「い、いやです!!」

 ネジ君の大きな瞳はたっぷりとした水分の膜に覆われ、瞬きすれば今にも大粒の滴が零れ落ちんばかりである。駄々を捏ねるように首を振って震えながらわたしを見上げている。
 ついにわたしの家庭教師生活も終わり、すぐさまブタ箱へぶち込まれ、この長編と言えるほど話数もないシリーズがまたもや完結せずに打ち切りとなって闇へ葬られ、また完結できませんでしたと管理人がただ懺悔するだけで何の解決にもならない、そんな時が来てしまったのかと予想した人も多いだろうが、そうではない。いやほんと。
 一応断っておくが、わたしは無実だ。
 とうとうしゃくりあげて俯いてしまったネジ君は薄い唇を噛み、すんすん鼻を鳴らして必死に堪えている。ああ、誰だこんな幼気な子どもを泣かした輩は。わたしです。
 そう、罪は犯していないが、原因はわたしにある。この、箸先で摘まんだ、冷めても美味しくほっこりとした味わいの、うつくしい橙色の、

「カボチャは、いやです!!」

 幼い悲鳴の矛先には、物言わぬ煮付け。




 ネジ君は同年代の子どもに比べれば、食べ物の好き嫌いが遥かに少ない方である。好物ににしん蕎麦を挙げる四歳児には初めて出会ったが、とにかく、彼は奥さまの言い付けをきちんと守って正しい箸遣いで子どもにしては文句の付けようがない食事の作法を己のものとしているのである。
 奥さまの手料理はどちらかと言うと繊細で奥深い味付けのものが多いが、洋食だって食卓に上がる。大きな匙でオムライスを頬張る彼を写真に収めて額に入れて飾りたくなるのを堪えたわたしだが、口の端っこにほんの僅かなケチャップを残してしまったネジ君を見て呻き声を我慢することはできなかった。完敗。
 いやいやそういうネジ君の恒久的可愛らしさを述べたかったのではない。いつも述べているので蛇足の蛇足であった。大変失礼した。指摘したかったのは、味付けの濃いものはそれほど好まないのではないか、という疑念であるが、結論から言うと、彼は出されたものは割と何でも美味しそうに食べている、ということである。
 片手で足りる齢の子どもであれば好き嫌いを更生されるのにやいやいわやわやとなるものであるが、ネジ君には当てはまらない。家庭教師として住込みでお世話になって片手を越える月の分も同じ食卓を囲ませていただいていて、今日が、初めての例外だったのだ。
 食卓ではヒザシさまも奥さまもあらあらまあまあといったなまあたたかい眼差しでネジ君を見守っていらっしゃる。彼らはとても美味しそうにカボチャの煮物を召し上がっておられるのに、ネジ君は断固拒否、こちらがビンゴブックSランク級の重犯罪者でもあるかのような眼差しで見つめてくる。いや、そこまで酷い犯罪者じゃないです。許して。

「うーん、ネジ君にも苦手なものがあったんですね……」
「ごめんなさい……」

 ぐずぐずと鼻を鳴らすネジ君は、それでも一応抱えていた謝罪の言葉を手渡してくれる良い子である。奥さまが見かねてちり紙をネジ君に差し出してらっしゃる。鼻をかむ音も小さくて可愛らしいものである。知ってるか、ネジ君のくしゃみがどんなに可愛いか。
 すぐに話が逸れるわたしは語り部として非常に向いていないのだが、この話を書いている輩が三人称視点で文章を書くと途端に論文か報告書のような体裁になって何の面白みもないだらだらとした文字の塊を咀嚼していただくことになるのでお許しいただきたい。いや今もネジ君が可愛い可愛いと連呼するだけの文字列を味わっていただいているのだが。辛くなったらすぐに引き返してくださいね。自衛は大事です。
 ネジ君は具沢山のお味噌汁をちびちび飲みながら、上目遣いにわたしを見る。邪悪な心は熱殺菌されました。もう後に何も残らない。わたしは摘まんでネジ君に差し出していたカボチャの煮付けを己の口に放り込み、暫し考察する。
 カボチャは野菜の中では甘い分類である。幼子は甘いものが大体好きそうな印象があるが、そうではない子も確かにいる。ネジ君は子どもの苦手なものランキングでは割と上位に入るであろうピーマンもナスもトマトも人参も平気なので、逆に今まで食卓にカボチャが出てこなかったということにすら気付けなかったのだから驚きである。
 子どもの味覚は大人より敏感であるため、苦い野菜は苦手な場合が多い。だが、ネジ君はピーマンの肉詰めをおかわりまでしていたし、ナスの味噌焼きも好きそうだった。ナスは苦くないか。わたしはトマトジュースがそれほど好きではないが、彼は平気そうに飲んでいたし、カレーに入っている人参も残さず食べていたし。ううむ。

