作品ID:1592
あなたの読了ステータス
(読了ボタン正常)一般ユーザと認識
「永遠の終わりを待ち続けてる」を読み始めました。
読了ステータス(人数)
読了(56)・読中(0)・読止(0)・一般PV数(240)
読了した住民(一般ユーザは含まれません)
永遠の終わりを待ち続けてる
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
傷付けないでと囁く声と……
前の話 | 目次 | 次の話 |
「綾袮! その二人から離れなさい!!」
突然に響いたのは、物置の影に隠れていたはずの識婁だった。
「識婁ちゃん!? 駄目よ、出て来てはいけないと言ったでしょう!!」
綾袮の言葉を無視して、識婁は綾袮と対峙する二人を怒りに満ちた瞳で見つめる。
「いいから離れなさい。貴女を傷付けるその二人から!!」
これまた突如と姿を現した少女に呆気に取られていた様子の綾袮の前の二人は、識婁の言葉に殆んど憎悪といっても不思議ではない色の瞳で識婁を睨みつけた。
「何も知らない小娘が、勝手なことばかりを言うな!!」
怒鳴りつけたのは、青年だった。けれど、識婁は引かない。
「ええ。それなら同じ言葉を返してあげるわ。勝手なことばかりを言わないで!! この子を傷付ける存在は、私が決して許さない! 離れなさい、綾袮。勝手な都合で貴女を傷付けるその二人から!!」
何故なのかは、綾袮には解らない。けれど、識婁の言葉に満ちた怒りの響きは、傍で聞いているだけの綾袮でも胸が張り裂けそうなほどに、目の前に立つ二人への怒りと憎しみが満ちていた。
綾袮と識婁、そして、少年と青年。二対二の静かな対峙が暫く続いて……。終わらせるための言葉を先に紡いだのは、綾袮だった。
「識婁ちゃん、行こう? この人達は酷い人じゃない。わたし達が黙っていれば、何もしないわ。この人達を困らせる必要はないよ」
「綾袮?」
綾袮の言葉に眉を寄せた識婁とは対照的に、対峙していた少年と青年は瞳を丸くした。
「……どうしてそう思えるの? キミは見たんだろう? 僕が従兄弟の血を吸う場面を。キミだって僕らを糾弾しようとした。なのに、今のキミは、僕らが人々やキミ達に危害を加えないと言い切るの?」
傷付いた色はそのままに、けれどその中に少しの怒りを宿して、少年が問う。
「いきなり攻撃的に言葉をぶつけたことはごめんなさい。最初はね、わたしの中の声はとても冷たく冷静に響いたから……。『イッパンジンヲマキコンデハイケナイ』って。でも……。
貴方が泣いた後にわたしの中に響いた声は、とても貴方を心配していた。貴方をとても心配して、『貴方を傷付けないで欲しい』って、『お願いだから傷付けないで欲しい』って……」
綾袮の言葉で少年がが翡翠の瞳を大きく瞠った。その隣で、青年が息をのんだ。翡翠の瞳を大きく見開いて、少年が静かに涙を零す。
「キミは何処までも残酷なことを言うんだね……。僕のことなど判らないくせに、キミが君だと……そう、僕に言ってのけてみせるんだね……」
少年の静かな言葉に、青年が瞳の色を陰らせた。
「行こう? 識婁ちゃん」
「……綾袮がそれで構わないのなら」
識婁の手を掴んだ綾袮に、識婁は二人を睨み付けていた瞳を静かに伏せて、綾袮に応える。そんな識婁の態度に綾袮は困ったように笑った。
「変な識婁ちゃん! そう言えばさっきも変だったわ? 識婁ちゃんはlamiaの前からのファンなんでしょ? ファンがアイドルを困らせちゃ駄目よ。
それに、本物のlamiaの歌が聴けてとっても嬉しかったのよ、わたし。識婁ちゃんだって言ってくれたじゃない、『綾袮は絶対後悔しない』って」
綾袮の言葉に識婁が何処か複雑そうに微笑んだ。
「ええ、貴女はlamiaに興味を引かれていたから。それなら見せてみるべきかと思ったのよ。もう一度だけ訊くけど、綾袮はいいのね? 彼らが害を成さないと、貴女を傷付けることは無いと言うのね?」
識婁の言葉に綾袮は肯いた。
「騒いでしまってごめんなさい。識婁ちゃんもわたしも、さっきのことは絶対に他の人に言ったりしないってお約束します」
「綾袮が望むから、綾袮に従うわ。けれど覚えておいて。貴方達は自分を傷付けないと赦した綾袮を、この先、この子を裏切る真似は許さない」
「も~、識婁ちゃんっ!! 識婁ちゃんの過保護は行き過ぎてるってば!!」
綾袮と識婁の言葉のやりとりを黙って聞いていた少年と青年は、陰りを浮かべた瞳を伏せた。青年が綾袮に手を差し出す。綾袮と識婁に向かって片手ずつ差し出された手に戸惑っていると、青年が微笑んだ。
「秘密を守ってくれることに対するお礼の握手だから、受け取ってはくれないかな?」
青年の言葉に、何故か少年が肩を揺らした。
「あ、はい」
素直に手を差し出した綾袮に対して、識婁は何故か両手を胸の前で握り締めて差し出そうとはしない。
「識婁ちゃん? もうっ!! 識婁ちゃんはファンなんでしょ? だから仲直りしてから行こうよ」
識婁の手を無理やりに引っ張って、青年の手に重ねる。途端、青年が瞳の色を変えた。キャラメル色の瞳から、先程の少年と同じ紅の色へと……。
「闇の眷属ウィリアムの名に置いて、『きみ達は今見た光景を全て忘れる』と『命じる』こと『従え』」
ウィリアムが言の葉に暗示をかけて命じた瞬間、二人の少女の身体は崩れ落ちた。ヴィルフリートはその光景をただ黙って見守っていた。ふと、少女の片割れの方に視線をやって、ヴィルフリートは静かに笑った。力も覇気も感じさせない声で、ただ笑った。
