先生、きょうの夕方、おまつりがあるんですよ!」

 太陽がじりじりと攻撃力を高める季節。ネジ君は先日ようやく誕生日を迎えて、晴れて四歳になった。稽古の後に出していただいた冷たいお茶が五臓六腑にしみわたる。ネジ君は興奮を隠しきれない様子でわたしの回りをくるくると走っていてあ゛あ゛可愛い。本当に何なんだこの生き物は。

「ねっ父上! 先生といっしょにおまつり行ってもいいでしょう?」
殿にご用事がないか、きちんと確認したかい?」

 ヒザシさまに窘められたネジ君は、はっとした顔でわたしの服を掴むと、その大きな瞳でわたしの顔を覗き込んでくる。ウオオ眩しい……なんてきらきらうるうるした目なんだろう可愛い、目に入れても痛くないぞ。と、叫びだしそうになるのをぐっと堪えるのがこの数ヶ月で異様に上手くなったわたしであった。

「先生……」
「大丈夫ですよ、一緒に行きましょうか」

 ぱあっと周囲に花を綻ばせるネジ君は間違いなく天使である。異論は認めぬ。

「じゃあ、先生の浴衣を出しておきますね。私のお古で申し訳ないけれど、折角ですから」

 ヒザシさまの後ろからひょこりと顔を覗かせた奥さまは、ふふっといつも通りに上品に笑って部屋の奥へと行ってしまった。奥さまの浴衣だと……絶対に汚さないようにしなければ。
 気を抜くと通常運転の挙動不審野郎に戻ってしまうわたしは、ヒザシさまとガッツリ視線を合わせてしまって狼狽える。この逃げ道が塞がれている感じ、何度味わっただろうか。

「きっと殿にも似合います。さ、ネジ、先にお風呂に入っておきなさい」
「はい!」

 ぴゅんっと風呂場に直行してしまったネジ君のテンションは、いつも以上に高い。心なしかヒザシさまも奥さまも楽しそうだし、何だかんだわたしも祭りは好きなのでお言葉に甘えさせていただくことにした。首筋に浮かぶ汗を手拭いで吸いながら、氷の浮かんだ麦茶を一口飲み込んだ。
 ちなみにネジ君のお誕生日を祝った日の己はもう逮捕されても文句の付けようがない気持ち悪さだったので言及はしないでおく。ケーキに刺さった蝋燭の火をふーっと消すネジ君の可愛さは何者でも敵わない殺傷能力だったのでわたしは死んだ。まあ何度でも生き返るけどな。




 ネジ君の小さな指がわたしの人差し指をしっかりと握り込んでいる。もうすぐ花火も上がるんですよ、とネジ君は興奮気味である。彼は四季の移ろいに敏感で、こういった行事は特に楽しみにしているらしかった。道の両端にずらりと並ぶ屋台にきょろきょろと視線を走らせては、何を食べようか悩んでいる様子が微笑ましく、ぐりぐり頭を撫でてやると大きな白い目がこちらを見上げて一言。

「むだづかいは、だめですからね!」

 しっかり釘を刺された。やっぱり四歳って嘘じゃないの?
 色んなものと戦いながら(敢えて言及を避けるのはそういうことである。お察しください)出店の冷やかしを開始する。ああ~ネジ君に林檎飴買ってあげたい~着色料で舌が真っ赤になっちゃったネジ君とか犯罪じゃないか? まだお縄につく訳にはいかないので妄想に留めるぞ。わたしは頑張るぞ。

「あっかき氷!」

 うんうん先生が買ってあげようね。
 己の理性など小指の先も信用していないわたしは、ネジ君がレモン味とイチゴ味で悩んでいるのを微笑ましく見守るに徹した。無駄な動きをすれば命取りになる。目を閉じて精神統一を図りながらネジ君を待っていると、どうやらレモン味にすることに決めたようだ。初恋の味だね~などと気持ち悪いことを言わないように即座に財布を出す。
 夏祭りで命懸けになるとは全く予想していなかったが、生きてりゃ良いことがあるものだ。紙の器からはみ出さんばかりの削り氷は冷やっこく、器越しに手のひらの熱を奪っていく。

「はい、ネジ君」
「えっ、ぼく、ちゃんとおこづかいが」
「いつも修行頑張ってるから、今日は先生からご褒美です」

 出店のおいちゃんから受け取った黄色のかき氷をその小さな両手に押し込めると、ネジ君は最初とても困り顔でわたしとかき氷を交互に見やっている。出店のおいちゃんも生温かい目である。ねっ可愛いでしょうわたしの教え子なんですよすごいでしょう。フフン。
 あっいや不審者ではないので、ちゃんと雇用されているのでどうかうちは警務部隊の人は呼ばないでください。どうか。

