エルヴィン・スミス1 06
ふかふかと柔らかに体を包み込む寝具
枕も程よく頭を支え、なんだか良い匂いがする
甘くて爽やかな――この匂いは、団長の整髪料と同じで――と思ったところでは眠りから覚めた
目を閉じたまま記憶を辿り、自室から連れ出されたことを思い出す
同室のサシャのことを考えて、だとは思うのだがまさか団長の私室に連れ込まれてしまうとは
でも寝心地の良さにずっとここにいたいな、なんてことも考えてしまった
言えば彼はそうしてくれるだろうが決して口にできることではない
いつかは、団長と同棲したいなとは思うけれど
それが何年先になるかは分からないし、そもそもそれまで自分が生き残っているのかどうかも分からない
そう思いながら目を開けて――は今回の悲鳴も上手く押さえ込むことに成功した
こちらの左右の肩の側に両手をつき、真上から顔を覗き込むようにして見下ろしている団長
差し込む光の陰影のせいか目力が凄く、恐怖しか感じないと思いながらは口を開いた

「団長……?」
「エルヴィン」
「?」
「そう呼んでくれ」
「は、はい、エルヴィン……」
「容体が急変しないか見守っている。気にせずに休みなさい」
「……はい、ありがとうございます」

ただの風邪だから容体が急変することはないと思う
それよりも、彼のその体勢のせいで余計に具合が悪くなりそう――とは言わずに休ませてもらうことにした
すごく眠たいし、倦怠感が酷くて動くのが億劫で仕方がない
目を閉じてしまえば視線は感じるが、こちらからはエルヴィンの顔は見えないし
そう思い、伸ばしていた肘を曲げ、お腹の上に両手を置くように身動ぎをして瞼を閉じた
部屋から脱出したサシャは何をしているだろうか
恐らく団長をどうにかしようと助けを呼びに行ってくれたのだろうが誰も何も出来なかったのだと予想できた
彼女が話をしていたペトラの顔色は悪くて、体調を崩していたようだし
それでサシャもなにも出来なかったのだろう
立場的にも仕方がないことだけれど――もう二度と彼女に食事を譲ってやるものか
は友人であるサシャにそんなささやかな報復を決意した
真上からの視線を感じながら眠りに入るのは悪夢を見そうだが目の前の光景を眺めるよりはマシだろう
うとうとしながらふと、先輩たちのことを考えた

(ペトラさんは風邪をひいたみたいだけど……他の先輩たちは、大丈夫かな……)

自分を助けようとしてくれた人たちは体調を崩していないだろうか
寒い中を寝衣で走り回っていた先輩たち
兵長なんて地面に倒れていたから体が冷えてしまったのでは
心配だなあと思いながら眠りに落ちようとしたところでコンコン、とノックの音が室内に響いた
思いのほか大きく聞こえたその音に驚いて眠気が遠ざかる

「入れ」

短く言葉を返したエルヴィンの声に続き、カチャとノブが捻られてキイと開けられて
ゴツ、と重々しい音が一回聞こえて訪問者は動きを止めたらしい
まあこんな寝ている人の顔を真上から見つめている団長の姿を目にすればそうもなるだろう
エルヴィンが動いてくれないかなと期待を抱いていると彼が訪問者に声を掛けた

「ミケ、どうした」
「……なにをしているんだ、エルヴィン」
「彼女の看病をしている」
「それでは、落ち着いて眠れないと思う、が……っ……見守るのは、良いこと、だと、思う」

良いわけがないでしょう
歯切れの悪い男性に心の中でそう言い返した
ミケ、というのは分隊長のミケ・ザカリアスか
あの初対面の人の匂いを嗅ぐのが癖だという――
顔を見てみたいが今は目を開ける勇気がない
は沈黙し、表情を保ち無心でいることを決めた
ゴツゴツと重々しい足音が聞こえ、かさりと紙の音が聞こえて
机に書類が置かれたようだと思っていると足音が素早く扉のほうへ移動した

「詳細は全て書いてある、時間が空いたときに目を通してくれ……時間が空いたとき、で良いぞ」

何故か念押しをして立ち去る分隊長
自分のことについて一切口にしなかったところを見ると見捨てられたようだ
素晴らしい嗅覚をお持ちのようだから今度、匂いのキツい物でも部屋の前に放置しておこうか
それよりも窓から室内に投げ込んで逃げようか
訓練施設に咲く、刺激臭のするあの白い花なんて丁度良いかも知れない
上官に対しての嫌がらせをやる気もないのに真剣に考えているとギッと音がしてゆるりと間近で空気が動いた
それから、額に乗せられたタオルを避けて額に、瞼に、鼻筋に何かが触れて――
驚いて目を開けると眼前にエルヴィンの顔が見えた

「っ……ぁ……」
「君は可愛らしいな」
「そんな……あの、今……」
「キスをする場所で意味が違うのを知っているか?」
「い、いえ……」

ドキドキと、鼓動が騒がしくなるのを聞きながらそう返す
その言葉の内容から、今自分に触れたのは――と思っているとエルヴィンが右手の指先でタオル越しにこちらの額に触れた

