何とか想定内の時間で物品確認は終了した。愛想良く対応してくれたのは大倶利伽羅と乱藤四郎と山姥切国広だけという恐ろしい事実を飲み込みながら、手持ちの端末に報告事項を書き連ねる。庁舎のデスクに置き去りにしてしまった胃薬が大変に恋しい。
 愛想の良い大倶利伽羅というパワーワードに静かに混乱しながら、再び札で部屋の内部に簡易結界を作る。結界を張るのは二度目なので、山姥切さん達にバレても仕方ないという一種の開き直りの気持ちはあるが、こちらが掴んだ情報を無闇に露見させる訳にはいかない。この先どう転ぶか分からないからだ。
 書き上げた報告事項をスクロールして眺める。
 限りなく塩対応を貫くこの本丸の刀剣男士達だったが、こちらをガン無視で目も開けてくれないコミュニケーション断絶型が、想像していたより多かった。確認した順、つまり顕現が遅い順に、鶯丸、山伏国広、三日月宗近、蛍丸である。鶯丸さんはもしかしたらこちらの対応が面倒だっただけかもしれないが、山伏さんと蛍丸さんは珍しい事例である。ちなみに三日月さんは別に珍しくない。
 映像化したキーボードを只管叩き続けていると、同僚が隣から報告事項を覗き込んでくださったので、見やすいように画面を空中に展開する。

「……塩対応の共通点は」
「倶利伽羅さんの口から塩対応なんて言葉が出るとちょっと興奮しますね」
「仕事をしろ」

 口でだけ謝っておき、塩対応男士(強め)の共通点を考える。何処かで見たような並びである気はするのだが、はて何だったか。
 この本丸で確認したのは、業務日誌、刀帳、そして彼らの私物である。
 はっと顔を上げると、琥珀色の瞳と交差した。

「……最後の出陣部隊か」

 僕らはいつも以心伝心、と歌い出したい己を押し込め、わたしは強く頷くに留めた。えらい。
 最後の出陣時が、この本丸の運命の分かれ目だったのでは。まだ決め付けるには早いが、証拠を探す手がかりにはなる。
 そう、手がかりと言えば。

『黄昏時に迎えに行く』

 鶴丸国永のお守りから出てきたメッセージを倶利伽羅さんに伝えるべきか、秘匿すべきか。ぐるぐると思考は絡まったまま、そっと苦い息を零した。最早、舌の上に苦虫が住み着いている。
 内臓は変わらずキリキリ痛む。一刻も早く胃薬ください。
 まず、同僚への情報共有だが、直接的に伝える訳にはいかない。わたしにしか見えなかったということは、刀剣男士ではなく、人間に向けて発せられた伝言及び恐喝だと考えるべきだろう。
 いや、いっそ伝えて楽になってしまいたいが、こんな時だけ冴える第六感が全力で危険信号を猛アピールしてくるので、わたしは言葉を選ぶ羽目になった。

「物品に特別おかしなものは含まれてなかったですよね」

 実際にはめちゃくちゃ含まれてましたけど。少しでも同僚が怪訝な表情をしてくれれば、わたしは素直に見たままを話せるのだが。
 文机の近くで長い足を投げ出して座っている倶利伽羅さんは、ひとつ小さく頷いた。反応が可愛いので今ので不整脈です。そして不運確定です。どうもありがとうございました。
 そもそも黄昏時って何時だよ鶴丸国永よ。明確に何時って書いてくれよ頼むから。そういうとこで平安時代の刀であるアピールなんかしなくて良いから。

「会えない光忠が鍵だろう」
「ですよねー」

 畳の上を全身ローリングしようが、倶利伽羅さんから頂戴するのは冷め切った視線のみである。良い歳して恥ずかしくないのかと言われると正気に戻ってしまうことを考慮して、敢えて何も言わないでいてくださっているのかもしれない。無論、わたしの願望を述べたに過ぎない。
 そう、篭城中の燭台切光忠も気になる。穏やかに対応してくれたが、やはり無闇に近付けば障子越しに袈裟斬りにされる気がしてならない。

「嫌な予感がしてるので適当に想像を言いますけど」
「的確に言え」
「手厳しい」
「置いていくぞ」
「すみませんでした勘弁してください」

 宣言通りに部屋からの逃亡を実行しかける同僚の腰布を必死に引っ張って正座しての懇願である。こんな本丸に取り残されたら、待ち受けるのは間違いなく死のみである。命を大事にしろってうちの課の鶯丸総括も言ってた。

