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「新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編」を読み始めました。
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新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編
小説の属性:ライトノベル / 異世界ファンタジー / 激辛批評希望 / 初投稿・初心者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
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【見捨てられたアリス】
前の話 | 目次 | 次の話 |
輸送隊の荷馬車が転回を終えて整列した。あとは退却命令を待つだけとなった。
「エルダさん、そろそろ撤収命令を出した方がいいんじゃない」
アリスとしては荷馬車と一緒に早く安全な所まで退避したい気持ちだ。
「まさか、ここまでは攻めてきませんよね。でも、もうちょっと後ろへ下がっておいた方が安心かと」
「おっしゃる通りです。負傷者の手当てをすませたら救護班のテントを畳んで馬車に積み込みましょう」
ついでに自分も馬車に乗り込みたいとアリスは願った。
しかし、状況が一変した。
副隊長のイリングたちが馬に騎乗してなだれ込んできたのだ。イリングは手勢を率いて本隊と合流するはずだった。それが、輸送隊の待機しているところまで後退してきたのだった。
「早く、救援を」
「ここには荷馬車の護衛しかいません」
輸送隊のカエデが答えた。
「見れば分かる。兵を出しなさいと言ってるでしょ、隊長を助けるのよ」
自分は逃げてきておきながら、援軍を出せと言う。
さらにイリングは、
「エルダ、お前が余計な口出しをするから、作戦が混乱したんだ」
と、責任を転嫁してきた。
その間にも負傷した兵が担ぎ込まれてくる。これではますます損害が大きくなる一方だ。
兵士たちを助けなくては・・・
エルダは迷わず決断した。
「分かりました。私の部隊の兵士を救援に向かわせます」
そう言ってアリスを振り返る。
「いいですね、アリスさん」
「ええ、まあ、エルダさんがそう言うのでしたら」
だから早く撤収すればよかったのに・・・
逃げるチャンスを失ってアリスは頭を抱え込んだ。
エルダはベルネ、スターチ、リーナを呼び寄せた。救援部隊として送り込めるのはこの三人しかいない。退却してきた隊員たちからおおよその状況は聞き取ってあるので、すぐに三人に指示を出す。
「ベルネさん、スターチさん、リーナさんを援軍として派遣します。急いで敵の陣営に向かってください」
「はいっ」
「すでにリュメック隊長が捕虜になっていた場合は負傷兵の救出を優先しなさい。交戦中の場合は突撃して敵を蹴散らし、隊長を逃がしなさい」
「了解」
「隊長を追って敵が追撃してくるに違いありません、私たちはこの場所で陣地を構築して迎え撃つこととします」
「任せてください。必ずやり遂げて帰還します」
「いいですか、無闇に敵を斬らないように。三人とも無事で帰ってきてください」
ベルネたち三人は「おうっ」と答えて馬に跨って駆け出した。
エルダが次の指示を出した。
「ここも戦場になるかもしれません。カエデさん、輸送隊の荷物を下ろして壁を作り、道を塞いでください」
「了解、軽くした方が馬車が速く走れます」
「すみませんが、荷物の空いたスペースにお嬢様を乗せてください」
お嬢様や三姉妹は安全な場所へ退避させることにした。輸送隊のカエデに連れられて、お嬢様とアンナは荷馬車に乗り込んだ。
「ベルネさんたちが無事に帰ってくれるといいんですが」
「大丈夫ですよ、きっと任務をやり遂げてくれます」
アンナは荷駄を解いてパンを取り出し背嚢に詰めた。戦闘に備え食料を小分けにして持ち運べるようにするのだ。
マリアお嬢様は幾つかの荷物を開けていたが、小さな紙包みを取り出した。
「あったわ、チョコレート。これを持って戦場に行きましょう」
