作品ID:2360
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「新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編」を読み始めました。
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新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編
小説の属性:ライトノベル / 異世界ファンタジー / 激辛批評希望 / 初投稿・初心者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
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【戦場へ】
前の話 | 目次 | 次の話 |
カッセル守備隊が出陣する日がやってきた。
隊長のリュメック・ランドリー、副隊長のイリング、それに続いて他の部隊長が馬に跨って城砦の門を出ていく。それを城砦に残る事務官のミカエラが手を振って見送った。
副隊長補佐のアリスの部隊は輸送隊の警備の任を帯びて陣に加わっていた。
城門に架けられた橋の手前で出発式をおこなった。人数といい装具といい、本隊とはかなり見劣りがしている。馬ではなく誰もが徒歩で国境を目指すのだ。鎧を身に着けているのはベルネ、スターチ、リーナの三人。いずれも戦闘服の上着に細身のズボン、靴は長めのブーツである。アリスとエルダは戦闘服に肘当て、胸覆いなどの軽装具だ。レイチェル、マーゴット、クーラの三姉妹はズボンにチュニック、マリアお嬢様、お付きのアンナにいたってはメイド服を着ているに過ぎない。
お嬢様は鎧を着ると言い張ったのだが、重い鎧を身に着けると、歩くどころか立ち上がれない始末だった。
「それではみなさん、警備のほど、よろしくお願いいたします」
輸送隊の隊長カエデが挨拶に立った。しかし、目の前の隊員を見て、これで警備が務まるのかと心配になった。装備は不揃いで、いかにも寄せ集めの集団だ。しかも、やる気がなさそうにダレている。
「よーし、任せなさい」「任せた、マーゴット」「やる気くれえ」三姉妹が頼りない気勢を上げた。
「そこ、静かに聞きなさい」とアリスが注意した。
「カエデさん、頑張って」
注意したにもかかわらず声を掛けたのはお嬢様のマリアだ。これもカエデにとっては不安材料である。花嫁修業中の貴族の娘というのだが、まったくの世間知らずで、馬車の中に自分専用の食糧を積み込みたいと言ってきた。中身を尋ねると、「お菓子です」と答えた。戦場にお菓子を持って行くとは呆れてしまった。
カエデに続いて指揮官のエルダが挨拶した。
「出陣にあたって申し上げます。今回、与えられた任務を全力で遂行してください。戦場では勇気を持って戦ってください。ただし、無益な殺生や略奪は禁止します。何より大切なのは、一人の、一人の犠牲者も出すことなく、全員が無事で帰還することです」
これには期せずして「おおーっ」「指揮官の言う通り」と歓声が沸いた。さすがは指揮官だ、部隊を率いる者はこうでなくっちゃとアリスは感じ入った。
いよいよ出発の時がきた。
アリスは城砦を振り仰ぎ、全員でなくとも自分だけは生きて戻ってきたいと願うのだった。
城砦を出発したアリスの部隊、正しくはエルダの部隊は荷馬車の後ろを徒歩で付いていった。
歩き出して間もなくマリアお嬢様がグズグズ言い出した。
「まだ歩くんですか、アンナ」
「そうです、歩兵なのですから歩くしかありません」
「ああ、イヤだ、足が疲れた」
振り返ればまだ城砦の門が見える距離だ。幾らも進んでいないのである。
「先が長いんだから馬車に乗せてもらえばいいじゃん」
クーラが前を行く馬車を指差す。
「馬車の中は安全だし、万一の時はベルネさんが守ってくれると思うよ」
「というか、本当に怖いのはベルネさんだったりして。昨日も無事に帰ったらお嬢様を磔にするんだと言ってた」
