第六感は常に警報器を掻き鳴らし続けているが、腕を拘束されているわたしは大人しく鶴丸国永に連行されるしかない。気分は再逮捕された脱獄犯である。
渓流をずっと辿っていくと、四辻があった。鶴丸さんは迷うことなく、玉砂利が敷き詰められた道を選んだ。この道もヒールで素早く歩くにはなかなか厳しい。
見かねた鶴丸さんがわたしの腕を拘束する縄を短く持ち、ほぼぴったりと身体を寄せ合う形で進むことになった。腰元の草摺が太ももと擦れて結構痛いが、一人で地面に転がるよりはマシだと己に言い聞かせる。
「そうそう、聞きたいことがあるなら、奴の管轄外にいるうちに頼むぜ」
突然そんなことを言われても、何を聞けば良いかなんてすぐには出てこない。逡巡していると、彼はわたしの顔色を見て眉尻を下げた。
「そんなことを言われても困るって顔だな。仕方ないな」
察しが良くて何よりである。
「はいはい。じゃ、今から行くところな。目星はもう付いていると思うが、主の研究仲間とやらの審神者の本丸だ」
あっさりと他所の本丸に乗り込む宣言であるが、通常であれば審神者からの招待コードが必要不可欠だ。しかし、コードはない、と鶴丸国永は良い笑顔で宣言した。
「あちらさんから勝手に繋いできたから辿れるのさ。到着したらその縄は解いてやるから、安心すると良い」
そう言われると逆に安心できないのだが、今は口を閉ざしておくのが正解である。
正直に申し上げると、招待コードや歴史保安庁からの依頼なしで職員が本丸へ突撃訪問することは違法だ。緊急事態であれば除外されるという条項はあるが、結局は後から決裁を取らなければならない。様式に必要な添付書類が膨大であることを考えると、今から憂鬱になってしまう。
「到着してからは、君のその腹の中のモノが言わば鍵になる訳だ」
「ええ……」
そして鶴丸国永さん、政府職員のお腹を指でつんつんするのは御遠慮ください。腹筋ないなあとか言わないで。よく存じ上げています。
あまりの筋力のなさに、信じられないようなものを見るような目をした倶利伽羅さんの幻影が浮かぶ。そこら辺の社畜は、ジムにでも通っていない限りは筋肉が喜びの声を上げることはないのだ。
「君がまだ生きているというだけで、俺達にとっては希望そのものなんだぜ? もっと嬉しそうな顔をしたらどうだい」
そんな無茶な、と打ちひしがれた顔を作ると、鶴丸国永が腹を抱えて震え始めた。目尻に涙まで浮かんでいる。
「まあ、こんな状況下で普段通りに振る舞えと言う方が無茶なのは分かるさ。すまんな。世間話でもするか?」
天気の話でもすれば良いとでも?
「うん、快晴だな」
頭上に視線を投げてから満面の笑みで返されたが、そこから会話を発展させる技術力をこちらに与えてほしい。同僚みたいに口から溜め息がまろび出た。
本丸への道のりが明るいことだけが救いだ。これで真夜中の本丸に突然切り替わったら心が死ぬが。
バグってしまった体内時計を誤魔化しながら、よたよたと歩を進める。
「今、本当は何時なんですかね」
何を言っているんだという顔で「その腕時計が証拠だろう?」鶴丸さんが眉を跳ねさせた。そう簡単に正気を疑われましても。
「……だとしたら、間違いなく朝ではないはずですが」
「この道のりはずっと朝だぜ。良かったな」
何も良くないですが。終わらない朝、つまり異世界のそれである。勘弁願いたい。
「さっきの蛍通りの方が良かったかい? 暗がりばっかりじゃつまらんだろう」
「…………」
主人と一緒に墓土の下に埋められていた鶴丸国永の言い分に、適切なコメントを返すことができない。何が地雷か分かったものではない。
「君と政府の伽羅坊は、結構長い付き合いなのかい?」
政府職員のコミュニケーション能力の低さを見かねて、どうやら助け舟を出してくれたようだ。心から感謝して乗っからせていただくことにする。
「出会って数ヶ月です」
「へえ。それにしちゃ、随分と懐いているみたいだが」
「推しなので」
やっべ反射で正直に答えてしまった。わたしの剣幕に鶴丸さんはきょとんとした表情を作ってから、ああいや違う、と首を横に振った。
「君がじゃなくて、伽羅坊が、だ」
わたしの脳は処理落ちした。
「いや、冗談じゃない。昔馴染みの目は確かだぜ」
懐く。つまりデレである。奇跡である。水が葡萄酒になってしまう。
今まで拝んだ同僚の表情と言えば、呆れ・軽蔑・無関心のいずれかに合致する具合で、基本的には塩対応である。だが、それが同僚なりの、精一杯の飴だったということが発覚し、緩む頬を無理矢理押さえ付ける。危ない。不審者丸出しである。
いや本当に飴なのか、と疑ってはいけない。これは嬉しい部分だけ受け取って大事にしておくべきだ。今後のわたしのために。うん。
こんな状況下でなければ小躍りを披露してしまうところだった。気を抜くとにやけそうになる唇を噛んで堪え、話を続きを促す。
「山姥切や乱とも上手くやってくれて良かった。俺では心労を増やすばかりだからなあ」
「自覚があったとは」
「治るようなもんでもないし」
しみじみ言う鶴丸国永に、思わず「それはまあ」と返してしまうと、む、と彼はあざとく頬を膨らませた。びっくりどっきり儚げジジイはぶりっ子もお上手である。
「こら、俺は傷付いたぞ。ちゃんと慰めろ」
顔が良いから何をしても許される。世の中は不平等だ。
