エルヴィン・スミス1 05
「ねえ、ユミル。戻る前に買いたいものがあるの」
「何が欲しいんだよ」
「リンゴ。が好きでしょう?」
「は、薬だけ渡して寝かせておけば十分だろうが」
「色々と助けてもらってるんだよ。立体機動のコツを教えてもらったし、対人訓練の相手もしてもらって……動けなくなった時、が背負って運んでくれたし、それに――」
「あーもう。分かった分かった。リンゴだな」

そんな会話が聞こえ、目だけをそちらに向ける
話をしていたミケが僅かに首を傾げるのが分かり、エルヴィンは彼のほうへと向き直った

「話は分かった。手配はそちらに任せる」
「ああ。……今朝は大変だったようだな」
「久々の対人戦は良い運動になった。リヴァイたちはどうしている」
「班全員が顔を見せない。様子は分からないな」
「そうか。朝から騒いで疲れたのだろう」

そう言い、何か言いたそうな顔をする彼の横を通り抜けて歩き出す
先ほどの二人の少女はの同期だった
会話の内容からして、自分の恋人となった少女が薬が必要な状態になったのを知る
今日は仕事が詰まっているから夜にでも様子を見に行こうか
エルヴィンはそう思いながら兵士が行きかう道の向こうへと目を向けた


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ユミルとクリスタが持ってきてくれた薬
それにクリスタがお見舞いと言ってくれた瑞々しいリンゴと、ユミルが食えよと置いて行ってくれた食べやすい柔らかなドライフルーツ
は食事の代わりに見舞いの品を口にして薬を飲んだ
なんとか入浴も済ませると体が冷えない内に毛布の中へと潜り込む
そんな自分の額にサシャが冷やしたタオルを乗せてくれた

。夜中でも気にせず起こしてくださいね」
「ありがとう、サシャ」
「ご飯を譲ってもらったお礼です。リンゴも、ドライフルーツも貰ってしまいましたし」
「美味しかったね。今度、一緒に買いに行こう」
「勿論です。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」

そう言葉を交わしてサシャがテーブルに置かれた燭台の火を消した
残るサイドテーブルの小さな蝋燭の灯りを頼りに彼女が二段ベッドの上段へと上がっていく
ギシギシと音が聞こえて、それが静かになって
も目を閉じると喉の痛みに眉根を寄せた
この不快な痛みと、熱が早く治ると良いのだけど
足を怪我して、治りそうと言う時に風邪をひいて
何日訓練を休めば良いのか
体が鈍ってしまうなと思いながらは朝の疲れもあって早々に眠りへと落ちていった




ギッとベッドが軋む音が聞こえて意識が浮上する
サシャが寝返りをうったのか、それとも自分が立てた音なのか
夢現 ゆめうつつ にそんなことを考えているとするりと髪を撫でられる
その触れた手の大きさに、女性ではないと分かりは目を見開いた
上段の底部を見る視線を右へと向けて、そこにある団長の顔に悲鳴の形に開いた口を毛布で覆う

「っ……、……団長……?」

眠っているであろうサシャを起こさないように小さな声でそう言うと彼が目を細めた
鍵が壊れたままだから室内に入るのは簡単だっただろう
蝋燭の灯りを背にしているが、なんとかその表情を見ることは出来た
彼は何故か自分のベッドに横になり左の肘を曲げ、その手首の辺りに己の頭を乗せてこちらを見つめている

「体調を崩したと聞いた」
「はい……熱が、出てしまって」
「頬が赤いな……」

熱があるから頬が上気しているのか
そう思い、手を頬に当てようとして指先が額のタオルに触れた
寝る前に乗せてもらったそれは体温が移っている筈なのにひやりと冷たい
エルヴィンがやってくれたのが分かり、は顔を少し彼のほうに向けた

「ありがとうございます。こんな遅い時間に……お部屋で休んでください」
「側に居よう」
「……で、ですが、団長もお疲れで……」
「この程度、苦にはならない」

あなたは大丈夫でもこちらが大丈夫ではない
そう言いたいが、言えずには無理に笑顔を見せた
これも団長の自分に対する愛情ゆえだと、異常だけど、異常だけれど納得する

「ありがとうございます」
「さあ、眠りなさい」
「はい」
「良い夢を」

言い終えて、朝と同じように頬にキスを落とされた
彼は無表情な割にはスキンシップを好むらしい
自分はされる度に鼓動が跳ね上がり、痛いくらいドキドキしてしまうのだが――
はそう思い、こちらの頭を撫でる団長の手の感触に誘われるようにして再び目を閉じた




窓の外で鳥が鳴いている
サシャはその声で目を覚ますと毛布の中でぐぐっと体を伸ばした
夜中でも起こしてくれて良いと言っていたのに、は一度も声を掛けなかったが大丈夫だろうか
そう思い、のそりと体を起こすと乱れた髪も直さずに低い位置にある柵に両手を触れた
そのままいつものように身を乗り出して下段を覗き、声を掛けようとしたところで動きを止める
見下ろす位置にある光景がいつもとは違っていた
は寝相がよく、いつも真ん中で枕に頭を乗せこちらと挨拶を交わしている
なのに今日は――
きちんと枕に頭を乗せてはいるが、両手が毛布を掴んだ状態で固まっている
その隣には寄り添い、彼女の体を抱くように片腕を毛布の上に置いたエルヴィンが横になっていた
見たこともないくらい、穏やかな表情でを見つめていて――
瞬いた次の瞬間にはこちらに目が向いていて、背筋がゾクッと冷えるのを感じた
口を開きかけたまま、何も言えずにいるとが片手を毛布から離してこちらに手を伸ばそうとする
何か伝えたいことが――と思ったがその手をエルヴィンが優しく握り、己の口元へと寄せるのを見てしまった

