作品ID:1616
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人魚姫のお伽話
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
「みつけた幸せのエピローグ」 ――1
前の話 | 目次 | 次の話 |
突然訪れた恋の終わりに、泣いていた夏の初め。貴方と出逢った。隠しきれなくなっていた涙に気付いてくれた、貴方と出逢った。
秋が過ぎ、冬を迎え、いつしか心に貴方が浮かぶことも自然になって……。春の最中、すれ違って涙したけれど、貴方はそれに気付いてくれた。
優しい貴方はいつも自然に傍で笑っていてくれる。貴方と出逢って季節は幾つ通り過ぎたのかしら。
ゆらゆら揺れる水の中、夏の哀しみに眠りに落ちた人魚姫。目覚め誘う歌が響いてる。冷たい底海に春の歌が……。
春の音響かす王子さま、悠の名抱く王子さま。優しい歌に導かれ、私はもうすぐ目覚めるのでしょう。眠りから覚めた人魚姫。ならば、今度の恋こそ叶えたい。貴方の唄を信じて瞼を開けるから。
人魚姫は一度死んだの。声を失くした人魚姫は、哀しみの海に……。目覚めた私が恋をするのは、あの日と違う王子さま。目覚めた私が恋をするのは、あの人と違う王子さま。
目覚めた私からならば、水底の魔女も声を奪えない。……ねぇ、そうでしょう? もう、奪わないでよ。お願いだから、もう奪わないでね。
……取り戻した声で歌うから。……声の限りに歌うから、恋を限りに謡うから。
――――永久の春をうたうから…………。
――――随分派手な音がしたな、と。そんな想いが他人事のようにぼんやりと浮かんだ…………。
「お姉ちゃん? お姉ちゃんってば!! ねぇ、聞いてる?」
足下から聞こえる妹の声。あ、電話、してたんだっけ……? 受話器を落としてしまった音だったのね。冷静に考える自分がいる。
あぁ、だけど、もうこれ以上思い出させないで。そう願ってしまうのはいけないことなの? それは私が弱いということ?
――――受話器越しの妹の声、再生される。頭の中で再生される。幸せ一杯の喜びに満ちた声、繰り返し、繰り返し……。
あたし、巧君と結婚決まったの!! なんか言い出しそびれてたんだけど、巧君が大学入ってから、あたし達付き合い出してて……。巧君、この秋に転勤決まっちゃってさ、電撃プロポーズされちゃった!!
今、式場を決めてるとこなんだけど、感じのいいとこみっけたんだよね。で、ヴァージンロードの伴奏者、こっちで決めたいって言ってみたんだけど、聞いてもらえそうでね?
それでね、お姉ちゃんが昔に作ってた曲あったでしょ? ヴァージンロード、その曲を弾いて欲しいの!! 勿論、お姉ちゃんに!
――――ねぇ、どうして? どうしてなの?
伝った雫が、呑み込む言葉が、口元に苦い……。咽喉が痛いの、張り裂けそう。胸が苦しい、息が出来ない。…………ココロガイタイ、シンデイク。
妹からの結婚報告の電話を切ったその後に、ピアノの椅子に腰掛ける。小さな頃からの付き合いのグランドピアノの譜面台。数ヵ月先のクリスマス交流演奏会、書きかけの楽譜、課題曲は、『人魚姫』……。
譜面台の横の写真立て、なんにも知らない『あたし』が笑ってる。戻らない季節に、戻れない笑顔で、笑ってる。写真はあんなに近いのに、写真の彼は今日から『妹の婚約者』……。
――――いいのかい? 優卵(ゆう)。 優卵はそれでいいのかい?