「お菓子は置いていってください。お嬢様は戦場には行かなくていいんですよ、エルダさんが馬車に乗って逃げなさいと言ってくれました」
「なーんだ、つまらない」
*****
シュロス月光軍団はカッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーを包囲していた。リュメックはすでに馬を降り、守備隊の隊員を盾にして身を守っていた。
「おとなしく捕虜になりなさい」
参謀のコーリアスが馬上から見下ろした。
敵は離脱者が続出して兵力は半減している。雑兵には用がないので逃げても深追いするなと命令してある。捕虜にするのは幹部クラスの数人で良いと思っていたが、その狙い通り、隊長の身柄を確保しつつあった。物見からは、守備隊の別動隊らしき部隊を蹴散らしたという連絡が入った。予備の戦力としてフィデス・ステンマルクの部隊を参陣させたが、その必要もなかったほどだ。
信じられないくらいの大勝利である。
月光軍団隊長のスワン・フロイジアはシュロスに凱旋する姿を思い浮かべた。敵の隊長を捕虜にして連行できればローズ騎士団に対して十分すぎる戦果だ。
カッセル守備隊を撃破しただけではない、ローズ騎士団にも、ビビアン・ローラにも勝ったのだ。
この勝利を知らせるためシュロスに伝令を派遣した。伝令には、凱旋の祝賀会を準備しておくようにと伝えてある。この大勝利ならばローズ騎士団の歓迎会より豪華になるだろう。秘蔵のワインを瓶ごと一気飲みしたくなった。
貴重なワインをローラなんかに飲ませるものか。
ベルネ、スターチ、リーナの三人は全速力で馬を走らせた。途中で、後退してきた味方の兵と何度も遭遇した。状況を尋ねると、まだ戦いは続いているという。急げば間に合いそうだ。
馬を走らせ、戦場を見渡せる小高い丘に上った。
しかし、丘の上から眺めるとカッセル守備隊はもはや絶望的な状態だった。隊長の一団は敵陣深く追い詰められ周囲を取り囲まれている。傭兵集団がいたはずだが、形勢が不利と見て戦場から去ってしまったとみえる。そこかしこに月光軍団の旗がはためき、戦況の優位さを誇っているかのようだ。赤と黒に塗り分けられたバロンギア帝国の旗も見える。おそらく、そこが月光軍団の本陣であろう。勝ち戦の余裕からだろうか、本陣の警護に当たっている兵は手薄だった。
「本陣を迂回するか、それとも突っ込むか」
「突っ込むしかないね」
シュロス光軍団の若手の隊員、トリル、マギー、パテリアたちは包囲網の一番外側の外れで待機していた。いずれも軽装備の防具を着けているだけで、剣や槍などの武器は持たず、ゆっくりと寛いでいた。
戦いは月光軍団の楽勝だった。三人とも、激しい戦闘どころか、敵の姿を間近に見ることすらなかった。兵士らしい任務といえば武器の運搬をしたくらいだ。初陣としては物足りないが、なにより怪我をしなくて良かった。
もうすぐ城砦に帰れる。
「こんなことならお菓子を持ってくればよかった」
「お菓子の代わりに雑草でも齧るか」
パテリアが思い切り雑草を引き抜くと土がたくさん付いてきた。
「抜きすぎだよ、パテリア」
「待って・・・何か揺れなかった?」
「揺れた、遠くだ」
バリリ、地面が揺れた。
大地を引き裂いて地下世界の生き残りニーベルが現れた。黒づくめの鎧兜に身を包み、地の底から這い上がってきたのだ。
「敵だ」「悪魔だ」「逃げろ」ニーベルの姿を見て月光軍団にざわめきが走った。
動揺は瞬く間に広がった。隊員がざわつくのを参謀のコーリアスが「落ち着け」と鎮めようとした。しかし、いったん広がった波紋は消すことができない。副隊長のミレイまでもが浮足立った。
よりによってこんな時に、悪魔ではないかと噂していた黒づくめの不気味な騎士が現れたのだ。
「あんなヤツにかまうな。敵は守備隊の隊長だ、捕虜にせよ」
コーリアスが指示を出したが、包囲していた陣形が崩れ出すのを止められなかった。
「わわあー」
マギーとパテリアは歓声が聞こえただけで腰を抜かした。
敵陣の只中に異変が起きたのを見逃すはずはない。カッセル守備隊の救援部隊は丘を駆け下りて本陣を目指した。
