盧笙の会は着実に回数を重ねとった。
 ホームシックて程やないけど、やっぱり慣れ親しんだ土地を離れて芸能の仕事もせんと、どんどんお笑いから遠ざかってもうとる現実に、無意識に悩んどる部分があったんかもしれん。
 左馬刻は知らん奴が話題に上がっても、何やかんやできちんと話聞いてくれるねんけどな。流石に手加減なしで喋るんはどないなんと自分でも思うし、言うてこれでもちょい遠慮してまうから、不完全燃焼になってまうんよな。
 いや嘘ちゃうて、俺ほんまにちゃんと加減しとるもん。一応。
 そんな時に出会った彼女は、話相手に丁度ええ感じやった。向こうの仕事の負担にならへん程度にご飯誘ってお喋りして、ふたり並んで同じマンションに帰る。隣同士の部屋で就寝して、また一日が始まる。
 何度か繰り返すうちに、この生活がすんごいしっくりきてもうて。彼女も嬉しそうに話聞いてくれるし、盧笙と話す時とおんなじくらいお笑い談義できるし。ほんまにありがたいことや。
 ただ、連絡先は交換せんかった。
 俺がなんぼ言うても、芸人とファンという立ち位置を気にしたなっちゃんが頑なに首を縦に振らんかったのもあるし、俺も万が一めんどくさいことになるんは嫌やった。
 せやから、お互い待ち合わせ時間に三十分遅れたら待たへんという約束をして、それでええことにした。こーゆー割り切りができるんも、彼女のええとこや。
 なっちゃんの仕事は何やらしょっちゅう爆発しとるから、この会は残念ながら三回に一回はおじゃんになるけど、別に強制やないし、これで丁度ええねん。今度は何曜日の何時に集合な~、あかんかったら何曜日な~、て小学生が遊ぶ時みたいな約束で。
 そーゆー意味では、ほんまに気楽でええ関係性やと言えた。
 今日はなっちゃんのリクエストに沿って、焼き鳥で有名な安居酒屋に来とった。チェーン店ならではの安心感があるな。
 そらな、個人経営の隠れ家的なお店を開拓する方が楽しいけどな。お好み屋かな~て思て入ったらもんじゃの店で悲しい思いをしたことは数知れず……。嘘、盛りました。まだ五回くらいしかないけどやな。いや冷静に考えたらそれでも結構多ない?
 まあええわ。ほんで、待ち合わせに五分遅れてきた彼女の青白い顔を見て、思わずおお、と声を上げてしもた。起き上がり小法師もビビるレベルでぺこぺこ頭を下げる彼女を宥めて、とりあえずお冷飲んどき、とジョッキを手元に動かしてやる。
 へろへろな感謝の言葉がこっちに投げられて、ええねん気にせんと飲んで食べやあ、と俺は関西のおばちゃんのお手振りムーブと共に返した。

「なんや、ものごっつ疲れた顔しとるな?」
「職場がゴタゴタしてまして……」

 バーで聞いたときとおんなじくらい、カスッカスに掠れた声音。何や可哀想になってきてもた。人間関係アレなんやろか。

「いえ、新規プロジェクトが雨後の筍みたいに乱立してる有様でして」

 両肩に重石でも乗せとるような有様や。目の下の隈をコンシーラーで誤魔化す気力も残ってなくてすみません、と出会い頭に言われたんはビックリしたけど、開き直れるぐらいなら逆に大丈夫なんかもしれんな。

「ほへー……なっちゃんの担当しとる仕事、どんくらいあんの?」
「完全新規が片手で収まらなくなりましたね」
「ん? 既存の仕事もあるてこと?」
「そうですねえ」

 めちゃくちゃ遠い目で言うやん。哀愁漂うどころやない。
 せや、俺のお笑いは嫌なことなんか吹っ飛ばしてなんぼ、こーゆー疲れたひとも元気になるくらいに笑かしたるんが使命やんか! ここで一肌脱がんでいつ脱ぐねん、てな!
 シャツを腕まくりして力こぶでもアピールしよかと思うたら「白膠木さん、肌白いですねえ」出鼻を挫かれた。ちゃうねんて、注目すべき点はそっちやないねんて。まあええけど!

