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Reptilia ?虫篭の少女達?
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 休載中
前書き・紹介
第一章 日常に生きる少女 4
前の話 | 目次 | 次の話 |
宿が開くまで、まだ四時間以上もある。
休憩中の真澄は、開放されていないホールのソファに沈んで、雑誌を読んで暇を潰していた。雑誌と言っても、下着メーカーのカタログなのでつまらない。待合室のラックに差さっていた物だが、もしこんな物を読んで待つ客がいるのだとしたら、絶対に相手をしたくなかった。
黒のスーツを着たボーイが近づいてきて、寝そべる真澄からカタログを乱暴に引っ手繰った。真澄は驚いて、ボーイの厳つい顔を睨み上げた。
「何? 女装の趣味でもあるわけ?」
「黙れ」 男は苦々しく言った。 「ガキだ。三階のバルコニーにいる」
それだけ言って、男は受付奥の従業員室に戻る。
サキである事はすぐにわかった。真澄は跳ね起きて、階段へと走った。その足取りが軽いのが自分でもわかった。階段を昇る途中、娼婦仲間の明美が厭味な笑いを浮かべて道を譲る。
「真澄ぃ、あんた、保母さんやったほうが合ってるんじゃないのぉ?」
「うるさい」 振り向きもせずに真澄は吐き捨てた。
吹き抜けとなっている三階の廊下の突き当たりまで向かう。ドレスとハイヒールなので走りにくかった。もどかしく思いながら、バルコニーへの扉を開けた。
蒸し暑い外気に触れて真澄は顔を顰める。しかし、欄干に危うげに腰掛けるサキの姿を認めて、すぐに笑みが零れた。
「サキ!」
無表情に街の通りの喧騒を眺めていたサキだったが、呼ばれて振り向くと、すぐに面映ゆそうに表情を崩した。
「ごめん、邪魔して」 彼女はバルコニーに降り立つ。
「いいのよ。どうしたの?」
「うん……、髪、切ってもらおうかなって……」
「あぁ」 真澄は今朝の会話を思い出して納得した。 「わかった。いいよ。仕事はもう終わったの?」
頭を掻いてサキは頷いた。伸びすぎた黒髪がゆらゆら揺れた。毛先が濡れて光っていた。どうやら、銭湯に行ってきたらしい。
「切ったら、またお風呂入らなきゃ駄目よ」
真澄は微笑んで、サキを中に招いた。そのまま、自分の受け持つ部屋へと案内する。サキは大人しく黙って子鴨のようについてきた。
その時、真澄はサキの着ているシャツの端に血の染みがあるのを見つけた。本人はそれに気付いていないようである。
サキの仕事については、大体予想がつく。シャツの返り血が真澄のその予想を裏付ける。仕事と言えるのかどうかもわからないが、真澄は敢えてそれを詮索しないようにしていた。何故か、サキの気分をそれで害したくなかったのだ。
これを優しさと言えるだろうか、と真澄はぼんやりと考える。
しかし、更生を促そうとする権利は彼女にはない。本来、そんな権利は誰も持ち合わせていないが、ただでさえ真澄は、社会の道徳からかけ離れた職についている。それについて彼女はあまりネガティブに捉えようとはしないが、しかし、サキを見ていると不思議と自分の存在が疑わしくなってしまうのだ。
サキのように美しく、自由に生きていければどれだけ幸せだろうか。
そんな事を、真澄は時々考える。
新聞紙を広げて床に敷き詰め、ハサミと手櫛、水の入った霧吹きを仲間から借りた。新聞紙の上に鏡と椅子を置き、サキを座らせる。ちょこんと座ったサキの頭に、バスルームのカーテンをすっぽり被せた。
「本格的」 サキはカーテンから首を出し、固い顔で呟いた。