レイチェルが言うのは助けにも励ましにもなっていない。
「さあ、早く歩こう、お嬢様。ここは領土内だから安心だけど、戦場には敵が待ってるよ」
「そんな怖い所へ行くなんて」
「お嬢様・・・敵は国内、王宮にこそ真の敵が・・・」
お付きのアンナがそう言いかけて口元を押さえた。
お昼ごろ、防御の土塁の前で休憩になった。三姉妹はパンと水代わりのワインを配り、アンナはお嬢様の足を揉んでいた。
アリスとエルダは木陰に並んで腰かけた。
「指揮官、あたしは戦場初体験なもので、なにとぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、剣も槍も苦手なので、いざとなったら、お役に立つかどうか自信ありません」
「叶うことなら、今すぐ逃げたい心境です」
「輸送隊の警備ですから、本格的な戦闘に巻き込まれることはないと思いますよ。カエデさんは危険が迫ったときは荷物を放棄して構わないと言ってくれました」
指揮官であるエルダが、危険が迫ったら逃げてもよいと保証してくれたので、アリスは心強くなった。荷物を捨て、部下を見捨てて逃げることに専念できるというものだ。戦場でも大事なのは安全第一だ。
「メイド長のエリオットさんには、休暇を取って温泉に行っていただきました」
エルダは出発前に、いつもお嬢様が迷惑をかけているのでメイド長に休んでもらおうと提案した。休暇先に選んだのはチュレスタの温泉である。ローズ騎士団を念頭に置いてのことだった。リーナがもたらしたローズ騎士団の情報を、隊長のリュメックたち幹部に伝えたが取り合ってもらえなかった。そこで、動向を探るため、メイド長をチュレスタの温泉に潜入させたのだ。
カッセル守備隊は翌日も進軍を続け、国境付近のボニア砦に到着した。ここは堅牢な城壁と土塁に守られた国境の最前線である。カッセルと違って住民の姿は見られず駐留軍の精鋭部隊が監視を続けているだけだ。
守備隊の幹部たちは木造の陣屋で一夜を過ごすことになったが、アリスたちは建屋には入れてもらえず、陣屋の隣にテントを張った。テントは狭いので兵士たちは外で寝るしかなかった。
テントから離れた一角にアリス、エルダ、マリアお嬢様とアンナが集められた。呼び出したのは、副隊長のイリング、それに部下のロッティーとユキだ。
「エルダ、お前を呼び出したのは他でもない」
副隊長のイリングが進み出た。
「いいか、良く聞きなさい、この場でエルダを解雇することにした。今すぐ宿営地から退去しなさい。これは隊長の決定だ」
「はっ・・・」
アリスは何を言い出すのかと耳を疑った。
「地下牢に倒れていたのを助けてやったのが間違いだったんだ」
ロッティーがエルダを睨み付けた。
隊長から、エルダをクビにせよ、さもなければ格下げだと厳しく言われた。今度こそ失敗は許されない。
エルダなんか、荒野に置き去りになって一人で彷徨うがいいのだ。
「不正に入隊した者など出て行け」
胸を突くとエルダがよろめいた。
ユキもここぞとばかりにマリアをイジメた。軽く押しただけでマリアはヘナヘナと地面に膝を付いた。
「お嬢様に何をするんですか」
アンナがマリアの身体を支える。
「何がお嬢様よ、笑わせるんじゃない。あんたなんかニセ貴族、ニセお嬢様なんでしょう」
ユキがマリアの背中を蹴った。
「ひゃん」
「アリス、お前の部隊は、どいつもこいつもダメなヤツばかりだ。副隊長補佐は不倫、エルダはニセ指揮官。それから、確か、ベルネっていう隊員がいたでしょう」
イリングがアリスの部隊への口撃を始めた。
「ベルネは前の部隊で上官を殴って罰せられたのよ、不倫部隊にはピッタリの部下だわね」
「上官を殴った?」
アリスはベルネが上官を殴ったことなど聞いてはいなかった。運よく戦争で生き残ったとしても今度は部下に殴られるかもしれない。
「ロッティー、エルダを叩き潰しなさい。痛め付けてから追放するのよ」
「はいっ」
ロッティーがエルダに飛び掛かった。肩口から体当して吹っ飛ばし、髪を掴んで振り回した。
「くたばれ、エルダ」
倒れたエルダの上に跨り、腕をねじ伏せて押さえ付けると、バシバシと平手打ちを叩き込んだ。