「よっしゃ、今日は簓さんが奢ったろ! ぎょうさん食べて飲んで少しでもリフレッシュせんとな!」

 別に全然気ぃ遣わんでええのに、彼女いっつも割り勘に拘るんよな。俺がどんだけ稼いどったか知らんはずないのになァ。ほんま遠慮しいやで。
 先手打っといたろと思って投げた言葉は、彼女をふんにゃり笑わせるのに一役買った。
 てか、よお考えたら安居酒屋で奢られてもアレやな。今度はランクのええ店で盧笙の会開催して奢ったろ!

「ありがとうございます……でも残業代がね、基本給と変わらないくらいの額になっちゃってるんで、自分で出せますよウフフ」
「あかん、今日は最初っからあんまし正気やないな!」
「ウフフ」

 いきなりぶっ飛ばすよりも、ちょい落ち着いてからしっかり笑かす方がええかもしれん。お疲れさんやでと何遍言うたか分からん定番の言葉を投げかけて、メニューの文字を指でなぞる。

「……ちなみに、その仕事の感じは合法なん?」
「弊社にサブロク協定はないとだけ言っておきます」
「ヒエー…………」

 ブラック中のブラック企業に勤めてはるらしい。労基にチクられたら一発アウトや思うけど、彼女が実践に移すかは微妙なところや。余計な仕事する体力はなさそうやし。
 まずはキャベツ盛りと白ネギ塩昆布を頼まなあかんから、と義務感に駆られて豪語する彼女を尻目に、俺はお冷を一口。タッチパネルでさくさく追加注文する。
 今日も熱帯夜やし、冷たいビールが美味いに決まっとるけど、彼女は虐げられた己の胃を労わってか、初手はアルコールでなくミックスジュースやった。俺も後で頼も! ここん店のミックスジュース美味しいんよなあ。
 注文を終えてぐでっとしとる彼女の、こちらに向けられた旋毛に視線を向ける。

「俺な、会社勤めしたことないからあんまよお分からんのやけど、仕事てひとりでするわけやないやろ?」

 暗に他のひとに押し付けたらええんちゃうの、という言葉を飲み込んで疑問符を浮かべる。言葉の裏を正しく読み取った彼女は、苦い笑みを浮かべて遠い目をした。

「完全にひとりでやるわけじゃないですけど、大凡の企画立案は自分でやって、意思形成過程に上司達が食い込んでくるというか」
「イシケイセイカテイ……」

 呪文みたいな言葉の並びやなと思ってオウム返しすると、新幹線みたいな速さで出てきたミックスジュースのジョッキを両手で抱えたまんま、彼女は撃沈した。何かのツボに入ってもうたらしい。
 俺の渾身のギャグはしらーっとした目で見とるくせに、適当なボケでこんだけ笑われるとちょい悔しい。ちゃんとしたお笑いのネタん時は爆笑してくれとるけど!
 一頻り笑ってから復活した彼女は、これまた秒で出てきたキャベツ盛りをモリモリ食べながら、溜息を我慢しとる様子やった。

「上司の判断で企画が真逆の方向に動き始めることもあるんですよ」
「そうなんやあ……自分でコントロールできひん仕事は大変やなあ」
「白膠木さんだって、鬼みたいなスケジュールをこなしてたじゃないですか」

 寝る間もなかったんじゃないですかと聞かれて、否定するのは憚られる程度には、まあ忙しかったけど。そんなん仮にもファンのひとの前で言うことやないもん。
 俺は両手で頬杖ついて、無害な笑みを浮かべてみせた。

「俺はアレやで、仕事は楽しんでなんぼやし!」

 本心から述べると、彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返して、ふっと表情を和らげる。
 彼女の手元のミックスジュースはもう残り僅かやった。よっぽど喉が渇いとったんやなと思ったんが俺の顔に出てもたのか、彼女は「またしても長時間の会議が連続でぶち込まれてたので」と悲しい言い訳を始めた。いやー、ほんまにお疲れさん。
 次のメニューを勧めると、彼女は視線を滑らせながら、いやいや、と突然切り出した。