「ほら、早く食べないと溶けてしまいますよ」
「わ、だめです!」

 先生、ありがとうございます! 周りにお花を飛ばしながら、ネジ君はストローを切り開いて作られたスプーンでしゃくしゃくと山を崩していく。シロップでしっとりとした氷を少しずつ口に含む仕草はわたしよりずっと上品だ。緩められた頬がぷくぷくしていて突きたい衝動に襲われるが、わたしは耐えた。誰か褒めてほしい。
 小さな手では器を持って食べる動作だけで精一杯な様子が見て取れたので、その小さな背を押しながら道の端へと誘導する。途中でから揚げとフライドポテトを買って、手近な木に背を預けた瞬間、ドン、と大きな爆発音が夜空に響いた。

「あ! 花火はじまりましたね!」

 火薬と煙のにおい、赤や緑の鮮やかな火花が暗闇で大きく広がり、瞬く間に消えていく。空中を揺らす火種は絶え間なく伸び上がり、ネジ君はすごいすごいと大はしゃぎである。わたしも大はしゃぎするけどお祭りなので許してほしい。
 花火を見上げるのに夢中になっているネジ君の丸い後頭部がわたしの下っ腹にぐりぐりと押し付けられて呻きそうになるが、ネジ君が可愛いので些細な問題なのである。縞柄にトンボが飛んでいる甚平を着たネジ君はとっても可愛い。四歳にしてこの落ち着いた色合いを着こなすとは流石としか形容できない。
 ちなみにわたしがお借りしているネジ君の母君の浴衣はさらっとした着心地で、藍色の布地にツバメが飛んでいる大人っぽいデザインである。山吹色の帯は片流し結びにしてもらった。日向一族の人は普段から和装ということもあって、着付けのスピードが尋常ではなかったことだけ述べておく。今のところ、一切の着崩れもないので感服するばかりである。
 わたしは人差し指にしがみつくネジ君の手を他の指で握り込んでしまおうか悩みつつ、お腹の奥まで響くような音で夜空に弾けている火花を見上げる。
 花火なんて、ちゃんと見れたのいつ振りかな。

「わあっ先生! 木ノ葉マークの花火ですよ!」

 ネジ君は興奮のあまりわたしの指を折らんばかりの勢いで引っ張る。痛みに呻くのを堪えて、美しい緑色で飾られた空中の木ノ葉マークが煙となって消えていくのを眺める。あの火薬の配列、職人さんの技術力の高さおかしくないか?




 さすがにお祭りで走り回っていたネジ君の体力にも限界があり、花火が終わって帰路につく人々の流れに沿って我々も屋敷へと戻ることにした。お祭りなので浮かれていても誰も怒らないと高を括ったわたしは、へとへとになったネジ君を抱き上げて歩を進める。屋台で売れ残っているらしい焼きそばと焼きトウモロコシのにおいに紛れて、ネジ君の髪から嗅ぎ慣れたシャンプーのかおりがほのかに漂う。
 もうどっぷりと日が暮れているのに、蝉すらお祭り気分で盛大な合唱を繰り広げている。額にじわりと滲んだ汗を手の甲で拭う。ネジ君はそこまで暑そうじゃない。体温は高いから、汗ばんでいてもおかしくないのに不思議である。

先生」
「はい?」

 ネジ君が、白いおでこをわたしの首にうりうりと擦り付けて、しがみ付いている腕の力を強めた。甘えん坊さんだどうもありがとうこれで先生あと数ヶ月は生きていけるよ。
 あっでもネジ君の美しい髪がわたしの汗で大変なことになるのでは? 帰ったらもう一度シャワーを浴びてもらった方が良いだろう。ああでも可愛い……先生は辛い。

「また、おまつり行きましょうね!」

 向日葵のような笑顔だった。あまりに尊くて眩暈がする。ネジ君を産んでくださった奥さまとヒザシさま、本当にありがとうございます。いやこれは彼の誕生日にも散々言った台詞だが。

「勿論ですよ」

 うっへっへ言質を取っちまったぜ。次のお祭りの時まで家庭教師をしているか、そもそも生きているか微妙なところだけれど、約束は嬉しい。忍らしくもなくカラカラと下駄を鳴らして、人混みで熱を帯びたネジ君の髪を撫でつける。あんな熱気の中にいてもネジ君の髪はサラサラなので素晴らしいと思う。同じシャンプーを使っているのが信じられない。

さん」

 聞き慣れた声が耳に入る。背後を振り返ると、ちびっこと手を繋いで片手に紙袋を抱え、兄弟でお揃いの紺の甚平を纏ったイタチ君が、わたしを見上げていた。紙袋からは屋台の戦利品がちらりと覗いているので、ご家族へのお土産なのかもしれない。その量から見るに、我々と同じくお祭りから帰るところのようだ。