歩いたまま顎を引っ掴まれ、意図せずアヒル口を披露する羽目になった。この鶴丸国永のスキンシップ過多の原因は何だろう。山姥切さんのように、また呪術的なアレだったら笑えない。ジト目で見上げると、ハイハイすまんかったとやる気のない謝罪が落ちてくる。
「無茶振りが過ぎませんか」
「何を言う。俺は鶴丸国永だぜ」
「説得力が有り余っていて何よりです」
ていうか、あの本丸でわたしは鶴丸さんに見張られていたのか。背筋が薄ら寒い。偵察隊長と思われた今剣さんはブラフだったのか。
やっぱりあの本丸怖い。無理。癒しの山姥切さんと乱さんと大倶利伽羅さんは除く。
「でもまあ、心配なのは本当なんだ」
急に推しの話に戻ったので、わたしは必死に正気を取り戻した。そもそも業務中なので正気を失ってはならんのだが、破茶滅茶な展開が続くと胃もたれ胸焼け頭痛で現実逃避をキメたくなるものである。そういうもんなのである。
「昔から口下手で、何かと抱え込んじまう性質だからな。心根の優しい子なんだが」
解釈一致万歳、と口走ることなく「重々承知してますよ」大人の回答を述べたわたしを盛大に褒め称えてほしい。めちゃくちゃ危なかった。
「そりゃ良かった」
見上げれば、鶴丸さんの心の底から嬉しそうな微笑みと出会し、足が派手に縺れた。手の縄を引っ張られたことで命拾いをしたので、複雑な心境である。
親のような、兄のような、悪友のような。大倶利伽羅にとっての鶴丸国永という存在は、顕現された数だけ無数に広がる関係性があるのだな、と思う。
「そういや君、昨日の風呂場で一瞬死んだように見えてヒヤヒヤしたんだぜ。もうちょっと体力付けな」
「……おっしゃるとおりで……」
風呂も覗かれていたと知り、羞恥心が今更動き出す。おっさんみたいな呻き声を上げていたのはなかったことにできないだろうか。
「それは歴史修正の宣言かい?」
「いえ、鶴丸さんの記憶をさくっと消していただきたいだけで」
「物騒だな」
「それほどでも?」
己の中で物騒の基準値がブレブレになっていることは分かっていたが、環境のせいである。自分を正当化しながら、手元を締め付ける縄にも慣れてきたので、わたしからも世間話を振ってみようと思う。
「あの、腹の中のこれ、詳細を伺っても問題ないですか」
振ってから、これは世間話になるのだろうか、と少し不安になる。口にしてしまったものは戻らないので、お行儀良く、うっかり転ばぬように地面を踏み締めながら彼の返答を待つ。
その辺に落ちていた小枝を拾って楽しそうにバトントワリングを披露してくださっている鶴丸さんが、登下校中の小学生ごっこを中断し、少しだけ沈黙を噛んでから口を開いた。
「それ自体は大した怪異じゃない。霊力を吸って成長し、孵化すれば胃の中で更に成長する。ある程度の大きさになったら宿主の精神に干渉して、肉体を操る」
「ウワ」
これ以上症状が進んでいたらどうなっていたことか、想像するだけで気分が悪い。
「と言うのが一般的だが」
「はい?」
怪異に一般も特別もあるもんか、と言いたいけど言えない世の中である。小枝をぷらぷら揺らして歩く彼は、わざとらしく笑顔を貼り付けた。
「こいつには更に呪いが掛けられていてな。宿主の肉体を一定時間操った後、霊力をごっそり奪ってから腹を突破って出てくる」
死の予言だった。
「絶対助からないじゃないですか!」
思わず悲鳴の如き声を上げると、鶴丸さんの指がわたしの眉間の皺を指でぐりぐりして、やれやれと肩を竦めてみせた。オーバーリアクションが少し腹立たしく思えてきたのは内緒である。
「君、絶対なんてものはない。諦めたらそこで試合終了だって言われただろ?」
思った以上に俗世に染まっている鶴丸国永だった。見守りに徹していると「全巻読んだぜ」歯を見せてサムズアップした彼は、そっとわたしの腰を引き寄せる。思わず疑問符が零れた。この手は何だ。
「今はごーるでんかむいを読んでいる。政府に引き抜かれたら続きを読むんだ」
彼は言いながら、玉砂利の隙間から突然現れた靄のようなものを、何でもないように長い足先で蹴り飛ばした。
霧散した怪異に、鶴丸さんは視線すら投げない。さり気なくわたしの腰も解放し、再び小枝をくるくると手慰みに回し始めた。
紳士なのか小学生なのか分からないが、どうやらこの鶴丸国永、光属性と見て間違いない。その光パワーでわたしの死亡フラグをめきょっとして欲しいところである。よろしこ。
半泣きで縛られたままの両手で合掌すると、鶴丸さんはぶふっと大袈裟に吹き出した。
「どうした、急に拝みだして」
「わたしの神さまに祈るついでに、鶴丸さんにも祈っておきたくて」
「口が減らないなあ」
彼は小枝をぽいっと投げ捨てて、人懐っこい笑みを浮かべたまま頬擦りをしてくる。この本丸の刀剣男士の距離感は本当にどうなっているんだ。こちらは成人女性ですよ。七歳じゃないんですよ。
彼の肌のきめ細やかさに盛大に敗北していると、やわい力で腹をぽんぽんと押された。狸じゃないんですよ職員は。そして真剣な顔で腹に耳を押し当てられても、身篭っている訳ではないので。何なんですか。
「それじゃ君、腹の導く方へ案内してくれ」
「え、サンショウウオってそんな便利システムなんです?」
「すまん冗談だ」
「……」
自力で敵地に向かうしかないようだ。そりゃそうだ。一マス進む。