「……外部からの口封じの可能性、ありますよね」

 同僚の目蓋に少しの重力が乗る。

「大倶利伽羅は一般的に慣れ合わないので、わざわざ術をかける必要がないと判断したとか」

 何か良いたげに口許をもにょっとさせた倶利伽羅さんだったが、結局、反論の言葉は出なかった。

「あんな一様に死んだ魚のような目をしてる刀剣男士達の一方で、山姥切に乱、大倶利伽羅は我々に対して結構にこやかだったじゃないですか」
「…………」
「この本丸の審神者さまが術者だとしたら、特定の刀剣男士だけ術を掛けない理由が分かりません。刀剣男士が結託すれば審神者の首なんて簡単に……となると、術者はこの本丸の外にいるんじゃないですかね。で、逆らったら良くないことが起こるとか」

 例えば折れるとか、審神者さまに危害が加えられる可能性があるとか。
 データベースの海に漂う事例集には結構目を通してきたので、珍しくもまともな発言であると胸を張って言える。張る胸がないとか言った輩は海に沈めるのでよろしく頼む。

「たまには冴えるな」
「そうでしょう、まあ今日はたまたまですよ」
「じゃあ威張るな」
「はい」

 珍しくお褒めの言葉を頂戴し調子に乗ったら、呆気なく釘を刺されて撃沈である。知ってた。そういう展開でしょうとも。
 ずっと正座のままで足が痺れると今後の調査に支障が出るので、諦めて体育座りに変更する。自分の膝に顎を乗せて背中を丸めると、胃が痛むのが少し紛れるのである。社畜の知恵だ。皆さんはこんな風にならないように。

「コミュニケーション断絶型の第一部隊の刀剣男士には、結構深刻な条件が付加されているのではないかと。精神にも傷を負う感じの」
「……自分以外の誰かが折れる、或いは無理矢理折らされるか」
「そんなところじゃないですかね。あとは考えたくないですが、審神者さんが歴史修正主義者側に堕ちた可能性もない訳じゃないですし」

 倶利伽羅さんの眉間には既に皺が寄っている。
 審神者の裏切りは、飛び切りの重罪である。

「とりあえず基幹システムのハッキング状況の確認からですかね」
「そうだな」
「罠ですよね~」
「そうだな」

 おや、残業して帰宅した後、母親から延々と話しかけられて適当に返事する社畜ごっこですか。わたしはプロなので相槌を五種類ぐらい用意して迎撃していましたよ。ちょっとは見習ってくれても良いですよ。
 空中展開した画面の文字列を涼しい顔で眺めている同僚である。知ってた。

「クソッ骨は拾ってくださいよ!」
「……職員死亡届を書くのは面倒だからな」
「そうですよ!」

 吠えたわたしに対し、倶利伽羅さんが吐息だけで笑ってくれたので、まあ良いかと思った。良くない。




 部屋を出て、本丸の玄関先に設置されている転送門に辿り着いた。元々の業務で必要であるため、転送門開発課の職員に提供してもらっていた設計データと照らし合わせながら、端末を同期させて一つ一つの設定を確認する。
 刀剣男士を過去に遷移させるための分子変換機能がオフ状態になっており、加えて遷移先の時代を選ぶ際に必要なデータベースへのアクセス権が切られている。これでは出陣できなくて当然だ。
 初期化して再起動を試みるも、管理者権限であちこちの設定が弄くられているようで、初期化すら途中で止まってしまう始末である。細々と変更されている設定から滲み出る絶妙ないやらしさ、絶対に性格が悪い奴の仕業である。わたしは天を仰いだ。

「倶利伽羅さん」

 わたしの二歩後ろで傍観を決め込んでいた同僚を手招きし、端末を差し出す。

「…………」

 眉間の皺を深くして、遠い目をする倶利伽羅さんだった。このままではわたしも彼も、現実逃避の達人になってしまう。誰か助けてくれ。
 悲惨な設定の施された転送門を睨み付けても、職場に戻ることすら不可能である。本当に救助を待つしかない。
 しかも転送門の管理者権限の乗っ取りとなると、かなりの非常事態だ。情報漏洩だけでなく、歴史保安庁職員の幇助の可能性も視野に入れなければならない。
 転送門をどうにかするのは諦めて、別の手段に切り替えることにする。下手に触って刺激するのは怖い。
 わたしの背後で襤褸を手元で弄りながら待機していた山姥切さんを振り返ると、一瞬柴犬みたいな嬉しそうな顔をしたものの、こちらの表情の強張りに気付いて見事なハの字眉毛を披露してくれた。
 わたしがまんばちゃん推し過激派職員だったら命はなかった。いやまあ、かなり危なかったが、同僚のハの字眉毛が殿堂入りなので。何が?

