一定時間の発狂を乗り越えたわたしは、折れた一振目の燭台切光忠の傍に座り込んで、状況報告のメールを作成していた。
 刀身のど真ん中で分断されてしまった燭台切光忠をカメラに収め、急に業務モードに戻ったわたしに鶴丸さんは目を白黒させていたが、発狂しているよりはマシだろうということで、大人しく見守ってくれている。いや、正確には発狂したままなのですが。
 この目の前の水槽を果たしてどう報告したものか、へろへろの脳を何とか動かして考える。
 しかもわたしは迷子である。この本丸そのものの座標が隠匿されているのだろう。かなりのセキュリティ技術をお持ちの仲間が敵陣にいらっしゃるようで何よりだ。冗談も程々にしてほしい。

「うーん、暇だなあ」
「いや、護衛しっかりお願いしますよ」
「うーん」

 うーんではない。それが今のあなたの仕事である。
 そのまま畳の上に転がってしまいそうな鶴丸さんに釘を刺して、わたしはばたばたと空中展開したキーボードを打ち付ける。飽きたとか言われてこの本丸に放置された瞬間にわたしは即座にデッドエンドだ。何としても回避しなければならない。
 というか報告事項が多過ぎる。なるべく簡潔な文章にしておきたいとは思うものの、情報量が多すぎてぐちゃぐちゃだ。鬱。

「なあ君、暇だ。世間話をして良いかい」

 余裕を無料配布している鶴丸国永さんのご講談を片耳にしながらキーボードを打ち付けることは、そう難しくない。ここで見捨てられるより遥かにマシだと判断し、わたしは首を縦に振る人形になった。

「うちの伽羅坊は片想い中でなあ」

 世間話って恋バナかよ。しかも大倶利伽羅氏なのかよ。衝撃で手が止まってしまう。誰だ、そう難しくはないなんて大口を叩いたのは。わたしです。
 ね本丸での備品確認の際、小さな机にぽつんと置かれたパステルカラーの組紐を思い出す。凪いだ瞳で「渡す機会がないままだった」静かに告げられたあの光景は、忘れられそうにもない。
 その渡せなかった相手が、目の前の水槽の中にいる彼女だと思うと、わたしは胃薬が恋しくて仕方がない。現実はあまりにも残酷で、無責任だ。

「光坊との三角関係だぜ? うちの本丸で月九が作れるって大はしゃぎだったんだがな」

 激しい本丸である。
 同時に、賑やかで楽しい本丸であったはずだ。少なくとも、こんな風に恋仲のひとの前で折られたまま、見せ付けるように放置されたり、お弟子さんが苦しんだりする必要はなかったはずだ。
 隣で胡座を披露している鶴丸さんが、静かに目蓋を伏せた。白の睫毛が憎らしいほど長いなあという感想を胸に秘め、わたしは気合でのろのろとタイピングを再開する。マルチタスクは効率を下げるのだが、文句を言っている場合ではない。

「なあ君、もうちょっとこう盛り上がってくれないか。退屈だ」
「あと五分ください! 終わらせますんで!」
「真面目だなあ、冗談だぜ。流石に仕事の邪魔はしないさ」
「……」

 しとるがな、と吠えたい。

「ま、色々と話題は絶えない訳だが、とりあえず紆余曲折を経て、光坊の一途さに伽羅坊が手を引いて、第一部は完結だ」

 話はどうやら第二部に続いているらしい。忍者の隠れ里みたいに二年半後の時空に飛ぶのだろうか。
 そもそも刀剣男士には一途な個体が多い。審神者を慕う性質は後付けにしても、元来から刀剣の付喪神は、人間という種を見守りたいという欲求を持っている場合が多い。だからこそ、この戦争に力を貸してくださっているのだが。
 燭台切光忠という付喪神は、その中でも特に親しみやすく、慈悲深い。その性質が一途さという指標に可視化されれば、ずば抜けて見えるのかもしれない。

「第二部はどうなるんですか」
「あの子が正式に審神者に就任した一ヶ月後に時間遡行軍の襲撃を受けてでっどえんどだ」

 夢も希望もない。

「ああ。だからこんな風に水の中で、ただ死体が飼い慣らされているという訳だな」

 凄まじい表現をするものだ。わざとだろう、鶴丸さんは目蓋を伏せてこちらに顔色を読ませないようにしていた。
 身近な人間が凄惨な目に遭って、精神に傷を負わない方が不思議だ。刀剣男士の心根はやわらかい。その傷の深さを察して、わたしは口を噤む。

