを待ち続けてる』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。 |
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