「面白がって仕事をするのも才能のひとつですよ。……いや、努力で何とかする道もありますね。才能って言葉で片付けるのはよくないな」

 俺の提供した話題をぶった切ってもうたことを気にしとったらしい。はー、なんてまあ。

「真面目ちゃんやなあ」
「躑躅森語録です」
「まさかの」

 不意にぶち込んでくるロショー節に、逆に俺が腹を抱えて笑い転げる羽目になった。いやあ、なっちゃんこそ才能に溢れとるでほんまに。
 指先が注文ボタンを軽やかにタップする。彼女はふふんと笑って、軽く胸を反らした。

「躑躅森語録は前向きに頑張ろうという気持ちを鼓舞してくれる、素敵な言葉が多いんですよ」
「急に流暢なコメンテーターみたいになるんビックリするわ!」
「ジモリ担は皆、心に内なるロショーを飼っているので」
「内なるロショー!? 何それ!?」

 国民的忍者漫画のアレ? と聞くと彼女は首を縦に振った。なるほどよお分かるけども。いや他人の自我を自分の中に入れて大丈夫なんか? ロショーに侵食されへんの?

「色々と負けそうになった時、背中から活を入れてもらってます」
「盧笙のツッコミで俺の背骨にヒビ入った話しとる?」
「やっぱりそれガチなんですか」

 ガチや。俺の背骨が弱いんやなくて、盧笙が物理的に強すぎるねんよな。筋肉量かて全然ちゃうし……。まあそれは置いといて。

「それ以来、盧笙は派手な音鳴るけどあんま痛くない張り手の勉強するようになってくれてやな……」
「優しさに溢れてる……」
「いやほんまに優しかったら相方の骨にヒビは入れへんのよ」
「そーゆーとこが可愛いですよジモリは」
「可愛いか!? 俺のことは可愛くないんか!?」

 思わず身を乗り出した俺の肩を押し返して、彼女はやれやれといった顔でこちらを見やった。盧笙の表情まで完コピできんの?

「白膠木さんはあざとさ極振りする時あるじゃないですか」

 思わずフリーズした。
 何それ! あざとさ極振りて! そらテレビ映えするリアクションは研究しとったけど、それをあざといとか言われるもんなん? 慌てて弁解に走る。

「いやいやそないなことあらへんて!」
「素っぽいリアクションの方が可愛いですよ、余裕なさげで」
「精一杯のリアクションにダメ出しされるとは思わんかったわ……」

 ちょっと反省せなあかんかと思うやん。別にぶりっ子しとる訳やないねんけどな。
 流し目で言うてくる彼女は確かに余裕に溢れとって、今日顔を合わせた当初の疲労度は薄くなっとるように見えた。良かった良かった。

「てか余裕なさげて何!」
「悪口じゃないですよ。白膠木担はみんな焦った白膠木さんが好きですよ」
「す、」

 待って、いま心臓から変な音してんけど。
 ビビる俺を他所に、彼女は店員さんからレモンサワーを滑らかに受け取っとった。

「ど、どゆこと……」
「自分の良いところは自分じゃなかなか分からないって話です」

 ジョッキの中身をぐいぐい飲み干す彼女が「焼き鳥冷めちゃいますよ」と淡々と言うてくる。




「躑躅森やん」

 なっちゃんの口から解き放たれた言葉は、予想はしとった。しとったんやけど!
 やっぱ直で聞くと破壊力がアレや、トンネル貫通させる時のそれなんよ。
 耐え切れず床に転がり落ちそうになった俺を左馬刻が拾ってくれて、きちんと椅子に座り直させられた。どーもおおきに言うたらコンマ一秒で「殺すぞ」と返ってくる。もー、ほんまおっかないわァこいつ。おもろいけど。
 さっき左馬刻から一仕事終わったて連絡あったから、そのまんま安居酒屋で合流した次第である。ちゃんと左馬刻を呼んでええか彼女に事前確認したけど、反応は随分あっさりしたもんで、どーぞどーぞ、て。朗らかなもんやわ。
 テーブルの手前でオールバックの銀髪を鬱陶しそうに撫で上げる男の姿を見て、なっちゃんはぱちぱちと瞬きして、冒頭の感想を述べた。
 と思うたら、普通に唐揚げをもりもり食べとる。……結構図太いな?