。水が欲しいのか?」
「……はい」

二人のそんな会話を聞きながらそろーりと顔を引っ込める
逡巡し、どうにか考えを纏めると素早く行動に移した
梯子を下りて衣装棚を開けて、中から衣類を取り出す
片腕に立体機動装置を抱えるとそのまま背後を見ずに静かに、迅速に廊下へと逃げ出した
真正面の部屋の扉をノックすると、少し間をおいて鍵が開けられる
眠たそうなミカサが顔を覗かせるのを見るとサシャは頭を下げてお願いをした

「朝早くにすみません!非常事態です、この部屋で着替えさせてくださいっ」
「構わないけど……何があったの?」

言いながら彼女が大きく扉を開けて中へと招いてくれた
室内へと入り、寝衣を脱ぎながらどうしようかと考える
話したほうが良いか、黙っていたほうが良いか
でも一人で抱えるには問題が大きすぎると思い、サシャはシャツに腕を通しながらミカサのほうに顔を向けた

が昨日から体調を崩しているんですが……」
「熱があると聞いて心配していた。体調が悪化したの?」
「いえ、様子は昨日と変わらないです。ですが、その……」
「?」
「看病している人が、近すぎるというか……団長が、寄り添うように……同じベッドで、横になっていまして……」
「っ、何故団長が?……を助けに――」
「無理ですっ。相手は団長です。なので、助けを呼びに行きます」
「誰に?団長を相手に出来る人なんて……」
「リヴァイ班に声を掛けてみます。来てくれるかも知れません」

そう言い、手早く着替えて髪と装備も整えると部屋を飛び出す
まだ薄暗い外へと出るとリヴァイ班が使う兵舎へと向かって走った
誰か起きていてくれたら良いのだが――と思ったところで朝早くから洗濯をしている女性を見つける

「あ、あのっ」

声を掛けると彼女が手を止めてこちらを向いた
その顔色が悪いのを見ながら側へと駆け寄る

「おはようございますっ、リヴァイ班の方ですよね?」
「ええ、そうよ」
「私、と同室のサシャ・ブラウスです。実は、団長が彼女のベッドに入り込んでいまして……」
「っ!大変だわ……助けに行きたい、けど……」
「?」
「ごめんなさい。私たち、皆風邪ひいて……動けないのよね……」
「あ、はは……そうでしたか。先輩たち、パジャマで走り回っていたから……」
「ええ……私も喉が痛くて。洗濯だけして休もうと、思って、い、て……」

なにやら歯切れ悪く言いながら自分の背後を見る彼女
その視線が動くのを見てサシャは後ろを振り返った
目に入ったのは団長と、その腕に抱かれた毛布に包まれたの姿
冷たい空気に触れないように、頭からすっぽりと毛布に包まれて目だけが見える状態だった
こちらを見つめる彼女の目に戸惑いや恐怖の色が見えて――
でも、何も言えずに見送り、そして兵舎の影に消えてからペトラが溜息をもらす

「どうしよう……あの方向だと団長の私室に連れて行かれるわ……」
「あ、あのぅ……」
「あの子のことになると団長は絶対に譲らない。治るまで、手厚い看病を受けることになるわね……」
「私は、友人を見捨てなければならないのでしょうか……」
「サシャ。兵士として、ときには仲間を見捨てる覚悟も必要なのよ」
「ですが……」

相手は巨人ではなく団長なのに
それなのに同室で仲良くしてくれる友人を見捨てるだなんて――

「自分が生き残るために。……見なかったことにしなさい」
「い、生き残る……分かりました。朝早くからすみません」
「良いのよ。……はあ、良い天気なのに……今日は部屋で過ごすことになるわ。あなたも、体を冷やす前に戻りなさい」
「はい……おやすみなさい」

ぺこりと頭を下げて洗濯を続ける先輩の前から離れた
健康体だった昨日ですら団長を止められなかった彼女たちに、病身で挑めとはとても言えない
自分たちで止められるのならばそうしたいが、精鋭が揃ってやられたのを知っていては人数を揃えるのが難しかった

「私たちには……無事を祈ることしか出来ませんが……」

いくら様子のおかしい団長でも熱のある彼女に手出しはしないだろう、と思いたい
自分は兵舎に戻ってミカサに説明をしなければ
彼女が刃を持ち出して団長の部屋に向わないように宥めなければならなかった
ミカサならば臆することなく乗り込みそうだが、今の団長を相手にするのは危険すぎる
と団長が恋人関係になったと言えば、納得してくれるだろうか
あまりその話題を広めたくない彼女には悪いが、それを説明しなければミカサは突撃してしまいそうだし――

「うぅ、食事を譲ってもらいながら裏切るのは嫌ですが……でも、噂は確実に広まっていますからね……」

だから今更同期の一人に関係をばらしても別に構わないだろう
サシャはそう思い、少し軽くなった足取りで兵舎へと戻って行った