「ごめんなさいね先生、この子、カボチャだけはどうしても食べれないみたいで」

 他に特別苦手ものはないんですけど、と奥さまが付け加える。奥さまもネジ君も困った顔がそっくりである。ヒザシさまは熱いお茶を啜りながら、ネジ、と優しい声音で呼びかける。

「折角殿がお前に栄養のあるものをと思って貰ってきてくださったんだから、一口でも食べなさい」
「父上……」

 退路を断たれてしまったネジ君は、わたしと奥さまを交互に見上げてジブリ泣きの準備は万端である。




 事の発端は、先日久し振りに入った特別上忍としての中期任務だった。情報収集を主とした他国の偵察任務、期間は一週間。ツーマンセルの相方は何度も同じチームで任務に当たったことがある不知火先輩なので、もし戦闘が起こったとしても大体は何とかなるため、特別な心配は必要ない。
 最近家庭教師どうよ、と会うなり不知火先輩はわたしの頭を鷲掴みにしてぐりぐりと撫で回してきた。先輩お決まりの挨拶である。が、こちらがネジ君の愛らしさを原稿用紙四枚程度にまとめて発表しようと口を開いた瞬間に「じゃ、いつも通り設定から練るか」と、話を振ったくせに全く聞く姿勢を持たずに任務の打ち合わせを始めてしまった。無慈悲な。
 わたしが恨めしそうな顔をしていることなど見なくても分かっている先輩は、めんどくさそうに咥えた謎の枝をぷらぷらとさせている。

「楽しそうなのは良いが、お前の本職を忘れるなよ」
「はーい……」

 先輩はしっかり釘を刺されて項垂れるわたしを無視して、甘栗甘の机席にて任務の資料を確認している。
 そう、本職は特別上忍、副業として家庭教師なのである。今のところ仕事量のバランス的には家庭教師に比重が傾いているが、本来の仕事を疎かにすることは敵わない。木ノ葉隠れの忍として、そこは違えることが許されない部分である。
 特別上忍は中忍と上忍の間に位置し、諜報やら尋問やら拷問やら教育やら、専門的な仕事を請け負う。わたしも不知火先輩も諜報部の所属である。わたしは中忍の頃からこの諜報部の任務によく就かせてもらっており、その経験が認められて晴れて特別上忍の仲間入りとなった。不知火先輩に歓迎されている感じはないが。
 いや、あの先輩が満面の笑みでわたしの頭を撫で繰り回すところを想像すると腹が捩れてしまうので、これで良いのだ。仏頂面で謎の枝をぷらぷらさせている先輩のまんまで。
 今日の昼過ぎに里を出発して、目的地の国に着くのが大体日暮れになるだろうとのことだった。一週間かけてその近辺の宿場を転々と移動し、のんびり旅行をしているのを装って聞き耳を立てたり、あるいは嘘の情報を流したりするお仕事である。設定を練るのがめんどくさくなった先輩は、中忍の頃から毎度お馴染みの設定で行くとのことなので、よくある恋人の振りが採用されたことになる。
 ちなみに蛇足だが、初々しい恋人設定ではない。倦怠期と熟年夫婦を足して半分で割ったような適当な感じである。最初の任務では少々心配になったものだが、この適当さが一番疑われにくく目立ちにくいのである。
 ああ、ネジ君と一週間も会えないのかと一気にテンションがマリアナ海溝まで沈んだわたしの溜息を聞いて、不知火先輩は盛大な舌打ちをして大福を食らう。倣ってわたしも大福に噛り付く。程好い甘さが舌を刺激する。大変美味しいが一度盛大に沈んだ気持ちはなかなか浮上できないものである。

「……任務終わったらラーメン屋で話聞いてやるから、その重い空気やめろ」
「わあご馳走してくださるんですねありがてえ!」
「ふざけんなお前俺と同じ階級だろうが」
「まだお祝いしていただいてませんよ」
「何てがめつい後輩だ」

