オルオ・ボザド1 10
第57回壁外調査が終わり、本部へと帰還したのは夕方を過ぎてからだった
皆、疲れ切っている筈なのに着替えを済ませてから自然とある場所に集まってきている
普段は憩いの場でもある食堂は重苦しい空気で満ちていた
消灯時間である時刻を過ぎても104期の調査兵が一人を除いて揃っている
皆口を聞かず、沈黙を保って座っていた
祈るように手を組んだり、悔しそうに拳を握っていたり
そんな中でミカサは随分と前から空席になっている己の右隣の席をじっと見つめていた
以前その席に座っていた彼女は自分の話をよく聞いてくれて、自身の話もしてくれて
優しい性格で笑顔が素敵で、とても良い人だったと思う
馬車を離れる瞬間までずっと笑顔でいた彼女の事を思い返しながら片手をテーブルに触れて立ちあがった
やけに響く足音を立てながらリヴァイ班が座るテーブルの側の壁に寄り掛かるように立っている一人の男性へと歩み寄った
視線だけをこちらへ向ける彼の前に立つとポケットから出した握ったままの手を差し出す
指を開くと彼の目がそこへ向くのを見て口を開いた

が、あなたにと」
「……俺に?」

小さく頷くと彼――オルオ・ボザドがこちらの手から紐に通された二つの指輪を受け取る
じっとそれを見つめるのを見て視線を落とすと口を開いた

「私たちに逃げるように、生き延びるようにと言いました。楽しかった、ありがとうと……最後まで、笑って。私たちを安心させるために」
「……そうか」
「確かに渡しました」
「……何で、俺に……こういうのは兵長に……」
「分りません……はあなたを指名しました」

自分の手を握り、耳元に顔を寄せて囁かれた言葉

――オルオさんに渡して――

確かにはそう言って自分に託していった
以前、まだ彼女が兵舎に居た時にあの指輪の話を聞いた事がある
調査兵団に所属していた両親が揃いで身に着けていたものだと
それを、戦死後にジャケットから剥がされた紋章と共に受け取ったと言っていた
そんな大切なものを残したのだから、死を覚悟をしては奇行種に立ち向かったのだろう
後日行われる捜索で彼女は見つかるだろうか
もう判別不能なくらい、酷い状態になっているかも知れないけれど――
どこからか、押し殺すような泣き声が複数上がるのを聞き、ぐっと拳を握る
心が先ほどよりももっと深い悲しみに染まるのを感じながら静かに彼の側を離れた
席に戻ろうとしたところでガタン、と音を立てて一人の女性が立ち上がる
視線を向けると、足音荒く進む彼女がオルオのジャケットの襟を両手で乱暴に掴んだ
そのまま壁に彼の体を押し付けるように力を込めたのが分かる

「オルオ!いつまで気付いていないフリを続ける気なの!?」
「っ……」
「分かってるくせに!あの子が、あんたのこと好きだったって!」
「ペトラ……」
「可愛くて!素直で!優しくて!すごく良い子だった!掃除も、料理も洗濯だって一生懸命やって!紅茶を淹れるのが上手で!訓練だって倒れるまで頑張って!私たちのフォーメーションも一回見ただけで完璧にやってみせた!気付いてたでしょ!?あんたの側にいると顔を赤くしてたじゃない!馬鹿な軽口叩いた時、真っ赤になって慌ててたじゃない!人形って言われていたけど、真剣なときに無表情になるだけでちゃんと感情があったでしょ!は、オルオ……あんたのことが好きだったの!」
「……」
「あんただって、好きだったでしょ!一目惚れしたんでしょ!?どうして、どうして告白しなかったの!好きだって言っていたら、戻って来たかも知れないっ……一人で戦うなんて無茶なこと……しなかったかも知れない……!」

言いながらぽろぽろと涙を零し、徐々に顔を俯かせていくペトラ
オルオが指輪を持つ手を強く握ると彼女の手を襟から引き離した

「分かってたよ!俺だって好きだった!でも言えるかよ!いつ死ぬか分からねぇんだぞ!恋人になっても、俺が死んだらはまた一人になるんだぞ!残されるほうが辛いってのに……こんな思い、あいつにさせられるかよ!」
「っ……良いじゃない……思い出だけでも残れば……だから、はそれをあんたに残したのよ。あの子の物を受け取る家族は……いないんだから。……ごめんなさい、私がを見つけていたら……助けることが出来たのに」
「……分かってる。……兵長、ちょっと頭冷やしてきます」

