作品ID:1595
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永遠の終わりを待ち続けてる
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
カレハアナタニナニシタノ
前の話 | 目次 | 次の話 |
自室でいつの間にかまどろんでいた綾袮は、夢を見た。とてもちいちゃな女の子が、自分よりもちいちゃな女の子の手を引っ張って、必死になって走っている。絶望からの希望を見出して必死の想いで。
女の子が手を引っ張っていたその子よりもちいちゃな子が、走り疲れて地面に倒れた。女の子は焦った様子でその子を抱えてまた走り出す。走って、走って、走り続けて……。
やがて、女の子は二人組の人影を捕まえた。女の子は希望に満ち溢れた思いで人影を見上げた。もう、大丈夫だと、心から安堵していた。女の子は思っていたのだ。「ああ、じぶんたちはたすかる」と。
夢の中で少しだけ場面が変わる。コインが一枚、空中を舞う。誰かがそれを恭しく受け取っていて、去って行く。女の子が地面に何かを書いている。文字は見えない。声も聞こえない。
また、場面が変わる。女の子は何故か絶望していた。絶望から希望を見出して走ったのに、先までなどよりも深く深く絶望していた。否、絶望という言葉などでは表せられないほどに……。
――――シィーレェーン、シィーレェーン、シィレェ―ン。
絶望と孤独に満ちた声が夢に響いた。どういう意味なのかはわからない。けれど、とても哀しみに満ちた響きは、まるで自分の絶望を語るかのように、ただ、その言葉を繰り返していた。
『…………シィーレェーン』
「心配しなくていいのよ、綾袮。……いいえ、あたしの妹。二度とあんな絶望を与えさせたりしない」
――――シィーレェーン、それは異国の言葉。『人魚』の意を持つ異国の……。
lamiaのルヴィスの恋人、ポーザとして舞台上に座らされることにも、ポーザになりきって歩くことにも少しずつ馴染んでしまいかけてきたと、綾袮は頭を抱えていた。
綾袮が頭を抱えているのは、そこだけではない。ヴィルフリートだ、ヴィルフリート。最初の内はまだ遠慮されている方だったらしい。
けれど、ウィリアム曰く『開き直った』らしいヴィルフリートのこのごろの態度ときたら、隙あらば綾袮を自分の方に抱き寄せようとしてみたり、挙句の果てが額や頬に口付けようとしてみたり……。
『可愛い綾袮、僕の大事な子』や、『愛しい子、僕のお姫様』等々。その度に綾袮が声を張り上げてやめて頂戴っと叫ぶと、今度は、『じゃあ、愛しいポーザ。ぼくの花嫁』……。
はっきり言って、振り回されている感が拭えないどころか、確実に振り回されきっている。このままではいけないだろうと綾袮は思う。
第一、ヴィルフリートの言うところのシエルリーデというのは、本当に自分のことなのかと最近の綾袮には疑問が芽生えだした。確かに、綾袮の中には自分では説明できない何かがある。
ヴィルフリートを最初に見たとき、ヴィルフリートの演奏を聞いたとき、なぜか心が惹かれて仕方なかった。ヴィルフリートとウィリアムのステージを見て、どうしてか涙が止まらなかった。
あれから少しづつヴィルフリートやウィリアムと色々な話をするようになって、小さな頃の話のついでに、音楽狂いの綾袮の異名をうっかり披露してしまって……。
けれど、ヴァイオリンは途中で辞めたと話したときに、その経緯を聞かれ答えた綾袮に、ヴィルフリートやウィリアムは可笑しそうに笑った。
シエルリーデが生きた時代、ヴァイオリンはレディの嗜みではなかったのだという。ヴァイオリンというのは、どちらかといえば紳士の遊楽だったのだと。
シエルリーデは高貴な生まれのお姫様だ。だから、レディの嗜みであるピアノは、専属の家庭教師の下で厳しく習わされていたらしい。勿論、社交ダンスも。
そんなシエルリーデは、ヴィルフリートの傍にいた時間、ヴィルフリートが呼び付ける楽隊の演奏でヴィルフリートとワルツを踊ってみたりしたというから驚いた。
