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 障子戸の奥の魔王、ではなく燭台切光忠に挑む気力は回復した、ということにする。体力は多少ある。残りは倶利伽羅さんと運に任せるしかないが、打てる手は打っておかなければならないので、わたしは山姥切さんを呼び出した。

「どうした」

 目線を合わせて喋ってくれる山姥切さんは、すっかりわたしを幼女認定してしまっているようだが、これが乱さんのメイク技術(呪い)によるものだと分かった今、恐れ怯えることはない。利用できるものはとことん利用するに限る。騙しているのは申し訳ないが、これは業務の一環である。

「職場と情報共有をした結果、今回の諸々の原因に繋がる鍵は、審神者さんの部屋の中にあるという結論に至りました。よって、強制捜査を行います」
「……俺は何をしたら良い?」

 困った犬の表情を浮かべた山姥切さんのキラキラオーラに屈してはいけない。ぐっと腹に力を込めて、わたしは営業用の笑みで乗り切る。

「もし燭台切さんが抵抗した場合、わたしと倶利伽羅さんの味方をしていただきたいんです」

 物騒な言い分であるのに、山姥切さんはすぐに首を縦に振ってくれた。

「分かった。主を助けるためなら、俺は何でもやる」

 同じ本丸の仲間に刃を向けることになるかもしれないのに、初期刀らしく迷いのない真っ直ぐな目だった。わたしは深々と頭を下げる。
 この言葉は、きっと呪術のせいだけではない。彼が山姥切国広であるからこそ、覚悟を決めてくれているのだ。
 廊下を歩くと、外は夕焼けの始まりだった。いよいよ時間が迫ってきている。夜になる前に片付けてしまわなければ、己の死亡率が高まってしまう。嫌である。
 ぺたぺたと廊下を歩く。前回と異なるのは、荷物を全て持っているところである。書類が散らばらないようにと乱さんが貸してくれた布製のトートバッグと、己の履いていたパンプスを手に、山姥切さんの後ろをひょこひょこついていく。
 強い西日に目を細め、わたしは件の部屋の前で仁王立ちする。倶利伽羅さんはわたしの横で、本体に手を添えて待機してくださっているので安心だ。山姥切さんは一歩後ろで見守ってくれている。
 燭台切さん、と呼び掛けると、有難いことに随分素直に足音が近付いてくる。

「職員さん?」

 何があったのかい、と燭台切さんの穏やかな声が返ってくる。緊張はそのまま喉の奥に押し込んで、わたしは少し強めの発声をする。

「部屋の中でお話できませんか」
「僕も協力したいのは山々だけど……できないんだ」

 想定内の返答である。

「やはり政府職員は信用できませんか」

 わざと嘲笑うように言う。揺さぶる時は強弱を付けて、情緒に訴えかけるように、が基本である。慌てて「そうじゃないよ!」否定してくれるところも、脳内の予行演習と全く同じだ。今のところは順調と言えるだろう。

「さっきみたいに、障子越しじゃ駄目なのかい?」

 彼の声には焦りの色が見える。今朝のヒアリングの際には感じなかったものだ。何か中で状況の変化があったのかもしれない。

「申し訳ありませんが、ご確認いただきたい資料等がありまして。こちらが読み上げた内容を聞いていただくのでは、少し難しくてですね」
「……ごめん……ごめんね、どうしても……」

 心の底から申し訳なさそうな声を出されると、こちらも譲歩したいのは山々なのだが、最優先事項だと石切丸総括に念押しされてしまった事実がそれを許さない。従うしかないのだ、わたしは下っ端なので。
 交渉は決裂した。倶利伽羅さんが目蓋を伏せたのを合図に、わたしは深く息を吸った。

「……分かりました。燭台切さん、恐れ入りますが障子から離れて、部屋の中央に戻っていただけますか」
「え? どういうことだい?」
「こちらの条件を満たしていただくことが難しいと判断し、強制捜査を行います」

 他人事みたいに「ご注意ください」なんて吐き捨てる己は、きっと悪人さながらの顔をしている。
 鯉口を切った倶利伽羅さんの、鋭い一閃が風となって肌を撫でる。次の瞬間には、軽い音を立てて障子が斜めに切り開かれていた。

「悪く思うな」

 自分も一言ちゃんと断る倶利伽羅さんは、長い足で真っ二つになった障子を蹴り飛ばす。障子の枠組に夥しい術式が書かれているのが見えた。中から障子が開かないような細工が障子に施されていたと考えて良いだろう。
 やはり、燭台切さんは閉じ込められていたのだ。誰に、と考える間もなく、いつの間にか靴を履いていた倶利伽羅さんが土足で部屋に踏み入った。わたしも慌ててパンプスを履き、一歩踏み出す。
 おい、と背後から山姥切さんの戸惑った声が上がる。我々の味方をしてくれとふわっとしたお願いしかしていなかったので、明確な指示出しが必要だった。