「あふう・・・」
エルダが動かなくなった。
「やったわ、私の勝ち」
ロッティーが勝ち誇った。
アリスはオロオロするばかりで助けることができなかった。不倫をした報いだとしてもあまりにも酷い仕打ちだ。エルダを解雇するのなら出陣の前に宣告すればいいではないか。それを、最前線まで来てから追放するとは・・・
向こうではお嬢様がユキに背中を踏まれていた。
「助けて、アンナ」
「お嬢様」
止めようとして飛び出したアンナの前にイリングが立ち塞がった。アンナはお嬢様が虐められているのを黙って見ているしかなかった。
すでにエルダはぐったりしてピクリとも動かない。ロッティーがエルダの背後に回った。
「首を絞めてやるわ」
腕を巻き付けてグイッと締め上げる。
追放するだけではつまらない、気絶させて道端に捨てるのだ。
「グググ・・・」
エルダが苦し紛れに右手を伸ばしてきた。ロッティーの首筋を掴もうとしたが構わずに締め上げた。
「グッ、ギャアア」
突然、ロッティーが悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。
「痛いっ」
首筋に激痛が走った。
「エルダ、何をやったの・・・お前」
立ち上がりかけたロッティーだったが、膝から崩れ落ち、捩じれるように仰向けに倒れた。
「あひぇ」
ビクン、ビクン。
ロッティーは激しく痙攣し口から泡を吹いて失神した。
その隙にアリスはエルダを助け出そうとした。しかし、エルダもロッティーに首を絞められて倒れ込んでいた。
何があったのか・・・目の前で起こったことが信じられなかった。アリスが見る限りではエルダは武器を持ってはいなかった。ロッティーの首筋に右手を当てただけで失神させたのだった。魔法でも使ったのだろうか。
「バカモノ、お前なんかクビだ。顔も見たくない」
イリングがロッティーに言い放った。
一方的に攻めておきながら反撃を受けて気絶させられるとは、まったく情けない。エルダに負けたロッティーなど、部隊に置いておくことはできない。見せしめのためにロッティーを追放することに決めた。
「今すぐ立ち去りなさい」
「ヒイイ、ヒヒイ・・・お許しを、どうか、お許しを」
憐れ、ロッティーは地面に這いつくばって泣き続けた。
そのころシュロス月光軍団は一足先に国境付近に陣を敷いていた。隊長のスワン・フロイジア、参謀のコーリアス、副隊長のミレイが部隊を率いている。留守役だったフィデス・ステンマルクも出陣を命じられ部下のナンリとともに前線へ向かっていた。
隊長のスワンは来訪するローズ騎士団を避けるために出陣した。この戦いで戦果を挙げて騎士団に見せ付けることが目的である。カッセル守備隊は隊員不足や司令官の不在が続き、陣容は整っていない。叩くには絶好の機会だ。とはいえ、守備隊を壊滅させようとまでは考えていない。こちらの兵力の損害は最小にして、敵の幹部を捕虜にできればよいのだ。
それだから、守備隊にじっくり待たれるのが一番困る。戦いが長引けば、来訪したローズ騎士団が王宮へ帰ってしまいかねない。接待をほったらかして兵を動かしたことが王都に知られたら懲罰物だ。
しかし、待っていても守備隊は動きそうになかった。スワンは次第に苛立ちが募ってきた。そろそろ、こちらから作戦を仕掛ける時だ。
スワンは参謀のコーリアスに前線の状況を尋ねた。
「守備隊の陣立てが整う前にさらに進軍しておきたいのですが・・・また黒い騎士が現れましたので、やや足止めされています」
昨日、月光軍団の行く手を阻むかのように黒づくめの鎧兜を身にまとった騎士が出現した。矢を射かけてみたが、その騎士が剣を振り回して叩き落としてしまった。数人が斬りかかったところ、その黒ずくめの騎士は地面に亀裂を生じさせ地下に消えたというのだ。
「黒い騎士を見た若い隊員の中には、悪魔か怪物だと言う者が出る始末です」
「怪物か・・・」
黒づくめの騎士に備えて見張りを増やしておくようにと命令した。それよりは守備隊をおびき寄せる方策が大事だ。
〇 〇 〇
【長くなってきましたので、このあとの展開は、あらすじで簡単にご紹介します】