「やっぱ五度見するよな!」
「正直驚きました」
「アァ?」

 左馬刻に凄まれても平然としとる彼女の肝はどないなっとんのやろと思わんでもないけど。やっぱ、俺の思い込みやなかったことが明らかになってそれだけで嬉しい。
 いや、見た目が盧笙に似とるからつるんどる訳やない。左馬刻はおもろい男やから。理由はそんだけや。
 まあとりあえず座りや、と左馬刻を俺ん隣の席に誘導する。眉間の皺は相変わらずゴッツイけど、まあ何とかなるやろ。
 ひとつのテーブルを囲んで、楽しい楽しい盧笙の会は再開した。

「はー、きれーなお顔……ウッ」

 ぼんやりと左馬刻の顔を眺めてから、突然思い出したように(実際に思い出しとるんやと思うけど)嗚咽を隠し切れんで両手で顔を覆ったなっちゃんに、俺の腹筋が崩壊した。耐え切れず笑い転げると、左馬刻から全力でドン引きの視線を浴びる。

「おい簓ァ、何だこの情緒不安定な女は」
「俺のファンや!」
「コンビのファンです」
「救われねェな……」

 食い気味で言うてくるなっちゃんにちょい傷付いたけど、こんなんほんまによおある話やから。俺のガラスのハートは自己治癒力高いねん。知らんけど。
 嫌そうに煙を吐いた左馬刻は、店員さんがすぐに持ってきてくれたモヒートに手を伸ばした。ジョッキを軽く打ち鳴らし、とりあえず俺の相棒を彼女に紹介してやる。

「いま俺がつるんどる男・碧棺左馬刻や! 仲良うしたってな!」
「お世話になります。なっちゃんです」
「あァ?」

 もしかしたらフルネーム言うてくれるかなあと思たんやけど、彼女は自分で「なっちゃん」と名乗っただけやった。いやー、徹底してはるわ。
 何だこの女、と左馬刻が目で訴えてくるので、まあまあと宥める。左馬刻、喧嘩以外は意外と常識的やもんな。
 そら見た目は普通のOLさんやし、奇抜な回答すると思わんよな。そのギャップがええんやけど、て本音は仕舞っといて、予め用意しとった説明文を脳内から引っ張り出した。

「昔やっとったラジオ番組のハガキ職人さんやってんけどな、そん時のラジオネームから取ってんねん」
「何で本名じゃねェんだよ」

 マジレスの男・左馬刻は、ただただ胡散臭そうな目で彼女を見やる。が、彼女はケロッとした顔でぼんじりを食んでいる。え、俺ん時(いや正確には盧笙絡みなんか?)と全然ちゃうやん。それが平常運転なんか?
 何やろ、彼女の胆の据わり方、経験者のそれなんよな。どこで修行したん。おっきい蛙の背中にでも乗っとった?

「なっちゃんって呼んでくださって良いですよ」
「変な女だな」
「ちゃうねんて、仕事忙し過ぎて正気ちゃうねんて!」
「そういうことです」

 あーそっかあ、ほんまに彼女正気ちゃうねんな! 過労死せんように今日はいっぱい食べて帰るんやで。ん? 俺なっちゃんのお母さんやった?
 訝しむ左馬刻のために爆速で注文を終え、とりあえずキャベツ食べとき、と彼の小皿によそった。相変わらずの顰めっ面しとるけど、左馬刻となっちゃんの相性は悪ないと思うから多分大丈夫やろ。俺の勘がそう言うとるもん。
 彼女は皿の上に残っていた料理で、冷めても美味しいやつを選別して左馬刻に勧めとる。左馬刻もそれを無下にするほど心狭ないから、大人しく箸を伸ばしとった。そもそも、この時点で左馬刻と合わん女の子やて分かれば、あいつはさっさと店出とるやろし。
 キャベツの咀嚼音は店内のBGMに紛れ、彼女はあらごし梅酒のロックをぐいぐい喉に流し込んでいる。ペースがやっぱ可笑しいねんけど。