「山姥切さんは、この部屋の見張りをお願いできますか」
「わ、分かった」
「転送門は本丸の中からどうこうできる状態ではありませんが、政府側からなら何とか操作可能だと思われます。時の政府から石切丸と、人間の職員がもう一人来る予定です。彼らが到着したら、部屋の中へご案内いただけますか」
「約束する」

 言って、山姥切さんは無意識に摘んでいたのであろう、わたしの作業着から手を離した。

「……気を付けろよ」

 気遣いは嬉しいが、最早何に気を付ければ良いのか分からない。ただ頷くだけにしておく。
 中の畳は所々どす黒い色に染まっている。「何で染まっているのか」を考えると、裸足で踏む勇気はなかった。

「待って伽羅ちゃん……!」

 こちらの忠告に従って部屋の中央にいた燭台切さんは、引き攣った声で首を横に振って拒絶する。ぱっと見た感じでは特別怪我をしている様子はない。
 抜刀した倶利伽羅さんを見るや、燭台切さんは咄嗟に本体を抜いた。同僚が重い一撃を彼に振り下ろし、燭台切さんは何とかそれを受け流して、待って、と再び悲鳴を上げた。
 畳の上をパンプスで踏む罪悪感を噛み締めながら、わたしは周囲を見回す。家具の一つもない。
 部屋の中は、血のにおいが充満していた。綺麗好きの燭台切光忠がよく耐えられたなと思うくらいに、鼻に随分と刺激を与えてくる。こんだけ鉄臭いとなれば、やはり審神者さんはもう亡くなっているのではないか。嫌な予感ばかりが胸を過ぎる。

「走れ!」

 同僚の命令を耳にすれば、身体は勝手にすんなりと従う。
 畳の上をヒールで走り回るのは大変危険である。何度か転びそうになりながら、部屋の奥に向かう。背後からは刃物が擦れる金属音が鳴り響いている。ただの人間であるわたしは近付けば間違えて斬られて死ぬのみなので、自分の仕事を遂行する。
 どうやらもう一つ部屋があるようだ。血のにおいはどんどん濃くなってくる。思わず鼻を擦りながら障子戸を開けて、愕然とした。
 布団に横たわった男性は、身体のあちこちから管が生え、人工呼吸器も装着されている。ただの本丸で、ここまで本格的な病室が作り上げられているとは思わなかった。
 そもそも、医療関係者以外が、こんな措置を行えるのか?
 浮かんだ疑問は胸に留め、さっきとは打って変わって、静かに歩を進める。病人を無闇に起こしてはいけない。背後の騒がしさは今更なので目を瞑っていただきたい。
 眠った審神者さんに近付いて膝を折り、緊張で震える手で掛け布団を捲る。彼の身体にも目立った外傷はないように見えるが、部屋は依然と鉄臭い。
 ───誰の血だ?
 布団の横に設置されたモニターが目に入る。上部には心拍数と心電図、下部には呼吸と脈拍の情報が表示されている。
 心拍数、ゼロ。心電図の波形は直線を描いている。審神者さんの手首にそっと触れれば、そこに人の体温はない。

「……やっぱりなあ」

 審神者さんの死を、あの燭台切光忠が隠し切るのは難しい。どうしようもない状況下で、よく耐えたものだ。
 両手を合わせてから、端末で証拠写真を撮影しておく。そこではた、と気が付いた。
 審神者さんが亡くなったにも関わらず、この本丸の刀剣男士の顕現状況に影響は出ていない。まだ亡くなってそんなに経っていないのか?
 専門家ではないので、死後どれくらい経過しているのか、見通しが付かない。憶測ばかりを重ねても突破口が見つかる訳ではない。今のわたしにできることは、職場への情報共有ぐらいである。

「後ろがガラ空きだぜ」

 聞いたことのある声だと思った頃には、もう遅い。
 ぐわ、と内臓に重力がかかり、畳が遠ざかった。咄嗟に身を捩ろうとするも、後頭部を強い力で押さえ込まれてしまい、呻くに終わった。
 わたしの腹を拘束する腕は、白い着物に包まれている。先程の声と合わせれば、至極簡単な答えに辿り着く。

『黄昏時に迎えに行く』

 正しくメッセージのとおりに、鶴丸国永による誘拐劇の火蓋が切られたのだった。

十二進法の遠景|14

200502
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