「見てみなよ、エディ。綾袮の……僕の昔の恋人のカッコ。ほんとに変なとこだけは覚えてたのかな? 修道服を模した白の衣に、銀のナイフにロザリオと聖水! まるで出逢った頃のあの子の服だ……」
涙を流しながらおかしそうに笑って笑って…………。けれど、胸に広がる虚無感も絶望も消えてはくれない。ヴィルフリートの恋人は確かに生まれ変わって来たけれど……。
「もういいかなぁ……。もういいよ、もういい」
虚ろな声で繰り返したヴィルフリートに、ウィリアムが立ち尽くしたままで泣いていた。
「……っくしょうっ!! 俺達はこんな日を望んできたわけじゃ…………」
あの日、置いて逝かれたのは自分ではないというのに。最愛の少女に置いて逝かれた従兄弟を心配して気に掛け続けてくれた優しいお茶目な従兄弟。
二人で暖かな日々を過ごしたこの城は辛過ぎる。そう言って城を出たヴィルフリートが始めた、あてどない放浪の日々。城を封じ、調理を封じて……。あちらの国へ、こちらの国へと彷徨い歩いた。
ウィリアムは最初から何を言うことも無く当然のように付き添ってくれていた。ウィリアムにだって、己の城と領地もあったというのに……。
ライブ会場の控室のソファーの上、気を失っていた少女の一人が目を覚ます。まだ状況が呑み込めてはいないらしい。隣で横たわる少女に気付いたらしく、友人の少女を揺さぶっている。
「綾袮、綾袮!!」
「……んん、なに~?」
寝ぼけたような声音で、それでも一応は覚醒したらしい。目元を擦りながら、自分を揺さぶる友人に応えている。
「『なに~?』じゃなくて! 綾袮、起きなさい」
「ん……、え、ここ何処? わたし達、さっきまで着替えのために物置に行ってた…………」
そんな少女の疑問に答えるべく、ウィリアムとヴィルフリートは立ち上がる。
「ああ、気付いたようだね? ここは俺達の控室だ。驚いたよ、必要なものを取りに物置に行ってみたら、女の子が二人、床で気絶しているんだから」
「段ボールの下敷きになってたところを見ると、何かアクシデントが有って、そのまま気を失ってたみたいだよ。あんな場所、ぼくらが偶然足を運んでなきゃ誰も気づかない。
きみ達、ぼくらとは違うだろう。簡単に命を落とす人間なんだから、もう少し用心するべきだと、ぼくは思うけれど?」
姿を現したヴィルフリートとウィリアムに、暫く呆けていた少女達は、お互いの顔を見合っている。やがて、少女の一人が歓声を上げた。
「う、うそ!! lamiaのルヴィスとエディルっ!?」
叫んだ少女に、ウィリアムは悠然と微笑む。
「いかにも。可愛らしいレディ」
ヴィルフリートは面倒さを隠さない口ぶりで、出口を指し示した。
「ステージ終わってるし、疲れてるんだ。気が付いたなら帰ってもらえるかな」
ヴィルフリートの言葉に、ウィリアムが苦笑して、けれど同意を少女達に示す。
「ルヴィスの不機嫌は気にしないで。だけど、俺も同意見かな。随分遅い時間だよ、親御さんたちに心配される前にお帰り?」
「エディルがサービス過剰なんだよ。ぼくは今、咽喉が渇いてて仕方ないんだ。それとも……きみ達の血で、ぼくの疲れと渇きを癒してくれるかい?」
ヴィルフリートの投げやりな言葉に、少女の片割れが歓声を上げる。
「ご、ごめんなさい!! 帰ります帰りますっ!! いこっ、綾袮!」
少女の片割れにひったてられるようにして、もう一人の少女も腰を上げた。騒ぎ立てる片割れとは反対に、終始無言のまま、お辞儀もせずに扉を開けようとしていて、もう一人の少女に叱られていた。
「ちょっと、綾袮? お礼のお辞儀も無いままってあんまり失礼でしょう。どうしたのよ、貴女」
「アリガトウゴザイマシタ。識婁ちゃん、行こうよ」
そんな会話を残して、二人の少女は去った。
「ヴィルフリ……」
「やめて。もうその名前は要らない。ぼくはルヴィスだ」
二人の少女が去った後に、ウィリアムがかけた言葉に。ヴィルフリートは過剰なまでに拒絶を示した。そんなヴィルフリートの心が痛ましくて、ウィリアムはそれ以上の言葉を失った。
ヴィルフリートが投げ付けた投げやりな言葉、あれは本気の色が混じっていた。ヴィルフリートがどれだけ身体を弱らそうとウィリアム以外の血を拒絶してきたのは、シエルリーデを待ち続けていたからだ。
生涯の伴侶を持ったヴァンパイアは、滅多なことでは他人の血を口にはしない。まして、ヴィルフリートとウィリアムはヴァンパイアの中でも秀でた身分と力のある、名を持つヴァンパイアだ。
そこらの低級なヴァンパイアもどきと同じではない。自分の力を抑制する術も知らず、相手が完全に死に絶えるまで血を食らうような真似は、ウィリアムはしない。
適度に力を抑制する術も、自分を抑える術も身に付けているし、ウィリアムが多少の血を他人から頂いたところで、精々軽い貧血を起こすか起こさないか。
ヴィルフリートの言葉には本気の色が混じっていた。待ち焦がれ続けたシエルリーデは、本当の意味でヴィルフリートを独りにして置いて行った。ならばもう、誰の血であれど拒絶する理由は無いと……。
沈黙が支配した空間に突如と音が響いた。なんだと音の方向に目をやれば、控室の扉が開かれて、少女が一人、肩で息を切らせて立っている。呆気に取られながら、ウィリアムはエディルの顔を作る。
「何かと思えば、先程のお嬢さんじゃないか。忘れ物かい?」
ウィリアムの言葉に、少女は応えない。そんな少女の態度を小馬鹿にした体で、ヴィルフリートが言葉を繋げる。あえて彼女を傷付けるような言葉を選ぶようにして。
「ぼくとエディルの忠告が解らなかった? エディルの言葉が聞こえない? 返事を返すのが礼儀だとは思わない? 例え忘れものだとしても、ノックも無しに扉を開けるってどういう了見してるのさ?