シュロス月光軍団の本陣は大騒ぎになった。隊長のスワンが乗った馬車の脇を、騎士の一団が駆け抜けていったのだ。
「こっちにも悪魔が」「怪物だ」「隊長を守れ」
先ほどまでの楽勝ムードは一瞬にして消し飛んでしまった。
「ほら、お前だ」
守備隊のリーナは中る(あたる)を幸い、鋭い槍で突きまくった。群がる数人を蹴散らし、その勢いでジュリナをなぎ倒した。
ベルネは疾走する馬上から剣を振り回した。
「邪魔だ、命が惜しければ下がっていろ」
バシッ
すれ違いざまに副隊長のミレイを弾き飛ばした。
「あっひゃあ」
ミレイは転げ落ちた。
これを見た部下が弓を取り矢をつがえたが、スターチの投げた飛礫が射撃手の腕を直撃した。
「あれは何者だ」
リーナが敵陣を威圧するように立っている黒づくめの騎士を指した。敵か味方かは分からないが、どちらにせよ、守備隊に加勢してくれていることには間違いない
ベルネは隊長のリュメックの元へ駆け寄った。敵の抵抗はほとんど受けることはなかった。月光軍団はベルネたち三人を黒い騎士の仲間だと恐れて包囲網を解いたのだった。
「隊長、ご無事で」
「あわわ、お前は誰だ」
「輸送部隊の警備兵です。指揮官のエルダさんの指令により隊長を救出にきました」
「ああ、エ、エルダの・・・そうか」
追放しようとしていたエルダの部隊が救援に駆け付けたとあって、リュメックは面目丸つぶれだった。ベルネが先導し、守備隊の兵とともにリュメックは包囲網を抜け出すことができた。ベルネはそこで自分の乗ってきた馬を味方の兵士に与えた。
「隊長、先に逃げてください、我々がここで敵を防ぎます」
「ああ、そうする」
リュメックは礼もそこそこに馬を駆った。
「ベルネ、隊長と一緒に退却するんじゃなかった? こんな敵の真ん中で食い止めるなんて、エルダさん、そんなこと言ってたかな」
指揮官のエルダは、輸送隊が待機している所で陣地を作っていると言っていたはずだ。
「そうだっけ、スターチ。あたし間違えたかな」
「大間違いだ。見てごらん、敵は百人くらいいるよ。でもって、こっちはたったの三人、馬はないし、どうする」
「どうするって言われても・・・やることは一つだよ」
「そうだよね」
「逃げよう」
月光軍団のトリルは気が逸った。
黒づくめの騎士が出現したことで優勢だった状況が一変してしまった。三人ばかり突入してきたのだが、それが黒づくめの騎士の仲間なのか、それとも敵の突撃隊なのか分からない。しかし、相手は僅かな人数だ。出陣前に部隊長のナンリに訓練を受けた、その成果の見せ所だ。
体当たりでもなんでもしてやる。
だが・・・足がすくんで動けなくなった。
月光軍団の隊長スワン・フロイジアはただ茫然として見ているだけだった。
正体不明の黒づくめの騎士が出現したことによって戦場は大混乱になった。それと同時に本陣になだれ込んできた者たちは、悪魔の騎士の仲間かと思うほど暴れまくった。突撃してきたのが守備隊だと判明した時はすでに手遅れだった。捕らえたはずの守備隊の隊長に逃げられてしまった。
これではローズ騎士団に合わせる顔がなくなった。手ぶらでシュロスに戻ったのではローラに罵倒される・・・
このまま指を銜えて見ているわけにはいかない。こちらには無傷の兵、百数十人がいるではないか。
「敵は数騎だ、全軍、追撃するのよ」
予備兵力として参戦していたフィデス・ステンマルクと部下のナンリは逃走する敵を追走した。守備隊が突撃してきて数騎で月光軍団を蹂躙していった。むしろ陣営を駆け抜けていったと言うべきだ。敵の兵は本陣には目もくれず守備隊の隊長を救出しに来たのだ。
「ナンリ、あそこに」
前方に、馬に乗らず走って逃走する三人が目に入った。遠目に見ても殺気を孕んだ姿である。
逃がすものかと、たちまち追い抜き、前に回り込み行く手を塞いだ。
フィデスとナンリが馬を下りた。対するはベルネ、スターチ、リーナの三人だ。
「ううむ」
構えを見ただけで只者ではないと分かる。久しぶりに出遭った強敵にナンリの闘志はメラメラと燃えた。
斬り合いが始まった。
ガキン、バシッ
ナンリが睨んだとおり、なかなか手強い相手だ。だが、それにしては鎧といい兜といい、身に着けた装備は軽い。対するナンリは革製の上着にたくし上げたスカートを履き、腹部胴体は鎧で覆い隠している。敵は歩兵だろうか、騎士でもないのにこんなに強い兵がいるとは驚いた。