そう言い、オルオが戸口へと向かって歩きだす
その背に、リヴァイが手元の紅茶の入ったカップを見たまま声を掛けた

「オルオよ」

ぴたりと足を止める彼が振り向かないまま言葉を待つ
皆が視線を向ける中、リヴァイが目頭を押さえて言葉を続けた

「それはお前が持っていろ。……の両親の形見だ」
「……了解しました」

そう返された声は震えていたように思う
そのままオルオが扉を開閉する音を聞き、エレンが目元を拭うのを見てその隣の席へと戻った
皆は部屋に戻る気はないようで誰一人席を立とうとはしない
彼女が見つかるまで誰も休もうとはしないのではないだろうか
ミカサはそう思いながら机の表面を揺れながら照らす蝋燭の灯りへと目を向けた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


大型の奇行種が大量発生してから二日後
調査兵団では動ける兵士を集めて捜索の準備が進められていた
兵士が失った馬と、戦死した兵士の遺体の捜索
いつもながら暗い空気が立ち込める中、馬車とその荷台に遺体袋が用意されていく
その様子を眺めながらエルヴィンは側に立つリヴァイに声を掛けた

「可能性は」
「考えるだけ無駄だ」
「……そうだな」

そう呟き、ふうと息をはく
既に二日が経過している事を考えればそうなるだろう
あれから104期生は塞ぎ込んでしまい、リヴァイの班員も姿を見せなかった
なにかと自分の部屋に訪れては届け物をしていった新兵
無表情で突拍子も無い事を口にする変わった少女だと思っていた
だが時には驚く程に豊かな表情を見せる事もあって、訪問してくるのが密かな楽しみにもなっていた
調査兵団に所属していた両親を亡くし、自らも同じ道に進み――そして同じように散るとは
だがあの奇行種の大量発生を誰が予測できただろう
だがまさか一人で立ち向かうとは誰も思わなかったのでは――と考えていたところで遠くの屋根から信煙弾が上がった

「っ……ミケか?」
「壁内で信煙弾だと?何を嗅ぎ付けやがった」

何事かと周囲がざわつき、様子を見に行こうとしたところで家屋の間から信号を打ち上げたであろう本人が姿を現す
ザシャッと音を立てて着地すると自分へと顔を向けた

「匂いがする」
「巨人か」
「違う。兵士だ」
「兵士……?」
「多数の馬を引き連れて……帰って来た」

その言葉に大通りの向こうへと目を向けた
直線のその道の先に一人の兵士が騎乗してこちらへと向かって来るのが見える
フードを深く被り、右腕を力なく下げて左手で手綱を持ち、右足は鐙に掛けずに動きに合わせて揺れていた
その後ろにはミケの言う通りに複数頭の馬を従えている
蹄の音が徐々に大きくなり、緩く手綱を引くと馬が足を止めた
ふら付きながら地面へと下りる動作には疲れが見え、左手でフードを上げると煤色の長い髪が零れ落ちる
頬に掛かるそれを首を振って払うと外套の裾で顔を軽く拭った
それから足を肩幅に開き、背筋を伸ばして
左手を背に回し、右手を心臓に当てようとして――痛むのか、上げられずに腰の辺りで拳を握った

「104期生、ただいま戻りました。帰還が遅れたこと、申し訳ありません」
「……生きていたか」

安堵に口元が緩み、ほっと息をはく
そんな自分とリヴァイへと視線を巡らせた彼女がゆっくりと目を瞬き――
いや、そのまま目を閉じて体が後ろへと傾いていく

「っ――」

咄嗟に手を伸ばして左腕を掴み、同時にリヴァイが彼女の首に巻かれたスカーフを掴んだ
倒れる事を防ぐと力の抜けたその体を抱えて様子を見る
砂埃で薄汚れているが顔色はさほど悪くはなかった
呼吸も正常で、どちらかといえば健やかで――

「……眠ってしまったな」
「全く……手のかかるガキだ」

言葉ではそう言いながらもリヴァイの表情は穏やかなもの
失わなかった事に安堵したのだろうと思いながらを彼に預けた
彼女を抱き抱えて診療所へと向かう背を見送り、ミケに声を掛ける