育ちが知れるね、レディのすることじゃない。邪魔なんだよ、ぼくらの餌にでもなりにきたのかい? といっても、そんな無礼な子、ぼくの好みじゃないんでね」
ヴィルフリートの言葉にも応えないまま、控室の扉を後ろ手に閉めた少女は、つかつかとウィリアムに歩み寄ってきて……おもむろに平手を打ち付けた。
突然のことに対処のしようがなかったウィリアムを他所に、少女はヴィルフリートの方にも歩み寄り、有無を言わせず平手を見舞わせた。
ヴィルフリートの方も、あまりに予測不可能な行動を取られて暫くの間は呆けていたが……。次の瞬間、怒りと憎悪に満ちた瞳で怒鳴りつけた。
「っなにを!!」
けれど、ヴィルフリートの言葉は遮られた。ヴィルフリートの怒りよりも、遥かに怒気を含ませた少女の声によって。
「覚えがないとは言わせないわっ!! 『なにを』ですって!? 恥知らずって、貴方達二人みたいな人のためにある言葉よ。いいえ、人なんかじゃなかったんですものね!
貴方の涙なんかに騙されたわたしが馬鹿だったわ。自分の言葉を信じて、何の疑いも無く手を差し出した相手に、瞳の暗示をかけて操るなんてっ!!
最初に響いた声に従って、わたしは貴方達の息の根を止めるべきだった!! 極悪非道の吸血鬼!! わたしのお祖母さまはね、遥かな昔の遠い異国の名門、ローマ王朝の血を汲む司祭の家系よっ!!
お祖母さまが話して下さった聖女様の名前に懸けて、セントカティルナとルディエットの家名に懸けて、ここで息の根を止めてさしあげるわっ!! 貴方達が人に仇成さない吸血鬼などと、最早信じないっ!!」
見やれば、先程とは違い、少女はその手に本物の短剣を持っている。けれど、ウィリアムが驚いたはそこではない。少女の言葉だ。綾袮の言葉だ。
綾袮の言葉は、ウィリアムの暗示を非難し、信じて手を差し出した自分達を裏切って、瞳の暗示によって操った、と。綾袮は今、そう告げた。
綾袮は言った。『セントカティルナとルディエットの家名に懸けて』と。では、綾袮が言う聖女様とは……。そして、綾袮には暗示が効かない。
そんな綾袮の言葉に、心の何処かが決壊したのかもしれない。ヴィルフリートが悲痛な響きを含ませてありったけの大声で叫んだ。ヴィルフリートの瞳には、孤独と絶望、置いて逝かれたものだけが知る、何処までも深い虚ろな闇が広がっていた。
「何故、僕を非難するっ!? 誓いを破って全てを忘れたのは、シエルリーデ、君の方なのにっ!! 生まれて来ると君が言ったから、ぼくはこの数百年を気が狂いそうな孤独に苛まれながら生きてきたっ!
けれど、君は僕を知らないと言ったじゃないかっ!! 決して独りにしたまま逝かないと言った誓いを破って、僕に逢うために生まれて来ると言った誓いを破って……!!」
ヴィルフリートの叫びに、綾袮が怒りと憎悪を漲らせていた瞳の色を突如苦しげなものに変化させた。両手に持ち抱えていた短剣を取り落とし、両耳を塞いでその場に唐突にしゃがみ込む。
「やめてっ!! この人達はわたしとわたしの大事な友人を騙して裏切ったのよ!? なのに、どうしてっ!? やめてっ!! そんな声を響かせないでっ!!」
両耳を塞ぎ込んで、蹲った姿勢のままに、綾袮は突然大声を張り上げて泣き出した。
「どうしてよっ!? 傷付けないでなんて、どうして言うのっ!! 傷付いているのは貴女でしょうっ!! なのにどうして、こんな二人を、こんな人を傷付けないでとわたしに言うのっ!?
