作品ID:758
あなたの読了ステータス
(読了ボタン正常)一般ユーザと認識
「Reptilia ?虫篭の少女達?」を読み始めました。
読了ステータス(人数)
読了(15)・読中(0)・読止(0)・一般PV数(225)
読了した住民(一般ユーザは含まれません)
Reptilia ?虫篭の少女達?
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 休載中
前書き・紹介
第一章 日常に生きる少女 1
前の話 | 目次 | 次の話 |
夏は嫌いだった。
殺人的熱射の降り注ぐ傍から喧しい蝉の声が助長し、毎年茹だってしまう。外出した時など、街中で眩暈を起こす事もしばしばあった。ただでさえ、『虫篭』と通称される汚れた街並みは陽炎で揺らめき、震えるように踊っているので、彼は目を回してしまう。ワイシャツの襟やネクタイは無論、滝汗と垢に塗れて不愉快極まりない。今日もそんな日だった。
早河は今年五十二歳の万年平刑事である。風貌は白髪の混じったオールバックに、類人猿を彷彿とさせる野性味溢れる厳めしい顔面。しかし、奥まった小さな両目は鋭利な刃物のように光を放っていて、取り調べ相手の容疑者だけでなく、若い刑事をも震え上がらせる。天賦の才能だと誇るべきであるが、その眼光と強面のせいで彼は未だ独身である。
老境に片足を突っ込んでいる早河はそろそろ、忍耐を要する刑事という役職に限界を感じ始めていた。退職するにはまだまだであるものの、この街で刑事を務めていれば、いずれは職務を全うする前に過労か心労で死んでしまうだろう。最近はいつ辞めるのか、退職後はどうするのか、などと将来を憂いている。報告書や容疑者の履歴を眺めるよりも、隠遁生活の情報誌を眺めていたほうが脳が活発になる始末だった。
「早河さん!」
昼飯を食い終えて署に戻る時、新米である佐々木刑事とばったり会った。今日は昼からの出勤だったようだ。
佐々木はまだ刑事になって三か月、この街に配属されてまだ二日の正真正銘のひよっこだった。資料や本人談によると中々の高学歴の持ち主らしいが、もちろん現場でそれが役に立つわけではない。なぜ、エリート出世街道から大きく逸れたこの街の刑事課に彼がいるのか、早河や同僚達は異動の報せを耳にした時から疑問に思っていた。しかも、これは本人が望んでの人事らしい。
そして、そのひよっこの面倒を看てやるのが、早河の当面の仕事だった。
「お疲れのようですね」 綺麗な歯並びを見せて、にっこり佐々木は笑った。
早河は胸内で舌打ちする。垢に塗れている彼には、若く瑞々しい笑顔がとても憎たらしい。
佐々木は猛暑日だというのに何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、かっちり黒のスーツを着こなしていて、見ている方まで暑苦しくなった。彼は中背の早河より頭一つ分背が高いので、早河は若干見上げる形になってしまい、凝りの溜まった首まで痛める。そして、佐々木が署の前に突っ立っていれば、週末をスリルに過ごしたがる女子高生達に指を差され、黄色い歓声を受ける。世間一般に佐々木はイケメンと括られる顔立ちである。それが気に食わない。
要するに、早河はこの新米刑事を多少疎ましく思っていた。それもこれも、この猛暑が成す苛立ちと佐々木刑事当人の間抜けた人格に起因する。
「クソ暑ぃってのに、なんでスーツなんか着てんだ」 早河は苦々しく言った。
「身だしなみには気をつかってるんです」 佐々木が胸を張る。
「行儀の良いこったな」
「あ、よく言われるんですよ、それ。僕はもっとこう、ワイルドな男になりたいのにな?」
無視して、署内へ繋がる石段を黙々と昇る。何が可笑しいのか、佐々木はにこにこしたまま付いてくるので、早河はいよいよ舌打ちを禁じ得ない。
署内の受付ロビーは相変わらず忙しい雰囲気だ。右に左に人が行き交って、冷房が効いているのにも関わらず、誰もが汗を浮かべていた。この街の警察が退屈した事など一日たりともない。喧騒の中、涼しい顔なのは背後の佐々木くらいである。