「やはり同じ屋根の下で暮らした期間があると、愛着が違うな。光坊なら、土の下だって地獄の道だって、ずっと一緒を望んだろうに」

 それすらも、叶えられない泡沫の夢である。
 わたしは鶴丸さんから端末の画面に視線を戻し、キーを打ち続けた。ファイルをこまめに上書き保存しながら、会話の主軸をこちらに戻してもらうことにする。

「……遡行軍の強さは」
「うちの本丸の連中でも苦労したからな……相当だろうよ」

 顔を見なくとも歯噛みしているのが分かる声色だった。ね本丸は練度上限の刀剣男士が複数いて、他の部隊もそれなりの練度で揃っていたはずだ。
 検非違使が本丸を襲撃する可能性はあるのだろうか。デスクに戻ったらまた情報収集に勤しまなければならないことが確定し、わたしの肩には大きな石が乗った。

「しかしまあ、モノとヒトだからな。最期まで含めて、上手くいく方が奇跡のようなものだ」

 異類婚姻譚でハッピーエンドと呼ばれる類のものは、ごく一部に限られるというのは有名な話だ。

「付喪神と言えど、存在としては妖に近い、というのが政府の見解だろう? 刀剣男士との恋愛に反対する人間なんて、前提条件にしておかなきゃならん」
「……つまり?」
「今俺たちがいるこの本丸の審神者は、水槽の中の娘の血縁者、兄だった訳さ」

 シナリオはいくらでも思い描ける。お弟子さんの本丸は時間遡行軍からの攻撃を受けて壊滅状態に陥り、恋仲であったのにお弟子さんを守れなかった燭台切光忠と、師匠であった友人の審神者の力不足を恨んだ───最も簡単な想像だ。
 容易であるからこそ、決め付けは危険だ。どんな落とし穴が待ち受けているかまで思考を張り巡らせることが重要である。わたしが生き残るためには。
 なるべく客観的な事実だけを指先に乗せる。現場で分からないことはデータベースを頼りにするのが一番だ。調べてもらいたいことを羅列し、倶利伽羅さんあてのメールは完成した。さくっと送り付けると、いつの間にか隣の鶴丸さんは畳の上に寝転がっていた。ソファーを一人で占領してテレビを見る日曜日の父親のような姿勢である。
 敵地で寛ぐ精神力は、鶴丸国永だからこそか。神経が図太いなんて言葉で片付けるのもどうかと思う。

「退屈とは仰っていましたが……」
「この部屋は大丈夫だ。水の中にあの子がいる限りはな」

 ふわあと大きな欠伸まで披露して、全力で暇です退屈ですとアピールを繰り返す彼に、こちらも脱力してしまいたいがそうもいかない。
 鶴丸さんは欠伸のせいで滲み出た目尻の涙を指の腹で拭い、「そうだ、奥にもう一つ部屋があるぜ」どうする、と試すような目でこちらを見上げた。

「覗いてみるかい?」
「……仕事ですので」

 つまり覗かないという選択肢はない。彼はだらけた姿勢から一瞬で立ち上がり、憂鬱で丸まったわたしの背を押しながら歩を進める。




 小部屋を挟んで更にその奥に、目当ての場所があった。
 先程の部屋とは異なり、入り口の障子にはたったの一枚「禁」と書かれたシンプルな札が貼り付けてある。いや、この演出も十分に怖いですけど。

「剥がしても大丈夫なんですかね」
「この手の奴は破いた方が良いな」

 言うやいなや、こちらが制止の声を上げるよりも早く、鶴丸さんの細い指が豪快に札を破いてしまった。
 ビリビリに破けた札の裏に、何やら夥しい術式の一部が見えてしまって白目を剥く。表がシンプルで裏にそんな仕込みがあるとか聞いていません。燭台切さんの服の裏地でもないのにオシャレ番長気取りの呪符とかそんな。あまりに酷い。