彼は気付かなかったのよっ!! 彼は気付かなかった!! 貴女であるアナタの手を振り解いたのにっ!! …………貴女はわたしになにを望んでいるのっ!?」
唐突に叫び声を上げ、泣き出した綾袮と、綾袮が叫んだ台詞の内容に、ウィリアムは息をのんだ。それはヴィルフリートの方も同じだったらしい。
蹲ったまま泣き続ける綾袮の肩に、そっと手を置いたのはヴィルフリートだった。涙を流した表情はそのままに、それでも真剣な声をさせて、ヴィルフリートは綾袮に向かって語りかける。
「……教えて、綾袮。僕はキミに気付かなかったことが? キミはそれで記憶を封じた?」
ヴィルフリートの言葉を拒絶するように、綾袮は決して両耳を塞ぐ手を離さない。ヴィルフリートはその場にしゃがみ込んで、語りかけ続ける。
「『セントカティルナ』と、『ルディエット』と、キミは言ったね。ローマ王朝の血を汲む司祭の家系、キミのお祖母さまはその血を汲む方だと。それなら綾袮、キミはこんな名前を聞いたことがある?
『シエルリーデ・セントカティルナ・ドゥ・ルディエット』という名前を聞いたことが? それとも、キミの言う聖女様は彼女のことかな」
綾袮は応えを返さない。
「暗示をかけたウィリアムを覚えているのなら、さっきの言葉の意味を教えて、綾袮。lamiaの歌を……、僕らの歌を聴けて嬉しかったって言ってくれた。
キミの友人はキミがlamiaの歌を聴いて絶対に後悔しないと言ったと言ってた。キミはキミの友人の言葉でここへ来たの? どうして僕らの歌が嬉しかったの?」
先まであれほどに投げやりになっていたヴィルフリートが、拒絶の態度を崩さない綾袮に向かって辛抱強く、優しさを含ませて語りかけ続けるのを聞きながら。
ウィリアムは、ソファーの上に放り捨てていたヴァイオリンを手に取った。設置の面倒なヴィルフリートのピアノとは違い、ウィリアムのヴァイオリンは自前のものなので、普段から結構ぞんざいにしている。
かといって、愛着がないわけではない。ヴィルフリートの城に残した昔の自分のものでこそないけれど、放浪生活を始めてからのこの数百年を共に生きてきたのは、このヴァイオリンだ。
演奏姿勢を取り、弦に弓を当てて奏で出したウィリアムのヴァイオリンの音色に、綾袮が初めて拒絶以外の反応を見せた。両耳を塞いでいた手を外し、ウィリアムの奏でる音色に小さく呟く。
「……懐かしいと想ったのよ。貴方達の演奏をわたしは知ってると、そう、想ったのよ。識婁ちゃんがわたしをここに連れて来てくれたわ。音楽狂いの綾袮を喜ばせようって…………。
でも、識婁ちゃんの言葉がなくても、わたしはここに来たかったのよ。わたしが知ってる音色を奏でるlamiaに。最初に響いた声はとても冷たかった。だから声に従った。
けれど、次に響いた声はとても暖かくて……。声は貴方を心配していて……。そして、わたしは知っていると想ったの。崩れ落ちて泣いた貴方の瞳を知ってると想ったのよ!!
貴方の絶望を、わたしは知ってる。それはとても一途に貴方が誰かを想うがゆえのものよ。そんな貴方達が人に危害を加えるとは信じたくなかった。だから識婁ちゃんも説得した。
なのに、貴方達は信じて差し出したわたし達の手を拒絶して、騙して操ることを選んだわ! 貴方はまた、わたしの手を振り解いたのよっ!!」
小さな呟きから一転、最後は涙を流しながら叫んだ綾袮の姿は、先程のヴィルフリートそのものだった。傷付いて傷付いて、絶望を知った色の瞳をさせていた。
ヴィルフリートが静かに涙を零しながら、泣き崩れる綾袮の両手を取る。振り解こうとする綾袮を閉じ込めるように、自分の肩に押し付けながら……。
「キミが僕を裏切ったのではなくて、僕がキミをまた裏切ったの? キミはそれにとても傷付いた? だから僕を知らないと言ったの? 教えて、綾袮。僕はキミになにをしたの?」
「イヤよ、触らないでっ!! 知らない瞳でわたしを見ないでっ!! 触らないでよっ!! 貴方の息の根なんて、止めてやるわ。止めてやるんだからっ!!」
無茶苦茶に抵抗しながら泣き叫ぶ綾袮の頭にウィリアムは手を乗せた。遠い昔、従兄弟と喧嘩したと泣き止まなかった従兄弟の最愛の少女にしたのと同じように……。
「綾袮、きみが感じた懐かしさは本物だともう知ってるだろう? 『また、わたしの手を振り解いた』って言ったな? 『貴女であるアナタ』っていうのは、きみ自身のことか?