「あの、早河さん、一つ訊きたい事があるんですけど……」
喫煙スペースのベンチに腰を下ろし、早河が煙草に火をつけた所で、突っ立っていた佐々木が口を開いた。
「なんだ?」 片眉を吊り上げて、早河は煙を吐く。
「皆が話してる“サキ”っていう女は何者なんです?」
早河は引っ込んでいる目を思わず見張った。新米の口から、いきなりその話題が飛びだしたのが意外だった。どう答えるべきか彼は思案しながら、紫煙を燻らせる。がやがやとしたざわめきの方へ、それは流れていく。
「お前、なんでこの街が『虫篭』と呼ばれてるか、知ってるか?」 早河は質問で返す。
ひとまず、佐々木の質問への答えは保留にした。
「いいえ」 新米刑事は素直に首を振る。
「害虫がな、山ほどいるからだよ」 早河は口許だけ上げて、滑稽なほどニヒルに笑った。
害虫とは、つまり犯罪者の事である。
早河達が勤めるこの街は、日本国内で最も治安の悪い街だと知られている。東京湾の沖合に浮かぶ、三本のレールで本土と繋がれた人工島の街だった。かつては産業地帯として栄えていたものの、それは半世紀も前の話だ。今は廃工場に年季の入った雑居ビル、埃っぽい商店街に封鎖された団地が並ぶ、死にかけた街だった。
ヤクザ、浮浪者、娼婦、不法入国者、時効を過ぎた指名手配犯、過ぎていない指名手配犯、暴走族にギャング気取りのガキ共、過激な宗教家、etc.……、とにかく、なんでもいる。法に背いた者達が最終的に行き着く場所がこの街なのである。しかも、そいつらはここを住処にして外へ出ようとしない。警察の影響力の弱さもさることながら、ここではそれ以上に裏稼業から得られる蜜の濃度が高いのだ。害虫のようなその連中を繋ぎとめる様相から、いつしかこの街は『虫篭』と俗称されるようになったのである。
この街で警察官を務めていれば暇を持て余す事がない。早河は苦い思いで煙を吹いた。
「その害虫の中で最も厄介とされている女がな、サキだ」
そう、この街では犯罪者であろうがなかろうが、ほとんどの人間がその悪名を知っている。ある者は避け、ある者は挑み、ある者はぼんやり眺め、ある者は手を組みたがり、ある者は捕まえようとする有名人であった。
「極道ですか? それとも、なにかもっと別の?」 佐々木は要領を得ない顔つきである。
「いや」 早河は首を振る。 「虞犯少女だ」
「虞犯少女ぉ?」 脱力した佐々木が苦笑いを浮かべる。 「家出娘と同じ扱いですか」
「甘く見るなよ。奴は、ただの人間じゃない」 早河はじろりと一瞥して、言った。
佐々木が怪訝そうに眉をひそめた。意味がわからなかったのであろう。
「ただの人間じゃないって……、どういうことですか?」
「さぁな……」 早河はとぼけて、煙を吸った。
ふと彼は、自分が不気味に笑みを浮かべているのに気付く。
サキの話題になると自然に頬が緩んでしまうのは何故だろうか。しかし、早河としては不本意だが、その非行に走る少女と顔馴染み以上の関係になっているのは否めない。苦々しく思ったものの、彼はその笑みを中々打ち消そうとはしなかった。
「ところで、佐々木。お前、わざわざ、ここに配属願いを出したそうじゃないか。なんでだ?」
何か言いかけていた佐々木に、早河は先手を打って差し止めた。沽券に関わる事なので、何となく話題を逸らしたかったのだ。
しかし、途端に佐々木の目がぱぁっと輝き出したのを見て、早河はさっそく後悔した。厄介な物に触れてしまったようだ。
「早河さん、松田優作って俳優、知ってます?」 佐々木の声のトーンが変わっていた。
「あぁ、もういいよ」 早河は舌打ちをして、立ち上がった。
所詮はクソ餓鬼の発想だ。どうせ、街に揉まれてすぐに逃げ出すだろう。早河は思った。
大抵の者がすぐに逃げ出してしまう。ましてや、異動を希望する者などいやしない。『虫篭』という街は、日本警察の管轄内で最悪の犯罪率を誇っているのだ。