ウィリアムとヴィルフリートの奏でるヴァイオリンに合わせ、シエルリーデがピアノを演奏し、三人とお城の使用人達だけの小さな音楽会を楽しんだり……。そうして過ごしていたのだと。
けれど、昔の話を聞けば聞くほどに、綾袮の中に一つの疑問が浮かぶ。いや、正しくは、ヴィルフリートとウィリアムが語る話の中の、シエルリーデの最期について。
シエルリーデは誓いを立てたとヴィルフリートは言う。ウィリアムも言う。残されることに絶望して壊れかけたヴィルフリートに、当時のシエルリーデのお姉さんが希望を残してくれたのだと。
そして、シエルリーデはお姉さんの言葉を信じて欲しいとヴィルフリートに誓いを立てたと。自分は絶対に生まれ変わって来るとシエルリーデは告げたという。貴方に誓って生まれてくる、と。
最近のヴィルフリートの綾袮に対する対応は、もう、恋人に対するものそのもので、なのに綾袮は何故か嫌悪を抱かない。綾袮はこれまでの人生で、男の子と関わる機会がなかったわけではない。
綾袮が通うのは幼稚舎からの厳格なカトリック系ミッションスクールで、名門女子校。けれど、綾袮は小さな頃から数えきれない習い事や教室に通っていた。
当然、そこには男の子だっていた。時折、綾袮のことを気に入ってくれる子もいたし、教室の友人達に紹介されたりなんてこともあった。けれど、綾袮は興味を持てなかった。
それは、綾袮が絶対の信頼を置く小さな頃からの大事な友人、識婁の紹介でさえ、同じことだった。例え、識婁の言葉で連れ出されても、あの合コンと同じで、全く興味を持てなかったし、どちらかと言えば男の子たちに囲まれるのも誉められることも苦手だった。
だから、自分がヴィルフリートに、そしてウィリアムにも、他の男の子達よりは好意を抱けているのだとは思える。それなら、自分は確かにヴィルフリートの遠い昔の恋人なのかもしれないとも。
けれど、綾袮はヴィルフリートにどうしても踏み込めさせられない部分がある。例えば、何かにぶつかって、倒れこんでしまったとき。咄嗟に差し出される手を綾袮は決して掴めない。
例えば、何かが上から崩れ落ちてきて、綾袮を庇おうと差し出された手を、どうしてか綾袮は払い除けてしまう。綾袮がシエルリーデだというのならば、綾袮はどうして咄嗟に出されるヴィルフリートの手を、絶対に掴むことが出来ないのだろう?
綾袮がヴィルフリートの手を拒絶する度、ヴィルフリートの手を払い除ける度に、ヴィルフリートはとても傷付いた色を瞳に宿しながら、痛々しく笑うのに……。
そんなヴィルフリートの姿に、綾袮の心だって、とても痛むのに、心の中で誰かが叫ぶ。綾袮の中で、綾袮の知らない声が叫ぶ。否、綾袮はその声を知っているはずだとも思う。
―――――トッテハダメ!! ソノテヲトッテハダメ!! ヒドイメニマタアイタイノ?
「弱ったねぇ、確かにワンカットだけのことなんだけどさぁ……」
「あ~!! どうして、今日に重なるっすかねぇ? スケジュール、マジで詰まりきってんのに」
聞こえた声に、綾袮は少しだけ開かれている扉の中を覗き込んだ。見れば、中世と思しきセットが広がるスタジオの中で、撮影スタッフと見受けられる人物が数人、輪を成して頭を抱えている。
そのままそっと話に聞き耳を立てていると、中世舞台の番組のシーンの中で、剣劇を扱う場面らしいのだが、メインになる役者が二人、重なってインフルエンザに倒れたらしい。
メイン役者の二人がいなければ、場面が進まない。スケジュールはもうギリギリに詰まりきっていて、この後の出演者の顔触れを考えても、何が何でも今日にはこの場面は終わらなければいけない。
メイン役者といっても、それはレギュラーという意味や主役という意味合いではなく、単純に今日の場面は中世で行われた剣による決闘がメインで、それをきっちり扱える人物という意味らしい。
「時代劇のエキストラに何人かやらせてはみたんっすけどね~」
「あれは駄目だろ。舞台は江戸じゃなくて中世西洋なんだよ、中世の西洋!! それも、命を懸けた真剣な決闘のシーンだ。正真正銘、一対一の真剣勝負なんだ」
