ところで、わたしの同僚は大倶利伽羅という刀の付喪神である。
 審神者という特殊な能力を持つ人間によって具現化された刀剣男士という存在で、国の組織である歴史保安庁の常勤職員として雇われているシャイなアンチクショウである。めちゃくちゃ顔が良い。スタイルも良い。そして頗る強い。
 かの有名な伊達政宗公の愛刀であるという彼は、こがね色の瞳に色黒の肌でどこか異国的な情緒を匂わせており、髪は触ると予想を裏切るふわふわの猫っ毛で、襟足だけが赤く染まっている。Vネックの白いシャツに覆われた腰は薄く、下半身の細さを隠すように巻き付けられた赤い腰布は、いつもわたしの視線を自動誘導させる。防具と言えば、無骨な草摺が腰布の上に固定されているのみで、割と身軽な出で立ちだ。
 これだけならただのイケメン高校生(風)であるが、捲られた学ランの袖から覗く龍の尾の刺青が、それはもうタダモノではない雰囲気を作り上げるのに一役買っていて、かっこいいけど積極的に近付くには勇気が必要である。まあ、近付いたところで会話をしてくれるかどうかは、こちらの力量に依拠するのだが。
 色々述べたが、結論として彼の心根は意外にも優しさに溢れている。目に見えるかどうかは別の問題だが、良き同僚なのである。
 二十一世紀でしがない公務員として働いていたわたしが、色々あって二十三世紀の歴史保安庁職員として雇用されて一月と半分。既に三回程度ではあるが生死を彷徨う案件にぶつかったこともあり、心臓には毛が生えた。嘘である。
 社畜は簡単に心を病む。わたしがまともでいられるのは、この素晴らしき同僚が毎度ギリギリのところで引き留めてくれていることに加え、美味しいご飯を食べることが許されているからなのだ。

「リスト問題なし、で良いですよね」
「ああ」

 場所は変わって鍛刀部屋である。端末を片手に、資材の初期設定量の確認が完了した。鍛刀の精霊さんはお元気そうで、きりっとした顔立ちでこちらを見上げている。この部屋は大丈夫そうだ。最高だぜ。
 本丸の外はこんなにも穏やかな春の空気なのに、どうしてグラビア雑誌の中からあんなものが発見されてしまうのか。遺憾の意である。
 幸せが全速力で逃げていくのを実感しながらも、溜め息は勝手に肺から零れ出てしまう。次は馬小屋の確認だ、とリストから顔を上げる。ずっと下を向いていると首が凝って仕方ない。
 首をぐりぐり回しながら息を吐くと、ギシリギシリと、板張りの床が軋む音が聞こえた。

「ん?」

 倶利伽羅さんはわたしと同じく鍛刀部屋内にいて、一歩も動いた様子がない。視線を投げると不思議そうな目がこちらを見やる。
 悪寒が背中をダッシュし始めたので、慌てて廊下に出るが、人影もない。この本丸の審神者は未就任で、こんのすけもまだ配備されていない。
 自然と導き出される結論は一つ。
 いやーまあ気のせいだろう! 社畜は幻覚と幻聴と知り合い以上友達未満の関係になることが多いのだ!

「倶利伽羅さん、わたしそろそろ耳鼻科に行った方が良いと思うんですよね」

 ぱちぱちと瞬きをして、彼は静かに口を開く。

「眼科にも行っておけ。ドライアイなんじゃないか」
「真剣に心配してくださってありがとうございます、ただの寝不足です」

 生まれたての子鹿のように脚を震わせながら、鍛刀部屋に戻って廊下をチラ見しつつ、得意の現実逃避である。倶利伽羅さんとの茶番は真顔で進行するので、どこまでが冗談なのかは慎重に判断する必要があるのだ。

「……生まれたての子鹿にしては足が強靱すぎる」
「思わぬ暴言をありがとうございます。武者震いです」
「きちんと辞書を引いてこい」
「仕方ないでしょ怖いんですよ! まだ死にたくないんですよ!」
「…………」

 震える膝をぺしーんと叩いてみるも、振動数が減る訳もない。倶利伽羅さんが優しい言葉で慰めてくれることもない。良いんだ、これもいつものことである。
 誰も助けてくれないので、己で鼓舞するしかない。奥歯をきつく噛み締めて天井を仰ぎ、深呼吸を一つ。

「ところで先程の音、聞こえましたか」

 本丸に何か異変があった場合は必ず情報共有しましょう。些細なことでも共有しておけば、後々生存率を上げる可能性があります。
 業務マニュアルに沿ったわたしの行動に、倶利伽羅さんは少し動きを止めて、僅かに首を右に傾けた。視線はこちらに真っ直ぐ向かっている。
 何そのあざとい仕草。全力でこちらを殺しに来ているがまだ早いぞ。定時はまだ先である。そして嫌な予感は目前である。

