蜜雨

其之四十五

 最後の力を振り絞ったピッコロは辺りを巻き込んでパワーを爆発させるが、悟空が真っ向から受け止めてなんとか堪え切ると、優勝を確信した悟空は余力のないピッコロに怒涛の攻撃を加えてかめはめ波を放った。直撃だ。

「審判のオッチャン、カウント!」

 仰向けに倒れて動かないピッコロを確認すると、悟空はアナウンサーに声を掛けた。カウントが始まると、みな気を緩めて勝利ムード一色だ。だがは一瞬無くなったピッコロの気が少しずつ高まっているのを感じ、カウントが進むごとにの嫌な予感も高まっていった。

「ナイン!!!」
「悟空っっ!!!!」

 アナウンサーのカウントにの切羽詰まった声が続くと、一筋の鋭い光線が悟空の胸を貫いた。の叫びのおかげか悟空は無意識に体をずらしてなんとか急所を外していたが、出血がひどいことには変わりない。吐血しながら悶え苦しむ悟空をピッコロは容赦なく踏みつける。

「ぎゃうっ!!!!」

 悟空の悲痛な叫びを聞いて居ても立っても居られなくなった仲間たちが悟空へ駆け寄ろうとするが、ピッコロがそれを阻む。は血が滲むほど自身の手を握り締め、自分も悟空を助けにいかないよう必死に堪えていた。

「い……いつつつ……」

 もはや気力だけで立ち上がった悟空に情けを掛けるほどピッコロは甘くはない。両者激しく撃ち合うが、出血により目も霞んできた悟空の方が分が悪かった。
 ふっ飛ばされて身動きの取れない悟空の両足を折り、そして最後の希望の左腕も壊された――これで完全に終わりだ。

「最後の一撃をくらうがいい。この一瞬をオレは待ちこがれていた……」

 ピッコロはかつてのピッコロ大魔王と同じように上空へと飛びたった。

「おい天津飯とやら。このわたしを殺してくれ! そうすればやつも死ぬ!」

 神の言葉に、となりにいたは弾かれたように顔を上げて神の前に立ちはだかる。

「そんなこと私が絶対にさせない……っっ!!」「や……やめろ……!! そ……そんなことするな……!!」

 と悟空の声が重なった。

「オ……オラが……か……勝って……みせる……から……!!」

 まだ悟空の目は死んでいない。悟空の中に勝機は生きている。
 仲間たちは無理だと好き勝手に絶望を口にしているが、そんな状況でもだけはニッと笑みを浮かべた。

「だいじょうぶ……! 悟空が勝つって言ってるんだから、私たちが信じなくてどうすんの!!」

 閃光が迸る前に、同じくニッと笑った悟空と目が合った気がした。



 凄まじい爆風がたちに襲いかかり、半分以上が抉れた武舞台にはなにも残されていなかった。ピッコロは歓喜に震えて雄叫びをあげ、反対に仲間たちは絶望に震えて打ちひしがれていた。ただひとり、だけはじっとピッコロを静かに睨みつけていて、強がるをピッコロは冷ややかに笑う。

「さあ……次はきさまの番だ……! 恐怖に染まる顔を見ながらじわじわと殺してやる……!!」
「だから、絶対に悟空が勝つって言ったじゃない……っ!!」

 ピッコロは一切怯むことなく減らず口を叩くに青筋を立てた。どこからその自信が湧いてくるというのだ。孫悟空は死んだ――それとも最愛の男を失って気でも狂ったか。いずれにせよ生意気な態度をとるを殺すことは変わらない。
 ピッコロが一歩踏み出すと背後から迫りくる気配に気がついたが、もう手遅れであった。