……いいわけないわ、お祖父ちゃん。どうして、あたしがあの子と彼のヴァージンロードを演奏するの? どうして、笑っておめでとうなの。どうして、どうして、どうしてなの…………。
返るはずもない応えを探して泣くのは、もう慣れた。哀しいけれど、慣れている。溢れる涙そのままに、鍵盤鳴らして楽譜を綴る。楽譜が歌う人魚姫、鍵盤が紡ぐ人魚姫、届かない恋を届かない声で奏でてる。
遠い昔に封じ込めた記憶の扉、手繰れば鍵付きの錆びついた小箱。鍵はとうの昔に失くしてしまった。捨ててしまった。優卵お姉ちゃんには必要のないものだと、言われて言われて……捨ててしまった。
閉じ込め閉じ込め封じ込めて、涙の底に沈み込めた小箱。入っているのは、言ってはいけない二つの言葉。ずぅっとずっと禁じてきたのに……。
――――どうして我慢が当たり前なの?
いつもいつも呑み込んだ疑問。いつもいつも言えない言葉。
――――あの子が欲しいというものを、どうして私は声に出すのも禁じられてるの?
いつもいつも言えない言葉、言ってはいけなかった言葉。
―――それは、届かない声と、もう知っている……。
――――長谷川さんちの優卵お嬢ちゃんは偉いわねよぇ。それに引き換え、ウチの子は……。全く、優卵ちゃんをちょっとでも見習ってくれないかしら。
ご近所さんや親戚の小父さん小母さん、皆が言う度に呑み込んだ言葉がある。
――――ミンナ、ワタシノコトヲエライワネッテホメテクレルワ。ダケド、ネェ、ナラ、ドウシテ?
ワタシノコトヲホメナガラ、アナタタチノシセンハワタシノ『イモウト』ヲミツメテイルノ?
皆が誉める『長谷川さんちの優卵ちゃん』……けれど、優卵だって最初は普通の子どもだった。けれども、優卵は成長過程で、『偉いお嬢ちゃん』に成らざるを得なかった。成らざるを……得なかったのだ。
優卵の家は比較的裕福な家で、優卵の母親はとても身体の弱い人だった。優卵は当初、兄弟姉妹を望めないと、母親は医師から伝えられていた。
事実上の一人っ子としての宣言を受けたに等しかった優卵に、祖父や祖母は多大な期待と愛情をかけてくれた。父親や母親も然り。その頃には、優卵とて、ただの子どもだった。
どこにでもいる幼い普通の女の子。我が侭だって言うし、聞きわけないときだってある。そんな、至って普通の子どもだったのだ……。
優卵が二つを迎える頃、優卵の母親が嬉しそうに父親と会話していた場面を、見た覚えがある。それは、母のお腹に優卵より小さな命、優卵の兄妹として生まれた命が宿ったという話の場面で、父親は母親の言葉にとても驚いて、そして優卵に嬉しそうに告げた。
――――優卵、優卵はもう直ぐお姉ちゃんになれるんだよ、と。
けれど、優卵の母親は相変わらず身体の弱い人だった。そんな母親を心配した父親は、優卵の母方の祖父母との同居を提案した。優卵の父親側の祖父母は、優卵が生まれる以前、優卵の父がまだとても若い頃に、二人して事故で他界していた。
だから、優卵にとって祖父母と呼べるのは、母方の祖母と祖父。その二人だけだった。その二人との同居を提案した父親に、優卵の母親と母方の祖父母が話し合い、小さな命が無事に生まれるまでの暫定的な同居が決まった。優卵が二つと三月を迎える頃合いだった。
その頃にはもう。優卵を取り巻く環境は変化し始めていた。娘を案じる祖母に、優卵は『いい子』であることを何より強く望まれた。それは、父親からも同じこと。
新たな命を宿した母に、優卵は最早、普通の子どもでいることを、祖母からも父からも母親からも……。既に、許されない子どもとなっていたのだ……。
優卵が三つを迎える二月前、小さな命が誕生した。生まれたのは、優卵と同じ女の子。無事に生まれた小さな命に、優卵の周囲は色めきたった。