「とは言われましても、正直、西洋剣劇を急に振るとなると……」
「あ~、やっぱ無理みたいっすねぇ……。真剣勝負って言うより、ガキのチャンバラになってます」
事実、覗いている綾袮からしても、スタジオのセットで振り回されている剣は酷い扱いとしか言えないものだった。そこに、突然声が降った。
「……こら、こんな場所でなにしてるんだ?」
「急にいなくなるのやめてって! あ……じゃない、ポーザ」
突然の声で心臓を竦み上がらせたのだが、声の主がウィリアムとヴィルフリートだと直ぐに気付いて、綾袮はホッと安堵した。
ヴィルフリートが名前を呼び変えたのは、人に聞かれたときのことを考慮してなのだろう。綾袮が覗くスタジオの中に二人も視線をやって、苦笑いしている。
「おーおー、ひっでぇ剣だな」
「ん、まぁ仕方ないだろうけどねぇ」
ウィリアムとヴィルフリートの言葉に、綾袮も苦笑した。
「仕方ないわ。現代に生きる一般人だもの」
そんな会話を零していたところに、突然と大きく扉を開かれて、綾袮は固まった。スタジオの中を覗いていた綾袮の姿に、いつの間にかスタッフが気付いてしまっていたらしい。
「誰かと思えば、lamiaの御三方。覗き見を趣味にするとは、あまり良い趣味だとは言えないよ?」
咄嗟のことで綾袮は固まったのだが、ヴィルフリートとウィリアムは流石だった。
「ああ、申し訳ない。ぼくのポーザが突如と消えたものだから、探し回っていたのだけれど……」
ヴィルフリートが演じたルヴィスに、ウィリアムがエディルを続ける。
「大変、失礼した。御気分を害されたならばお許し願いたい。ポーザが何かに興味を持つことは珍しかったのでね。何かと思って覗いてしまった」
そんな二人の言葉に、綾袮も倣ってポーザになろうとして……。途中で、ふと思い立った。
「アナタ、困ってる?」
無機質な表情と声を心掛けながら、綾袮が出した言葉に、スタッフは目を剥いた。ヴィルフリートとウィリアムが驚いているのも解ったのだけれど、綾袮は重ねてポーザの言葉を紡ぐ。
「わたしハ訊いてイル。アナタ、困ッテいる?」
「訊いてどうするんだい、お嬢ちゃん?」
スタッフが面白そうに訊き返したのに、綾袮はスッと片腕を上げて、人差し指でスタジオのセットを指し示した。
「わたしのルヴィス、貸シテアゲル。エディル一緒に」
綾袮の言葉の真意が酌めないというように、スタッフが眉を寄せたのに、綾袮は重ねて言葉を紡ぐ。
「剣を見て想い出した。ルヴィス、トテモ強かった。ルヴィスに敵う者イナカッタと。エディルとても強イケレド、ルヴィスには適ワナい。ルヴィス、とテも強い。あノ頃のルヴィス、わたし、見タイ」
駄手に何年かの演劇経験が有るわけではない。とても無機質な表情と声のお人形になりきってみせた綾袮に、スタッフやヴィルフリートやウィリアムが度肝を抜かれているのが解る。
いや、正確に言えば、綾袮が言った言葉に対してかもしれないのだけれど……。スタッフが挑戦的な色を宿した瞳で綾袮を見つめる。
「へぇ、面白いな。lamiaの花嫁人形さん、きみはこの二人を僕らに貸してくれるの? 言っとくけど、真剣勝負の大事な場面なんだ。学芸会のような剣を見せられても困るよ?」
「イエ! ルヴィスの剣ヲ見テ!! 見テ言エ!! ルヴィス、トテモ強い。」
綾袮の言葉で、スタッフがヴィルフリートとウィリアムに視線を移す。
「……っていうのがきみらのお姫様の意見らしいんだけど、聴いてもらえるのかな? 繰り返すけど、学芸会のお遊戯の剣じゃ困るんだけどね」
スタッフの言葉に、ウィリアムが鼻で笑った。
「舐められたものだな。駄手に中世を生きてきたわけじゃないんでね。剣ぐらいは扱えるさ。まぁ、ポーザの言う通り、俺はルヴィスには適わないがね。ルヴィス、どうする?」
ウィリアムの言葉に、ヴィルフリートも不遜な笑みを浮かべた。
「人間に協力する義務なんて持ち合わせてはいないんだけどね。ぼくのポーザが見たいと望んでいるなら、ぼくがポーザの言葉を拒否する理由はない」
ウィリアムとヴィルフリートの言葉に、スタッフは挑戦的に微笑んだ。