「何ですかそのヤバそうな裏面……や、破く前に撮影させてほしかった……」
「ええ? そりゃすまんな」

 わざとかと思って白い着物の袖を引っ張ったら、鶴丸さんが思ったよりも困った顔でこちらを見下ろすので、ついうっかりさんが顔を出してしまったのだろうということにしておく。

「……いえ、裏にそんな術式が書いてあるとはわたしも想定外でしたので、後から言っても仕方ないですね。すみません」
「今度は気を付ける。さ、お互い謝ってばかりじゃなくて進もうぜ」

 鶴丸さんの言うとおりだ。反省は程々にして、障子に手を掛ける。

「は、」

 目前の光景を脳が処理すると同時に、思わず喉が震えていた。
 部屋の中、入り口以外の壁三面は全て水槽になっていて、その中をふわふわと人間の女の姿をしたものが複数───いや、かなりの数が漂っている。
 それらは全て、先程の部屋で見た、お弟子さんと同じ顔だった。
 人は恐怖で簡単に狂うと知っている。わたしは上擦った呼吸を宥めつつ、水槽の中の人体の数を確認した。二十九。ちょっと過密では。何が。
 端末で写真を撮るとばっちり像を結んでいるので、厄介な怪異の類ではない。となると科学で証明できてしまう物体であることが明らかになる訳だ。それはそれで嫌である。
 本丸に三十体も女性の裸体がある状況なんて、とてもじゃないが正常ではない。
 水槽に近付くが、ヒトの形をしているそれらが反応する素振りはない。目蓋も伏せられたまま、ただ漂っているだけのようだ。そもそも、それぞれの個体に意識があるのかも怪しい。
 中の物体がふわふわ漂っているのを見るに、組織を固定して防腐するホルマリンではなく、何か特殊な液体を用いている可能性が高い。
 ただの人形にしては、造りがあまりに精巧だ。これらの物体の活用方法は何だ。綾波水族館と同じだとでも? 思考が混線する。

「……鶴丸さん」
「何だい」

 のんびりとした返事が場違いで、わたしは今すぐにでも逃亡したい気持ちを地に沈めて深呼吸した。

「部屋の中に札を貼りたいので、手伝ってください」
「はいよ」

 骨張った指先に、作業着の裏側のポケットに忍ばせておいた音声遮断の札を押し付け、部屋の柱に向かってもらう。札は計四枚、半々をそれぞれで貼り終えた。
 震える指で同僚に電話をかける。ワンコールで「どうした」焦った声が聞こえてきた。
 電話が普通に繋がったということは、回線がきちんと生きている証拠だ。そうなると、この本丸は閉鎖されておらず、正常運営を装っている可能性が高い。
 黒幕は誰だろうか。まあ、わたしが考えるまでもなく倶利伽羅さんが答えを導き出してくれることだろう。こちらはこちらでやるべき仕事を真面目に遂行することにする。

「人体の複製……人間のクローン生成に対する倫理的問題は、二十二世紀では解決されているんでしたっけ?」

 唐突に本題から切り出すのは、時間が惜しいからだ。逆にぐだぐだとどうでも良いことを喋り続けるのは、時間を稼ぎたい時だと相場が決まっている。
 倶利伽羅さんはこちらの意図を正しく汲んでくださるので、余計な言葉を付け足す必要はない。端末の向こうから静かな声が返ってくる。

『……いや、違法だ。クローン人間生成時の人工臓器の取扱いについては、長らく団体の衝突があって議論が進んでいない』
「ですよねえ」

 天井を仰ぐと、落とし切れていない血痕が散っているのが見えた。梁に飛沫のように付着しているが、量はそれほど多くない。頸動脈を斬った訳ではなさそうだ。
 遡行軍の襲撃で負傷した刀剣男士の血か。或いは、姿の見えないこの本丸の審神者のそれか。

『何を見た』

 同僚の声音の低さに、わたしも幾分か落ち着きを取り戻す。

「お弟子さんのクローンらしきモノが、水槽の中に計三十体いらっしゃいますね。うち一体は別の部屋の水槽です」
『…………』

 SAN値チェックのお時間です。ふざけた声音を出してみたが、見事な沈黙だけが返ってきた。すいませんやっぱり真面目にやります。
 違法と知りながら生成するとなれば、答えの選択肢は広がってしまう。だが、人工臓器を作るだけなら、あれ程にお弟子さんとそっくりな人間の外側を作る必要性が感じられない。
 出てきた選択肢は虱潰しにするのが最も確実である。現場で動けないわたしよりも、適任に頼るべきだ。わたしは指先でこめかみをぐりぐりと揉みながら、当たってほしくない予想を口にする。