優卵の妹として生まれた小さな赤ん坊は、『希生』と名付けられた。優卵の母親のお腹に宿る命が、母親共々無事に生まれてきてくれることを願って、優卵の父が早くから漢字と名前を決めていた。
母子共々健康に『生』まれてくることを、心の底から誰もが『希』んでいる、と……。男の子ならば『希生(きお)』と、女の子ならば『希生(きい)』と、名前は用意されていた。生まれた小さな優卵の妹。希生はそうして周囲から歓迎される中、生まれてきた。
望めるはずではなかった第二子に、母親と父親、祖父母の愛情は、多大なものだった。希生は生まれてくるのが奇跡の子どもだったのだ。
希生が我が侭を通しても、母の妊娠中、あれだけ優卵に『いい子』を説いた祖母は何も言わず、微笑ましげに受け入れた。父親然り、母親もまた然り……。
優卵に望まれているのは、既に『聞きわけの良いお姉ちゃん』としての役割であり、聞きわけの無さを通すことや我が侭を通すことは、周囲の雰囲気が許さなかった。
それは最早、妹の特権であり、優卵に許されることではない、と……周囲の大人達の視線が、声音が、何より雄弁な雰囲気が物語っていた。
優卵には既に、大人達のかける『期待』しか、残されてはいなかった。普通の子どもに対する愛情は、大きく妹に占められてしまっていたのだから……。
――――ゆうちゃん、だいじょうぶだよ。
幼い男の子の声が響く……。可愛らしいドレスを着て、髪型もバッチリ整えて、オメカシした女の子が泣いているから、男の子は心配して……。
上手に弾けたとは、とても言い難い、初めてのピアノの発表会。哀しくて悲しくて泣いていた女の子に、男の子の声が響く。
二つの優卵にピアノのきっかけを作ってくれたのは、優卵の祖父だった。娘の身体を心配して、孫娘にいい子を説く祖母。その祖母の言葉通りに『いい子』になっていく、子どもらしさを失っていく優卵を案じてくれた、祖父だった。
祖母にも母にも甘えられず、母親に怪我の心配をさせない、室内でのお人形さん遊びと玩具のグランドピアノでの遊び。それだけを繰り返していた優卵を、或る日、祖父が連れ出した。
祖父に連れ出されてやってきたのは、祖父の知り合いの経営する小さな楽器店。優卵はそこで、初めて本物のグランドピアノというものに触れた。
玩具のグランドピアノの何倍もある大きさの『本物のグランドピアノ』に、一瞬にして虜にさせられた優卵は、それからちょくちょくとその楽器店へと連れ出してもらった。そんな或る日、祖父が言った。
――――優卵、優卵がやりたいと思うんなら、本当のピアノでお稽古をしてみるかい? ピアノの教室に通って、きちんとピアノを習ってみるかい?
祖父の言葉に瞳を輝かせた優卵に、祖父は優しく肯いて……。それから直ぐに、優卵が通えるピアノ教室を探し出してくれた。
一月後には、二つの優卵には立派過ぎると言えるような、真新しいグランドピアノも優卵の家のリビングにお目見えした。
一年ちょっとのお稽古で、優卵は随分とピアノを覚えた。優卵が三つを迎えて三月が過ぎようという頃、優卵は初めてのピアノの発表会に出た。けれど、結果はぼろぼろ……。
とても、哀しかった。優卵の演奏を見に来てくれる中には、母と父だけではなく、優卵にピアノを教えてくれた祖父の姿があったから、とても哀しかった。
優卵に大事な友達を与えてくれた祖父に、きちんと結果を見せられなかったことが悲しくて、哀しくて……悔しかった。
そこに、幼い男の子の声が響いた。
――――ゆうちゃん、だいじょうぶだよ。
幼い男の子の声が心配気に響く。
――――ゆうちゃん、いつもたのしそうにひいてるもん。みんなわかってるよ、きっと。
同じ教室に通う、男の子の声……。森村巧という名前の男の子の声が、明るく響く……。それは、優卵と彼との出逢い。それが、優卵と巧との出逢いだった……。
