第十一訓
銀時は真選組屯所前のの小奇麗な診療所の前で、かれこれ数分は立ち竦んでいた。こんな所を真選組の連中に見つかりでもしたらまた面倒なことになるので、早く中に入ればいいものの銀時はその一歩が踏み出せず、ぐずぐずと思い悩んでいた。
を思い出しただけで夢に見て、いざに触れたら積年の重苦しい想いが堰を切ったように溢れてあんなことやこんなことを口走ってしまったが、本来の銀時はろくすっぽ女の口説き方なんぞ知らぬ原始人みたいなものだ。今だってに会いに来た尤もらしい理由を探して、あーだこーだ頭を抱えている。そんな銀時の耳に聞きたくもないし、信じたくもない声が飛び込んできた。
「アンタ、銀さんの幼馴染だか初恋の人だか知らないけど、いきなり出てきてなんなのよ! 銀さんを一番愛してるのはこの私なんだからね!!」
「おいィィィ!!」
考えるよりも先に銀時は診療所の扉を開けていた。
「あれ、銀時?」
目の前には笑顔の女優と共にラブインアクションと書かれた献血ポスターに向かって叫んでいる猿飛あやめと、その様子を少し距離を取って困ったように眺めるがいた。
「銀さんですって?! もうッ銀さんたら私を追ってここまで来たのねーッ!!」
「待ってさっちゃん、ソレは……ッ!」
銀時の声を聞きつけたさっちゃんはの制止の声を振り切り、骨格標本に抱き着いて勝手に愛を語り始めていた。
「なんでコイツがのとこにいんだよ……」
「いきなりウチに来たと思ったら、坂田あやめ通称始末屋さっちゃんよって言ってコレを私に渡してきたんだけど……」
そう言っては手に持っていた一枚の葉書を銀時に差し出した。そこには結婚しましたという文字と、花嫁衣装に身を包んださっちゃんと白タキシードを着た銀時の写真が印刷されていた。しかしその写真の男、顔こそ銀時だが首から下は不自然なほど筋骨隆々な体つきをしている。明らかに合成であった。
「誰がだァァァァァ!!」
銀時は思わずジャバァァァとトイレに葉書を流す。良い子はマネしないように。
「あんな美人と結婚するなんてやるね、銀時」
「お前……それ本気で言ってンのか?」
明らかに怒りを滲ませた銀時の声色も鋭い眼光も意に介さず、はただ無感情に微笑みを携えている。
「少なくとも私と一緒にならなくて良かったと思ってるよ」
その言葉は先日の銀時の早とちりによって起こった結婚騒動のことを指していた。冗談であろうが、たとえ自分と結婚する気がなかろうが、でない女との結婚を祝福なんぞされたくはなかった。が死んだと聞いてから、自分が今までどんな思いで生きてきたか、これ程知らしめたいと思ったことはない。
「さっちゃんとお幸せ……ッん?!」
の破滅的な考え方に苛つく。彼女が自身を無下に扱い、銀時の幸せを願い、距離を取ろうとする度に沸々と怒りが込み上げてくるのだ。
「お前がいくら俺を拒絶しようが構やしねェが……俺の前に現れたのが運の尽きだな」
今はまだ隣にいることを許してくれなくてもいい。
「楽に死ねると思うなよ?」
だからせめてそれ以上余計なものを見ないように視界を遮り、自分以外の名を紡げないよう口を塞がせてもらうとする。
「コレ……さっちゃんの眼鏡でしょう?」
銀時が落としていった熱の意味を測りかねたまま、は廊下に落ちていたさっちゃんの眼鏡を拾い、いまだに骨格標本と妄想の世界を繰り広げていたさっちゃんに渡してあげた。
「銀さんは?! 銀さんはどこ行ったの?!!」
「帰ったよ」
眼鏡を掛けて視界がクリアになったさっちゃんは、先刻まで声が聞こえていた筈の銀時を探すが、もうどこにもいなかった。
銀時は今どんな気持ちで、どんな面持ちで、この地に足をつけているのだろう。の瞼に触れた銀時の手は酷く震えていた。それが怒りによるものなのか、それとももっと別の感情なのか、にはわからなかった。ただ、自分の唇にはまだ薄く湿った銀時の体温だけが鮮明に残っていた。