乱さんは本丸内の見回りに行くと言って(端末に打ち込んで)、部屋を出て行ってしまった。わたしと倶利伽羅さんという外部者が情報を掴み始めたことで、再び本丸が襲撃される可能性を考慮してのことだろう。
色々と貴重な情報が手に入ったのは良いが、内容が重いので確認するだけで胃がキリキリする。倶利伽羅さんは気を遣ってまだわたしの肩を支えてくれている。そう、優しいひとなんですよ本当に。
感動を噛み締めていると、端末が文机の上で振動して歪な音を立てた。
画面には、企画業務課の電話番号が踊っている。音声遮断の札はまだ効力をガンガンに発揮しているので、そのまま通話に出る。
『ああっサイトーさん! やっと繋がった!』
「石切丸総括! お疲れさまです」
やっとも何も、着信履歴はまだ真っ新だったのだが、それは後に回すことにする。嫌な予感しかしない。
状況はかなり切羽詰っているから本題から言うよ! と声を荒げる石切丸総括に気圧される。さながら親に怒られる子どもの図である。拳骨一撃でわたしは間違いなく気を失うが。
『君、一体何を食べたんだ!』
ああ、やっぱりなあ。
「自ら望んで飲食した覚えは全くありませんが、怪異の類だと思われますね」
『平然と返答しないでほしいな!』
平常心平常心と繰り返し練り歩くのが趣味の石切丸総括らしくない、焦りを念入りに織り交ぜた叫びであった。
『大倶利伽羅さんが私達の目の前で怪しげな池に飛び込んでから、もう丸一日が過ぎているんだよ。君から届いたメールの日付もズレているし……』
またしても時空は歪んでいたのだ。悲しいことである。隣で同僚も溜め息を我慢するのを諦めている。
「それよりも、今回の首謀者は特定できそうですか」
『もう! 君戻ってきたら、八時間みっちり祈祷するからね!』
「業務が圧迫されるのですが……」
『ちゃんと時間外にやるよ!』
「いやそこは勤務時間内にちゃちゃっとお願いできませんかね、業務の一環として」
ふう、と無理矢理一息吐いて落ち着いた石切丸総括が、こちらの要望を無視して続ける。
『ヤマダさんのおかげで、関係者の洗い出しは終わったよ。あ、丁度戻ってきたね』
『サイトーさん、大倶利伽羅さんお疲れさま』
「ヤマダ主査!」
心の底から嬉しそうな声が飛び出た。
加持祈祷以外はゆるふわ系の石切丸総括の尻を唯一叩くことができるヤマダ主査は、データベースから必要な情報を抜き出すのが頗る速く、わたしはいつも大変お世話になっているのである。
『絞り込みに必要な情報が揃っていたから、こっちはそんなに苦労しなかったけど……通信が回復するまで時間かかり過ぎだよ、ヒヤヒヤした』
「でへ、すいません」
あまりに露骨にデレデレしてしまい、同僚から肘鉄を食らう。あ、はい、真面目に仕事しますのでお許しください。
『丸一日食べてないんでしょ? お腹空いてないの?』
「それがですね、妙な怪異を胃に仕込まれたようでして」
絶句するヤマダ主査だった。
『…………大倶利伽羅さん、死なせないのを第一に考えて行動してあげてね』
「承知している」
うわ、言いたいことをめちゃくちゃ押し殺していらっしゃる。語尾の震えが嫌にリアルである。ぶっちゃけると石切丸総括よりヤマダ主査を怒らせる方が恐ろしい。無事帰還したら企画業務課に美味しい焼き菓子の詰め合わせを持っていこう、そうしよう。
「そういや倶利伽羅さんはお腹空いてないんですか?」
「あんたと一緒にするな」
「それはすみません」
『はいはいその辺で。こっちでまとめた資料送るよ。本丸支援課長にレク済みだからね』
「姉さんいつもありがとうございます!」
『ランチまた行こうね』
ええ、サイトーがお財布出しますとも。
早速送られてきた添付ファイルを倶利伽羅さんがさくさく開き、怒濤の四窓同時空中展開である。文字の海に目が泳ぎそうになるのを堪え、無言で指し示されたファイル二つに目を通す。
『あ、先に結論から言っておくね。あなた達が最後に備品確認した「め本丸」は、水質汚染なし、呪術の類も見当たらなかった。ただの中古本丸。中継地に使われたと見て間違いない』
仕事のできるヤマダ主査は、情報の取捨選択と伝達技術も神の領域にあるのだ。わたしは一生、彼女に足を向けて眠れない。
『今、君達がいる「ね本丸」の審神者さんの交友関係は、二つ目の資料にまとめておいたよ。宅配記録を辿ったら、同国本丸の「ち三二七一五五六四」、ええと、め本丸の審神者さんと友人で、同じ研究室に所属している方から、菓子の贈り物があったというところまで分かった』
石切丸総括の美声で就寝したいと考える人は少なくないだろうが、今はその時ではないので真面目に聞く。
「菓子……倶利伽羅さん」
「洋菓子の詰め合わせだな」