二対三、数では不利だがナンリは後へは引かない。ベルネとスターチを相手に二刀流で互角に剣を合わせた。
ビユッ
ナンリの小刀がベルネの肩口を掠めた。ナンリは左手の小刀でベルネと対峙し、右手にした剣でスターチと間合いを保つ。
しかし、フィデスがリーナに押し込まれていた。フィデスの悲鳴に振り向いた瞬間、ナンリは小刀を叩き落とされた。
「あっ」
斬られると覚悟した。だが、敵は剣を収めて駆け出していった。
「大丈夫ですか、フィデスさん」
「ええ、危ないところでした」
「手強い奴らだった」
剣を落とされたのでは負けに等しい。ナンリは駆けていく三人の後ろ姿をキッと睨んだ。
とにかく逃げることが先だ、ベルネたちはまた走り出した。今の闘いでかなり遅れてしまった。追いつかれないように速度を上げる。しかし、息が苦しくなってドタンと倒れ込んだ。
「後方で陣を張って待っているんだよね」
「ああ、でも、副隊長のアリスはとっくに逃げただろうな」
「馬車に乗って一目散だ」
「カッセルに帰ったら、アリスをぶっ飛ばしてやろう」
ベルネは肩口に手を当てた。小刀で斬りつけられた傷口がズキンと傷む。
地面に耳を付けたリーナが敵の足音を察知した。
「追手が来た」
九死に一生を得たカッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーは、ほうほうの体で輸送隊が待つ所へ逃げ込んできた。付き従うのは数人の部下だけだ。副隊長のイリングが救護班に向かって、水だ、薬だと大声を出している。救護班にいたロッティーは名誉挽回とばかりに水桶を運んだ。
ベルネたちは救出作戦を見事にやり遂げてくれたのだ。三人はまだか・・・指揮官のエルダは遠くを見つめた。
逃げてきた兵士によると、ベルネたち三人は隊長に馬を譲り、自分たちは走ってくるのだという。しかし、それでは、月光軍団から馬で追撃されたら、たちまち追い付かれてしまうだろう。無事に戻ってくれればいいのだが。
月光軍団の部隊は百人かそれ以上と思われる。こちらの兵力はせいぜい五十人しかいない。ここで陣地を構築したとしても、追撃してくる第一陣を食い止めるのが精一杯だ。
隊長と副隊長には先頭に立って戦ってもらいたい・・・
「エルダさん、大変、隊長が」
輸送隊の責任者カエデが慌てて駆け込んできた。
「隊長が退却する」
カッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーが退却しようとしていた。
エルダが馬車の集合場所へ駆け付けると、マリアお嬢様が荷台にしがみついているところだった。それを、先に乗り込んでいたイリングとユキが押し出そうとしている。
「あんたなんか乗せるもんか」
ユキがお嬢様の手を引っ叩いた。
「あっ、ひゃん」
お嬢様が荷台から落下した。
「うわっ・・・」
寸でのところで抱き止めたのはアリスだった。だが、アリスは落ちてきたお嬢様の下敷きになった。
「アリス、エルダ、お前たちは撤退の最後尾、しんがり部隊になれ、隊長の命令だ」
「待ってください、せめてお嬢様だけでも馬車に乗せてください」
エルダが叫んだ。
横からロッティーが荷台に手を掛けた。
「待って・・・私も乗せて」
隊長とともにイリングとユキが馬車で逃げようとしているのだった。
自分だけ置いていくなんて・・・
「お前も同罪だ、ロッティー。ここに残れ」
イリングが馬車の幌を閉じた。
「待って、待って・・・助けて」
ロッティーの声をかき消すように車輪がガラガラと回りだした。
「あはあ・・・あはあ」
ロッティーはヘナヘナと崩れ落ちた。
隊長を乗せた馬車がどんどん小さくなっていく。
アリスは戦場の真っ只中に置き去りにされたのだ。いざとなったら部下を差し置いても自分だけは助かろうとしていたのに、あろうことか、上官に見捨てられてしまったのである。
「こんなはずではなかった」
しかし、その原因を作ったのは不倫をしたアリスに他ならなかった。
そこへベルネたちが戻ってきた。三人とも無事だった。全速力で走り続けてきたのでゼイゼイと荒い息で倒れ込む。