「特別作戦班は出られないな。人数は足りるか」
「ギリギリだ」
「……すまないが俺も抜ける。頼んだぞ、ミケ」
「……」

何か言いたそうな視線を受けながらエルヴィンはその場を離れた
が連れ帰った馬の世話をすれ違う兵士に任せ、向かったのは診療所がある建物
中へと入ると廊下の先で壁に寄り掛かって立つリヴァイの姿が見えた
姿は見せなかったが側で待機していたであろう彼の班員も揃っている
そちらへ近付くと側で足を止めて閉じられている扉を見た

「どうだった」
「右の腕と足首を噛まれている。骨折まではいってないが……皮膚が裂けていた」
「そうか」
「立体機動装置は全損だ」
「……新品の支給は後回しだ」

今回の任務で調査兵団が嫌になったかもしれない
そうなれば退団届を出す可能性があった
引き止めはせずに、彼女が望むままに受理はするが――
と、考えたところで壁を背に座り込み、膝を抱えているオルオの姿に気付いた
顔は隠れて見えないが不定期に肩が揺れ、その息遣いに泣いているのが分かる
彼は泣き崩れるほど後輩であるを可愛がっていたのだろうか
そう思っていると自分の視線の先に気付いたのかリヴァイが小さく溜息をもらした

「感動の再会だ」
「?」
「馬に蹴られて死ね、だったな」
「……そうか。お前はハンジに問い詰められても口を割らなかったが……」
「報告書に書いた通りだろうが。優秀ではあるが男の趣味が悪い」
「……兵長まで……あんまりッスよ……っていうか、団長に報告する必要あるんスかっ」

ぐずぐずと濡れた泣き声で弱々しく抗議するオルオ
上げられた顔は涙やら鼻水やらで酷い事になっていた
そんな彼にリヴァイが呆れた様子を見せてポケットからハンカチを取り出す
それをオルオに差し出しながら僅かに目を細めた

「新兵について、詳細に報告しろと言われた。男の趣味も含まれるだろう」
「関係ないと思うッスよ」

潔癖症の彼が泣き濡れる男に自らの私物を貸すとは
そう思いながら受け取ったハンカチを広げ、タオルを使うように色々なものを拭うオルオを見た
畳んだハンカチを右手に握り、じっと扉の方を見る彼
それに倣うようにして自分もそちらへと顔を向ける
外にいる兵士から話を聞いたのか、104期の兵士がちらほらと集まってきた
やがて来られる者が全員揃ったところで扉が開かれる

「処置が終わりました」
「怪我の状態は」
「皮膚を深く引き裂くような傷でした。幸い、神経の断絶などはありませんので傷が塞がれば元通りに動きます。リハビリは必要ですが」

医師の言葉に同期生たちにほっとした空気が流れる
安堵の為か泣き出す者もいた

「治療中に目を覚ましました。少しなら会話も可能です」

それを聞いてリヴァイの方へ目を向ける
彼が頷き、座り込むオルオの腕を掴んで引き起こしながら歩き出した
引っ張られ、転びそうになりながら部屋に入る彼の背中を見ながら自分も治療室へと入る
ベッドの上には上体をクッションで支え、半ば起き上がっているの姿があった
こちらに顔を向けると左手をベッドについてそれを支えに頭を下げる

「楽にしてくれ。……よく、戻ってくれたな」
「はい……」
「同期と離れた後、何があった」
「ええと……途中のことはよく覚えていないのですが……立体機動装置で巨人を殴った、ような気はします」
「殴った?」
「はい。ガス欠で……巨人が這いずってくれたのでそれで目を潰して……それから……一本だけ残った刃で項を削いで討伐した、と思います」
「……君には一つ命令を下さなければならない」
「はい」
「二度とそのようなことをするな」
「……」
「命令だ、。返事を」
「……了解しました、エルヴィン団長」

渋々、といった様子だがきちんとこちらの目を見て返答した彼女
まあそのような目には二度と合わせないだろうが――と思っているとリヴァイが一歩前へと出た


「はい」
「命令違反の始末書を提出しろ」
「えっ」
「危険な真似はするなと命じたはずだ。てめぇは何をした。身に覚えがないとは言わせねぇ」
「……了解、しました……」

しゅんとして返事をするを見ると、こちらの体の影に隠れているオルオの腕を掴んで前へと押し出す
二、三歩よろけてベッドに近付いた彼を見た途端、彼女の頬が赤く色付いた
これは、確かに報告書の通りのようで――
いや、人の好みにとやかく言うつもりはまったくもってないのだが
エルヴィンはそう思いながらちらちらと互いに視線を合わせ、慌てて逸らすという事を繰り返す二人を見守った