「あの、人工臓器の扱いに問題が生じているなら、生きている人間の臓器ならどうですか。歴史から消された人間の臓器」
『……まさか』

 はっと息を呑んだ倶利伽羅さんに、わたしの考えが強ち間違ってもいないことを確信する。

「ここ数日で行方が分からなくなっている審神者とか、政府職員がいないか確認いただけますか」
『分かった』

 舌打ちが飛んできそうな声を残し、通話はぷつんと途切れた。黒く染まった画面を見下ろし、わたしははたと気付く。

「あっ、時間の乖離、ちゃんと確認しておけば良かった」

 やらかした。盛大に項垂れる。まあ分析は引き続き倶利伽羅さんやうちの課の上司や企画業務課の石切丸総括辺りが上手いことやってくださるだろう。諦めても問題なさそうなところは諦めて、現地の探索に集中しよう。
 危険度はかなり上がるが、この本丸の審神者に接触するのが手っ取り早い。鶴丸さんなら案内なんてちょちょいのちょいだろうと勝手に期待し、わたしの後ろで暇そうに待機してくださっているであろう彼に声を掛けるべく、振り返った。

「君、ごめんな」

 申し訳なさそうに眉尻を下げた鶴丸さんが、両手を上げて降参の意を示している。
 何に。誰に対して。

『もーいーかい』

 突然の子どもの声に、またしても肩が跳ねる。幼い女の子の声だ。
 瞬きをしている間に、わたしは夕焼け模様に取り囲まれていた。和室も、水槽の中のお弟子さんらしきモノも、鶴丸さんもいない。肩にかけたトートバッグの持ち手を握り締めて、何処にでも走り出せるように少しだけ膝を落とす。

『おにいちゃん、どこ?』

 女児の声は不安げに揺れている。わたしに向かって話し掛けられている訳ではない。ならば、声のしない方角へ逃げるのが良いだろう。
 見えないモノから逃げる術なんてない、という当然のことすら、頭から吹っ飛んでしまっていた。

『……あ、おねえちゃん』

 ヤバい、認識された。
 なるべく遠くに視線を投げる。大抵の場合、無理矢理顔を覗き込まれて目が合ってしまうお約束の展開が待ち受けている訳だが、時間稼ぎは大事だ。
 まず、この手の怪異に返事は厳禁だ。唇は厳重に引き結び、こめかみを伝う嫌な汗はそのまま、周囲の現状把握を継続する。
 太陽光の根っこはわたしの身体の左側にあって、それ以外に明確な形をとった物体は認められなかった。異空間あるある。次は意識だけ飛ばされたのか、心身共に飛ばされたのかを判断しなければならない。
 どうしたものか、と生唾を飲み込んだ時、鈴のような声が耳元を緩やかに転がってくる。

『おにいちゃんとやくそくしたの。ひゃくねんご』

 子どもの戯れと言うならそれまでだが、無理な約束はするものではない。通常の人間で百年も生きる個体は、少数派だ。二十二世紀では脳以外の全身を義体化している事例もちらほら聞くが、一般的とは言い難いだろう。
 ひたり、とわたしの太腿に小さな手が這った。
 触れるんですか。そうですか。詰んだ。怪異と直接的な接触は当然ながら避けるべきである。悪手だった。

『おにいちゃん、さびしがりやだから』

 手は離れる様子がない。兄が寂しがり屋だからと言って、百年も実妹を束縛するつもりなのは不健全な思考である。
 幼子の声は、幼稚園に通う年頃のそれだ。ぺたぺたと小さなもみじが足に触れる。何でも良いから縋っていたい、子どもの不安な感情が流れ込んでくる。
『おねえちゃんも、さびしがりや?』
 わたしを見上げるまんまるの目は、不思議と嫌な感じはしなかった。
 ああ、目も合ってしまった。目標物の意識を取り込むのがとても上手な怪異である。褒めたのでどうか見逃してほしい。心からお願い申し上げる。