「指揮官、エルダさん、敵が来る、敵が。陣立ては・・・ゴホッ」
ベルネが見渡したが防御の陣地どころか味方の兵は僅か数人しかいない。
「隊長はどこ」
「逃げてしまったわ」
「なんですって」
「私たちはしんがりを任されたの」
「エルダさん、そろそろ撤収命令を出した方がいいんじゃない」
アリスとしては荷馬車と一緒に早く安全な所まで退避したい気持ちだ。
「まさか、ここまでは攻めてきませんよね。でも、もうちょっと後ろへ下がっておいた方が安心かと」
「おっしゃる通りです。負傷者の手当てをすませたら救護班のテントを畳んで馬車に積み込みましょう」
ついでに自分も馬車に乗り込みたいとアリスは願った。
しかし、状況が一変した。
副隊長のイリングたちが馬に騎乗してなだれ込んできたのだ。イリングは手勢を率いて本隊と合流するはずだった。それが、輸送隊の待機しているところまで後退してきたのだった。
「早く、救援を」
「ここには荷馬車の護衛しかいません」
輸送隊のカエデが答えた。
「見れば分かる。兵を出しなさいと言ってるでしょ、隊長を助けるのよ」
自分は逃げてきておきながら、援軍を出せと言う。
さらにイリングは、
「エルダ、お前が余計な口出しをするから、作戦が混乱したんだ」
と、責任を転嫁してきた。
その間にも負傷した兵が担ぎ込まれてくる。これではますます損害が大きくなる一方だ。
兵士たちを助けなくては・・・
エルダは迷わず決断した。
「分かりました。私の部隊の兵士を救援に向かわせます」
そう言ってアリスを振り返る。
「いいですね、アリスさん」
「ええ、まあ、エルダさんがそう言うのでしたら」
だから早く撤収すればよかったのに・・・
逃げるチャンスを失ってアリスは頭を抱え込んだ。
エルダはベルネ、スターチ、リーナを呼び寄せた。救援部隊として送り込めるのはこの三人しかいない。退却してきた隊員たちからおおよその状況は聞き取ってあるので、すぐに三人に指示を出す。
「ベルネさん、スターチさん、リーナさんを援軍として派遣します。急いで敵の陣営に向かってください」
「はいっ」
「すでにリュメック隊長が捕虜になっていた場合は負傷兵の救出を優先しなさい。交戦中の場合は突撃して敵を蹴散らし、隊長を逃がしなさい」
「了解」
「隊長を追って敵が追撃してくるに違いありません、私たちはこの場所で陣地を構築して迎え撃つこととします」
「任せてください。必ずやり遂げて帰還します」
「いいですか、無闇に敵を斬らないように。三人とも無事で帰ってきてください」
ベルネたち三人は「おうっ」と答えて馬に跨って駆け出した。
エルダが次の指示を出した。
「ここも戦場になるかもしれません。カエデさん、輸送隊の荷物を下ろして壁を作り、道を塞いでください」
「了解、軽くした方が馬車が速く走れます」
「すみませんが、荷物の空いたスペースにお嬢様を乗せてください」
お嬢様や三姉妹は安全な場所へ退避させることにした。輸送隊のカエデに連れられて、お嬢様とアンナは荷馬車に乗り込んだ。
「ベルネさんたちが無事に帰ってくれるといいんですが」
「大丈夫ですよ、きっと任務をやり遂げてくれます」
アンナは荷駄を解いてパンを取り出し背嚢に詰めた。戦闘に備え食料を小分けにして持ち運べるようにするのだ。
マリアお嬢様は幾つかの荷物を開けていたが、小さな紙包みを取り出した。
「あったわ、チョコレート。これを持って戦場に行きましょう」
「お菓子は置いていってください。お嬢様は戦場には行かなくていいんですよ、エルダさんが馬車に乗って逃げなさいと言ってくれました」
「なーんだ、つまらない」
*****
シュロス月光軍団はカッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーを包囲していた。リュメックはすでに馬を降り、守備隊の隊員を盾にして身を守っていた。
「おとなしく捕虜になりなさい」
参謀のコーリアスが馬上から見下ろした。