その後、刑事である早河は刑事ドラマの講釈を延々と佐々木に聞かされる羽目になった。終いは、彼の「うるせぇっ」の喝で幕を閉じた。
殺人的熱射の降り注ぐ傍から喧しい蝉の声が助長し、毎年茹だってしまう。外出した時など、街中で眩暈を起こす事もしばしばあった。ただでさえ、『虫篭』と通称される汚れた街並みは陽炎で揺らめき、震えるように踊っているので、彼は目を回してしまう。ワイシャツの襟やネクタイは無論、滝汗と垢に塗れて不愉快極まりない。今日もそんな日だった。
早河は今年五十二歳の万年平刑事である。風貌は白髪の混じったオールバックに、類人猿を彷彿とさせる野性味溢れる厳めしい顔面。しかし、奥まった小さな両目は鋭利な刃物のように光を放っていて、取り調べ相手の容疑者だけでなく、若い刑事をも震え上がらせる。天賦の才能だと誇るべきであるが、その眼光と強面のせいで彼は未だ独身である。
老境に片足を突っ込んでいる早河はそろそろ、忍耐を要する刑事という役職に限界を感じ始めていた。退職するにはまだまだであるものの、この街で刑事を務めていれば、いずれは職務を全うする前に過労か心労で死んでしまうだろう。最近はいつ辞めるのか、退職後はどうするのか、などと将来を憂いている。報告書や容疑者の履歴を眺めるよりも、隠遁生活の情報誌を眺めていたほうが脳が活発になる始末だった。
「早河さん!」
昼飯を食い終えて署に戻る時、新米である佐々木刑事とばったり会った。今日は昼からの出勤だったようだ。
佐々木はまだ刑事になって三か月、この街に配属されてまだ二日の正真正銘のひよっこだった。資料や本人談によると中々の高学歴の持ち主らしいが、もちろん現場でそれが役に立つわけではない。なぜ、エリート出世街道から大きく逸れたこの街の刑事課に彼がいるのか、早河や同僚達は異動の報せを耳にした時から疑問に思っていた。しかも、これは本人が望んでの人事らしい。
そして、そのひよっこの面倒を看てやるのが、早河の当面の仕事だった。
「お疲れのようですね」 綺麗な歯並びを見せて、にっこり佐々木は笑った。
早河は胸内で舌打ちする。垢に塗れている彼には、若く瑞々しい笑顔がとても憎たらしい。
佐々木は猛暑日だというのに何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、かっちり黒のスーツを着こなしていて、見ている方まで暑苦しくなった。彼は中背の早河より頭一つ分背が高いので、早河は若干見上げる形になってしまい、凝りの溜まった首まで痛める。そして、佐々木が署の前に突っ立っていれば、週末をスリルに過ごしたがる女子高生達に指を差され、黄色い歓声を受ける。世間一般に佐々木はイケメンと括られる顔立ちである。それが気に食わない。
要するに、早河はこの新米刑事を多少疎ましく思っていた。それもこれも、この猛暑が成す苛立ちと佐々木刑事当人の間抜けた人格に起因する。
「クソ暑ぃってのに、なんでスーツなんか着てんだ」 早河は苦々しく言った。
「身だしなみには気をつかってるんです」 佐々木が胸を張る。
「行儀の良いこったな」
「あ、よく言われるんですよ、それ。僕はもっとこう、ワイルドな男になりたいのにな?」
無視して、署内へ繋がる石段を黙々と昇る。何が可笑しいのか、佐々木はにこにこしたまま付いてくるので、早河はいよいよ舌打ちを禁じ得ない。
署内の受付ロビーは相変わらず忙しい雰囲気だ。右に左に人が行き交って、冷房が効いているのにも関わらず、誰もが汗を浮かべていた。この街の警察が退屈した事など一日たりともない。喧騒の中、涼しい顔なのは背後の佐々木くらいである。
「あの、早河さん、一つ訊きたい事があるんですけど……」
喫煙スペースのベンチに腰を下ろし、早河が煙草に火をつけた所で、突っ立っていた佐々木が口を開いた。
「なんだ?」 片眉を吊り上げて、早河は煙を吐く。
「皆が話してる“サキ”っていう女は何者なんです?」