シュロス月光軍団はカッセル守備隊をおびき出す作戦を仕掛けます。そうとは知らず、守備隊の隊長リュメックは勢い込んで自ら突進したのですが、敵の罠に嵌ってしまい包囲されてしまいます。アリスたちが警護する後方の輸送隊にも前線から兵士が逃げてきました・・・
〇 〇 〇
バラバラと逃げてくる守備隊の兵士を見て輸送隊は騒然となった。
兵士の話では、月光軍団の待ち伏せ攻撃により隊長は孤立、周囲を敵に囲まれてしまったという。
輸送隊の責任者カエデが「副隊長のイリングさんが別動隊で加勢するはずだが」と訊くと、まだ副隊長の援軍は来ていないとのことだった。
カエデは輸送隊の主だった部下と護衛に当たっているアリス、エルダを集めた。
「後退の準備を始めます。護衛部隊も配置に付いてください」
さっそく荷馬車が方向転換を始めた。しかし、何台もの馬車が一斉に回転したのでたちまち渋滞が発生してしまった。
車が軋み、馬がいななく。
荷馬車と一緒に後ろへ下がろうとしたアリスをエルダが呼び止めた。
「アリスさん、部下に指令を与えてください」
「はい、指揮官がそう言うのでしたら・・・」
エルダに促されてやむなくアリスは指令を出してみた。ベルネ、スターチ、リーナを敵襲に備えるため最前列に配置し、というか丁寧にお願いし、他の隊員は救護班の応援に行くように言った。戦場で初めての指示だったが、ベルネたちは素早く展開し三姉妹も救護テントに向かった。
やればできるんだ。アリスは部下が素直に指示に従ってくれたことに感激した。よし、今度こそ安全な場所へ退避できると思ったのだが、またしてもエルダに腕を掴まれた。
「私たちはこっちです」
エルダに手を引かれて行った先は輸送隊の最後尾、すなわち敵陣に近い戦いの最前列だった。
石ころだらけの道、その先の鬱蒼とした森。遠くには小高い丘や岩肌が剥き出しの山が見える。顔に当たる風が痛い。戦場はずっと遠くだが兵士の叫び声が聞こえてくるような気がした。今にも矢が飛んできそうだ。
後方にいられるはずが、最悪の事態に最悪の場所だ。
「よお、隊長」
兵士のベルネが振り返った。
「ここへ来てごらん、血の匂いがするから」
「遠慮しておきます」
「逃げるなよ、逃げたら槍で突き刺す」
上官を殴って部隊をクビになったベルネなら本気でやりそうなことだ。
そこへまた味方の兵士が何人も逃げてきた。負傷した兵も目立つ。アリスがあたふたしているのに比べ、エルダは落ち着いて対処していた。怪我をした者は手当てのため救護班に運ばせ、軽傷の兵士からは前線の情報を聞き取った。
その兵士は、本隊はますます月光軍団に攻め込まれ、隊長のリュメック逃げ場を失ったと訴えた。
「援軍は? 副隊長の援軍は」
エルダが問い質したが兵士は首を振るだけだ。
この時点でも援軍が合流できていないというのは、副隊長にも非常事態が発生したと考えるべきだ。
救護班のテントでも問題が起きていた。マリアお嬢様は任務をサボって寝ていたところをアンナに叩き起こされた。
「騒がしいなあ、何があったの」
「戦争です、お嬢様。いよいよ本格的な戦いが始まったのです」
「ウッソー、知らなかった。それで、どっちが勝ったの」
「こっちに決まってるでしょう、と言いたいところですが、守備隊が負けそうな状況です」
「ヤバい」
お嬢様はまた布団を被った。
「怪我人が運ばれてきて行列ができているんです。お嬢様が寝ていては手当てができません、そこをどいてください」
「あーあ、だから、こんなとこ来るんじゃなかった」
ブツブツ言いながらもマリアお嬢様はテントを出た。テントの外では負傷者が地面に横たわって治療を受けていた。マーゴットやクーラは傷口を洗い流して薬草を貼っている。
「お嬢様、サボってないで手伝って・・・いえ、それより、あっちへ行っててください。その方がはかどるわ」
クーラに追い払われたのでマリアは行列の後に回った。そこで『最後尾』の札を持って列を整理しているロッティーと鉢合わせになった。
ロッティーは、エルダを追い出そうとしてしたのだが逆襲に遭って気絶させられてしまった。隊長の怒りを買って部隊を追放になり、やむなく救護班に身を置くことになったのだ。