「すみません、転送門の不具合の原因特定には、もう少しお時間を頂戴します」

 嘘は言っていない。解決できるとも言ってないけど。公務員が言う「検討します」は本当に狡い言葉だなと思う。
 山姥切さんが首を縦に振ってくれたので、心の薄汚い社畜は安堵の息を垂れ流して笑顔を貼り付ける。

「政府と連絡が取れないということでしたので、次はそちらの原因確認をしますね」
「分かった。何処に案内すれば良い?」
「執務室です」

 きょとんと目を丸めた山姥切さんであったが、こちらを随分信用してくれているのか、それ以上何かを言うことはなく、例の如くわたしの作業着の袖口を引っ張って歩き始めた。
 散歩中の犬の気分を味わいながら、日の光で明るい廊下を歩く。
 この本丸で最初に通された部屋が、執務室だった。夜と昼で随分と空気が違うので、やはり太陽は偉大である。何かを飲み込まされた腹はずっと気持ち悪いが、今のところ打つ手はないので我慢するしかない。急に腹を喰い破られたりしないことを祈るばかりである。




 本丸の奥に位置する執務室に辿り着く頃には、やはりわたしは肩で息をする羽目になっていた。本格的にジム通いを検討するべきだろうか。体力の低下が著しく、悲しいのを通り越して最早虚しい。

「……顔色、また悪いな」

 山姥切さんは声を潜めて、わたしの額に己の額をくっつけた。
いや、熱を測るのなら、せめて手でお願いします。おめめがきらきらで至近距離では破壊力がものすごいので。勘弁して。
 倶利伽羅さんは我関せずといった顔で執務室の障子に手を掛けている。いや助けてください、明らかに様子のおかしい山姥切さんを引き剥がすのはあなたの業務に含まれると思うのですが、あの。
 同僚が一足早く執務室に入ってしまった。置いて行かれると死亡フラグが濃厚になるので、わたしは渾身の力で山姥切さんの肩を押して最低限の距離を保つ。さらさらの金髪が肌を擦る。

「わたしの顔色はお気になさらず! 多分問題ありませんので! 執務室失礼します!」

 またもやハの字眉毛でこちらを足止めしてくる山姥切さんであったが、わたしは心を鬼にして敷居を跨いだ。体調が良かった時なんて、社会人になってから数える程しかないのだ。顔色が悪くてなんぼのもんじゃい。
 倶利伽羅さんは部屋の中央の畳を引っ繰り返していた。仕事が早くて大変に助かる。剥がされた畳を見て山姥切さんはぎょっとした様子だったが、特に文句を言うでもなく、わたしの作業着の袖を握ったまま大人しくしている。
 畳の下から出てきたのは、小ぶりなモデムとルーターである。
 政府と本丸の通信は、独自ネットワークで行われている。侵入は容易くないが、今回は転送門の設定変更(いやらしい度百パーセント)を成し遂げるような人物である。憂鬱。
 倶利伽羅さんにちょいちょいと手招きされるがまま、剥がされていない畳の上に座り込む。手招きするくせにこちらを全く見ないシャイなアンチクショウを拝みたいのを我慢して、無心で通信機器の状態の確認をするわたしはえらい。自分で褒めるのも随分スムーズになってきてしまった。

「うわ、めちゃくちゃ接続状態悪い……とりあえず通信テストしてから再起動ですかね」

 同僚が小さく頷いて見せたので、安心してさくさくと端末から遠隔操作する。通信テストの結果も散々なので、色々と諦めてログを取得してから処理を走らせる。
 数分かかって再起動を終えると、願い叶って電波は無事に復活した。