秋が過ぎ、冬を迎え、いつしか心に貴方が浮かぶことも自然になって……。春の最中、すれ違って涙したけれど、貴方はそれに気付いてくれた。
優しい貴方はいつも自然に傍で笑っていてくれる。貴方と出逢って季節は幾つ通り過ぎたのかしら。
ゆらゆら揺れる水の中、夏の哀しみに眠りに落ちた人魚姫。目覚め誘う歌が響いてる。冷たい底海に春の歌が……。
春の音響かす王子さま、悠の名抱く王子さま。優しい歌に導かれ、私はもうすぐ目覚めるのでしょう。眠りから覚めた人魚姫。ならば、今度の恋こそ叶えたい。貴方の唄を信じて瞼を開けるから。
人魚姫は一度死んだの。声を失くした人魚姫は、哀しみの海に……。目覚めた私が恋をするのは、あの日と違う王子さま。目覚めた私が恋をするのは、あの人と違う王子さま。
目覚めた私からならば、水底の魔女も声を奪えない。……ねぇ、そうでしょう? もう、奪わないでよ。お願いだから、もう奪わないでね。
……取り戻した声で歌うから。……声の限りに歌うから、恋を限りに謡うから。
――――永久の春をうたうから…………。
――――随分派手な音がしたな、と。そんな想いが他人事のようにぼんやりと浮かんだ…………。
「お姉ちゃん? お姉ちゃんってば!! ねぇ、聞いてる?」
足下から聞こえる妹の声。あ、電話、してたんだっけ……? 受話器を落としてしまった音だったのね。冷静に考える自分がいる。
あぁ、だけど、もうこれ以上思い出させないで。そう願ってしまうのはいけないことなの? それは私が弱いということ?
――――受話器越しの妹の声、再生される。頭の中で再生される。幸せ一杯の喜びに満ちた声、繰り返し、繰り返し……。
あたし、巧君と結婚決まったの!! なんか言い出しそびれてたんだけど、巧君が大学入ってから、あたし達付き合い出してて……。巧君、この秋に転勤決まっちゃってさ、電撃プロポーズされちゃった!!
今、式場を決めてるとこなんだけど、感じのいいとこみっけたんだよね。で、ヴァージンロードの伴奏者、こっちで決めたいって言ってみたんだけど、聞いてもらえそうでね?
それでね、お姉ちゃんが昔に作ってた曲あったでしょ? ヴァージンロード、その曲を弾いて欲しいの!! 勿論、お姉ちゃんに!
――――ねぇ、どうして? どうしてなの?
伝った雫が、呑み込む言葉が、口元に苦い……。咽喉が痛いの、張り裂けそう。胸が苦しい、息が出来ない。…………ココロガイタイ、シンデイク。
妹からの結婚報告の電話を切ったその後に、ピアノの椅子に腰掛ける。小さな頃からの付き合いのグランドピアノの譜面台。数ヵ月先のクリスマス交流演奏会、書きかけの楽譜、課題曲は、『人魚姫』……。
譜面台の横の写真立て、なんにも知らない『あたし』が笑ってる。戻らない季節に、戻れない笑顔で、笑ってる。写真はあんなに近いのに、写真の彼は今日から『妹の婚約者』……。
――――いいのかい? 優卵(ゆう)。 優卵はそれでいいのかい?
……いいわけないわ、お祖父ちゃん。どうして、あたしがあの子と彼のヴァージンロードを演奏するの? どうして、笑っておめでとうなの。どうして、どうして、どうしてなの…………。
返るはずもない応えを探して泣くのは、もう慣れた。哀しいけれど、慣れている。溢れる涙そのままに、鍵盤鳴らして楽譜を綴る。楽譜が歌う人魚姫、鍵盤が紡ぐ人魚姫、届かない恋を届かない声で奏でてる。
遠い昔に封じ込めた記憶の扉、手繰れば鍵付きの錆びついた小箱。鍵はとうの昔に失くしてしまった。捨ててしまった。優卵お姉ちゃんには必要のないものだと、言われて言われて……捨ててしまった。
閉じ込め閉じ込め封じ込めて、涙の底に沈み込めた小箱。入っているのは、言ってはいけない二つの言葉。ずぅっとずっと禁じてきたのに……。
――――どうして我慢が当たり前なの?