「おまえの!!!! 負けだーーー!!!!」

 ピッコロの攻撃を喰らう前に舞空術で逃げていた悟空は残り僅かな力でピッコロに頭から突っ込んだ。

「試合さ……オ……オラ……勝ったよな……」

 悟空は掠れた声でアナウンサーに確認を取ると、所々陥没したり崩れたりして武舞台の見る影も無いが、確かにピッコロは場外で気絶しており、悟空は武舞台に倒れ込んでいた。

「孫選手の勝ちですっ!!! 孫悟空選手、天下一武道会優勝ーーーっ!!!!!」
「や……やり……!!!」

 アナウンサーの声は高らかに広大な空へと響き渡り、仲間たちは諸手を挙げて喜んだ。今度こそ悟空が勝った――何度も窮地に立たされたが、何度もその屈強な精神と限界知らずな力で困難に打ち勝ったのだ。

「っっ……!!!」

 仲間たちが喜び勇んで悟空の元へと集まるが、はその場から動けずにいた。伝えたいことはたくさんあるし、悟空の回復だってしてあげたい。だが、ここから動いてしまえば、きっと緊張の糸が切れて泣き崩れてしまう。
 ピッコロに殺すと言われても、ひとつもこわくなかった。ほかの誰がなんと言おうと、たとえどれだけ凄惨な逆境に立たされても悟空は負けない――悟空が勝つと言ったならば、絶対に勝つ。きっとなにもかも救って、成すべきことを成し遂げて、いつもの笑顔でとなりにいてくれる。自分が悟空になにも出来ないのなら、せめて誰よりもなによりも悟空を信じて待たなきゃいけない。そしてすべて終わったら、悟空が好きだって言ってくれた笑顔で迎えてあげるのだ。さっきまでそう決意していたはずなのに――



 仲間に囲まれていた悟空が目線をに向けて名を呼んだ。仲間たちの歓声に混ざることなく、悟空の声はしっかりとの耳に届いたようだ。悟空に名を呼ばれた瞬間、応えるようにの頬には雫が伝っていた。

「ははっ……なんかオラ、泣かせてばかりだな……」

 その場に突っ伏したまま、悟空はへらりと笑った。

「そばさ、きてくれねえか……?」

 はせり上がる涙を拭うことなく悟空の元へと走って、なるべく痛みを与えないようにそっと抱きかかえた。の涙が傷ついた悟空の頬をも濡らすが、悔しいけれども今の悟空にその涙を拭う力は残されていなかった。やわらかなの身体に包まれると、安らぎが染み渡る。そこでようやく自分がボロボロになりながらでものそばに帰ってこれたのだと実感した。

「ずっと……オラのこと、信じてくれてたんだな……」
「っだって、悟空と……信じるって約束したから……」

 自分はこんなにも泣き虫だっただろうか。悟空に出会う前はもっと自分を制御できていたはずだ。ぜんぶ、ぜんぶ悟空のせいだ。もっと自分は強かったはずなのに、悟空のそばにいると次々と感情が溢れて、止まらなくなる。

「ああ……オラ、勝ったぞ……」
「……ばか」

 あの時の悟空との約束通り、キスを落とした。あれだけ悟空の前では笑顔でいようと思っていたのに、涙でぐしゃぐしゃの顔で、血の味だってするのに、どうしてこんなにもしあわせで満たされているのだろう。
 は悟空にキスすると同時に、そこから気を送り込んで悟空の体を急速に回復させると、尋常ではない早さで傷が治った悟空はキスをし終えて離れていくを逃すまいと後頭部を掴んでもう一度キスをした。

「んんっ?!!」

 まさか動けるようになった悟空がもう一度キスするなんて予想だにしていなかったは目を瞑る余裕もなく、悟空を受け入れていた。やっとキスから解放されたは文句のひとつでも言ってやろうとするが、悟空の漲った力できつく抱擁されてそのまま舞空術で上空へと連れて行かれた。

「やったあーーーっ!!! 天下一武道会に優勝したぞーーーっ!!! ひゃっはーーーっ!!!!!」

 を片腕で抱え込み、もう片腕は突き上げて喜びを全身で表す悟空を見たら、文句を言ってやろうと開いていた口はいつの間にか笑顔に変わっていた。

「……っ悟空! あそこ!!」

 バンザイして喜んでいる悟空のそばで笑っていると、ふとは高まっていく殺気を感知した。

「やべえ!!!」

 悟空とは急降下して神の前に降り立った。空から降ってきたふたりの並々ならぬ剣幕に、神は振り上げた手刀を下ろした。悟空とが止めに入らなければ神は確実にピッコロを殺していただろう。