「せやせや自分、今週もずーっと遅かったよなあ」
「それほど遅くもないですよ」

 平均二十一時過ぎ退勤なので、となっちゃんはけらけら笑った。その現状をそれほど遅くもないと言い切るメンタルが心配である。ほんまの繁忙期はタクシー帰りになるて言うとったけど、いやいやいや。
 彼女を見やる左馬刻の眼差しも、心なしか和らいだ気がする。言うて一生懸命働いてるひとを馬鹿にする男やないもんな。

「もーなっちゃん、完全に感覚バグっとるやん。今度ネタにしてええ?」
「イチイチ許可取ってるんですか? 意外と律儀ですね」
「は、言われてやがる」
「簓さんは元々律儀な男やで!」

 左馬刻の生暖かい目に見守られながら、かわたれと一緒に出てきたジンに口を付ける。なっちゃんのグラスはもう空っぽになっとって、次のオーダーに入っとった。
 彼女の飲みっぷりに合わせてまうと下手したら潰れてまうから、俺はペース配分ちゃんと気ィ付けてるんやけど、左馬刻には念押ししといたらなあかんな。
 でもなあ、左馬刻て酒絡みは全然言うこと聞かへんねんよな。フラグ一級建築士やからなあこの男。雲行き怪しいわ。
 豪快にキャベツを食む彼女は、再度左馬刻の顔を眺めては感嘆の吐息を零しとった。

「それにしてもよくこんな美人を捕まえましたね」
「台詞がキレーなお嫁さん貰った芸人をジト目で見とる司会者のそれやけど?」

 ほんで何でこの子、今度はあらごしみかん酒のロックを片手に番組プロデューサーみたいな風格で喋るんやろ? まあ左馬刻の顔は確かに整っとるけどやな。
 頬杖をついて、彼女の視線が俺を真っ直ぐ射抜いてくる。感情が読まれへん。なんや、じっと見詰められると照れるな。
 いやいや、あんだけテレビも出とったんに、俺、今更どないしたんや?
 降って湧いた疑問符に小首を傾げていると、なっちゃんは何やら納得したのか、両腕を組んでうんうんと頷き始めた。

「ぬるさらの好みはキツめの美人、と……」
「何か語弊ない?」
「ファンの間では割と周知の事実でしたよ」
「嘘やん!」

 俺のファンの認識どないなっとんの? 不安になるんやけど、と零すとなっちゃんが大袈裟に両肩を竦めた。やれやれと頭を振るジェスチャー付きである。

「あれだけ躑躅森推しをアピールしといて何を言ってるんですか」
「俺の相方への愛、ダダ漏れやった……てコト!?」
「まあそうですね」
「もー、百均店員と同じ温度感で言うやん!」

 左馬刻は黙々と焼き鳥を食み、彼女の様子を窺っとる。そない警戒せんでもと思いつつ、こーゆー場合は好きにやらしたる方が結論早いし、放っとくことにした。
 でもまあ、会話の蚊帳の外もよおない。人数が奇数ん時は特に注意せな。俺となっちゃんで永遠に盧笙の話題で盛り上がることもできるけど、左馬刻を蔑ろにしてええ理由にはならんもん。
 とりあえず左馬刻との出会いを丁寧に口述するも、意外なくらいに左馬刻は大人しかった。まだ様子見なんかい。今日ほんまえらい警戒心強いな。女の子やから? うーん? もっとこう、遊んでそうな女の子やったらこないな感じにならへんよな。謎やな。

「えっこの人にお笑いさせようとしたんですか!?」
「左馬刻はな、こんなんやけどめちゃくちゃええ奴なんや……なんせ一晩でお笑いの円盤見て研究してやな、翌日合わせるからお前はネタ十本書けて言うてくるんやで! 半端ないやろ?」
「騙してやらせたのでは?」
「え? 俺のことどっかで見とった?」
「ウワ…………」
「待って見捨てんとってェ!」

 なっちゃんが目ェ合わせてくれんくなった。嫌や~! 盧笙の会の永久会員やねんからずっと俺と語らってくれ~!
 一連の流れに左馬刻がやっと笑って、ジョッキの中身を飲み干した。その流れで煙草も吸い始める。

「こんな奴、早く捨て置いた方が身のためだと思うぜ」

 そーやって酷いこと言うくせに、声音の温度がやさしすぎんねんよなあこの男は。
 と、思っていたら男の力強い腕が伸びてきて、遠慮なしに髪の毛ぐしゃぐしゃにされた。自分がオールバック崩されたら間違いなく憤怒一択のくせして、ほんまにもう!