「ふぅん? じゃあ、見せてもらおうかな。そのきみ達の腕前って奴を」
控室に戻って、綾袮は顔を真っ赤にして縮こまっていた。
「ア、アハハハハハ!! 綾袮、傑作なことしてくれるよな!?」
「周囲の人間達の顔、見てた? 虚構のlamiaが本気で剣を扱えるわけなんかないだろって顔してたのに、僕らが剣を交えた瞬間に目の色変えたよ! あはは、確かに凄いよ、綾袮。
だけど、僕らが本当に剣を扱えたからこそ切り抜けられたんだからね? 当時の中世を生きたと言っても、綾袮の設定通りとはいかなかったかもしれないんだからね」
ヴィルフリートの言葉に、綾袮は無言で立ち上がった。それから、先程のお礼として小道具さんからくすねてきた銀の短剣をヴィルフリートやウィリアムには気付かれないようにソファーの下から取り出す。
後ろ手に銀の短剣、勿論レプリカだけれど、それを構えて、ソファーの背を使い、綾袮は一気にヴィルフリートの目の前へと跳躍した。
ひらり、と空中に身体を舞い上がらせ、トンッと涼しげな音を立てて、ヴィルフリートの前から姿を消す。今度はヴィルフリートの身体を使って、ヴィルフリートの背後に跳んで……。ヴィルフリートの首筋スレスレに銀の短剣を突き立てて、優雅に微笑む。
「油断大敵よ? 私の愛しいヴァンパイアさん!」
綾袮の行動が理解出来なかったのか、ヴィルフリートとウィリアムは固まったまま動かない。そんなヴィルフリートに、綾袮はクスクスと微笑んだ。
「あら、まだ気付いては頂けないの? 私の動きを見なかった? 貴方達と対峙する聖女として、厳しい訓練を積んできたの。一般の市井の人々の出来る真似ではなくてよ、ヴィリー。
けれどね、これぐらいなら出来るけれど、私は純粋な剣の勝負では貴方に敵わない。私は設定したのではなくて、実際に貴方の腕前を知っていたから、貴方とウィルを、少しお貸ししてさしあげたの」
ぐらり、と眩暈がした。綾袮の中で誰かが叫ぶ声が聞こえる。ああ、外野が何だかうるさい。目の前の二人は何を言っているのだろうと綾袮は思う。聞こえない、聞こえ過ぎる、きこ…………ドッチ?
―――――ヤメテ。アナタハモウイラナイノ。アタシハモウ、アナタハイラナイ。カレハアナタヲキョゼツシタ!! アナタデアルアタシヲキョゼツシタ!!
女の子が手を引っ張っていたその子よりもちいちゃな子が、走り疲れて地面に倒れた。女の子は焦った様子でその子を抱えてまた走り出す。走って、走って、走り続けて……。
やがて、女の子は二人組の人影を捕まえた。女の子は希望に満ち溢れた思いで人影を見上げた。もう、大丈夫だと、心から安堵していた。女の子は思っていたのだ。「ああ、じぶんたちはたすかる」と。
夢の中で少しだけ場面が変わる。コインが一枚、空中を舞う。誰かがそれを恭しく受け取っていて、去って行く。女の子が地面に何かを書いている。文字は見えない。声も聞こえない。
また、場面が変わる。女の子は何故か絶望していた。絶望から希望を見出して走ったのに、先までなどよりも深く深く絶望していた。否、絶望という言葉などでは表せられないほどに……。
――――シィーレェーン、シィーレェーン、シィレェ―ン。
絶望と孤独に満ちた声が夢に響いた。どういう意味なのかはわからない。けれど、とても哀しみに満ちた響きは、まるで自分の絶望を語るかのように、ただ、その言葉を繰り返していた。
『…………シィーレェーン』
「心配しなくていいのよ、綾袮。……いいえ、あたしの妹。二度とあんな絶望を与えさせたりしない」
――――シィーレェーン、それは異国の言葉。『人魚』の意を持つ異国の……。
lamiaのルヴィスの恋人、ポーザとして舞台上に座らされることにも、ポーザになりきって歩くことにも少しずつ馴染んでしまいかけてきたと、綾袮は頭を抱えていた。
綾袮が頭を抱えているのは、そこだけではない。ヴィルフリートだ、ヴィルフリート。最初の内はまだ遠慮されている方だったらしい。