「お寝覚めですか、お嬢様」
お嬢様にも敬語を使って敬うロッティーだった。
隊長から見放されたロッティーは、ここでもダメなら逃亡するしかない。
あるいは、戦況次第では敵に寝返るという道もあるのだが・・・
隊長のリュメック・ランドリー、副隊長のイリング、それに続いて他の部隊長が馬に跨って城砦の門を出ていく。それを城砦に残る事務官のミカエラが手を振って見送った。
副隊長補佐のアリスの部隊は輸送隊の警備の任を帯びて陣に加わっていた。
城門に架けられた橋の手前で出発式をおこなった。人数といい装具といい、本隊とはかなり見劣りがしている。馬ではなく誰もが徒歩で国境を目指すのだ。鎧を身に着けているのはベルネ、スターチ、リーナの三人。いずれも戦闘服の上着に細身のズボン、靴は長めのブーツである。アリスとエルダは戦闘服に肘当て、胸覆いなどの軽装具だ。レイチェル、マーゴット、クーラの三姉妹はズボンにチュニック、マリアお嬢様、お付きのアンナにいたってはメイド服を着ているに過ぎない。
お嬢様は鎧を着ると言い張ったのだが、重い鎧を身に着けると、歩くどころか立ち上がれない始末だった。
「それではみなさん、警備のほど、よろしくお願いいたします」
輸送隊の隊長カエデが挨拶に立った。しかし、目の前の隊員を見て、これで警備が務まるのかと心配になった。装備は不揃いで、いかにも寄せ集めの集団だ。しかも、やる気がなさそうにダレている。
「よーし、任せなさい」「任せた、マーゴット」「やる気くれえ」三姉妹が頼りない気勢を上げた。
「そこ、静かに聞きなさい」とアリスが注意した。
「カエデさん、頑張って」
注意したにもかかわらず声を掛けたのはお嬢様のマリアだ。これもカエデにとっては不安材料である。花嫁修業中の貴族の娘というのだが、まったくの世間知らずで、馬車の中に自分専用の食糧を積み込みたいと言ってきた。中身を尋ねると、「お菓子です」と答えた。戦場にお菓子を持って行くとは呆れてしまった。
カエデに続いて指揮官のエルダが挨拶した。
「出陣にあたって申し上げます。今回、与えられた任務を全力で遂行してください。戦場では勇気を持って戦ってください。ただし、無益な殺生や略奪は禁止します。何より大切なのは、一人の、一人の犠牲者も出すことなく、全員が無事で帰還することです」
これには期せずして「おおーっ」「指揮官の言う通り」と歓声が沸いた。さすがは指揮官だ、部隊を率いる者はこうでなくっちゃとアリスは感じ入った。
いよいよ出発の時がきた。
アリスは城砦を振り仰ぎ、全員でなくとも自分だけは生きて戻ってきたいと願うのだった。
城砦を出発したアリスの部隊、正しくはエルダの部隊は荷馬車の後ろを徒歩で付いていった。
歩き出して間もなくマリアお嬢様がグズグズ言い出した。
「まだ歩くんですか、アンナ」
「そうです、歩兵なのですから歩くしかありません」
「ああ、イヤだ、足が疲れた」
振り返ればまだ城砦の門が見える距離だ。幾らも進んでいないのである。
「先が長いんだから馬車に乗せてもらえばいいじゃん」
クーラが前を行く馬車を指差す。
「馬車の中は安全だし、万一の時はベルネさんが守ってくれると思うよ」
「というか、本当に怖いのはベルネさんだったりして。昨日も無事に帰ったらお嬢様を磔にするんだと言ってた」
レイチェルが言うのは助けにも励ましにもなっていない。
「さあ、早く歩こう、お嬢様。ここは領土内だから安心だけど、戦場には敵が待ってるよ」
「そんな怖い所へ行くなんて」
「お嬢様・・・敵は国内、王宮にこそ真の敵が・・・」
お付きのアンナがそう言いかけて口元を押さえた。
お昼ごろ、防御の土塁の前で休憩になった。三姉妹はパンと水代わりのワインを配り、アンナはお嬢様の足を揉んでいた。
アリスとエルダは木陰に並んで腰かけた。
「指揮官、あたしは戦場初体験なもので、なにとぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、剣も槍も苦手なので、いざとなったら、お役に立つかどうか自信ありません」