 心底嫌そうな溜息を吐いた不知火先輩は、時間が惜しいと小さく零して席を立ち、椅子に座り込んだままのわたしの腕を引っ張って無理矢理立たせる。さくっと終わらせて早く帰ろうという魂胆が見える。火影さまの指定では一週間だが、状況によっては早く切り上げることも可能になるかもしれないのだ。
 帰る家があるって良いですねえと思わず零すと、不知火先輩がまた長い溜息を吐いた。




 こちらの流した嘘の情報に誘き出されてしまったあんぽんたん数名を拘束し、術をかけてあれこれ聞き出す作業を繰り返すこと三回。とりあえず現時点で戦争勃発になるような危険因子になり得るほどの力のある集団はいないと判断できたため、六日目の朝に偵察対象の国から帰ることとなった。

「いやー無事に終わって良かったです」

 先輩曰く平和ボケの極みとでも言いたげな顔をしているらしいわたしは、ぐっと腕を伸ばして背中の凝りを何とかしようと画策する。不知火先輩も首をボキボキ鳴らしながら気怠げに帰路を辿っている。

「まあ、お前が意外に成長していることは分かった」
「えっ本当ですか」

 不知火先輩から褒められることなど滅多にない。吃驚して足を止めたわたしを待つという選択肢を持っていない先輩はさっさと先に進んでしまわれるので、わたしは慌てて小走りにその後ろを追いかける。

「平和ボケした演技が上達してた」
「エヘン」
「そういうところはムカつくけどな」

 歯に衣着せぬ物言いであるからこそ、先輩に褒められたという事実は嬉しいものである。そも、褒められるということは嬉しい。褒められたと言って良い内容なのかどうかはこの際深く考えない方が身のためだが。ネジ君だって修行中に成長した部分を指摘するとすごく嬉しそうにはにかんでくれるし。ああネジ君元気かなあ。
 ネジ君への思いを馳せていれば、帰り道などすぐだった。里に戻って滞りなく火影さまへの報告を済ませた後、任務の締め括りのラーメンである。何だかんだ先輩は約束を破らない人である。一楽の暖簾を潜り、カウンター席に腰を落ち着けて水を一杯。

「味噌チャーシュー大盛り」
「豚骨、ネギ多めで」
「はいよ!」

 丁度昼時であったため、店内の賑わいは凄まじく、席を確保出来たのが奇跡のようだった。店主のおいちゃんも忙しなく麺を茹でては具材を切り、看板娘さんも息をつく間もなく机の掃除に洗い物と大変そうである。カウンター席のみのため、客の回転率も目まぐるしい。

「……諜報部なんて長期任務が多い所属のくせに、よく家庭教師なんざ始められたもんだな」

 唐突に漏れた不知火先輩の小言は、普通に聞けば嫌味っぽいだけだが、同じ任務に就く者として遠回しに気遣ってくださっていることを知っているわたしは、何も言わずに空になった二つのグラスに水を勝手に注ぐ。
 確かに、情報収集には時間がかかるし、害のない一般人の振りをして(これに関しては太鼓判を押していただいたので問題ない)敵地に潜入するのは自分の身を常に危険に晒しているのと同じだ。一つ間違えれば尋問拷問でこの世とサヨナラする可能性も大いにある。とりあえずわたしはネジ君とのサヨナラが一番身に堪える訳だが。

「わたしも不思議ですよ。特上になりたての新人に務まるもんかと思ってますからね」
「現在進行形かよ」
「だってわたしじゃなきゃいけない理由が分からんですからね」
「雇い主も物好きだな」
「わたしもそう思いますよ……」

 ぐびっとグラスの水を飲むも、空腹が自己主張を始めているので腹の虫は努力の甲斐なく産声を上げた。店内が賑やかだったため空気中に紛れたが、不知火先輩はよそを向いて「はいはい、聞いてませんよ」と言った。腐っても特別上忍、そこは何も言わないのが正解ではないのですか。
 恐らく順番的に我々の麺が茹でられているのを見つめながら、わたしは屋敷で修行に励んでいるであろうネジ君に思いを馳せる。わたしが留守にしている間、宿題として手を使わない木登りを課したのである。足裏のチャクラだけで木を登る修行は、昔からあるチャクラコントロールの基礎トレーニングだ。ネジ君は同年代ではかなり器用なタイプだが、そのコントロールにはまだまだ成長の余地がある。
 てっぺんまで登れたら、今度の休みにネジ君と釣りに出かける約束をしたので、帰って確かめるのが楽しみである。思わず頬の筋肉を緩めていると、不知火先輩の手のひらが容赦なくわたしの頭のてっぺんに嵐を巻き起こした。