けれど、ウィリアム曰く『開き直った』らしいヴィルフリートのこのごろの態度ときたら、隙あらば綾袮を自分の方に抱き寄せようとしてみたり、挙句の果てが額や頬に口付けようとしてみたり……。
『可愛い綾袮、僕の大事な子』や、『愛しい子、僕のお姫様』等々。その度に綾袮が声を張り上げてやめて頂戴っと叫ぶと、今度は、『じゃあ、愛しいポーザ。ぼくの花嫁』……。
はっきり言って、振り回されている感が拭えないどころか、確実に振り回されきっている。このままではいけないだろうと綾袮は思う。
第一、ヴィルフリートの言うところのシエルリーデというのは、本当に自分のことなのかと最近の綾袮には疑問が芽生えだした。確かに、綾袮の中には自分では説明できない何かがある。
ヴィルフリートを最初に見たとき、ヴィルフリートの演奏を聞いたとき、なぜか心が惹かれて仕方なかった。ヴィルフリートとウィリアムのステージを見て、どうしてか涙が止まらなかった。
あれから少しづつヴィルフリートやウィリアムと色々な話をするようになって、小さな頃の話のついでに、音楽狂いの綾袮の異名をうっかり披露してしまって……。
けれど、ヴァイオリンは途中で辞めたと話したときに、その経緯を聞かれ答えた綾袮に、ヴィルフリートやウィリアムは可笑しそうに笑った。
シエルリーデが生きた時代、ヴァイオリンはレディの嗜みではなかったのだという。ヴァイオリンというのは、どちらかといえば紳士の遊楽だったのだと。
シエルリーデは高貴な生まれのお姫様だ。だから、レディの嗜みであるピアノは、専属の家庭教師の下で厳しく習わされていたらしい。勿論、社交ダンスも。
そんなシエルリーデは、ヴィルフリートの傍にいた時間、ヴィルフリートが呼び付ける楽隊の演奏でヴィルフリートとワルツを踊ってみたりしたというから驚いた。
ウィリアムとヴィルフリートの奏でるヴァイオリンに合わせ、シエルリーデがピアノを演奏し、三人とお城の使用人達だけの小さな音楽会を楽しんだり……。そうして過ごしていたのだと。
けれど、昔の話を聞けば聞くほどに、綾袮の中に一つの疑問が浮かぶ。いや、正しくは、ヴィルフリートとウィリアムが語る話の中の、シエルリーデの最期について。
シエルリーデは誓いを立てたとヴィルフリートは言う。ウィリアムも言う。残されることに絶望して壊れかけたヴィルフリートに、当時のシエルリーデのお姉さんが希望を残してくれたのだと。
そして、シエルリーデはお姉さんの言葉を信じて欲しいとヴィルフリートに誓いを立てたと。自分は絶対に生まれ変わって来るとシエルリーデは告げたという。貴方に誓って生まれてくる、と。
最近のヴィルフリートの綾袮に対する対応は、もう、恋人に対するものそのもので、なのに綾袮は何故か嫌悪を抱かない。綾袮はこれまでの人生で、男の子と関わる機会がなかったわけではない。
綾袮が通うのは幼稚舎からの厳格なカトリック系ミッションスクールで、名門女子校。けれど、綾袮は小さな頃から数えきれない習い事や教室に通っていた。
当然、そこには男の子だっていた。時折、綾袮のことを気に入ってくれる子もいたし、教室の友人達に紹介されたりなんてこともあった。けれど、綾袮は興味を持てなかった。
それは、綾袮が絶対の信頼を置く小さな頃からの大事な友人、識婁の紹介でさえ、同じことだった。例え、識婁の言葉で連れ出されても、あの合コンと同じで、全く興味を持てなかったし、どちらかと言えば男の子たちに囲まれるのも誉められることも苦手だった。
だから、自分がヴィルフリートに、そしてウィリアムにも、他の男の子達よりは好意を抱けているのだとは思える。それなら、自分は確かにヴィルフリートの遠い昔の恋人なのかもしれないとも。
けれど、綾袮はヴィルフリートにどうしても踏み込めさせられない部分がある。例えば、何かにぶつかって、倒れこんでしまったとき。咄嗟に差し出される手を綾袮は決して掴めない。
例えば、何かが上から崩れ落ちてきて、綾袮を庇おうと差し出された手を、どうしてか綾袮は払い除けてしまう。綾袮がシエルリーデだというのならば、綾袮はどうして咄嗟に出されるヴィルフリートの手を、絶対に掴むことが出来ないのだろう?