敵は離脱者が続出して兵力は半減している。雑兵には用がないので逃げても深追いするなと命令してある。捕虜にするのは幹部クラスの数人で良いと思っていたが、その狙い通り、隊長の身柄を確保しつつあった。物見からは、守備隊の別動隊らしき部隊を蹴散らしたという連絡が入った。予備の戦力としてフィデス・ステンマルクの部隊を参陣させたが、その必要もなかったほどだ。
信じられないくらいの大勝利である。
月光軍団隊長のスワン・フロイジアはシュロスに凱旋する姿を思い浮かべた。敵の隊長を捕虜にして連行できればローズ騎士団に対して十分すぎる戦果だ。
カッセル守備隊を撃破しただけではない、ローズ騎士団にも、ビビアン・ローラにも勝ったのだ。
この勝利を知らせるためシュロスに伝令を派遣した。伝令には、凱旋の祝賀会を準備しておくようにと伝えてある。この大勝利ならばローズ騎士団の歓迎会より豪華になるだろう。秘蔵のワインを瓶ごと一気飲みしたくなった。
貴重なワインをローラなんかに飲ませるものか。
ベルネ、スターチ、リーナの三人は全速力で馬を走らせた。途中で、後退してきた味方の兵と何度も遭遇した。状況を尋ねると、まだ戦いは続いているという。急げば間に合いそうだ。
馬を走らせ、戦場を見渡せる小高い丘に上った。
しかし、丘の上から眺めるとカッセル守備隊はもはや絶望的な状態だった。隊長の一団は敵陣深く追い詰められ周囲を取り囲まれている。傭兵集団がいたはずだが、形勢が不利と見て戦場から去ってしまったとみえる。そこかしこに月光軍団の旗がはためき、戦況の優位さを誇っているかのようだ。赤と黒に塗り分けられたバロンギア帝国の旗も見える。おそらく、そこが月光軍団の本陣であろう。勝ち戦の余裕からだろうか、本陣の警護に当たっている兵は手薄だった。
「本陣を迂回するか、それとも突っ込むか」
「突っ込むしかないね」
シュロス光軍団の若手の隊員、トリル、マギー、パテリアたちは包囲網の一番外側の外れで待機していた。いずれも軽装備の防具を着けているだけで、剣や槍などの武器は持たず、ゆっくりと寛いでいた。
戦いは月光軍団の楽勝だった。三人とも、激しい戦闘どころか、敵の姿を間近に見ることすらなかった。兵士らしい任務といえば武器の運搬をしたくらいだ。初陣としては物足りないが、なにより怪我をしなくて良かった。
もうすぐ城砦に帰れる。
「こんなことならお菓子を持ってくればよかった」
「お菓子の代わりに雑草でも齧るか」
パテリアが思い切り雑草を引き抜くと土がたくさん付いてきた。
「抜きすぎだよ、パテリア」
「待って・・・何か揺れなかった?」
「揺れた、遠くだ」
バリリ、地面が揺れた。
大地を引き裂いて地下世界の生き残りニーベルが現れた。黒づくめの鎧兜に身を包み、地の底から這い上がってきたのだ。
「敵だ」「悪魔だ」「逃げろ」ニーベルの姿を見て月光軍団にざわめきが走った。
動揺は瞬く間に広がった。隊員がざわつくのを参謀のコーリアスが「落ち着け」と鎮めようとした。しかし、いったん広がった波紋は消すことができない。副隊長のミレイまでもが浮足立った。
よりによってこんな時に、悪魔ではないかと噂していた黒づくめの不気味な騎士が現れたのだ。
「あんなヤツにかまうな。敵は守備隊の隊長だ、捕虜にせよ」
コーリアスが指示を出したが、包囲していた陣形が崩れ出すのを止められなかった。
「わわあー」
マギーとパテリアは歓声が聞こえただけで腰を抜かした。
敵陣の只中に異変が起きたのを見逃すはずはない。カッセル守備隊の救援部隊は丘を駆け下りて本陣を目指した。
シュロス月光軍団の本陣は大騒ぎになった。隊長のスワンが乗った馬車の脇を、騎士の一団が駆け抜けていったのだ。
「こっちにも悪魔が」「怪物だ」「隊長を守れ」
先ほどまでの楽勝ムードは一瞬にして消し飛んでしまった。
「ほら、お前だ」
守備隊のリーナは中る(あたる)を幸い、鋭い槍で突きまくった。群がる数人を蹴散らし、その勢いでジュリナをなぎ倒した。
ベルネは疾走する馬上から剣を振り回した。
「邪魔だ、命が惜しければ下がっていろ」
バシッ
すれ違いざまに副隊長のミレイを弾き飛ばした。
「あっひゃあ」
ミレイは転げ落ちた。
これを見た部下が弓を取り矢をつがえたが、スターチの投げた飛礫が射撃手の腕を直撃した。
「あれは何者だ」