元々、美容師を目指していた真澄にはこれくらいの準備は朝飯前である。目指していたのは十年以上も前の話だが。
銭湯の安物のシャンプーが香る黒髪を櫛で梳き上げ、ハサミを入れる。はらはらとそれが落ちていく。
「何が食べたい?」 鏡の中のサキが尋ねた。
「え?」 何の事かわからず、真澄は首を傾げる。
「美味しいもの食べに行こうって」
真澄はまた今朝の会話を思い出して、頷いた。
「そうねぇ……」 微笑みを浮かべて彼女は手を休める。 「中華とか、いいかもね」
「中華か……」 サキもほんの少しだけ微笑む。 「でも、この街の中国人はシャブ中が多いからなぁ、きっと碌なもんじゃないよ」
「あら、じゃあ、和食?」 真澄は楽しくなって更に訊く。
「魚は嫌いだ」
「じゃあ、フレンチは?」
「高すぎる」
「パスタとか、イタリアンは?」
「無いよ、この街には」
「そう……」
一瞬黙った二人は、すぐに吹き出して笑い合った。きっと、部屋の扉の外では娼婦仲間達が珍しがって盗み聞きしているだろうが、今の笑い声で驚いただろう。サキが声を上げて笑う事なんて滅多に無いからだ。
笑いを堪えて、真澄は作業を再開する。
「ねぇ、真澄……」
「なぁに?」
「今日も来ていいかな?」 鏡の中のサキが、ぎこちなく真澄を見る。
真澄は僅かに顔を曇らせた。
「今日は……、やめておいた方がいいかもしれない」
「え、どうして?」 サキが少しだけ眼を見開いた。
「砂原達がね、来るの」 真澄は散った髪を払いながら言った。
サキの顔がムスッと渋くなったのが見えた。
「あいつ、帰って来たのか」 面白くなさそうにサキは呟く。
「だから、今日は無理なの」 真澄は申し訳なく思って微笑んだ。 「ごめんね」
「ううん、大丈夫」 サキが慌てて首を振った。
危うくハサミが耳に刺さるところで、真澄は肝を冷やした。
「砂原には気をつけたほうがいい」 サキが真面目な顔で言った。
「わかってる」 真澄は囁くように答えた。
大政組幹部の砂原を知らない者など、この街にはいない。組織の為なら親も殺そうとする、絶対に逆らってはいけないヤクザだ。サキと二分するほど、その悪名は高い。
その砂原が今日、街に帰って来たのだ。どこで何をしてきたのかは真澄には知る由もないが、束の間の安息が終わってしまったようで不安だった。
あの男がいると、何か、不吉な事が起こりそうで怖いのだ。
「真澄は、わたしが守る」 サキが言った。 「だから、安心して」
「うん」 真澄は鏡の中の彼女へ笑顔を向けた。 「ありがとう」
鏡の中のサキを見つめる。殺伐とした世界で生きてきた為か、サキの眼は吊り上がっていて常にしかめっ面だ。しかし、真澄にとってはそれが猫のように愛くるしい。恐らく、二十歳を越えれば、サキはとびきりの美人となるだろう。冷たいものの、そんな顔つきをしている。
そうしている間に散髪は終わった。少年のように短くなった黒髪を鏡の中に覗き込んで、サキは満足そうに頷いた。
「すっきりした」
彼女はカーテンの下から右手を出して、頭に触れた。髪の毛の残骸が雪のように落ちた。
「さ、シャワーして、洗い流しなさい」 真澄はカーテンを解いて、軽く手で首元を払ってやってから言った。
「うん」
サキは慎重に脚を降ろし、部屋のバスルームへ入っていった。それを見送って新聞紙を片づける間、ふと手を止めて、鏡を覗き込む。
もう若くはない女の顔が、そこには映っていた。
そして、切断されて骸と化したサキの髪を見つめる。
何故だか真澄は、自分達の関係に母子の姿を見たような気がした。
それはずっと、真澄が憧れているものである。