「……いや」
「アアアアアアアア嘘だ嘘だ冗談じゃない! 今そんな意地悪しないでください!」
「聞こえていたらちゃんと言う」

 頭を抱えた。現実は目前に立ち塞がり、わたしの退路を呆気なく燃やした。慈悲の心はない。勘弁してほしい。震える子鹿の心は折れた。
 わたしのSAN値はすぐ減る・容易く減る・どう足掻いても減るのだ。某ホラーゲームは実況動画だけでお腹いっぱいなのである。わたしは銃弾二発どころか一発であっさり死ぬぞ。我が手に聖剣ヒカキボルグを! ヘッドフォンでハードロック聴きながら無双させてくれ!
 話がすぐ脱線するのもわたしの特性である。お許しください。読み進めるにつれてしんどくなったら即座にブラウザバックを推奨します。ここまで読んでくれているあなたは神なので、どうかぼちぼちお付き合いください。

「…………」

 現実を認めたくないあまりに空虚を見つめて訳の分からないことを言い出したわたしを無視する倶利伽羅さんから、無言の圧力を頂戴した。
 やだなー、現実世界じゃ視界ジャック出来ないから遭遇したら終わりだよ。伝説のょぅじょ先輩でもないので、わたしの隠蔽値には全く期待出来ない。だからこうして倶利伽羅さんにタッグを組んでいただいて業務に励んでいる訳なのだが。
 逃げも隠れも出来ない凡庸な人間と、べらぼうに強い刀剣の付喪神の凸凹コンビは、こちらを心配そうに見上げる鍛刀の精霊さんに手を振って、そそくさと鍛刀部屋を後にした。時間は有限、仕事は待ってくれないのである。
 廊下を進むも、やはり先程の足音とは出会わなかった。やっぱり幻聴だったんだ。そうだよ、強く生きよう。勝手に出てきた涙を拳で拭って平然とした顔を作る。作ってる時点で平然からは遠いのである。でも病は気から。怖いと思うと一歩も動けなくなる。経験則である。
 さて、我々公務員というものは、法的な根拠に従って業務を遂行することが一番に求められるが、臨機応変な姿勢も大事だ。意外に勘というものも馬鹿に出来ない。

「マニュアルに沿うなら鍛刀部屋の次は馬小屋ですけど、先に基盤系と神気濃度の確認でも良いですか」
「……そうした方が良いだろうな」

 珍しく倶利伽羅さんからの同意を得る。やったねたえちゃん、と言いかけて口を押さえる。油断するとすぐに不要なことを言うのはこの口である。
 特技はフラグ乱立と自爆です。御社の業務を引っかき回すトリッキーな役回りで愉快な職場環境の構築に貢献します!

「…………」

 倶利伽羅さんは慣れ合いを好まない孤高の刀剣男士のため、一職員であるわたしがおちゃらけていてもツッコミをしてくれる訳がない。腐った雑巾でも見るような眼差しを向けてくれるならまだ温情がある方だ。わたしもそろそろ自重する時が来たようである。

「では」

 仕方ないので気を取り直し、廊下のど真ん中で仁王立ちになり、鞄の中から小さな針を取り出す。別に仁王立ちに大した意味はない。ちょっと気合いを入れねば向き合えぬ業務故である。倶利伽羅さんはいつも通り静かに見守ってくれている。
 殺菌処理済みの針を個包装から解き放ち、己の薬指の腹を少し深めに刺す。毎度思うが、指先には神経が集中しているのでこんな小さな傷でも痛いものは痛い。一ヶ月もやっていると流石に慣れるが、他にもっと効率の良いやり方はないものかと悲しく思う。普通のリトマス試験紙で全部解決できたら最高なのだが。
 非科学的事象に向き合わざるを得ないこの仕事に携わっている身では、呪術関係となると、解決策? ハイハイ血液ねーみたいな案件は日常茶飯事である。どちらかと言うと貧血気味なわたしにとっては死活問題なので、誰か早く代替案を発明してほしい。毎日ほうれん草とレバーを食す訳にもいかんのだ。
 指先にぷくりと滲んでくる赤い玉を、特別製のお札に押し付けて吸わせること十秒程。一円玉程度の赤黒い染みが出来れば、リトマス試験紙(改)(わたしが勝手に名付けた)は完成である。針をきちんと片付けて寂しく指を咥えながら玄関へ向かう。
 倶利伽羅さんが指を咥えてる絵面なら飛ぶほど金が動くだろうに、仕事というのは空気を読まない。

「…………」

 本当に驚くほど無駄口を叩かない彼は、三点リーダーと仲良しである。わたしの邪な妄想が口から零れ出たかとヒヤヒヤしたが、その眼に批難の色が含まれていなかったので今回はどうやら大丈夫だった。勿論大丈夫じゃない時もある。
 本丸の玄関へ戻ると、倶利伽羅さんは先に革靴を履いており、三和土の隅っこで大人しくしていたわたしのパンプスを、わざわざ履きやすいように真ん中へ移動させておいてくれていた。
 そういう! とこ! ですよ! 分かってますか!
 顔面を押さえてどこまでも転がっていきたい衝動をぐっと堪えてお礼を述べて、一息に己の足とパンプスを再会させる。倶利伽羅さんはやはりこちらが何故悶えているかなどよく分からないようで、疑問符を頭上に浮かべてわたしを待ってくれている。
 くそっ尊い、わたしの同僚はこんなにも。
 既に息が荒いわたしを珍獣を見るような目で観察していた倶利伽羅さんは、珍獣には飽きてしまったのか、さっさと玄関から出て庭へと向かってしまう。リトマス試験紙(改)を握り締め、わたしも玄関を飛び出した。

十二進法の遠景|02

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