「叶うことなら、今すぐ逃げたい心境です」
「輸送隊の警備ですから、本格的な戦闘に巻き込まれることはないと思いますよ。カエデさんは危険が迫ったときは荷物を放棄して構わないと言ってくれました」
指揮官であるエルダが、危険が迫ったら逃げてもよいと保証してくれたので、アリスは心強くなった。荷物を捨て、部下を見捨てて逃げることに専念できるというものだ。戦場でも大事なのは安全第一だ。
「メイド長のエリオットさんには、休暇を取って温泉に行っていただきました」
エルダは出発前に、いつもお嬢様が迷惑をかけているのでメイド長に休んでもらおうと提案した。休暇先に選んだのはチュレスタの温泉である。ローズ騎士団を念頭に置いてのことだった。リーナがもたらしたローズ騎士団の情報を、隊長のリュメックたち幹部に伝えたが取り合ってもらえなかった。そこで、動向を探るため、メイド長をチュレスタの温泉に潜入させたのだ。
カッセル守備隊は翌日も進軍を続け、国境付近のボニア砦に到着した。ここは堅牢な城壁と土塁に守られた国境の最前線である。カッセルと違って住民の姿は見られず駐留軍の精鋭部隊が監視を続けているだけだ。
守備隊の幹部たちは木造の陣屋で一夜を過ごすことになったが、アリスたちは建屋には入れてもらえず、陣屋の隣にテントを張った。テントは狭いので兵士たちは外で寝るしかなかった。
テントから離れた一角にアリス、エルダ、マリアお嬢様とアンナが集められた。呼び出したのは、副隊長のイリング、それに部下のロッティーとユキだ。
「エルダ、お前を呼び出したのは他でもない」
副隊長のイリングが進み出た。
「いいか、良く聞きなさい、この場でエルダを解雇することにした。今すぐ宿営地から退去しなさい。これは隊長の決定だ」
「はっ・・・」
アリスは何を言い出すのかと耳を疑った。
「地下牢に倒れていたのを助けてやったのが間違いだったんだ」
ロッティーがエルダを睨み付けた。
隊長から、エルダをクビにせよ、さもなければ格下げだと厳しく言われた。今度こそ失敗は許されない。
エルダなんか、荒野に置き去りになって一人で彷徨うがいいのだ。
「不正に入隊した者など出て行け」
胸を突くとエルダがよろめいた。
ユキもここぞとばかりにマリアをイジメた。軽く押しただけでマリアはヘナヘナと地面に膝を付いた。
「お嬢様に何をするんですか」
アンナがマリアの身体を支える。
「何がお嬢様よ、笑わせるんじゃない。あんたなんかニセ貴族、ニセお嬢様なんでしょう」
ユキがマリアの背中を蹴った。
「ひゃん」
「アリス、お前の部隊は、どいつもこいつもダメなヤツばかりだ。副隊長補佐は不倫、エルダはニセ指揮官。それから、確か、ベルネっていう隊員がいたでしょう」
イリングがアリスの部隊への口撃を始めた。
「ベルネは前の部隊で上官を殴って罰せられたのよ、不倫部隊にはピッタリの部下だわね」
「上官を殴った?」
アリスはベルネが上官を殴ったことなど聞いてはいなかった。運よく戦争で生き残ったとしても今度は部下に殴られるかもしれない。
「ロッティー、エルダを叩き潰しなさい。痛め付けてから追放するのよ」
「はいっ」
ロッティーがエルダに飛び掛かった。肩口から体当して吹っ飛ばし、髪を掴んで振り回した。
「くたばれ、エルダ」
倒れたエルダの上に跨り、腕をねじ伏せて押さえ付けると、バシバシと平手打ちを叩き込んだ。
「あふう・・・」
エルダが動かなくなった。
「やったわ、私の勝ち」
ロッティーが勝ち誇った。
アリスはオロオロするばかりで助けることができなかった。不倫をした報いだとしてもあまりにも酷い仕打ちだ。エルダを解雇するのなら出陣の前に宣告すればいいではないか。それを、最前線まで来てから追放するとは・・・
向こうではお嬢様がユキに背中を踏まれていた。
「助けて、アンナ」
「お嬢様」
止めようとして飛び出したアンナの前にイリングが立ち塞がった。アンナはお嬢様が虐められているのを黙って見ているしかなかった。
すでにエルダはぐったりしてピクリとも動かない。ロッティーがエルダの背後に回った。
「首を絞めてやるわ」
腕を巻き付けてグイッと締め上げる。