「わたしはぬるさらの相方推しなので……」
「本気で引くんやめてくれへん?」

 左馬刻はようやく喋ったかと思ったら全力の悪口やし。どーにもこの男、憤る俺を面白がっとる節がある。なっちゃんもフォローしてくれへんし、どないなっとんのやこのふたりは。




 どないなっとんのやこのふたりは、と何遍繰り返したか分からんようになってもた。
 なっちゃんは相変わらず怖いくらい順調に杯を重ねて、左馬刻の身体にも結構アルコールが回り始めた。俺だけが冷静なんやけど。何でや!
 しゃーないからお酒を注文する。ちびっと飲む。二人ん様子を見て、ぐびっと飲む。周回遅れのテンションやったら、いっこも追い付かへんもん。
 今や同じ卓を囲むふたりは前のめりで、揃って視線を左馬刻のスマホに落としとる。画面に映ってんのは合歓ちゃんの写真やった。
 左馬刻はどっちか言うたら綺麗な顔しとるけど、合歓ちゃんは可愛い系よな。でも兄妹やて一発で分かるから遺伝子てすごいもんやなあと思う。

「あ~妹ちゃんめちゃカワじゃないですか……そりゃ不安になりますよねえ」
「は、当然だろ」

 ちょっとなっちゃんも左馬刻も、その爆裂に優しい声は何なん! 簓さんに向ける態度と全然ちゃうねんけど!
 しゃーないので遠慮の塊に成り果ててもた、冷めた焼き鳥を食む。冷めたかて美味いもん。七味マヨがよお合うわァ。
 でも簓さんのこともうちょい構ってくれてもええんちゃうの、なあお二人さん。

「うちは弟なので何の心配もいらないですけど、そちらは女の子ですもんねえ」
「時々門限破りやがるンだよ、あいつ」
「門限何時です?」
「十八時」
「せめて十九時では?」
「野郎とは違うっつってんだろ」

 頼んだ酒は多分まだ厨房ん中を彷徨っとるらしいので、ジョッキん中の氷を噛み砕く。

「女子高生の十八時帰宅なんて……いや、条例はどうなってたっけ?」
「知るかよ。俺ん家では俺がルールだ」
「うーん強い。事前申告制なら許可しては?」
「だから野郎とは違うつってんだろ」

 氷食べるん飽きたァ。
 ふたりとも、俺んことなんか置いてけぼりでどんどん進んでってまう。一人っ子の俺はお兄ちゃんお姉ちゃんトークに混じる術がない。
 や、そんなんいくらでもあるけど。今日はもうなんか、いやや。
 ごつんと額をテーブルに押し当てると、左馬刻が吹き出したのを鼓膜が拾った。

「おーおー簓くんよォ、寂しんぼでちゅかァ」
「煽り方独特ですね」
「…………」

 卓に頬っぺたをくっつけるようにして顔を横に向けると、美味しそうにお酒を飲んどるなっちゃんの姿が飛び込んでくる。
 左馬刻に対しても全然物怖じせん彼女のその姿勢が、なんかええなあと思う。
 頬杖をついた左馬刻が、俺を値踏みするみたいに視線を寄越してくる。さっきまで彼女と楽しそうに会話しとったくせに、ほんまに油断ならんわ。
 赤の瞳は口の代わりに雄弁や。お前、どないすんねん、て。そんなんこっちが聞きたいくらいや。
 なあ俺、どないしたいんやろな?

「白膠木さん、もう酔っ払っちゃいました?」
「ぜんぜん!」
「駄目だな」
「駄目ですね」

 しょーもない会話が愛おしい。少し重なってきた目蓋を頑張って押し上げて、俺は得意のへらへら笑いを披露した。

「『目ェ開いてへんで』」
「ここで盧笙の真似はズルい言うてるやんんんん」
「うるせェ」

 夜は賑やかに更けていく。

03|有限を織る毒

230108
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