ちゃっかりこの本丸の審神者さんの端末を拝領していたので、倶利伽羅さんが写真フォルダから日付を見て特定してくださった。マドレーヌやフィナンシェ等の詰め合わせらしい。画像は薄目で眺める程度にする。今、この本丸でわたしが口にできるものはないので、見ていてお腹が空いてしまったら大問題なのである。
恐らくこれらの菓子に、呪術が仕込まれていたと考えて間違いない。審神者さんが食べてしまった可能性は限りなく高いだろう。美味しそうだし。
「演練で、その『ち本丸』の審神者さんと当たった日は分かりますか」
『……最新の日付は三ヶ月前だね』
「その日以降の演練の記録はありますか」
『いや、なさそうだ』
倶利伽羅さんが鼻を鳴らした。
「転送門の権限乗っ取りは、何か分かりそうですか」
『調べておくよ』
念のため確認をお願いすると、快く引き受けてくれる石切丸総括は良いひとである。
「この『ね本丸』の担当職員はどなたですかね?」
『ああ、亡くなってるよ。その後は新人ちゃんが担当になってるね。肝心の本丸業務報告はテンプレ使い回し。この時点で気付けたら良かったんだけど、周囲のフォローが足りなかったみたい』
この時期は職員もてんやわんやの極みで、新入職員には重荷だったに違いない。そして、ヤマダ主査がさらっと言った、前任職員が亡くなっているという事実が怖い。
これでわたしもさくっと殺される確率が上がった訳である。倶利伽羅さんの傍を離れなければ多少は問題ないだろうが、そう上手く事が運ぶとは思えない。
業務中に刀剣男士とはぐれた政府職員の生存率なんて、計算しなくとも結果は火を見るより明らかだ。
「……あの、審神者さんの部屋、やっぱり強行突破しなきゃ駄目ですか」
目下、燭台切光忠問題が最も恐ろしい。石切丸総括がこちらに到着するまでの時間稼ぎはするつもりだが、なるべく強行突破は回避したい。
『審神者の保護は、最優先でお願いするよ』
無慈悲な宣告に打ちひしがれるしかなかった。藁に縋っていたかったわたしは大袈裟に呻いてみせたが、頑張ってね、と淡々と返された。最優先かあ。本当に今日が命日になってしまうかもしれない。
「ちなみに、審神者支援課さんは……」
『早く組織改編してくれたら良いのにねえ』
絶望的な状況だということは確かになっただけだった。歴史保安庁内でも残業総時間数の上位を常に維持し続ける課である。まだわたしの所属する本丸支援課は穏やかな方だ。
『状況判断は冷静にね。大倶利伽羅さんがいるから、大丈夫だよ。私達ももうすぐそちらに向かうから』
ではまた。呆気なく通話は切れ、部屋には重い沈黙が残った。ずっと肩を支えてくれていた倶利伽羅さんをちらと見ると、目を逸らされてしまった。
フラグの乱立に定評のあるわたしは、白目を剥いて心を穏やかに保つぐらいのことしかできない。文机に突っ伏して悲しみを垂れ流す。
泣いても喚いても状況は変わらないが、少しぐらい気を抜きたい。ここから先、職場に無事戻るまではずっと緊張が続くのである。多少はぼんやりしておかないと後々がしんどい。
「ところで、強行突破ってどうやるんですか」
作戦を緻密に練ったところで想定外の事象に出会しておじゃんになる可能性は甚だ高いが、無策で飛び込むのは愚者の行いである。意思共有はきちんと行いましょう。マニュアルに従い、わたしは疑問文を投げた。
「あんたを投げ込む」
「そんな無茶な」
「冗談だ」
異常な状況下では流石の倶利伽羅さんでも判断能力に狂いが生じるのだろうか。昨日に引き続き、貴重な冗談を浴びて嬉しいやら恐ろしいやらである。
「まずはあんたが光忠を説得する」
「九割失敗に終わると思いますが」
「最初から武力行使はできない。声掛けした事実だけあれば良い」
警告したという前提が必要条件になる訳だ。「無駄に良い声で謝られて手出しできないと思うんですけど」と愚痴ると、倶利伽羅さんは涼しい顔で口を開く。
「問題ない。一言入れてから斬り込んで部屋に踏み入る」
「……いや、分かってたんですけどね。そうですよね」
端末の電源を落とし、現実を受け止めるために長い溜め息を吐いてから再び吸う。病は気から。溜め息ばかりでは鬱病まっしぐらである。
倶利伽羅さんの手が、わたしの足下に掛けてくださっていた赤い腰布を回収していく。立ち上がった彼がそれをいつものように腰に巻き付けているのを眺めていると、心が洗われるようだった。倶利伽羅さんのヲタクは単純である。
やはり驚くほど腰が細い。耐えきれず拝んでいると、ドン引きの眼差しを賜った。
腰布と肩を支えてもらったこととペンダントのおかげで、何とか体力を回復できたので、わたしもよっこいしょ、と立ち上がる。またしても背を支えてくれる倶利伽羅さんである。完全に要介護認定されてしまったが、施しは拒まない主義なので有り難く享受する。
「倶利伽羅さん、わたし頑張るので、次のお昼は一緒に庁舎の近くの美味しい鯛めし屋に行きましょうね」
「おい、無闇にフラグを立てるな」
眉間にぎゅっと皺を寄せて怒られた。とりあえず一マス進む。