09

なんだか、あの日の出来事が夢のよう
初体験の後、暫く異物感は消えず、痛みもあった
それでも普段通りに――跡が残っているからお風呂に入るのは大変だったが――訓練に出ている
演習が近いからと座学が多めだったのが救いだった
今日はいよいよその演習の日で、早朝から105期生が準備に取り掛かっている
いつもの訓練場とは違う本当に人の手の入っていない、崖や急流の川が流れる場所
こんなところがあったのかと驚いてしまうような光景が広がっていた
必要な物資を箱に詰め、それを所定の位置へと運んで
立体機動装置のガスを満タンにして、刃を交換して
皆で協力し、確認しながら作業を終えたところでキース教官が現れる
整列する自分たちの前で彼が訓練兵の顔を見回すといつも通りに迫力のある顔で口を開いた

「今回の演習は壁外での任務を想定したものだ!気を抜けば死ぬぞ!」

その言葉にざわっと背筋を寒気が伝うような、そんな感覚に襲われる
それでも震えないよう、表情を変えないように努めて教官の言葉を聞いた
これから行われる演習が訓練として最も厳しいものだと聞いている
キースが言った通り、死者が出るのも無理のない内容になっていた
それでもこれを乗り越えなければ兵士になる事は出来ない
無理はせず、でも仲間を助けて――そう考えている間にも合図が出され、皆が一斉に隣に連れていた馬の背へと跨った
自分も騎乗して、手綱を握って――
は大きく息を吸うと分けられた班の同期と共に森の中へと向かって馬を駆けさせた


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三日間に及ぶ演習は訓練兵団にとって最大の難関だった
毎回、死者が出るほどの規模で行われていて負傷者の数も多い
もそれに参加しているのだが彼女は無事でいるか――
そんな事を考えながら訓練施設の扉が見える位置に立ち、じっとそちらを見つめる
順調に行っていればそろそろ帰還する頃合いだった
行き来する兵士たちも様子が気になるようでちらちらと施設の方を気にしているのが分かる
それから数分が過ぎたところで扉が開かれて、馬を連れた訓練兵たちが出て来た
一様に疲れた顔をして、馬を労いながら歩いて来る
包帯を巻いている者や歩く事が出来ずに馬の背にぐったりと身を預けたままの訓練兵もいた
視線を彷徨わせ、ふと右へ向けると目があった少女が一瞬足を止めてから歩調を早めて歩み寄ってくる

「リヴァイさん」
「疲れているな」
「はい……大変でした……」
「怪我は」
「腕と、脇腹に……打撲ですが」
「そうか」

それを聞いて安堵し、ふうと息をはいた
それだけの怪我で済んだという事は彼女はやはり優秀な訓練兵だという事で
儚さを感じさせる見た目だというのに、身体能力は思った以上に高いようだ
の頬に触れると親指で付着している土埃を拭ってやる
改めて見てみれば全身が埃っぽくなっていて、目の下には眠れなかったのか隈が出来ていた
それをなぞるように撫でると肩に手を置く

「休め。また会いに来る」
「はい。失礼します」

疲れた様子を見せながら、それでも微笑んで一礼すると側を離れて同期の元へと戻る彼女
リヴァイはその姿が見えなくなるまで見送ると自分も旧本部へ戻る為にその場を離れて歩き出した


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私室で紅茶を飲みながら本を読む
討伐任務もなく、書類整理もなく
偶にこんな日があるのだがのんびりと過ごすのも悪くはない
どうせならば、恋人と過ごしたいところだが今日ばかりは彼女も疲れ切っているだろう
そんな事を考えながら緋色の光が差し込む中でページを捲ろうとしたところで窓の外から馬の嘶きが聞こえた

「兵長!」
「っ……どうした」

応えながら椅子から腰を上げて窓へと近付く
するとこちらを見上げるウィンクルムが立体機動装置のグリップを握り、アンカーを撃って間近へと飛んできた
タッと靴底が壁に触れる音を聞きながら部下の顔を見る
彼女は本部へ所用で出かけていた筈だが――そう思っているとウィンクルムが口を開いた

「今日、が演習から戻ったのはご存じでしょうが……」
「あぁ、会っている」
「あの子の、同期が一人……亡くなったそうです」
「……そうか」
「同室で仲の良い子、だったそうで」
「っ……」
「兵長には話していないと思いましたのでご報告を」
「分かった。……俺の馬を用意しろ。今日は戻らん」
「了解しました」

そう言い、彼女が壁を蹴るのと同時にアンカーを伸ばして地上へと下りる
リヴァイは立体機動装置を身に着けると脱いでいたジャケットと外套を手に部屋を出た
それらを身に着けながら廊下を進み、階段を下りて
玄関を出ようとしたところで扉が向こう側から開かれる
外に立つのはオルオで、彼にも話は伝わっていたのか何も言わずに道を空けた
その前を通り抜け、視線を上げるとウィンクルムが馬の手綱を手に立っている
足早にそちらに近付くと手綱を受け取って騎乗した