「やあイタチ君。そちらは弟さん?」

 視界にちらちら入ってくるちびっこの威力に負けず、Aランク任務時と同じ緊張感をひた隠しに平静と変わらぬ挨拶が出来た己、よくやった。自分の顔のすぐ近くにネジ君の顔があって、ネジ君がぱちぱちと瞬きをしてイタチ君とちびっこを見ている。そう言えば、イタチ君のことをきちんとネジ君に紹介していなかったかもしれない。
 イタチ君は弟君の手を軽く引っ張ってわたしの目の前に押し出した。

「サスケです。ほら、サスケ、ごあいさつ」
「うちはサスケです!」

 イタチ君の手をぶんぶん振り回しながら、サスケ君はにこにこと自己紹介をしてくれる。わたしはネジ君を抱えたままサスケ君の目線に合うよう、膝を折った。この子もほっぺがふくふくでとても可愛い。いやいやわたしにはネジ君がいるので間に合ってますけどな!!

「にいさん、にんむいっしょにやるひと?」
「ああ。お前も大きくなったらお世話になるだろう」

 いや、どちらかと言うとわたしがお世話になるんじゃないかな、という完全に余計な一言は飲み込むことに成功した。

「お兄さんのお友達の、です。どーぞよろしく」

 つんつん跳ねている後ろ髪が特徴的なサスケ君の頭を撫で繰り回すと、目を真ん丸にしてわたしを凝視するのでわたしもびっくりして手が止まった。しまった、ついいつもの癖でネジ君と同じようにしてしまった。会って間もない人間からこんんなことされたら確かに驚くか。反省である。いや犯罪じゃないよね? セーフだよね?

「はは、サスケ良かったな。さんから頭を撫でられるなんてレアだぞ」

 いえ全くレアじゃないですすみません。日頃からネジ君をなでこなでこしまくっててすみません。罪には問わないで、どうか。
 そういえばイタチ君の頭を撫で回したことは少ないかもしれない。じゃあ今撫でても良いのだろうか、とイタチ君に視線を向けると一歩後退されてわたしは傷付いた。いやもう彼も下忍だし、子ども扱いは嬉しくないだろう。ああ昔のうちにもっと撫でておけば良かった。
 サスケ君はじわじわとほっぺを林檎のようにして、イタチ君の背中にさっと隠れてしまった。そうかー恥ずかしかったのかーめっちゃ可愛いなー……イタチ君の背後からちらっと左目だけ覗かせてこちらの様子を伺っているサスケ君も抱えて帰りたいところだが、お兄ちゃんが許してくれなさそうというか、うちは警務部隊にしょっ引かれそうなので自重する。

「先生?」

 おっといかん、ネジ君がほったらかしである。わたしは自分の方にお腹を向けて抱えられているネジ君をゆっくり地面に下ろし、その背中をぽんと軽く叩く。ネジ君はとっても聡い子なので、これだけで通じるのだ。わたしの教え子超すごい。

「日向ネジです。よろしくお願いします!」
「俺はうちはイタチ。こないだも商店街で会ったな。さんとは仕事仲間だ、よろしくな」

 イタチ君はわたしがしたのと同じように膝を折り、ネジ君の視線の高さでにこりと笑う。はー美形が揃いも揃って。ありがてえありがてえ。
 拝む私に少々顔を引き攣らせたイタチ君であったが、友達やめようとは言い出さないので彼も本当に良い子である。己の欲望に忠実に生きていて申し訳ないが、あまり我慢すると容易く爆発リバウンドするので許してほしい。
 イタチ君の手で遊んでいるサスケ君がたいそう可愛いので、やはりこの年頃のちびっこは正義だなあと回らない頭で考えていると、イタチ君がはっと何かを思い出したような顔をした。

「そうだ、新作が来週に出るって言ってましたよ」
「えっまじで」

 我々が常連中の常連客と成り果ててている甘味屋のことだろう。イタチ君のほっぺも興奮で少し色付いている。うちは一族も日向一族も色白の人が多いので、頬に体温が集まるとすぐに分かって可愛らしくて最高だと思う。

「生菓子らしいです。先に食べたら感想教えてください」
「よし任せろ」

 スケジュール的に全く約束できないが、わたしとイタチ君は熱い拳を交えると、満足してゆっくりと立ち上がった。ここは甘味屋ではないので、あまり長話をしている訳にもいかない。通り過ぎる人々の喧噪も大きくなってきたし、このままでは帰宅ラッシュ(商店街渋滞)に巻き込まれてしまう。イタチ君は器用に片手で少しうとうとしていたサスケ君を背負うと、小さくお辞儀をした。