静かな部屋の中に、タイル板を打つシャワーの音が響いていた。
休憩中の真澄は、開放されていないホールのソファに沈んで、雑誌を読んで暇を潰していた。雑誌と言っても、下着メーカーのカタログなのでつまらない。待合室のラックに差さっていた物だが、もしこんな物を読んで待つ客がいるのだとしたら、絶対に相手をしたくなかった。
黒のスーツを着たボーイが近づいてきて、寝そべる真澄からカタログを乱暴に引っ手繰った。真澄は驚いて、ボーイの厳つい顔を睨み上げた。
「何? 女装の趣味でもあるわけ?」
「黙れ」 男は苦々しく言った。 「ガキだ。三階のバルコニーにいる」
それだけ言って、男は受付奥の従業員室に戻る。
サキである事はすぐにわかった。真澄は跳ね起きて、階段へと走った。その足取りが軽いのが自分でもわかった。階段を昇る途中、娼婦仲間の明美が厭味な笑いを浮かべて道を譲る。
「真澄ぃ、あんた、保母さんやったほうが合ってるんじゃないのぉ?」
「うるさい」 振り向きもせずに真澄は吐き捨てた。
吹き抜けとなっている三階の廊下の突き当たりまで向かう。ドレスとハイヒールなので走りにくかった。もどかしく思いながら、バルコニーへの扉を開けた。
蒸し暑い外気に触れて真澄は顔を顰める。しかし、欄干に危うげに腰掛けるサキの姿を認めて、すぐに笑みが零れた。
「サキ!」
無表情に街の通りの喧騒を眺めていたサキだったが、呼ばれて振り向くと、すぐに面映ゆそうに表情を崩した。
「ごめん、邪魔して」 彼女はバルコニーに降り立つ。
「いいのよ。どうしたの?」
「うん……、髪、切ってもらおうかなって……」
「あぁ」 真澄は今朝の会話を思い出して納得した。 「わかった。いいよ。仕事はもう終わったの?」
頭を掻いてサキは頷いた。伸びすぎた黒髪がゆらゆら揺れた。毛先が濡れて光っていた。どうやら、銭湯に行ってきたらしい。
「切ったら、またお風呂入らなきゃ駄目よ」
真澄は微笑んで、サキを中に招いた。そのまま、自分の受け持つ部屋へと案内する。サキは大人しく黙って子鴨のようについてきた。
その時、真澄はサキの着ているシャツの端に血の染みがあるのを見つけた。本人はそれに気付いていないようである。
サキの仕事については、大体予想がつく。シャツの返り血が真澄のその予想を裏付ける。仕事と言えるのかどうかもわからないが、真澄は敢えてそれを詮索しないようにしていた。何故か、サキの気分をそれで害したくなかったのだ。
これを優しさと言えるだろうか、と真澄はぼんやりと考える。
しかし、更生を促そうとする権利は彼女にはない。本来、そんな権利は誰も持ち合わせていないが、ただでさえ真澄は、社会の道徳からかけ離れた職についている。それについて彼女はあまりネガティブに捉えようとはしないが、しかし、サキを見ていると不思議と自分の存在が疑わしくなってしまうのだ。
サキのように美しく、自由に生きていければどれだけ幸せだろうか。
そんな事を、真澄は時々考える。
新聞紙を広げて床に敷き詰め、ハサミと手櫛、水の入った霧吹きを仲間から借りた。新聞紙の上に鏡と椅子を置き、サキを座らせる。ちょこんと座ったサキの頭に、バスルームのカーテンをすっぽり被せた。
「本格的」 サキはカーテンから首を出し、固い顔で呟いた。
元々、美容師を目指していた真澄にはこれくらいの準備は朝飯前である。目指していたのは十年以上も前の話だが。
銭湯の安物のシャンプーが香る黒髪を櫛で梳き上げ、ハサミを入れる。はらはらとそれが落ちていく。
「何が食べたい?」 鏡の中のサキが尋ねた。
「え?」 何の事かわからず、真澄は首を傾げる。
「美味しいもの食べに行こうって」