『おねえちゃん、いっしょにおにいちゃんをさがして?』

 意思表示は危険だが、無視し続けるのも怖い。わたしは遂に首を横に小さく振った。幼子の眉が悲しげに八の字を描く。

『だいじょうぶ。おねえちゃんだけでもたすけたいの』

 こちらを思いやるような甘言は、特に怖い。本心か罠か、確率は半々だ。
 隣に倶利伽羅さんが待機してくださっていたなら、きっと容易く口車に乗ってしまっていたところだが、今、この場にはわたし自身しか頼れるものがない。賭けはなるべくしたくない。
『おーくりからさんのところにかえるんでしょ? それまでのあいだでいいから、てつだってほしいの』
 ───帰る。帰れるのか?

「はいはい起きた起きた!」

 パン、と耳元で乾いた大きな音がして、わたしは覚醒した。鶴丸国永が手を叩いてくれたようだった。
 どくどくと脈打つ心臓を押さえて、わたしは周囲に夕焼けの景色がないことを確認する。背中がじっとり汗ばんでいて、単純に気分が悪い。
 目前の水槽、足の裏の畳の感覚───こっちが現実だ。

「……君、本当に引き寄せやすいんだな」

 どうせ引き寄せるなら幸運が良い。それか倶利伽羅さん。脳内の同僚に殴られそうなので閉口を選択。
 嘆息した鶴丸さんが近付いてきて、子どもが触れていただろう、わたしの太腿をぺしぺしと叩いた。再び来訪した漠然とした嫌な予感に、忘れていたはずの目眩まで思い出してしまう。
 さっきの現象は、本当に幻覚で済ませて良いのだろうか。

「鬼ごっこは得意かい?」
「そう見えますか?」

 どの角度から見ても完璧な運動不足の社畜である。鶴丸さんは苦笑い一つを返事として、その後、気を取り直したように首を振って両腕を頭の上で組んだ。

「そう悲観的になるな、伽羅坊が追い掛けてきてくれるんだろう?」
「……そうだと良いんですけど」

 期待すれば、その分だけ裏切られた時の絶望が深くなることを知っている。倶利伽羅さん自身も山積みのタスクに追われていることを考えれば、自分のことは自分で何とかするつもりで動くべきだ。他人というか他刃にすぐ頼るのは、社会人として良くはない。
 託していただいたペンダントを服の上から握る。今はこれで凌ぐしかあるまい。どうか邪なものは全て追っ払ってください。よろしこ。
 すぐに祈るわたしを見て、鶴丸さんが呆れたように笑っている。

「あの、鶴丸さん」
「うん?」

 白く長い睫毛を瞬かせて、鶴丸さんはあざとく首を傾げた。顔面力で常に殴ってくるのは結構だが、わたしは今誤魔化される訳にはいかない。

「さっきの『ごめんな』って、何ですか」
「は?」

 蜂蜜色の瞳が丸くなる。本気の疑問符が飛んでいるのが見えた。これが演技だと言うのなら、彼は主演男優賞を手にしているに違いない。
 いやまあ、鶴丸国永は演技が上手な個体が多いので、鵜呑みにする訳にもいかないのだが、わたしには審美眼が足りない。ない能力を嘆いても現状は打破できないので、愛想笑いで誤魔化すことにした。

「……いえ、何でも。この本丸の審神者さんに接触を試みたいので、助けてください」
「君は随分と生き急ぐなあ」
「嫌なことは後回しにするともっと嫌になるんですよ」

 それもそうだな、と鶴丸さんは首がもげそうな程にうんうんと頷いた。首が細くて不安になるので、適度な感じでお願いしたいものである。

「だが、伽羅坊との合流を待たなくて良いのかい?」
「時間は限られていますので。そもそもこの本丸自体、本当に安全な場所なんてないですよね」

 言いながら、柱に貼った音声遮断の札を回収する。再利用できるものは無駄にするべからず。備品は(己の)命を救うものなので、大事に活用しなければならないのだ。

「正論だ。じゃ、君の案に従うかな」
「よろしくお願いします」
「任せておけ」

 自分で言っていて、嫌な状況であることを再確認することになった。気分は沈みゆくばかりだが、一刻も早く安全な場所に帰るためには仕方ない。早く同僚の顔を拝んで己の生存を実感したい。頑張って二マス進む。

十二進法の遠景|19

201101
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