「いってらっしゃいませ」

その言葉に小さく頷くと馬を駆けさせる
演習から戻った時、は疲れた顔をしていたが泣いた様子はなかった
その後に同期の死を知ったのだろうか
いや、同じ演習に参加しているのだからその最中には知っていた筈だ
自分の前に立った時はそんな事を感じさせるような表情をしてはいなかったが――
は泣かないように必死に取り繕っていたのだろうか
それに気付かなかった自分に腹が立って仕方がない

「クソッ……」

リヴァイは己に向けた言葉を小さく呟くと正面からの風に目を細めた


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キィ、と軋んだ音を立てて扉を閉める
顔を上げるともう友人の荷物は運びだされていて、元から一人部屋だったかのように片付けられていた
恐らく、駐屯兵が来て荷物を纏めて行ったのだろう
彼女の私物は後日家族へと返還されると聞いていた
受け取った両親はどんな顔をするだろう
大切に育てた娘を訓練中に失うだなんて
そう思いながらベッドへと近付いてそこに腰を下ろした
洗った髪からぽた、と水滴が太ももに落ちる
それを見て、肩に掛けたタオルで髪を拭いた
いつもなら友人と疲れたね、とかキツかったねとか
色々と話しながら就寝までの時間を過ごすのに
出迎えてくれたリヴァイの顔を見て泣きそうになったがなんとか堪える事は出来た
お風呂に入って、食欲はないから夕食は取らずに部屋に戻って――
しんと静まり返った部屋にいるのもなかなか辛いものがある
それでも、喪失感のせいか立ち上がる事もなくぼんやりと窓の外を見つめた
徐々に沈んでいく夕日で室内が暗くなっていく
ああ、蝋燭に火を点けないと
いつもならば友人が率先して点けてくれるのに――と思ったところで窓の外が陰った
目を瞬いて、その影が人の形をしている事が分かりびくりと肩が揺れる
誰だと目を瞬いたところでその人が自分の名を呼んだ


「っ……リヴァイさん……」

驚いたと思いながら立ち上がり、窓へと近付いて鍵を外す
それを開けると彼がするりと室内へ入って来た
シュルルッと音を立ててワイヤーが巻き戻る音を聞いているとリヴァイに両腕で抱き寄せられてしまう

「っ――」
「大丈夫か」
「あ、あの……」
「同期が死んだと聞いた」
「あ……っ……」

隠しておこうと、思っていたのに
でも、訓練兵が死んでしまったらそれは色々な人を介して彼の耳にも届くだろう
それが、思ったよりも早かっただけで――
そう思い、はリヴァイの外套を掴んだ
外気で冷えた彼の体に額を押し当てるとずっと堪えていた涙がぽろぽろと零れ落ちる

「友達、だったんですっ……」
「そうか」
「この部屋で、一緒に……仲良く、してくれてっ……私、いつも、頼りにして――」
「無理に話すな」

そう言い、彼がこちらの背を摩ってくれた
そっと歩き出したリヴァイに促されてベッドへと腰を下ろす
彼が立体機動装置を外し、外套とジャケットを脱いでから隣に座った
泣いて酷い顔になっているだろうと顔をタオルで拭い、視線を膝へと落す

「申し訳ありません……」
「辛いだろう。……俺も失うのは辛い」
「……」
「今夜は側に居る。好きなだけ泣くといい」
「っ……はい」

訓練兵の部屋で兵長が夜を過ごすなんて許されない事だろうが――
でも、今は彼に側に居て欲しかった
今日だけは、今夜だけは一人で過ごすのは辛すぎるから
こちらの体を抱き寄せるリヴァイの肩に寄り掛かり、零れそうな涙を拭う
今日は思いっきり泣いて、明日からは笑えなくても泣かずにいられるように
思い出して、こっそりと泣いてしまう事はあるだろうけれど
はそう思いながら藍色に染まっていく空へと目を向けた




今日は、満月だったのか
窓から差し込む月明かりに照らされる室内
夜にしては明るい室内で、リヴァイはの寝顔を見つめていた
泣き過ぎて赤くなった目元をそっと撫でる
彼女の両手は縋るようにこちらのシャツを掴んでいた
それを嫌だとは思わないのは惚れた相手だからだろう
そう思いながら目を閉じ、少し眠ろうか――と思ったところで廊下から足音が聞こえた
訓練兵の就寝時間は過ぎている
それに、この重さは大人の男のものだと考えたところで扉の前でそれが途切れた
キィと微かに軋んだ音を立てて開かれる扉
施錠を忘れたかと思っていると蝋燭の灯りが室内へと入った
燭台を片手に持った男がこちらに顔を向けて――
目が合うと驚いたように肩を揺らすのが分かる

「……見逃せ」
「……分かった」

静かに、短く言葉を交わし相手――キースが部屋を出て行った
仲間を失った訓練兵の様子を見て回っているのだろう
特に同室であるの事を気にしていたのだと分かった
施錠していれば、廊下から音を聞いて次の部屋へ行っていただろう
リヴァイはそう思いながら彼女の肩に毛布を掛け直した

2022.06.18 up