リーナが敵陣を威圧するように立っている黒づくめの騎士を指した。敵か味方かは分からないが、どちらにせよ、守備隊に加勢してくれていることには間違いない
ベルネは隊長のリュメックの元へ駆け寄った。敵の抵抗はほとんど受けることはなかった。月光軍団はベルネたち三人を黒い騎士の仲間だと恐れて包囲網を解いたのだった。
「隊長、ご無事で」
「あわわ、お前は誰だ」
「輸送部隊の警備兵です。指揮官のエルダさんの指令により隊長を救出にきました」
「ああ、エ、エルダの・・・そうか」
追放しようとしていたエルダの部隊が救援に駆け付けたとあって、リュメックは面目丸つぶれだった。ベルネが先導し、守備隊の兵とともにリュメックは包囲網を抜け出すことができた。ベルネはそこで自分の乗ってきた馬を味方の兵士に与えた。
「隊長、先に逃げてください、我々がここで敵を防ぎます」
「ああ、そうする」
リュメックは礼もそこそこに馬を駆った。
「ベルネ、隊長と一緒に退却するんじゃなかった? こんな敵の真ん中で食い止めるなんて、エルダさん、そんなこと言ってたかな」
指揮官のエルダは、輸送隊が待機している所で陣地を作っていると言っていたはずだ。
「そうだっけ、スターチ。あたし間違えたかな」
「大間違いだ。見てごらん、敵は百人くらいいるよ。でもって、こっちはたったの三人、馬はないし、どうする」
「どうするって言われても・・・やることは一つだよ」
「そうだよね」
「逃げよう」
月光軍団のトリルは気が逸った。
黒づくめの騎士が出現したことで優勢だった状況が一変してしまった。三人ばかり突入してきたのだが、それが黒づくめの騎士の仲間なのか、それとも敵の突撃隊なのか分からない。しかし、相手は僅かな人数だ。出陣前に部隊長のナンリに訓練を受けた、その成果の見せ所だ。
体当たりでもなんでもしてやる。
だが・・・足がすくんで動けなくなった。
月光軍団の隊長スワン・フロイジアはただ茫然として見ているだけだった。
正体不明の黒づくめの騎士が出現したことによって戦場は大混乱になった。それと同時に本陣になだれ込んできた者たちは、悪魔の騎士の仲間かと思うほど暴れまくった。突撃してきたのが守備隊だと判明した時はすでに手遅れだった。捕らえたはずの守備隊の隊長に逃げられてしまった。
これではローズ騎士団に合わせる顔がなくなった。手ぶらでシュロスに戻ったのではローラに罵倒される・・・
このまま指を銜えて見ているわけにはいかない。こちらには無傷の兵、百数十人がいるではないか。
「敵は数騎だ、全軍、追撃するのよ」
予備兵力として参戦していたフィデス・ステンマルクと部下のナンリは逃走する敵を追走した。守備隊が突撃してきて数騎で月光軍団を蹂躙していった。むしろ陣営を駆け抜けていったと言うべきだ。敵の兵は本陣には目もくれず守備隊の隊長を救出しに来たのだ。
「ナンリ、あそこに」
前方に、馬に乗らず走って逃走する三人が目に入った。遠目に見ても殺気を孕んだ姿である。
逃がすものかと、たちまち追い抜き、前に回り込み行く手を塞いだ。
フィデスとナンリが馬を下りた。対するはベルネ、スターチ、リーナの三人だ。
「ううむ」
構えを見ただけで只者ではないと分かる。久しぶりに出遭った強敵にナンリの闘志はメラメラと燃えた。
斬り合いが始まった。
ガキン、バシッ
ナンリが睨んだとおり、なかなか手強い相手だ。だが、それにしては鎧といい兜といい、身に着けた装備は軽い。対するナンリは革製の上着にたくし上げたスカートを履き、腹部胴体は鎧で覆い隠している。敵は歩兵だろうか、騎士でもないのにこんなに強い兵がいるとは驚いた。
二対三、数では不利だがナンリは後へは引かない。ベルネとスターチを相手に二刀流で互角に剣を合わせた。
ビユッ
ナンリの小刀がベルネの肩口を掠めた。ナンリは左手の小刀でベルネと対峙し、右手にした剣でスターチと間合いを保つ。
しかし、フィデスがリーナに押し込まれていた。フィデスの悲鳴に振り向いた瞬間、ナンリは小刀を叩き落とされた。
「あっ」
斬られると覚悟した。だが、敵は剣を収めて駆け出していった。
「大丈夫ですか、フィデスさん」
「ええ、危ないところでした」
「手強い奴らだった」
剣を落とされたのでは負けに等しい。ナンリは駆けていく三人の後ろ姿をキッと睨んだ。
