小説コラム
描写の練習 その一
すごい面白い物語を思いついたとします。誰も考えたことがないような斬新なアイディアで、友人にこの物語を話してあげたら、「イイ! お前、それ絶対いけるよ!」と言われたとします。
自信がついたあなたは、早速それを小説にしようと思いました。
……で、ここでぶち当たるのが今回のテーマ、“上手い描写”です。
どんな面白い物語のプロット(骨格)でも、必ずしも面白い小説になるとは限りません。
文章作法が守られていなくて、誤字脱字がやたら多くて、レイアウトも文字が小さくて、背景色との兼ね合いも悪いとかなんとかあったら、それだけで面白さがダウンしてしまいます。
なんといっても、稚拙な文章表現力しかなかったら、アイディアの半分も小説に反映することができないでしょう。
小説の文章力は、漫画で言うところの“絵”です。
あるところに、『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画がありました。この漫画、ストーリーは中々面白いのですが、なにぶん絵が自分好みでなく、1~10巻くらいまででついに諦めてしまいました(確か60巻くらいまであります)。
小説も同じことで……、――えっと、もう何が言いたいのか分かったと思いますので、前置きはこれくらいにしておきますねw
本題は、そのような“上手い描写”とはどうしたら身に付けられるのか?
これは、いろんなサイトや、小説上達本なるものを読んだことがある人は分かると思いますが、必ずどこにも、『読書をたくさんしなさい』と書いてあったと思います。たくさん本を読むことにより、たくさんの語彙力や表現を学び取ることができるからです。
そしてまた、これは事実だと思います。やはり、たくさんの読書をこなされている方の書いている小説を読むと、「おぉ~さすがだ」と思わされます。
と、いうことで、皆さんも読書をたくさんしましょー!
と、……これで終わりだったら、私に不幸のメールが大量に届きそうですねw
ご安心を。話はまだ続きます。
確かに、たくさん読書をすることにこしたことはありません。
小説を読んだことが全くない人に、小説が書けるはずはありませんからね。
でも、じゃあ今から読書を始めたとして、どれくらいで上手い表現が身に付くのでしょうか?
半年? 一年? いや、もしかしたら十年も二十年もかかってしまうかもしれません。
誰でも一週間やそこらで描写力をマスターできるのなら、もう小説家なんて失業しかありませんからw
もちろん、プロを目指すのでしたら、それくらいの覚悟は当然です。大学の文学部に入って、古今東西の書物を読みあさることも必要かもしれません。
けれども、私のように趣味で小説を書いている人は、そのような石の上に三年座るようなことはやってられませんよね。
もっと手軽に、短期間で上手い表現を身に付ける方法はないのか? あったら是非とも実行したいもの。
私は、夜寝る間も惜しんで考える暇があったらもっと読書をしたいと思いますので、あんまり考えず、ある日突然思いつきました(笑)。
ズバリその方法は、『パクる』です。
プロに限らずに、表現が巧みな人の文章を拝借すればいいのです。
「ハァッ? そりゃダメだろ!」
……。
確かに仰るとおり、てか著作権違反であります。――そのまま使えば……、です。
“パクる”とは言いましたが、何もそのまま抜粋しろといっているのではありません。
実際にこの技を使ってみましょう。
あなたは小説を書いていて、主人公が歩いているシーンを書きたいと思ったとします。
――彼女は、友人とケンカした後、トボトボ歩いていた。
なんとかかんとかこんな文章を考えてみましたが、どうも幼稚な気がして気に食わない。
そこで、ある小説にこういう文があり、あなたが「いい!」と思ったとします。
――眩い光を放つ太陽は正面に重なり、銀色の筋が放射状に広がる。まるで彼女の行く手を阻むようだ。
え、別に「いい!」って思わないって? いや、例えばですよ、例えばw とりあえず、この文を使用します。
まずこの文を一度、そのままでいいので自分の小説の中に組み込んでみましょう。
すると、
――彼女は、友人とケンカした後、トボトボ歩いていた。眩い光を放つ太陽は正面に重なり、銀色の筋が放射状に広がる。まるで彼女の行く手を阻むようだ。
こんな感じになります。
彼女のトボトボ具合もUPしたように感じませんか?w
こんな風に、どっかから引用した文を付け足しただけでも、随分と変わってくるものです。今回は引用文が微妙でしたから変化が乏しかったかもしれませんが、プロの表現などを利用すれば、相当なレベルUPが狙えると思います(ちなみに上記表現は、自作小説『壮烈なるカウンセラー』の一文ですw)。
でもこれじゃあ、家族に読ませるだけだったら構わないかもしれませんが、ネットで発表なんて怖くてできませんね。それにさすがに良心も痛みますw
そこで、引用した文を、自分なりに解釈し直してみましょう。
すると、
――彼女は、友人とケンカした後、トボトボ歩いていた。そんな彼女の落ち込みにつけ込むように、銀色に輝くの太陽は、眩い光を筋状に発し行く手を阻もうとする。
これならどうでしょうか?
今はこんな風に並べていますから、『似ている』とも思うでしょうが、これくらい手を加えておけば、まず文句は言われないでしょう。
「それくらい自分で考えられるんだったら、最初から引用なしに考えろ!」
なんて思っている方もいらっしゃいますよね。
でも、何も参考にしないで考えるのと、この技を使うのとでは労力も時間も全然違うのです。
中には、この方法を気に食わない人もいると思います。
「すべて自分で考えてこそ自分の小説と言える!」
という主義の人も多いでしょう。
しかし、“すべて自分で考えて”というのは、定義が非常に難しいのです。
私たちは、無意識のうちに、何かを参考にして物語を創っています。
その媒介は映画であったり、他の小説であったり、漫画であったり、はたまた自分の実体験であったり、何気ない友人の言葉であったり様々ですが、いきなりポッと頭の中に浮かんだことでも、過去に見た何らかの影響を受けていることが多いのです。
さすがにそれをパクりという人はいませんが、今回の引用法(聞こえが悪いので参照法とでも名付けましょうかw)だって、“自分で考えて”という定義の境界線によっては、全く問題ないものなのです。
それでも、それはどうしてもおかしい、納得できないという人もいると思います。
もちろん、無理に使う必要などはありません。
しかし、大量に読書を積んで自然に表現力が身に付くのを待つよりも、この技を使用すれば、短期間に表現力を身に付けることができるようになるでしょう。
ホンと裏技って感じでしたが、一度試してみてはいかがでしょうか?
遠藤敬之 2005/04/05 記