「友愛」

するりと下がって瞼に触れて――

憧憬しょうけい

つつ、と鼻筋に触れて

「愛玩」

そこで終わり、ではなくそのまま喉へと撫で下ろされる

「支配」

更に寝衣から僅かに覗く鎖骨に触れて

「欲求」
「っ……だ……エルヴィン、は……物知り、ですね……」

それ以上聞くのが怖くて思わず口をはさむ
すると彼が僅かに笑みを浮かべた

「そうでもないが……最近読んだ本に載っていた」

なんて如何わしい本を読んでいるのか
そう思いながらも、覚えていられるのは凄いなと思っているとエルヴィンの指が鎖骨から離れた
内心ほっとしながらちらりと扉の方へ目を向けてから彼を見る

「さっきの人は……?」
「俺と古い付き合いのある分隊長だ。仕事を持ってきた」
「そうでしたか。どうぞ、お仕事をしてください。……エルヴィンが仕事をする姿を見たいです」
「分かった」

こちらの言葉に彼が僅かに笑い、側を離れてくれた
気付かれないようにほっと息をはいて肩の力を抜く

(俺、かぁ……なんか、格好良い……)

普段は自分のことを「私」と言っている団長
それなのに今は「俺」と言っていた
それが不思議な感じがして、でもとても似合っていて――
ちらりと机のほうに目を向けると彼が椅子に座り書類を手に取ったのが見えた
その真剣な横顔に見入ってしまうのはやはりエルヴィンのことが好きだからだろうか
彼からの愛はとてつもなく、重た過ぎるものだけど
そう思いながらじいと見つめているとエルヴィンが書類を机に置いてペンを手に取った
サラサラと紙の上にペン先が走る音が聞こえて綺麗な字を書いているのが分かる
その手元を見て、横顔を見て
真剣な表情がとても素敵で――
格好良いなあと思っていると二枚目の書類を読む彼が左手を顎に触れた
何か考えているのだろうか
ポケットから手帳を取り出し、挟まれた紙を取り出すとそれを広げて何かを確認しているようだ
机に紙を置いて文字を書き込んで――手帳にも細かく字を書き込んで
それらをもう一度確認してから書類にペンを走らせる
団長の仕事はこんなふうに行われているのか
大変そうだと思っているとペンを置いた彼がこちらに顔を向けた
目が合うと少しだけその口元に笑みを浮かべる

「まあ、このような感じで行っている」
「凄いですね……」
「兵站拠点の設置についてだ。……訓練兵の中からも希望者は同行させることになっている」
「!……壁の外へ……?」
「ああ」
「いつですか?」
「二週間後に」

それを聞いてはほっとした
その頃には風邪も治っているし、きっと体力も戻っている筈
希望して自分も行こうと思っているとエルヴィンが椅子から離れて歩み寄ってきた

「希望するか?」
「はい」
「ふむ……安全な位置に、と言いたいところだが……」
「……兵士として、お願いします」
「分かった。同期と共に参加してもらおう」
「はい」

そう言うと彼が寝台に手を突き、それから腰を下ろして夜中に目覚めたときと同じように隣に横たわる
額のタオルが落ちないように少しだけそちらへ顔を向けた
自分と彼の距離は二十センチほどで、近いなと思い離れようとする
いくら恋人になることを了承したとはいえ、付き合い始めとしては適切な距離とは言えなかった
だがそれを察知したかのように毛布の上に団長の腕が置かれる
その先の手に力が籠められるのが分かり動きを止めた

「一つ、忘れていた」
「?……」

何だろうと思っていると衣擦れの音を立てて団長が動き――唇を重ねられる

「っ……」
「愛情」
「そう、なんですね……」

口を動かせば触れる位置で、そんな言葉を交わして
綺麗な声に、積極的な行動に、そして間近に見る薄い青色の瞳に
彼の全てに取り込まれてしまいそう
はそう思いながら、頬に触れる彼の冷たい手の気持ち良さに目を閉じた




夜になると熱が更に上がり、汗をかいた体が気持ち悪い
お風呂に入りたいが体を起こせば眩暈がして、立ち上がろうにも膝や股関節が痛む
顔と首だけでも拭いて、少しは気が紛れているが――
無理をしてでも入浴したいところだが、団長の部屋から自分の兵舎へ戻るのも大変だ
どうしようと思っているとキィと音が聞こえ、扉が開かれる
顔を向けると、そこには桶と畳まれた衣類にタオルを持った団長が立っていた
こちらへと近付くとそれをベッドサイドの机に置いてジャケットを脱ぐ
シャツの袖を捲り、タオルを――湯気が上がっているからお湯だろうか――浸して絞って
それをパンッと音を立てて広げるとこちらに視線を落とした

「体を拭こう」
「え……!?」
「さすがに入浴はさせられない。着替えも君の友人に用意してもらった」

その言葉にチラリと机を見て、紛れもなく自分の替えの寝衣や肌着が置かれているのを見る
団長にこれらを渡したのはサシャか
裏切り者めと思いながらどうにか断れないかと考えを巡らせる
でも熱でぼやける頭では何も思い浮かばず――
というか、団長を言い負かせることが出来る筈がなかった
言葉を探す自分に掛かる毛布が捲り上げられて、エルヴィンの指が寝衣の釦に触れて
外されていくその感触にはぎゅっと目を閉じた