オルオ・ボザド1 09
スンスン、と頭や首筋に顔を寄せられて匂いを嗅がれている
歩き出そうとした格好のままで固まっていると体を離した男性がフッと鼻で笑うのが分かった
ぎこちなく首を回して背の高いその人を見上げるとペトラがぽん、とこちらの頭に手をのせる

「ミケ・ザカリアス分隊長よ。初対面の人の匂いを嗅いで鼻で笑う癖があるだけだから……」
「そ、そうですか。……ミケ分隊長。リヴァイ班のです」
「噂は聞いている。……お前は、変わった匂いがするな」
「?……」

変わった匂い、とはどんな匂いだろうか
そう考えている間に彼は持ち場へと戻ってしまった
出撃前で緊張しているのに驚かせるのはやめてほしい
そう思いながらペトラに促されてその場を立ち去り、自分の馬の背へと跨った
足を鐙に足を掛け、腰の位置を調整して手綱を握る
今日までに訓練を続けて体力を取り戻すことは出来た
でも、やはり実戦となると震えそうなくらいの恐怖がある
深呼吸をして平静を取り戻し、リヴァイに言われた言葉を思い返した

――良いか、決して死ぬようなことはするな――

それと、今朝になって掛けられた言葉は

――危険な真似はするな。生き残ることを優先しろ――

その二つだと思い、オルオとペトラへ目を向ける
彼らの側を離れなければ大丈夫
信頼しているから討伐対象の奇行種が出ても安全でいられるだろう
そう思っていると時刻が近付いてきたようで周囲の動きが一層騒がしくなる
皆が騎乗し、前方へと顔を向けて――
沢山の人がいるのに誰の声も聞こえない
息が詰まると思ったところで門が開かれる音とエルヴィン団長のよく通る声が響いた

「第57回壁外調査を開始する!前進せよ!」

その声に合わせ、皆が一斉に馬を駆けさせる
地鳴りのような蹄の音が幾重にも響き、壁の外へと出た
旧市街地の廃屋の並ぶ路地から巨人が姿を現すがそれには目もくれずに前を走るオルオの背中を見つめる
援護班が巨人の討伐に飛び回るのを視界の端に見ながらただ前だけを見据えた
旧市街地を抜けたら援護班の支援もなくなって陣形を作って――
信煙弾を見落とさないようにしなければと思っていると隣を駆けるペトラが声を発した

「風が強い!これじゃあ砂塵が……」
「クソッ!、少し前に出ろ!視界が悪くなるぞ!」
「はい!」

馬に合図を送り、言われた通りに前に出た
そうしている間にも廃屋の並びがまばらになり、やがて前方に平原が見えてくる

「長距離索敵陣形、展開!」

エルヴィンの合図に周囲の人々が一斉に手綱を操り、左右へと散って行った
相変わらず風はあるが町中ほどではない
でもやはり砂塵は舞っていて遠くの方は霞んで見えた
その距離が、徐々に近付いてきているのは錯覚ではないだろう
そう思った時には信煙弾が上がり、巨人が現れたのが分かった
次々と上がる信煙弾を見て馬の駆ける先を決める
いかに巨人と戦わないか、それが最も重要なことだった
例外的に戦わなければならないのは――

「っ!ペトラ、黒だ!」
「奇行種ね。こっちまでは来ないと思うけど」
「……いや、次々と上がる。討伐し損なって……来るぞ、構えろ!」

言いながらオルオが刃を構えた
ペトラもそれに続き、自分も手綱を手放して刃を引き抜く
こんな平坦な場所ではアンカーの支点が見当たらないが、それならば別の方法があった
巨人に直接アンカーを撃ち、足首を深く抉るように絶って転ばせてから項を削ぐ
何度も練習したが自分がそれをやるのは――