追放するだけではつまらない、気絶させて道端に捨てるのだ。
「グググ・・・」
エルダが苦し紛れに右手を伸ばしてきた。ロッティーの首筋を掴もうとしたが構わずに締め上げた。
「グッ、ギャアア」
突然、ロッティーが悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。
「痛いっ」
首筋に激痛が走った。
「エルダ、何をやったの・・・お前」
立ち上がりかけたロッティーだったが、膝から崩れ落ち、捩じれるように仰向けに倒れた。
「あひぇ」
ビクン、ビクン。
ロッティーは激しく痙攣し口から泡を吹いて失神した。
その隙にアリスはエルダを助け出そうとした。しかし、エルダもロッティーに首を絞められて倒れ込んでいた。
何があったのか・・・目の前で起こったことが信じられなかった。アリスが見る限りではエルダは武器を持ってはいなかった。ロッティーの首筋に右手を当てただけで失神させたのだった。魔法でも使ったのだろうか。
「バカモノ、お前なんかクビだ。顔も見たくない」
イリングがロッティーに言い放った。
一方的に攻めておきながら反撃を受けて気絶させられるとは、まったく情けない。エルダに負けたロッティーなど、部隊に置いておくことはできない。見せしめのためにロッティーを追放することに決めた。
「今すぐ立ち去りなさい」
「ヒイイ、ヒヒイ・・・お許しを、どうか、お許しを」
憐れ、ロッティーは地面に這いつくばって泣き続けた。
そのころシュロス月光軍団は一足先に国境付近に陣を敷いていた。隊長のスワン・フロイジア、参謀のコーリアス、副隊長のミレイが部隊を率いている。留守役だったフィデス・ステンマルクも出陣を命じられ部下のナンリとともに前線へ向かっていた。
隊長のスワンは来訪するローズ騎士団を避けるために出陣した。この戦いで戦果を挙げて騎士団に見せ付けることが目的である。カッセル守備隊は隊員不足や司令官の不在が続き、陣容は整っていない。叩くには絶好の機会だ。とはいえ、守備隊を壊滅させようとまでは考えていない。こちらの兵力の損害は最小にして、敵の幹部を捕虜にできればよいのだ。
それだから、守備隊にじっくり待たれるのが一番困る。戦いが長引けば、来訪したローズ騎士団が王宮へ帰ってしまいかねない。接待をほったらかして兵を動かしたことが王都に知られたら懲罰物だ。
しかし、待っていても守備隊は動きそうになかった。スワンは次第に苛立ちが募ってきた。そろそろ、こちらから作戦を仕掛ける時だ。
スワンは参謀のコーリアスに前線の状況を尋ねた。
「守備隊の陣立てが整う前にさらに進軍しておきたいのですが・・・また黒い騎士が現れましたので、やや足止めされています」
昨日、月光軍団の行く手を阻むかのように黒づくめの鎧兜を身にまとった騎士が出現した。矢を射かけてみたが、その騎士が剣を振り回して叩き落としてしまった。数人が斬りかかったところ、その黒ずくめの騎士は地面に亀裂を生じさせ地下に消えたというのだ。
「黒い騎士を見た若い隊員の中には、悪魔か怪物だと言う者が出る始末です」
「怪物か・・・」
黒づくめの騎士に備えて見張りを増やしておくようにと命令した。それよりは守備隊をおびき寄せる方策が大事だ。
〇 〇 〇
【長くなってきましたので、このあとの展開は、あらすじで簡単にご紹介します】
シュロス月光軍団はカッセル守備隊をおびき出す作戦を仕掛けます。そうとは知らず、守備隊の隊長リュメックは勢い込んで自ら突進したのですが、敵の罠に嵌ってしまい包囲されてしまいます。アリスたちが警護する後方の輸送隊にも前線から兵士が逃げてきました・・・
〇 〇 〇
バラバラと逃げてくる守備隊の兵士を見て輸送隊は騒然となった。
兵士の話では、月光軍団の待ち伏せ攻撃により隊長は孤立、周囲を敵に囲まれてしまったという。
輸送隊の責任者カエデが「副隊長のイリングさんが別動隊で加勢するはずだが」と訊くと、まだ副隊長の援軍は来ていないとのことだった。
カエデは輸送隊の主だった部下と護衛に当たっているアリス、エルダを集めた。