きみはヴィルフリートの絶望の瞳を見て、自分がヴィルフリートの瞳を知っていると想ったと言った。それはヴィルフリートがとても一途に誰かを想うがゆえの絶望だと想ったと。
それなら綾袮、この会話の中で、きみはもう、薄々気付き始めているんじゃないのか? ヴィルフリートが、俺の従兄弟が探し続けて焦がれ続けたのは、自分のことだと」
ウィリアムの言葉に、綾袮は大きく叫んだ。
「イヤよ、嘘よっ!! 私のヴィリーが私を知らない瞳で見るなんて!! 息の根なんて止めてやるわっ! わたしがこの手で止めてやるんだからっ!!」
―――――綾袮の中にいるシエルリーデは消えたわけではないのだという、決定打になる一言だった。
突然に響いたのは、物置の影に隠れていたはずの識婁だった。
「識婁ちゃん!? 駄目よ、出て来てはいけないと言ったでしょう!!」
綾袮の言葉を無視して、識婁は綾袮と対峙する二人を怒りに満ちた瞳で見つめる。
「いいから離れなさい。貴女を傷付けるその二人から!!」
これまた突如と姿を現した少女に呆気に取られていた様子の綾袮の前の二人は、識婁の言葉に殆んど憎悪といっても不思議ではない色の瞳で識婁を睨みつけた。
「何も知らない小娘が、勝手なことばかりを言うな!!」
怒鳴りつけたのは、青年だった。けれど、識婁は引かない。
「ええ。それなら同じ言葉を返してあげるわ。勝手なことばかりを言わないで!! この子を傷付ける存在は、私が決して許さない! 離れなさい、綾袮。勝手な都合で貴女を傷付けるその二人から!!」
何故なのかは、綾袮には解らない。けれど、識婁の言葉に満ちた怒りの響きは、傍で聞いているだけの綾袮でも胸が張り裂けそうなほどに、目の前に立つ二人への怒りと憎しみが満ちていた。
綾袮と識婁、そして、少年と青年。二対二の静かな対峙が暫く続いて……。終わらせるための言葉を先に紡いだのは、綾袮だった。
「識婁ちゃん、行こう? この人達は酷い人じゃない。わたし達が黙っていれば、何もしないわ。この人達を困らせる必要はないよ」
「綾袮?」
綾袮の言葉に眉を寄せた識婁とは対照的に、対峙していた少年と青年は瞳を丸くした。
「……どうしてそう思えるの? キミは見たんだろう? 僕が従兄弟の血を吸う場面を。キミだって僕らを糾弾しようとした。なのに、今のキミは、僕らが人々やキミ達に危害を加えないと言い切るの?」
傷付いた色はそのままに、けれどその中に少しの怒りを宿して、少年が問う。
「いきなり攻撃的に言葉をぶつけたことはごめんなさい。最初はね、わたしの中の声はとても冷たく冷静に響いたから……。『イッパンジンヲマキコンデハイケナイ』って。でも……。
貴方が泣いた後にわたしの中に響いた声は、とても貴方を心配していた。貴方をとても心配して、『貴方を傷付けないで欲しい』って、『お願いだから傷付けないで欲しい』って……」
綾袮の言葉で少年がが翡翠の瞳を大きく瞠った。その隣で、青年が息をのんだ。翡翠の瞳を大きく見開いて、少年が静かに涙を零す。
「キミは何処までも残酷なことを言うんだね……。僕のことなど判らないくせに、キミが君だと……そう、僕に言ってのけてみせるんだね……」
少年の静かな言葉に、青年が瞳の色を陰らせた。
「行こう? 識婁ちゃん」
「……綾袮がそれで構わないのなら」
識婁の手を掴んだ綾袮に、識婁は二人を睨み付けていた瞳を静かに伏せて、綾袮に応える。そんな識婁の態度に綾袮は困ったように笑った。
「変な識婁ちゃん! そう言えばさっきも変だったわ? 識婁ちゃんはlamiaの前からのファンなんでしょ? ファンがアイドルを困らせちゃ駄目よ。
それに、本物のlamiaの歌が聴けてとっても嬉しかったのよ、わたし。識婁ちゃんだって言ってくれたじゃない、『綾袮は絶対後悔しない』って」
綾袮の言葉に識婁が何処か複雑そうに微笑んだ。
「ええ、貴女はlamiaに興味を引かれていたから。それなら見せてみるべきかと思ったのよ。もう一度だけ訊くけど、綾袮はいいのね? 彼らが害を成さないと、貴女を傷付けることは無いと言うのね?」
識婁の言葉に綾袮は肯いた。
「騒いでしまってごめんなさい。識婁ちゃんもわたしも、さっきのことは絶対に他の人に言ったりしないってお約束します」
「綾袮が望むから、綾袮に従うわ。けれど覚えておいて。貴方達は自分を傷付けないと赦した綾袮を、この先、この子を裏切る真似は許さない」
「も~、識婁ちゃんっ!! 識婁ちゃんの過保護は行き過ぎてるってば!!」
綾袮と識婁の言葉のやりとりを黙って聞いていた少年と青年は、陰りを浮かべた瞳を伏せた。青年が綾袮に手を差し出す。綾袮と識婁に向かって片手ずつ差し出された手に戸惑っていると、青年が微笑んだ。
「秘密を守ってくれることに対するお礼の握手だから、受け取ってはくれないかな?」
青年の言葉に、何故か少年が肩を揺らした。
「あ、はい」
素直に手を差し出した綾袮に対して、識婁は何故か両手を胸の前で握り締めて差し出そうとはしない。
「識婁ちゃん? もうっ!! 識婁ちゃんはファンなんでしょ? だから仲直りしてから行こうよ」
識婁の手を無理やりに引っ張って、青年の手に重ねる。途端、青年が瞳の色を変えた。キャラメル色の瞳から、先程の少年と同じ紅の色へと……。
「闇の眷属ウィリアムの名に置いて、『きみ達は今見た光景を全て忘れる』と『命じる』こと『従え』」
ウィリアムが言の葉に暗示をかけて命じた瞬間、二人の少女の身体は崩れ落ちた。ヴィルフリートはその光景をただ黙って見守っていた。ふと、少女の片割れの方に視線をやって、ヴィルフリートは静かに笑った。力も覇気も感じさせない声で、ただ笑った。