真澄はまた今朝の会話を思い出して、頷いた。
「そうねぇ……」 微笑みを浮かべて彼女は手を休める。 「中華とか、いいかもね」
「中華か……」 サキもほんの少しだけ微笑む。 「でも、この街の中国人はシャブ中が多いからなぁ、きっと碌なもんじゃないよ」
「あら、じゃあ、和食?」 真澄は楽しくなって更に訊く。
「魚は嫌いだ」
「じゃあ、フレンチは?」
「高すぎる」
「パスタとか、イタリアンは?」
「無いよ、この街には」
「そう……」
一瞬黙った二人は、すぐに吹き出して笑い合った。きっと、部屋の扉の外では娼婦仲間達が珍しがって盗み聞きしているだろうが、今の笑い声で驚いただろう。サキが声を上げて笑う事なんて滅多に無いからだ。
笑いを堪えて、真澄は作業を再開する。
「ねぇ、真澄……」
「なぁに?」
「今日も来ていいかな?」 鏡の中のサキが、ぎこちなく真澄を見る。
真澄は僅かに顔を曇らせた。
「今日は……、やめておいた方がいいかもしれない」
「え、どうして?」 サキが少しだけ眼を見開いた。
「砂原達がね、来るの」 真澄は散った髪を払いながら言った。
サキの顔がムスッと渋くなったのが見えた。
「あいつ、帰って来たのか」 面白くなさそうにサキは呟く。
「だから、今日は無理なの」 真澄は申し訳なく思って微笑んだ。 「ごめんね」
「ううん、大丈夫」 サキが慌てて首を振った。
危うくハサミが耳に刺さるところで、真澄は肝を冷やした。
「砂原には気をつけたほうがいい」 サキが真面目な顔で言った。
「わかってる」 真澄は囁くように答えた。
大政組幹部の砂原を知らない者など、この街にはいない。組織の為なら親も殺そうとする、絶対に逆らってはいけないヤクザだ。サキと二分するほど、その悪名は高い。
その砂原が今日、街に帰って来たのだ。どこで何をしてきたのかは真澄には知る由もないが、束の間の安息が終わってしまったようで不安だった。
あの男がいると、何か、不吉な事が起こりそうで怖いのだ。
「真澄は、わたしが守る」 サキが言った。 「だから、安心して」
「うん」 真澄は鏡の中の彼女へ笑顔を向けた。 「ありがとう」
鏡の中のサキを見つめる。殺伐とした世界で生きてきた為か、サキの眼は吊り上がっていて常にしかめっ面だ。しかし、真澄にとってはそれが猫のように愛くるしい。恐らく、二十歳を越えれば、サキはとびきりの美人となるだろう。冷たいものの、そんな顔つきをしている。
そうしている間に散髪は終わった。少年のように短くなった黒髪を鏡の中に覗き込んで、サキは満足そうに頷いた。
「すっきりした」
彼女はカーテンの下から右手を出して、頭に触れた。髪の毛の残骸が雪のように落ちた。
「さ、シャワーして、洗い流しなさい」 真澄はカーテンを解いて、軽く手で首元を払ってやってから言った。
「うん」
サキは慎重に脚を降ろし、部屋のバスルームへ入っていった。それを見送って新聞紙を片づける間、ふと手を止めて、鏡を覗き込む。
もう若くはない女の顔が、そこには映っていた。
そして、切断されて骸と化したサキの髪を見つめる。
何故だか真澄は、自分達の関係に母子の姿を見たような気がした。
それはずっと、真澄が憧れているものである。
静かな部屋の中に、タイル板を打つシャワーの音が響いていた。
後書き
作者:まっしぶ |
投稿日:2011/06/13 00:52 更新日:2011/06/13 00:56 『Reptilia ?虫篭の少女達?』の著作権は、すべて作者 まっしぶ様に属します。 |
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