「こ……こやつはまだ生きておる……!! 生かしておけば、またおなじことをくりかえすぞ!!」
「そのときはまたオラがとめてやる!! ピッコロを殺せばあんたも死ぬんだぞ!!」
「だからいったであろう! そうなったら神龍にたのんで、わたしだけを復活させてくれればと!!」
「それができないから悟空はピッコロを殺さないんですよ!!」

 は神の言葉を遮るように声を荒げた。
 ドラゴンボールをつくった神が死ねば、そのドラゴンボールが使えなくなることに悟空とは気づいていた。神もその事実を認めるかのように口を噤み、そして神などやめて死ぬべきだったと懺悔した。しかし亀仙人が口を開いた。

「じゃが世をふたたび平和にみちびかれたのもあなたですぞ……あなたのつくられたドラゴンボールがなければ、そこの悟空とや、ここにいる者たちの成長や出会いはなかった……たった一個のドラゴンボールからすべてが始まり、そして世を守ったのです」

 あの時孫悟飯の元へ訪ねようと道に迷っていなかったら、悟空と出会っていなかったら、ブルマと出会っていなかったら、ドラゴンボールがなかったら、悟空と結ばれることもなかったかもしれない――ドラゴンボールがすべての縁を繋いでくれたのだ。

「……孫、……よい師匠に出会い、育てられたな」
「うん! ちょっとエッチだけどな!」
「あははっ! でも尊敬するお師匠さまです!」

 悟空とが笑うと、神に称賛された亀仙人がわたわたと慌て出す。神はみなの様子を見て笑みを深めると、悟空のボロボロだった道着を直してくれた。やはり悟空にはこの山吹色の亀マークの道着が似合う。

、仙豆持ってたよな。ひと粒くれ」
「はいな」

 道着が一新された悟空はから仙豆を受け取ると、こともあろうかピッコロに食べさせた。みなが愕然とする中、はなんとなくわかっていたのか苦笑をもらしていた。
 元気になったピッコロは、もっと腕をあげていつの日か悟空と再戦しようとどこかへと飛んでいった。その背中を挑戦的な笑顔で見送る悟空を見ていると、やっぱりは悟空の笑顔に弱いのだと実感してしまった。

「孫よ、わたしにかわって神になってくれぬか……その資格はじゅうぶんにある。とふたりで天界に住むがいい……」
「えっ!? オラが神に!?」
「っぷ! あはははは! 悟空が神様なんて……っあはははは! ひーっお腹いたい……!!」
、ちっと笑いすぎだぞ……!」

 どうやらツボに入ったらしいは悟空の背中をバシバシ叩きながら爆笑していた。勝手に神の服を着て杖を持った悟空を想像し、さらにひとりで笑うを悟空はジト目で睨みつける。

「ならばでもよいのだぞ。おぬしほどの頭脳と力をもってすれば、きっと世の中も――」
「ダメだ!! はオラのヨメだ! 神様なんかにやらねえ!!」
「ご、悟空……!」

 まさか自分に矛先が向くと思っていなかったが笑いを止めて呆けていると、先に悟空が神から隠すようにを抱き竦めた。

「孫! 神だ、神になれるのだぞ!」

 それでも尚も食い下がらない神にあっかんべをした悟空は筋斗雲を呼ぶと、を抱えながら飛び乗った。

「みんなバイバーイ!!! また会おうなーっ!!!」
「みんなありがとーっっ!! あとのことよろしくお願いしまーすっっ!!」

 悟空とが筋斗雲から手を振ると、下からみんなの声が聞こえてきた。

「ちょっと!! 絶対逃がさないんだからねーーーっっ!!!」
「悟空ーーーっ!!」
「孫ーーーっ!! ーーーっ!!」

 思い思いの叫びに悟空とは笑い合うと、ふたりを乗せた筋斗雲はどこかへと飛んでいくのだった。






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