「ではまた」
「気を付けて帰るんだよ~」

 ひらひら手を振ってお見送りをする。うちは一族の屋敷群はここからそれほど遠くないので、特別な心配はいらないだろう。イタチ君は年齢と全く釣り合わない落ち着きっぷりで、サスケ君はまだまだ幼くてこれからの成長が楽しみすぎる兄弟である。
 そうだ、ネジ君の修行相手にイタチ君を呼ぶのも良いかもしれない。美味しいお団子を差し出せば一時間くらいなら相手をしてくれるのではないだろうか。特に彼は忍具の扱いに長けているし、良い刺激になるだろう。あと、写輪眼の幻術にはわたしも敵わないので、わたしの修行相手もしてほしいのが本音である。
 わたしはネジ君をひょいと抱えて歩き出す。小さな手が目蓋を擦っていて、ふわりと欠伸まで出てきてその可愛らしさにノックアウトである。お腹も膨れて、出店をぐるぐる回って花火の見やすい場所を探し求めて歩き回ったので、眠気のピークはすぐそこであろう。早く帰ろう。
 電柱の灯りに蛾や昆虫が群がって、ばちばちと音を立てている。大きな商店街を抜けて、住宅街の入り口まできた辺りで、目蓋を落としそうになってはふるふる首を振って堪えていたネジ君が、せんせい、と舌足らずな声音を零す。

「せんせい、ときどき、べつのひとみたいです」

 ……。何と返すのが正解なのだろうか。
 そりゃ普段は家庭教師としての皮を被っているし、特別上忍として猫も被るし、甘味仲間のイタチ君の前ではただの甘党だし、ネジ君の前では見せられない顔もある。まだ四歳の彼に血生臭いところを積極的に見せようとは思わないので、ある程度は仕方ないのだが。
 いやもうショタコンロリコンと罵らせてブタ箱へお帰りと言われても何も反論できない顔が通常運転なので、ネジ君がそろそろドン引きしていたとしても少しもおかしくない。ごめんな、先生は色んな人格がせめぎ合って生きているんだ。MAGIシステムみたいなもんだけど、暴走一歩手前で踏み留まる技術にはこの数ヶ月で自信がついたので、とりあえずは安心してほしい。

「まだ、ぼくにはわからないことが、いっぱいあって……」

 語尾が空気中に消えていく。ネジ君は眠たげで、少し拗ねたような、そんな声をぽとぽと落とす。
 ああ、寂しがらせてしまったのか。首の後ろを掴む幼い指が、時々皮膚に柔らかい爪を立てる。せんせい、とネジ君は寝言に近しい音量で、わたしの鎖骨あたりに顔を埋めてしまう。籠る熱、隣を駆け抜けていく若い親子、転ばないよう気を付けなさいと困ったような女性の声、どこからか漂うカレーのにおい。
 寂しいのは、わたしの方か。




 屋敷に戻った頃にはネジ君はすっかり眠ってしまっていて、軽く揺さぶってもまるで反応がない。帰り道の途中でネジ君の下駄は脱がして手で持っていたので、とりあえずそれを三和土に鎮座させる。

「お帰りなさい、殿」
「ただいま戻りました」

 屋敷の奥からヒザシさまが顔を覗かせて、ネジ君の寝顔を見て苦笑を零す。まだまだ体力が足りませんね、とヒザシさまはネジ君のまるい頭を大きな手で撫でて、わたしの肩にへばり付いていたネジ君をそっと抱きかかえる。

「お祭りはいかがでしたか」
「ネジ君、かき氷をすごく美味しそうに食べてましたよ。花火もとても綺麗で、楽しんでもらえたみたいです」

 玄関に座り込んで、ヒザシさまへの任務報告は楽しい囁き声。すよすよと静かな寝息を立てているネジ君の睫毛が長くて指先でそっと触ってみる。あっしまった親御さんの前で狼藉である。いやもうヒザシさまは慣れてらっしゃると思うが。

殿も楽しんでいただけましたか?」
「楽しかったですよ。最近の花火ってすごいんですね、空中で綺麗に木ノ葉マークが咲いて驚きました」

 花火職人さんの技術力の向上が恐ろしいです。あっ、これお土産です。たませんと林檎飴の入ったパックを差し出すと、ヒザシさまの手がわたしの頭上に伸びてくる。疑問符が浮かぶと同時、くしゃりと、髪がかき混ぜられた。
 はっと、息が詰まる。勝手に鼻の奥がつんとして、わたしは着ている浴衣の膝元を握りしめてしまう。皺になってしまってはいけないと思うのに、顔が上げられそうにない。
 ヒザシさまは何も言葉を発さず、ゆっくりと立ち上がる。恐らくいつも通りの穏やかな表情で、踵を返す。
 ネジ君といる時、この屋敷にいる時、わたしの中身は子どもに戻る。ぽっかり空いている思い出の枠の中が少しずつ埋まっていく。ヒザシさまはどこまでお見通しなのだろうか。目尻をそっと擦って、わたしも立ち上がった。

04|切り取り視線

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