とにかく逃げることが先だ、ベルネたちはまた走り出した。今の闘いでかなり遅れてしまった。追いつかれないように速度を上げる。しかし、息が苦しくなってドタンと倒れ込んだ。
「後方で陣を張って待っているんだよね」
「ああ、でも、副隊長のアリスはとっくに逃げただろうな」
「馬車に乗って一目散だ」
「カッセルに帰ったら、アリスをぶっ飛ばしてやろう」
ベルネは肩口に手を当てた。小刀で斬りつけられた傷口がズキンと傷む。
地面に耳を付けたリーナが敵の足音を察知した。
「追手が来た」
九死に一生を得たカッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーは、ほうほうの体で輸送隊が待つ所へ逃げ込んできた。付き従うのは数人の部下だけだ。副隊長のイリングが救護班に向かって、水だ、薬だと大声を出している。救護班にいたロッティーは名誉挽回とばかりに水桶を運んだ。
ベルネたちは救出作戦を見事にやり遂げてくれたのだ。三人はまだか・・・指揮官のエルダは遠くを見つめた。
逃げてきた兵士によると、ベルネたち三人は隊長に馬を譲り、自分たちは走ってくるのだという。しかし、それでは、月光軍団から馬で追撃されたら、たちまち追い付かれてしまうだろう。無事に戻ってくれればいいのだが。
月光軍団の部隊は百人かそれ以上と思われる。こちらの兵力はせいぜい五十人しかいない。ここで陣地を構築したとしても、追撃してくる第一陣を食い止めるのが精一杯だ。
隊長と副隊長には先頭に立って戦ってもらいたい・・・
「エルダさん、大変、隊長が」
輸送隊の責任者カエデが慌てて駆け込んできた。
「隊長が退却する」
カッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーが退却しようとしていた。
エルダが馬車の集合場所へ駆け付けると、マリアお嬢様が荷台にしがみついているところだった。それを、先に乗り込んでいたイリングとユキが押し出そうとしている。
「あんたなんか乗せるもんか」
ユキがお嬢様の手を引っ叩いた。
「あっ、ひゃん」
お嬢様が荷台から落下した。
「うわっ・・・」
寸でのところで抱き止めたのはアリスだった。だが、アリスは落ちてきたお嬢様の下敷きになった。
「アリス、エルダ、お前たちは撤退の最後尾、しんがり部隊になれ、隊長の命令だ」
「待ってください、せめてお嬢様だけでも馬車に乗せてください」
エルダが叫んだ。
横からロッティーが荷台に手を掛けた。
「待って・・・私も乗せて」
隊長とともにイリングとユキが馬車で逃げようとしているのだった。
自分だけ置いていくなんて・・・
「お前も同罪だ、ロッティー。ここに残れ」
イリングが馬車の幌を閉じた。
「待って、待って・・・助けて」
ロッティーの声をかき消すように車輪がガラガラと回りだした。
「あはあ・・・あはあ」
ロッティーはヘナヘナと崩れ落ちた。
隊長を乗せた馬車がどんどん小さくなっていく。
アリスは戦場の真っ只中に置き去りにされたのだ。いざとなったら部下を差し置いても自分だけは助かろうとしていたのに、あろうことか、上官に見捨てられてしまったのである。
「こんなはずではなかった」
しかし、その原因を作ったのは不倫をしたアリスに他ならなかった。
そこへベルネたちが戻ってきた。三人とも無事だった。全速力で走り続けてきたのでゼイゼイと荒い息で倒れ込む。
「指揮官、エルダさん、敵が来る、敵が。陣立ては・・・ゴホッ」
ベルネが見渡したが防御の陣地どころか味方の兵は僅か数人しかいない。
「隊長はどこ」
「逃げてしまったわ」
「なんですって」
「私たちはしんがりを任されたの」
後書き
未設定
作者:かおるこ |
投稿日:2021/12/11 10:02 更新日:2021/12/11 10:02 『新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編』の著作権は、すべて作者 かおるこ様に属します。 |
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