「ニヤニヤしやがって」
「ああもう鳥の巣になったじゃないですか、なんてことを」
「いつもだろ」

 先輩がふんと鼻で笑うと同時に、店主のおいちゃんの元気な掛け声と共に注文していたラーメンが目前に現れたので、我々は一時休戦を掲げて割り箸に手を伸ばす。




 ラーメンでしっかり膨れた腹を撫でながら懐から財布を取り出すと、先輩が片手で制するので何事かとそのご尊顔を見上げる。

「えっ本当に奢ってくださるんですか!」
「お前俺を何だと思ってんだ」
「陰険で強い先輩」
「そうかそうか、次は焼肉食べ放題、お前の奢りな」
「サーセンっした!!」

 呆れた表情を隠しもしない不知火先輩は、いつも通り謎の枝をぷらぷらと咥えたまんま、流れるように二人分の代金を支払って暖簾を潜った。店主のおいちゃんに笑われた。

「先輩、ありがとうございます」
「誰がタダで奢るって言ったよ」

 タダじゃなかったら奢りではないのでは?
 混乱したまま解散の言葉を待つわたしを見下ろしながら、先輩は一言「ちょっと付き合え」と商店街の方へ視線を向ける。ネジ君のお屋敷からわたしの自宅の方へ向かう際に通る商店街である。はて、腹がいっぱいになった状態で商店街に行く用事とは。荷物持ちか? 一応女子なのですが。
 まあ先輩の言葉に逆らえる後輩ではないので、大人しく従って足を進める。辿り着いたのはあの馴染み深い八百屋さんである。

「あれまあちゃん、彼氏さんかい?」
「いえ、上司です」

 わたしが反論するまでもなく先輩が即答したので、店番のおばちゃんがけらけらと軽快な笑い声を零した。

「そうかいそうかい。ちゃんの将来が心配だねえ」

 洒落にならない。
 おばちゃんはパイプ椅子からゆっくりと立ち上がると、不知火先輩の視線の先にあった野菜に気付いてにんまりと笑う。ほほう、お客さん、お目が高いねえ。いやいや。簡素な言葉のやりとりは瞬時に終わり、先輩はお会計を終えると目的の品を紙袋に入れてもらい、そのままわたしの腕へ押しつける。

「荷物持ちだ」
「見ればわかります」

 本当にわたしの役割は荷物持ちなのか。何ということだ。不知火先輩は気怠げに溜め息を繰り返し、長い足でずんずん進んでしまう。畜生、これだからモデル体型の男はいけない。お前とは足の長さが違うのだと見せびらかしているようなものではないか。いや、逆恨みですけど。
 ずしりと腕の中で存在感を放っている紙袋には、一種類の野菜だけ。はて、これをどうするのだろうかと思案する内に先輩の足は行進を止めた。小綺麗なアパートの玄関である。
 先輩は何も言わず鍵を開け、わたしを中へと押し込めた。初めて入ったが、ここはどう考えても不知火先輩のご自宅である。何故このような場所に連行されたのかという至って真っ当な疑問を抱えたまま玄関に突っ立っていると、早く入れとのご命令である。

「あのー先輩」
「それ洗ってくれ」

 わたしの混乱を他所に、先輩はいつの間にか腰元だけのエプロンを装着し、戸棚から醤油と砂糖と酒を取り出している。先輩の命令に逆らうことはできない従順な後輩であるわたしは、言われるがままに紙袋からごろごろと鮮やかな緑色を取り出し、蛇口を捻る。

「お前が祝えって言ったんだろ」

 不知火先輩は簡潔に言い切って、洗い終えた秋の味覚を少し大きめに切るようにと指示をくださった。わたしが固い皮に包丁を差し込む傍ら、先輩は手慣れた様子で片手鍋に水、醤油、砂糖、酒を投入。これ、役割逆の方がよいのでは、と言い出せないのが後輩である。
 まるで任務中のようにあれこれと指示が飛んでくる。何やかんやで煮汁の少なくなった鍋の様子を窺っていると、後はほっとくだけだ、とのことであった。はあ。思わず生返事が零れたわたしは何故か椅子に座らされ、机には大きめのマグカップになみなみと注がれたコーヒーが湯気を立てている。
 とりあえず出されたものは頂くのが礼儀であるので静かに口に含む。お、美味い。そういやネジ君のお宅ではあまりコーヒーが出ないので、久し振りに飲んだ気がする。なお、あまりできた舌ではないのでインスタントか否かの判断は難しい。