「見てみなよ、エディ。綾袮の……僕の昔の恋人のカッコ。ほんとに変なとこだけは覚えてたのかな? 修道服を模した白の衣に、銀のナイフにロザリオと聖水! まるで出逢った頃のあの子の服だ……」
涙を流しながらおかしそうに笑って笑って…………。けれど、胸に広がる虚無感も絶望も消えてはくれない。ヴィルフリートの恋人は確かに生まれ変わって来たけれど……。
「もういいかなぁ……。もういいよ、もういい」
虚ろな声で繰り返したヴィルフリートに、ウィリアムが立ち尽くしたままで泣いていた。
「……っくしょうっ!! 俺達はこんな日を望んできたわけじゃ…………」
あの日、置いて逝かれたのは自分ではないというのに。最愛の少女に置いて逝かれた従兄弟を心配して気に掛け続けてくれた優しいお茶目な従兄弟。
二人で暖かな日々を過ごしたこの城は辛過ぎる。そう言って城を出たヴィルフリートが始めた、あてどない放浪の日々。城を封じ、調理を封じて……。あちらの国へ、こちらの国へと彷徨い歩いた。
ウィリアムは最初から何を言うことも無く当然のように付き添ってくれていた。ウィリアムにだって、己の城と領地もあったというのに……。
ライブ会場の控室のソファーの上、気を失っていた少女の一人が目を覚ます。まだ状況が呑み込めてはいないらしい。隣で横たわる少女に気付いたらしく、友人の少女を揺さぶっている。
「綾袮、綾袮!!」
「……んん、なに~?」
寝ぼけたような声音で、それでも一応は覚醒したらしい。目元を擦りながら、自分を揺さぶる友人に応えている。
「『なに~?』じゃなくて! 綾袮、起きなさい」
「ん……、え、ここ何処? わたし達、さっきまで着替えのために物置に行ってた…………」
そんな少女の疑問に答えるべく、ウィリアムとヴィルフリートは立ち上がる。
「ああ、気付いたようだね? ここは俺達の控室だ。驚いたよ、必要なものを取りに物置に行ってみたら、女の子が二人、床で気絶しているんだから」
「段ボールの下敷きになってたところを見ると、何かアクシデントが有って、そのまま気を失ってたみたいだよ。あんな場所、ぼくらが偶然足を運んでなきゃ誰も気づかない。
きみ達、ぼくらとは違うだろう。簡単に命を落とす人間なんだから、もう少し用心するべきだと、ぼくは思うけれど?」
姿を現したヴィルフリートとウィリアムに、暫く呆けていた少女達は、お互いの顔を見合っている。やがて、少女の一人が歓声を上げた。
「う、うそ!! lamiaのルヴィスとエディルっ!?」
叫んだ少女に、ウィリアムは悠然と微笑む。
「いかにも。可愛らしいレディ」
ヴィルフリートは面倒さを隠さない口ぶりで、出口を指し示した。
「ステージ終わってるし、疲れてるんだ。気が付いたなら帰ってもらえるかな」
ヴィルフリートの言葉に、ウィリアムが苦笑して、けれど同意を少女達に示す。
「ルヴィスの不機嫌は気にしないで。だけど、俺も同意見かな。随分遅い時間だよ、親御さんたちに心配される前にお帰り?」
「エディルがサービス過剰なんだよ。ぼくは今、咽喉が渇いてて仕方ないんだ。それとも……きみ達の血で、ぼくの疲れと渇きを癒してくれるかい?」
ヴィルフリートの投げやりな言葉に、少女の片割れが歓声を上げる。
「ご、ごめんなさい!! 帰ります帰りますっ!! いこっ、綾袮!」
少女の片割れにひったてられるようにして、もう一人の少女も腰を上げた。騒ぎ立てる片割れとは反対に、終始無言のまま、お辞儀もせずに扉を開けようとしていて、もう一人の少女に叱られていた。
「ちょっと、綾袮? お礼のお辞儀も無いままってあんまり失礼でしょう。どうしたのよ、貴女」
「アリガトウゴザイマシタ。識婁ちゃん、行こうよ」
そんな会話を残して、二人の少女は去った。
「ヴィルフリ……」
「やめて。もうその名前は要らない。ぼくはルヴィスだ」
二人の少女が去った後に、ウィリアムがかけた言葉に。ヴィルフリートは過剰なまでに拒絶を示した。そんなヴィルフリートの心が痛ましくて、ウィリアムはそれ以上の言葉を失った。
ヴィルフリートが投げ付けた投げやりな言葉、あれは本気の色が混じっていた。ヴィルフリートがどれだけ身体を弱らそうとウィリアム以外の血を拒絶してきたのは、シエルリーデを待ち続けていたからだ。
生涯の伴侶を持ったヴァンパイアは、滅多なことでは他人の血を口にはしない。まして、ヴィルフリートとウィリアムはヴァンパイアの中でも秀でた身分と力のある、名を持つヴァンパイアだ。
そこらの低級なヴァンパイアもどきと同じではない。自分の力を抑制する術も知らず、相手が完全に死に絶えるまで血を食らうような真似は、ウィリアムはしない。
適度に力を抑制する術も、自分を抑える術も身に付けているし、ウィリアムが多少の血を他人から頂いたところで、精々軽い貧血を起こすか起こさないか。
ヴィルフリートの言葉には本気の色が混じっていた。待ち焦がれ続けたシエルリーデは、本当の意味でヴィルフリートを独りにして置いて行った。ならばもう、誰の血であれど拒絶する理由は無いと……。
沈黙が支配した空間に突如と音が響いた。なんだと音の方向に目をやれば、控室の扉が開かれて、少女が一人、肩で息を切らせて立っている。呆気に取られながら、ウィリアムはエディルの顔を作る。
「何かと思えば、先程のお嬢さんじゃないか。忘れ物かい?」
ウィリアムの言葉に、少女は応えない。そんな少女の態度を小馬鹿にした体で、ヴィルフリートが言葉を繋げる。あえて彼女を傷付けるような言葉を選ぶようにして。
「ぼくとエディルの忠告が解らなかった? エディルの言葉が聞こえない? 返事を返すのが礼儀だとは思わない? 例え忘れものだとしても、ノックも無しに扉を開けるってどういう了見してるのさ?