いつもいつも呑み込んだ疑問。いつもいつも言えない言葉。
――――あの子が欲しいというものを、どうして私は声に出すのも禁じられてるの?
いつもいつも言えない言葉、言ってはいけなかった言葉。
―――それは、届かない声と、もう知っている……。
――――長谷川さんちの優卵お嬢ちゃんは偉いわねよぇ。それに引き換え、ウチの子は……。全く、優卵ちゃんをちょっとでも見習ってくれないかしら。
ご近所さんや親戚の小父さん小母さん、皆が言う度に呑み込んだ言葉がある。
――――ミンナ、ワタシノコトヲエライワネッテホメテクレルワ。ダケド、ネェ、ナラ、ドウシテ?
ワタシノコトヲホメナガラ、アナタタチノシセンハワタシノ『イモウト』ヲミツメテイルノ?
皆が誉める『長谷川さんちの優卵ちゃん』……けれど、優卵だって最初は普通の子どもだった。けれども、優卵は成長過程で、『偉いお嬢ちゃん』に成らざるを得なかった。成らざるを……得なかったのだ。
優卵の家は比較的裕福な家で、優卵の母親はとても身体の弱い人だった。優卵は当初、兄弟姉妹を望めないと、母親は医師から伝えられていた。
事実上の一人っ子としての宣言を受けたに等しかった優卵に、祖父や祖母は多大な期待と愛情をかけてくれた。父親や母親も然り。その頃には、優卵とて、ただの子どもだった。
どこにでもいる幼い普通の女の子。我が侭だって言うし、聞きわけないときだってある。そんな、至って普通の子どもだったのだ……。
優卵が二つを迎える頃、優卵の母親が嬉しそうに父親と会話していた場面を、見た覚えがある。それは、母のお腹に優卵より小さな命、優卵の兄妹として生まれた命が宿ったという話の場面で、父親は母親の言葉にとても驚いて、そして優卵に嬉しそうに告げた。
――――優卵、優卵はもう直ぐお姉ちゃんになれるんだよ、と。
けれど、優卵の母親は相変わらず身体の弱い人だった。そんな母親を心配した父親は、優卵の母方の祖父母との同居を提案した。優卵の父親側の祖父母は、優卵が生まれる以前、優卵の父がまだとても若い頃に、二人して事故で他界していた。
だから、優卵にとって祖父母と呼べるのは、母方の祖母と祖父。その二人だけだった。その二人との同居を提案した父親に、優卵の母親と母方の祖父母が話し合い、小さな命が無事に生まれるまでの暫定的な同居が決まった。優卵が二つと三月を迎える頃合いだった。
その頃にはもう。優卵を取り巻く環境は変化し始めていた。娘を案じる祖母に、優卵は『いい子』であることを何より強く望まれた。それは、父親からも同じこと。
新たな命を宿した母に、優卵は最早、普通の子どもでいることを、祖母からも父からも母親からも……。既に、許されない子どもとなっていたのだ……。
優卵が三つを迎える二月前、小さな命が誕生した。生まれたのは、優卵と同じ女の子。無事に生まれた小さな命に、優卵の周囲は色めきたった。
優卵の妹として生まれた小さな赤ん坊は、『希生』と名付けられた。優卵の母親のお腹に宿る命が、母親共々無事に生まれてきてくれることを願って、優卵の父が早くから漢字と名前を決めていた。
母子共々健康に『生』まれてくることを、心の底から誰もが『希』んでいる、と……。男の子ならば『希生(きお)』と、女の子ならば『希生(きい)』と、名前は用意されていた。生まれた小さな優卵の妹。希生はそうして周囲から歓迎される中、生まれてきた。
望めるはずではなかった第二子に、母親と父親、祖父母の愛情は、多大なものだった。希生は生まれてくるのが奇跡の子どもだったのだ。