「さて、次の任務に備えて」

 唐突に始まった先輩の言葉にぎょっとする。もう次の任務? 今日終えたばかりなのに? わたしが顔を引き攣らせたのを認め、先輩は底意地の悪い笑顔でわたしの頭を鷲掴みである。アッこれ駄目だ、何を言ったとて無駄である。例え同じ階級になったとて、経験の差は愕然とするほど開いているのだ。
 マグカップを握り締めたまま、割と真面目に今回の任務の内容の洗い出しを開始した。諜報任務においては何気ない行動が命取りになることもある。家庭教師をしている間にその感覚が鈍れば人生終了のお知らせである。
 溜め息が多くて怠そうな表情を隠しもしない不知火先輩のお小言にくるまれた助言は、傷付いていないはずの内臓によく沁みる。よくよく考えなくても今までずっと、数え切れない回数助けていただいているので、ああそうか、これは特別上忍昇格のお祝いの言葉なのかと、ようやく合点がいった。
 黒い液体がすっかり胃袋に収まったのと同時、先輩が立ち上がって戸棚からタッパーを出すようにとのご指示である。言われるがままに透明な容器を差し出せば、ほんのりと甘いにおいが鍋からふわりと流れてくる。次々とタッパーに詰められていく橙色は鮮やかで、そういえば、これは先輩の好物であることを思い出した。無論、カボチャの煮付けはわたしも好きである。

「タダで奢るとは言ってなかったろ」

 天の邪鬼を地で行く不知火先輩の声は、存外優しい。
 そら、それ持って早く帰れ。半ば追い出されるように背を押され、礼を述べるまでもなく扉は閉まってしまった。ガチャンと鍵を回す音まで鳴った。落として上げて、上げて落とす天才であるのは昔から変わらない。




 そんな感じでいただいてきたカボチャの煮付けを独り占めするのもどうかと思ったので、お屋敷に戻って奥さまにお渡しし、食卓に出していただいて冒頭に戻る。ネジ君が食べられないのは大誤算であったが、わたしは好物に変わりないので有り難くいただく。涙目のネジ君はわたしとカボチャの間で視線をうろうろさせていてアアアアア小動物のように可愛い。どうしよう死ぬ。約一週間振りのネジ君は脳髄に刺激が強すぎる。
 ヒザシさまは一口だけでも食べなさい、という姿勢を崩さないし、奥さまは見守りに徹していらっしゃる。タッパーから細工の美しい小皿に移されたカボチャはじっと健気にネジ君を見上げている。

「先生ぇ……」

 うんうん先生が何とかしてあげようね!!!
 己の理性を薙ぎ払ってネジ君をぎゅうぎゅうと抱きしめてあげたいのは山々だが、親御さんの目の前でそんな狼藉が許されると思うほど阿呆にはなりきれなかったため、わたしは己の箸の後ろで大きめのカボチャを半分に両断する。選択肢はこれだけだった。

「一口だけ、ネジ君なら頑張れますね?」

 ううう、と悲しそうな声でこちらを見上げるネジ君は、渋々その小さな口を開く。ちろりと覗いた真っ赤な舌に動揺する心をひた隠しにするも、潤んだ大きな瞳に罪悪感が胃の中をダッシュするが、これも先生の務めである。カボチャの欠片は暴れることなく静かにネジ君の口内へ。むぎゅっと眉間に皺が寄る。

「よっしネジ君偉い! そのまま無心で噛む! お米食べる! お茶飲む!」

 唸るネジ君は必死にカボチャを小さな歯で砕いてわたしに言われるがまま、何とか飲み込むことに成功したらしい。ヒザシさまも奥さまもほっと息を吐いて、よく頑張ったねとネジ君の丸い頭をなでなで。わたしも撫でたいです。いえ自重します。
 カボチャと共に何とか煩悩も噛み砕けないかなあ、なんてことを思いながら、ずるずるとお茶を啜っていられるこの平穏を、いつまでも味わっていたいと考えてしまうのが、己の甘いところである。

「そうだ先生! しゅくだいの修行、また明日見てくださいね!」

 そう、明日があるということが、何よりのしあわせであるのだ。

05|彗星の曲がり角

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