育ちが知れるね、レディのすることじゃない。邪魔なんだよ、ぼくらの餌にでもなりにきたのかい? といっても、そんな無礼な子、ぼくの好みじゃないんでね」
ヴィルフリートの言葉にも応えないまま、控室の扉を後ろ手に閉めた少女は、つかつかとウィリアムに歩み寄ってきて……おもむろに平手を打ち付けた。
突然のことに対処のしようがなかったウィリアムを他所に、少女はヴィルフリートの方にも歩み寄り、有無を言わせず平手を見舞わせた。
ヴィルフリートの方も、あまりに予測不可能な行動を取られて暫くの間は呆けていたが……。次の瞬間、怒りと憎悪に満ちた瞳で怒鳴りつけた。
「っなにを!!」
けれど、ヴィルフリートの言葉は遮られた。ヴィルフリートの怒りよりも、遥かに怒気を含ませた少女の声によって。
「覚えがないとは言わせないわっ!! 『なにを』ですって!? 恥知らずって、貴方達二人みたいな人のためにある言葉よ。いいえ、人なんかじゃなかったんですものね!
貴方の涙なんかに騙されたわたしが馬鹿だったわ。自分の言葉を信じて、何の疑いも無く手を差し出した相手に、瞳の暗示をかけて操るなんてっ!!
最初に響いた声に従って、わたしは貴方達の息の根を止めるべきだった!! 極悪非道の吸血鬼!! わたしのお祖母さまはね、遥かな昔の遠い異国の名門、ローマ王朝の血を汲む司祭の家系よっ!!
お祖母さまが話して下さった聖女様の名前に懸けて、セントカティルナとルディエットの家名に懸けて、ここで息の根を止めてさしあげるわっ!! 貴方達が人に仇成さない吸血鬼などと、最早信じないっ!!」
見やれば、先程とは違い、少女はその手に本物の短剣を持っている。けれど、ウィリアムが驚いたはそこではない。少女の言葉だ。綾袮の言葉だ。
綾袮の言葉は、ウィリアムの暗示を非難し、信じて手を差し出した自分達を裏切って、瞳の暗示によって操った、と。綾袮は今、そう告げた。
綾袮は言った。『セントカティルナとルディエットの家名に懸けて』と。では、綾袮が言う聖女様とは……。そして、綾袮には暗示が効かない。
そんな綾袮の言葉に、心の何処かが決壊したのかもしれない。ヴィルフリートが悲痛な響きを含ませてありったけの大声で叫んだ。ヴィルフリートの瞳には、孤独と絶望、置いて逝かれたものだけが知る、何処までも深い虚ろな闇が広がっていた。
「何故、僕を非難するっ!? 誓いを破って全てを忘れたのは、シエルリーデ、君の方なのにっ!! 生まれて来ると君が言ったから、ぼくはこの数百年を気が狂いそうな孤独に苛まれながら生きてきたっ!
けれど、君は僕を知らないと言ったじゃないかっ!! 決して独りにしたまま逝かないと言った誓いを破って、僕に逢うために生まれて来ると言った誓いを破って……!!」
ヴィルフリートの叫びに、綾袮が怒りと憎悪を漲らせていた瞳の色を突如苦しげなものに変化させた。両手に持ち抱えていた短剣を取り落とし、両耳を塞いでその場に唐突にしゃがみ込む。
「やめてっ!! この人達はわたしとわたしの大事な友人を騙して裏切ったのよ!? なのに、どうしてっ!? やめてっ!! そんな声を響かせないでっ!!」
両耳を塞ぎ込んで、蹲った姿勢のままに、綾袮は突然大声を張り上げて泣き出した。
「どうしてよっ!? 傷付けないでなんて、どうして言うのっ!! 傷付いているのは貴女でしょうっ!! なのにどうして、こんな二人を、こんな人を傷付けないでとわたしに言うのっ!?