希生が我が侭を通しても、母の妊娠中、あれだけ優卵に『いい子』を説いた祖母は何も言わず、微笑ましげに受け入れた。父親然り、母親もまた然り……。
優卵に望まれているのは、既に『聞きわけの良いお姉ちゃん』としての役割であり、聞きわけの無さを通すことや我が侭を通すことは、周囲の雰囲気が許さなかった。
それは最早、妹の特権であり、優卵に許されることではない、と……周囲の大人達の視線が、声音が、何より雄弁な雰囲気が物語っていた。
優卵には既に、大人達のかける『期待』しか、残されてはいなかった。普通の子どもに対する愛情は、大きく妹に占められてしまっていたのだから……。
――――ゆうちゃん、だいじょうぶだよ。
幼い男の子の声が響く……。可愛らしいドレスを着て、髪型もバッチリ整えて、オメカシした女の子が泣いているから、男の子は心配して……。
上手に弾けたとは、とても言い難い、初めてのピアノの発表会。哀しくて悲しくて泣いていた女の子に、男の子の声が響く。
二つの優卵にピアノのきっかけを作ってくれたのは、優卵の祖父だった。娘の身体を心配して、孫娘にいい子を説く祖母。その祖母の言葉通りに『いい子』になっていく、子どもらしさを失っていく優卵を案じてくれた、祖父だった。
祖母にも母にも甘えられず、母親に怪我の心配をさせない、室内でのお人形さん遊びと玩具のグランドピアノでの遊び。それだけを繰り返していた優卵を、或る日、祖父が連れ出した。
祖父に連れ出されてやってきたのは、祖父の知り合いの経営する小さな楽器店。優卵はそこで、初めて本物のグランドピアノというものに触れた。
玩具のグランドピアノの何倍もある大きさの『本物のグランドピアノ』に、一瞬にして虜にさせられた優卵は、それからちょくちょくとその楽器店へと連れ出してもらった。そんな或る日、祖父が言った。
――――優卵、優卵がやりたいと思うんなら、本当のピアノでお稽古をしてみるかい? ピアノの教室に通って、きちんとピアノを習ってみるかい?
祖父の言葉に瞳を輝かせた優卵に、祖父は優しく肯いて……。それから直ぐに、優卵が通えるピアノ教室を探し出してくれた。
一月後には、二つの優卵には立派過ぎると言えるような、真新しいグランドピアノも優卵の家のリビングにお目見えした。
一年ちょっとのお稽古で、優卵は随分とピアノを覚えた。優卵が三つを迎えて三月が過ぎようという頃、優卵は初めてのピアノの発表会に出た。けれど、結果はぼろぼろ……。
とても、哀しかった。優卵の演奏を見に来てくれる中には、母と父だけではなく、優卵にピアノを教えてくれた祖父の姿があったから、とても哀しかった。
優卵に大事な友達を与えてくれた祖父に、きちんと結果を見せられなかったことが悲しくて、哀しくて……悔しかった。
そこに、幼い男の子の声が響いた。
――――ゆうちゃん、だいじょうぶだよ。
幼い男の子の声が心配気に響く。
――――ゆうちゃん、いつもたのしそうにひいてるもん。みんなわかってるよ、きっと。
同じ教室に通う、男の子の声……。森村巧という名前の男の子の声が、明るく響く……。それは、優卵と彼との出逢い。それが、優卵と巧との出逢いだった……。
後書き
作者:未彩 |
投稿日:2015/12/22 19:41 更新日:2015/12/22 19:41 『人魚姫のお伽話』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。 |
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