早河は引っ込んでいる目を思わず見張った。新米の口から、いきなりその話題が飛びだしたのが意外だった。どう答えるべきか彼は思案しながら、紫煙を燻らせる。がやがやとしたざわめきの方へ、それは流れていく。
「お前、なんでこの街が『虫篭』と呼ばれてるか、知ってるか?」 早河は質問で返す。
ひとまず、佐々木の質問への答えは保留にした。
「いいえ」 新米刑事は素直に首を振る。
「害虫がな、山ほどいるからだよ」 早河は口許だけ上げて、滑稽なほどニヒルに笑った。
害虫とは、つまり犯罪者の事である。
早河達が勤めるこの街は、日本国内で最も治安の悪い街だと知られている。東京湾の沖合に浮かぶ、三本のレールで本土と繋がれた人工島の街だった。かつては産業地帯として栄えていたものの、それは半世紀も前の話だ。今は廃工場に年季の入った雑居ビル、埃っぽい商店街に封鎖された団地が並ぶ、死にかけた街だった。
ヤクザ、浮浪者、娼婦、不法入国者、時効を過ぎた指名手配犯、過ぎていない指名手配犯、暴走族にギャング気取りのガキ共、過激な宗教家、etc.……、とにかく、なんでもいる。法に背いた者達が最終的に行き着く場所がこの街なのである。しかも、そいつらはここを住処にして外へ出ようとしない。警察の影響力の弱さもさることながら、ここではそれ以上に裏稼業から得られる蜜の濃度が高いのだ。害虫のようなその連中を繋ぎとめる様相から、いつしかこの街は『虫篭』と俗称されるようになったのである。
この街で警察官を務めていれば暇を持て余す事がない。早河は苦い思いで煙を吹いた。
「その害虫の中で最も厄介とされている女がな、サキだ」
そう、この街では犯罪者であろうがなかろうが、ほとんどの人間がその悪名を知っている。ある者は避け、ある者は挑み、ある者はぼんやり眺め、ある者は手を組みたがり、ある者は捕まえようとする有名人であった。
「極道ですか? それとも、なにかもっと別の?」 佐々木は要領を得ない顔つきである。
「いや」 早河は首を振る。 「虞犯少女だ」
「虞犯少女ぉ?」 脱力した佐々木が苦笑いを浮かべる。 「家出娘と同じ扱いですか」
「甘く見るなよ。奴は、ただの人間じゃない」 早河はじろりと一瞥して、言った。
佐々木が怪訝そうに眉をひそめた。意味がわからなかったのであろう。
「ただの人間じゃないって……、どういうことですか?」
「さぁな……」 早河はとぼけて、煙を吸った。
ふと彼は、自分が不気味に笑みを浮かべているのに気付く。
サキの話題になると自然に頬が緩んでしまうのは何故だろうか。しかし、早河としては不本意だが、その非行に走る少女と顔馴染み以上の関係になっているのは否めない。苦々しく思ったものの、彼はその笑みを中々打ち消そうとはしなかった。
「ところで、佐々木。お前、わざわざ、ここに配属願いを出したそうじゃないか。なんでだ?」
何か言いかけていた佐々木に、早河は先手を打って差し止めた。沽券に関わる事なので、何となく話題を逸らしたかったのだ。
しかし、途端に佐々木の目がぱぁっと輝き出したのを見て、早河はさっそく後悔した。厄介な物に触れてしまったようだ。
「早河さん、松田優作って俳優、知ってます?」 佐々木の声のトーンが変わっていた。
「あぁ、もういいよ」 早河は舌打ちをして、立ち上がった。
所詮はクソ餓鬼の発想だ。どうせ、街に揉まれてすぐに逃げ出すだろう。早河は思った。
大抵の者がすぐに逃げ出してしまう。ましてや、異動を希望する者などいやしない。『虫篭』という街は、日本警察の管轄内で最悪の犯罪率を誇っているのだ。
その後、刑事である早河は刑事ドラマの講釈を延々と佐々木に聞かされる羽目になった。終いは、彼の「うるせぇっ」の喝で幕を閉じた。
後書き
作者:まっしぶ |
投稿日:2011/06/10 23:37 更新日:2011/12/30 00:40 『Reptilia ?虫篭の少女達?』の著作権は、すべて作者 まっしぶ様に属します。 |
前の話 | 目次 | 次の話 |
読了ボタン