彼は気付かなかったのよっ!! 彼は気付かなかった!! 貴女であるアナタの手を振り解いたのにっ!! …………貴女はわたしになにを望んでいるのっ!?」
唐突に叫び声を上げ、泣き出した綾袮と、綾袮が叫んだ台詞の内容に、ウィリアムは息をのんだ。それはヴィルフリートの方も同じだったらしい。
蹲ったまま泣き続ける綾袮の肩に、そっと手を置いたのはヴィルフリートだった。涙を流した表情はそのままに、それでも真剣な声をさせて、ヴィルフリートは綾袮に向かって語りかける。
「……教えて、綾袮。僕はキミに気付かなかったことが? キミはそれで記憶を封じた?」
ヴィルフリートの言葉を拒絶するように、綾袮は決して両耳を塞ぐ手を離さない。ヴィルフリートはその場にしゃがみ込んで、語りかけ続ける。
「『セントカティルナ』と、『ルディエット』と、キミは言ったね。ローマ王朝の血を汲む司祭の家系、キミのお祖母さまはその血を汲む方だと。それなら綾袮、キミはこんな名前を聞いたことがある?
『シエルリーデ・セントカティルナ・ドゥ・ルディエット』という名前を聞いたことが? それとも、キミの言う聖女様は彼女のことかな」
綾袮は応えを返さない。
「暗示をかけたウィリアムを覚えているのなら、さっきの言葉の意味を教えて、綾袮。lamiaの歌を……、僕らの歌を聴けて嬉しかったって言ってくれた。
キミの友人はキミがlamiaの歌を聴いて絶対に後悔しないと言ったと言ってた。キミはキミの友人の言葉でここへ来たの? どうして僕らの歌が嬉しかったの?」
先まであれほどに投げやりになっていたヴィルフリートが、拒絶の態度を崩さない綾袮に向かって辛抱強く、優しさを含ませて語りかけ続けるのを聞きながら。
ウィリアムは、ソファーの上に放り捨てていたヴァイオリンを手に取った。設置の面倒なヴィルフリートのピアノとは違い、ウィリアムのヴァイオリンは自前のものなので、普段から結構ぞんざいにしている。
かといって、愛着がないわけではない。ヴィルフリートの城に残した昔の自分のものでこそないけれど、放浪生活を始めてからのこの数百年を共に生きてきたのは、このヴァイオリンだ。
演奏姿勢を取り、弦に弓を当てて奏で出したウィリアムのヴァイオリンの音色に、綾袮が初めて拒絶以外の反応を見せた。両耳を塞いでいた手を外し、ウィリアムの奏でる音色に小さく呟く。
「……懐かしいと想ったのよ。貴方達の演奏をわたしは知ってると、そう、想ったのよ。識婁ちゃんがわたしをここに連れて来てくれたわ。音楽狂いの綾袮を喜ばせようって…………。
でも、識婁ちゃんの言葉がなくても、わたしはここに来たかったのよ。わたしが知ってる音色を奏でるlamiaに。最初に響いた声はとても冷たかった。だから声に従った。
けれど、次に響いた声はとても暖かくて……。声は貴方を心配していて……。そして、わたしは知っていると想ったの。崩れ落ちて泣いた貴方の瞳を知ってると想ったのよ!!
貴方の絶望を、わたしは知ってる。それはとても一途に貴方が誰かを想うがゆえのものよ。そんな貴方達が人に危害を加えるとは信じたくなかった。だから識婁ちゃんも説得した。
なのに、貴方達は信じて差し出したわたし達の手を拒絶して、騙して操ることを選んだわ! 貴方はまた、わたしの手を振り解いたのよっ!!」
小さな呟きから一転、最後は涙を流しながら叫んだ綾袮の姿は、先程のヴィルフリートそのものだった。傷付いて傷付いて、絶望を知った色の瞳をさせていた。
ヴィルフリートが静かに涙を零しながら、泣き崩れる綾袮の両手を取る。振り解こうとする綾袮を閉じ込めるように、自分の肩に押し付けながら……。
「キミが僕を裏切ったのではなくて、僕がキミをまた裏切ったの? キミはそれにとても傷付いた? だから僕を知らないと言ったの? 教えて、綾袮。僕はキミになにをしたの?」
「イヤよ、触らないでっ!! 知らない瞳でわたしを見ないでっ!! 触らないでよっ!! 貴方の息の根なんて、止めてやるわ。止めてやるんだからっ!!」
無茶苦茶に抵抗しながら泣き叫ぶ綾袮の頭にウィリアムは手を乗せた。遠い昔、従兄弟と喧嘩したと泣き止まなかった従兄弟の最愛の少女にしたのと同じように……。
「綾袮、きみが感じた懐かしさは本物だともう知ってるだろう? 『また、わたしの手を振り解いた』って言ったな? 『貴女であるアナタ』っていうのは、きみ自身のことか?
きみはヴィルフリートの絶望の瞳を見て、自分がヴィルフリートの瞳を知っていると想ったと言った。それはヴィルフリートがとても一途に誰かを想うがゆえの絶望だと想ったと。
それなら綾袮、この会話の中で、きみはもう、薄々気付き始めているんじゃないのか? ヴィルフリートが、俺の従兄弟が探し続けて焦がれ続けたのは、自分のことだと」
ウィリアムの言葉に、綾袮は大きく叫んだ。
「イヤよ、嘘よっ!! 私のヴィリーが私を知らない瞳で見るなんて!! 息の根なんて止めてやるわっ! わたしがこの手で止めてやるんだからっ!!」
―――――綾袮の中にいるシエルリーデは消えたわけではないのだという、決定打になる一言だった。
後書き
作者:未彩 |
投稿日:2015/11/18 22:27 更新日:2015/11/18 22:27 『永遠の終わりを待ち続けてる』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。 |
前の話 | 目次 | 次の話 |
読了ボタン