、あなたは馬に乗っていて!」
「はい」

やはり駄目だろう
そう思い、ペトラの言う通り刃を元に戻して馬を走らせる
前方から迫ってくる巨人は十メートルほどの奇行種
ズシンズシンと地面を揺らし、ぐらぐらと上体を左右に揺らす様を眺めているとオルオがこちらを振り返った

、左に抜けろ!」

言い終えるなり彼がアンカーを射出し、馬の背を蹴って飛び上がる
ワイヤーが巻き戻る音を聞きながら左へと馬を駆けさせた
巨人の方を見るとオルオが右の足首を抉り、傾いていく巨人に対してペトラが飛んで項を深く切り付ける
突っ伏すように倒れた巨人が蒸気を上げてその熱が離れている自分にも感じられた
馬の足を止めて二人が戻るのを待ち、新たな信煙弾が上がるのを見る

「おい……」
「また奇行種ね……数が多い。どうする、オルオ」
「手筈通りにやるしかねぇだろ。俺たちはを守るだけだ」
「ええ……、今日はちょっときついかも知れないけど、頑張ってね」
「はい」

そんな言葉を交わし、再び馬を駆けさせた
次々と現れる奇行種のせいか陣形は乱れているらしい
いつもこんなに巨人は出てくるのだろうか
そう思っていると右前方で一気に複数の黒い信煙弾が上がった
その方向へ顔を向けると脚の動きによって砂塵を巻き上げる奇行種の姿が見える
しかも、三体
さすがにあれは――と思っているとオルオが片足を鞍に乗せて腰を浮かせた

「俺が転ばせる。ペトラ、準備しておけ」
「ええ。、とにかく前に。振り向いちゃ駄目よ」
「追いつくから先に行ってろ」
「……了解しました」

手が震えないように強く手綱を握りそう答える
きっと大丈夫だろう
自分はエルヴィン団長の上げる信煙弾を見て馬を走らせればいい
は自分にそう言い聞かせて前方で上がる緑色の信煙弾へ目を向けた




オルオとペトラと別れてからどれだけの時間が過ぎたか
周囲を見回し、そして隣を走る馬車の荷台に乗る友人たちへとは目を向けた
奇行種を一体倒したというミカサとエレン
それにアルミンにクリスタとユミルが乗っていて、彼らは立体機動装置のガスを使い切っていた
やはり先輩たちのようには上手くいかないらしい
初陣なのだから仕方のないことだが新兵としては素晴らしい働きだと言われるのでは――

「ねぇ、
「ん?」
「あなたと一緒にいたリヴァイ班の人たち、は……」
「奇行種三体の討伐に。でも砂塵が酷いからお互いに見つけられないの」
「そう……」

クリスタとそんな言葉を交わし、背後の状況を見つめるエレンの顔を見る
そしてミカサへと視線を移そうとしたところでアルミンが声を上げた

「黒だ!」
「奇行種が……こっちに来る!」
「何体だ……二、三……クソッ、戦える状態じゃないってのに!」

砂塵で視界の利かない中、不気味な足音を立てて背後から迫ってくる三体の奇行種
陣形は乱れ、比較的内側を駆ける自分たちのほうまで巨人が入り込んできていた
目の前の人間を無視して遠くの方へ行ったりする奇行種だが、馬車を目標にしたのが分かる
自分だけならば騎乗しているのだから逃げられるが、馬車の友人たちは――
二頭の馬に引かれているが、やはり速度は遅い
逃げるのは難しいと思いはミカサに目を向けた

「ミカサ、馬と代わってくれる?」
「え?」
「運動神経が良いから、飛び移れるでしょ」
「出来ると思う。でも、なにをする気?」
「ずっと乗ってたから腰が痛くて」

軽く目を見開いてから頷いてくれるのを見て鐙から足を外してオルオがそうしたように片足を上げた
バランスを保って腰を上げるとタイミングを見て馬車へと飛び移る
入れ替わるようにしてミカサが馬の背に乗るのを見て襟もとへと手を入れた
首に掛けている紐を掴むと手を抜いて服の中から二つの指輪を引っ張り出す
銀色に鈍い光を弾くそれを見るともう一度ミカサに声を掛けた