「あ、メール」

 職場への情報共有が最優先だとさっきまで考えていたのに、通信が繋がったことに満足して気が抜けてしまった。これだからお前は、と口にはしないものの視線で諫められるに違いないと思って隣を見ると、同僚の端末が差し出された。
 送信済みメールボックスに、圧縮された添付ファイル付きのメールが一通鎮座している。

「全部送った」
「ありがとうございます流石だあ!」
「……」

 褒められても表情が全く変わらない神であった。いつものことである。たまには照れ恥じらう姿を浴びるほど眺めたい。言ったら殺されそうなので黙っておく。
 山姥切さんが首を傾げながら近付いてくる。現場での状況報告は端的に簡潔に。言わなくて良いことはきちんと胸に封印しておくのも重要である。

「電波が復活しましたので、緊急支援要請の連絡を入れました」
「本当か!」
「一時的な措置ですので、完全復旧とまでは言えませんが」
「いや、大きな一歩だ。感謝する」

 布の端っこを握り締めて、山姥切さんは深く腰を折った。安堵感からか、語尾が僅かに震えていたことは指摘しない。審神者さんが倒れてからずっと気を張りっぱなしだった彼に、適切な声掛けができる自信がなかった。沈黙は金。
 それに、感情移入し過ぎると仕事に支障が出る。少し深めに息を吸って、共有しても問題ない事項だけを脳内で羅列する。

「……通信の接続状況は最悪でした。年末年始福袋争奪バーゲンセール会場みたいな感じですかね」
「なるほど」

 場の空気を和ませようと冗談で口にした言葉に納得されてしまった。やはり山姥切国広は天使なのだ。心根が健やか過ぎる。
 同僚は端末に何かを打ち込むのに夢中で、こちらのことはガン無視であった。いつものである。
 恐らくテストメールを職場に何度か送って、通信状況がどの時点で悪化するかを測定しているのだろう。わたしの阿呆な行動も、同僚が隠れて動く時の隠蔽には持ってこいなのだ。一度としてそんな作戦を練ったことはないが、結果オーライである。

「この本丸は完全に孤立していた状態でしたので、恐らく偽の運営報告が政府に上がっていたと考えられます。その報告ルートから、このクソみたいな状況を作り出した輩を炙り出します」

 本丸の運営報告については、かなりしっかりと確認が行われている。少しでも連絡が滞れば政府から接触があるはずなのだ。しかも報告書の書式には、素人が適当にでっち上げたら一発でバレる仕掛けがいくつか練り込まれている。
 三ヶ月間も本丸の正常運営を装った事実から、首謀者は何処かの審神者、若しくは政府職員である。仮に政府職員が主犯だった場合はお互いが手の内を知っているので、かなり捜査は難航するだろう。最悪の事態にならないことを祈る。

「クソみたいな……」
「アッすみません口が悪くて!」
「いや」

 山姥切さんは少し俯いて肩を震わせていた。何かよく分からないが、お気に召したらしい。

「そうだな。この三ヶ月間、本当に酷い毎日だった。あんたが迷い込んできてくれたおかげで、どうにかマシになりそうだ。重ね重ね感謝する」

 泣きそうに目を細めた彼は、また俯いて布で顔を隠してしまう。
 わたし、本当にまんばちゃん過激派の職員じゃなくて良かった。こんなもん致死量に相当する。

「……おい」

 倶利伽羅さんがかなり潜めた声でわたしを呼び付ける。

「顔色が洒落にならん。あんた、本当に大丈夫なのか」
「えっ心配してくれるんです?」
「どうなんだ」

 こちらの巫山戯た態度は切って捨てられた。誤魔化すな、とこがね色の瞳が言っている。

「……正直言うと、妙な寒気が」

 盛大な舌打ちを食らったかと思うと、己の腕が倶利伽羅さんによって引っ張り上げられ、急に立ち上がらされた。ただ呆然とへっぴり腰のまま、同僚の言葉を待つ。

「山姥切、悪いが、一度部屋に戻って体調を整えさせたい」

 労りの台詞であるはずなのに、所々に棘のある声だった。

「やっぱり無理をしていたのか……すまない。乱に看病を頼んでおく。他に何かできることはあるか?」
「……必要になったら、乱藤四郎に伝えてもらう」
「分かった。サイトー、俺が言えた義理はないが、きちんと休んでくれ」

 随分思い詰めた表情の山姥切さんに頭を下げて、同僚に引っ張られながら冷たい廊下をよたよた歩いた。

十二進法の遠景|11

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