「後退の準備を始めます。護衛部隊も配置に付いてください」
さっそく荷馬車が方向転換を始めた。しかし、何台もの馬車が一斉に回転したのでたちまち渋滞が発生してしまった。
車が軋み、馬がいななく。
荷馬車と一緒に後ろへ下がろうとしたアリスをエルダが呼び止めた。
「アリスさん、部下に指令を与えてください」
「はい、指揮官がそう言うのでしたら・・・」
エルダに促されてやむなくアリスは指令を出してみた。ベルネ、スターチ、リーナを敵襲に備えるため最前列に配置し、というか丁寧にお願いし、他の隊員は救護班の応援に行くように言った。戦場で初めての指示だったが、ベルネたちは素早く展開し三姉妹も救護テントに向かった。
やればできるんだ。アリスは部下が素直に指示に従ってくれたことに感激した。よし、今度こそ安全な場所へ退避できると思ったのだが、またしてもエルダに腕を掴まれた。
「私たちはこっちです」
エルダに手を引かれて行った先は輸送隊の最後尾、すなわち敵陣に近い戦いの最前列だった。
石ころだらけの道、その先の鬱蒼とした森。遠くには小高い丘や岩肌が剥き出しの山が見える。顔に当たる風が痛い。戦場はずっと遠くだが兵士の叫び声が聞こえてくるような気がした。今にも矢が飛んできそうだ。
後方にいられるはずが、最悪の事態に最悪の場所だ。
「よお、隊長」
兵士のベルネが振り返った。
「ここへ来てごらん、血の匂いがするから」
「遠慮しておきます」
「逃げるなよ、逃げたら槍で突き刺す」
上官を殴って部隊をクビになったベルネなら本気でやりそうなことだ。
そこへまた味方の兵士が何人も逃げてきた。負傷した兵も目立つ。アリスがあたふたしているのに比べ、エルダは落ち着いて対処していた。怪我をした者は手当てのため救護班に運ばせ、軽傷の兵士からは前線の情報を聞き取った。
その兵士は、本隊はますます月光軍団に攻め込まれ、隊長のリュメック逃げ場を失ったと訴えた。
「援軍は? 副隊長の援軍は」
エルダが問い質したが兵士は首を振るだけだ。
この時点でも援軍が合流できていないというのは、副隊長にも非常事態が発生したと考えるべきだ。
救護班のテントでも問題が起きていた。マリアお嬢様は任務をサボって寝ていたところをアンナに叩き起こされた。
「騒がしいなあ、何があったの」
「戦争です、お嬢様。いよいよ本格的な戦いが始まったのです」
「ウッソー、知らなかった。それで、どっちが勝ったの」
「こっちに決まってるでしょう、と言いたいところですが、守備隊が負けそうな状況です」
「ヤバい」
お嬢様はまた布団を被った。
「怪我人が運ばれてきて行列ができているんです。お嬢様が寝ていては手当てができません、そこをどいてください」
「あーあ、だから、こんなとこ来るんじゃなかった」
ブツブツ言いながらもマリアお嬢様はテントを出た。テントの外では負傷者が地面に横たわって治療を受けていた。マーゴットやクーラは傷口を洗い流して薬草を貼っている。
「お嬢様、サボってないで手伝って・・・いえ、それより、あっちへ行っててください。その方がはかどるわ」
クーラに追い払われたのでマリアは行列の後に回った。そこで『最後尾』の札を持って列を整理しているロッティーと鉢合わせになった。
ロッティーは、エルダを追い出そうとしてしたのだが逆襲に遭って気絶させられてしまった。隊長の怒りを買って部隊を追放になり、やむなく救護班に身を置くことになったのだ。
「お寝覚めですか、お嬢様」
お嬢様にも敬語を使って敬うロッティーだった。
隊長から見放されたロッティーは、ここでもダメなら逃亡するしかない。
あるいは、戦況次第では敵に寝返るという道もあるのだが・・・
後書き
未設定
作者:かおるこ |
投稿日:2021/12/11 09:58 更新日:2021/12/11 09:58 『新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編』の著作権は、すべて作者 かおるこ様に属します。 |
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