「ミカサ、手を」

こちらへ顔を向ける彼女にそう言うと僅かに首を傾げながらも手を出してくれる
その手を握るようにして掴むと身を乗り出すのと同時に引き寄せて黒髪に隠れる耳に口を寄せた

「―――」
「っ……?」

ひそっと一言囁くと、その手に指輪を預ける
馬車が走る先を見て、それからくるりと迫りくる奇行種の方へと体を向けた
右手を左へ、左手を右へと交差させて刃を引き抜くとユミルに外套を掴まれる

、なにをするつもりだ!」
「私はガスがあるから」
「っ……無理だ!一体倒すのだって二人で連携しないと――」
「皆は逃げて、生き延びて本隊と合流して」
「やめて!一緒に行こうよ!」
「楽しかったよ。……ありがとう」
!」

引き留めようとする皆を肩越しに見て笑って見せた
そっとユミルの手を放させると、馬車が一本だけ生える木の横を通り抜けるのと同時にアンカーを撃つ
引く力に合わせて床を蹴りアンカーを外して直ぐに巨人の脚を狙って撃って
――怖くて、自然と滲む涙で視界が悪くなってしまう――
オルオがやって見せてくれたように、上手く出来れば良いけれど

(ああ、結局――)

右に傾く癖は最後まで直せなかった
はそう思い、涙を払うと迫る太い足首に向かって刃を振りかざした


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「だいぶ陣形は乱れたが……負傷者の数は」
「集計中です」
「新兵は無事か」
「向こうで待機しています」

その言葉を聞き、馬を下りて歩き出そうとしたところでリヴァイが班員と共に近付いてきた

「エルヴィン。今日はどうなってやがる。やたらと奇行種が多い」
「そうだな。だが、どの巨人が出るかは……はどうした」
「守らせた二人が奇行種三体を討伐している間に見失った。だが、新兵どもと行動しているのを見た奴がいる」
「そうか」

彼の後ろに立つ四人を見るが、大きな怪我は見当たらない
ただ、オルオだけは口元をハンカチで覆ってはいるが
また舌を噛んだのだろうかと思いながら新兵が待機しているという場所へ向かった
広場の片隅で立っていたり座り込んでいたり
疲弊しきった彼らがこちらに気付くとふらつきながら姿勢を正す
全員が何かを捜すように視線を動かし、それからアルミンが真っ青な顔をして一歩前へと足を踏み出した

「リヴァイ兵長……は……やっぱり、一緒じゃないんですか……?」
「ガキ、どういうことだ」
「君たちと共にいるのを見たと聞いたが」

そう声を掛けると彼が震える両手で顔を覆う

「途中までは、一緒に……僕たち、馬を失って……馬車で移動を……奇行種に、追いつかれそうになって……が、ミカサに馬を譲って……一人で残ったんです!」
「っ……」
「自分はまだ戦えるって……でも僕たちはガスが無くて、何も出来なくて……!ごめん、ッ……!」

その場に膝をつき、叫びにも似た声でそう告げる新兵
オルオは彼を見たまま微動だにせず、彼の隣にいたペトラが前へと出た

「兵長!私、今からあの子を捜しに――」
「無駄だ」
「っ――」
「新兵のガキが一人、巨人のうろつく場所でどうやって生き残る」
「で、ですがっ、あの子は実技が得意、で、すごく、上手に……だから……」
「あのガキは確かに飛ぶのは上手い。だか今通って来たのは立体機動装置を使えねぇ平原だ。どうやって戦う」
「……!」

リヴァイの非情な、だが反論の余地のない言葉にペトラが口を閉じて顔を俯かせる
が彼らの元に行ってから一ヵ月ほどだが、上手くやっていたのだと分かった
溶け込んで、信頼して、可愛がられて――
エルヴィンはリヴァイが拳を固く握るのを視界の端に見ながら、細く息をはきだした