綾袮がヴィルフリートの手を拒絶する度、ヴィルフリートの手を払い除ける度に、ヴィルフリートはとても傷付いた色を瞳に宿しながら、痛々しく笑うのに……。
そんなヴィルフリートの姿に、綾袮の心だって、とても痛むのに、心の中で誰かが叫ぶ。綾袮の中で、綾袮の知らない声が叫ぶ。否、綾袮はその声を知っているはずだとも思う。
―――――トッテハダメ!! ソノテヲトッテハダメ!! ヒドイメニマタアイタイノ?
「弱ったねぇ、確かにワンカットだけのことなんだけどさぁ……」
「あ~!! どうして、今日に重なるっすかねぇ? スケジュール、マジで詰まりきってんのに」
聞こえた声に、綾袮は少しだけ開かれている扉の中を覗き込んだ。見れば、中世と思しきセットが広がるスタジオの中で、撮影スタッフと見受けられる人物が数人、輪を成して頭を抱えている。
そのままそっと話に聞き耳を立てていると、中世舞台の番組のシーンの中で、剣劇を扱う場面らしいのだが、メインになる役者が二人、重なってインフルエンザに倒れたらしい。
メイン役者の二人がいなければ、場面が進まない。スケジュールはもうギリギリに詰まりきっていて、この後の出演者の顔触れを考えても、何が何でも今日にはこの場面は終わらなければいけない。
メイン役者といっても、それはレギュラーという意味や主役という意味合いではなく、単純に今日の場面は中世で行われた剣による決闘がメインで、それをきっちり扱える人物という意味らしい。
「時代劇のエキストラに何人かやらせてはみたんっすけどね~」
「あれは駄目だろ。舞台は江戸じゃなくて中世西洋なんだよ、中世の西洋!! それも、命を懸けた真剣な決闘のシーンだ。正真正銘、一対一の真剣勝負なんだ」
「とは言われましても、正直、西洋剣劇を急に振るとなると……」
「あ~、やっぱ無理みたいっすねぇ……。真剣勝負って言うより、ガキのチャンバラになってます」
事実、覗いている綾袮からしても、スタジオのセットで振り回されている剣は酷い扱いとしか言えないものだった。そこに、突然声が降った。
「……こら、こんな場所でなにしてるんだ?」
「急にいなくなるのやめてって! あ……じゃない、ポーザ」
突然の声で心臓を竦み上がらせたのだが、声の主がウィリアムとヴィルフリートだと直ぐに気付いて、綾袮はホッと安堵した。
ヴィルフリートが名前を呼び変えたのは、人に聞かれたときのことを考慮してなのだろう。綾袮が覗くスタジオの中に二人も視線をやって、苦笑いしている。
「おーおー、ひっでぇ剣だな」
「ん、まぁ仕方ないだろうけどねぇ」
ウィリアムとヴィルフリートの言葉に、綾袮も苦笑した。
「仕方ないわ。現代に生きる一般人だもの」
そんな会話を零していたところに、突然と大きく扉を開かれて、綾袮は固まった。スタジオの中を覗いていた綾袮の姿に、いつの間にかスタッフが気付いてしまっていたらしい。
「誰かと思えば、lamiaの御三方。覗き見を趣味にするとは、あまり良い趣味だとは言えないよ?」
咄嗟のことで綾袮は固まったのだが、ヴィルフリートとウィリアムは流石だった。
「ああ、申し訳ない。ぼくのポーザが突如と消えたものだから、探し回っていたのだけれど……」
ヴィルフリートが演じたルヴィスに、ウィリアムがエディルを続ける。
「大変、失礼した。御気分を害されたならばお許し願いたい。ポーザが何かに興味を持つことは珍しかったのでね。何かと思って覗いてしまった」
そんな二人の言葉に、綾袮も倣ってポーザになろうとして……。途中で、ふと思い立った。
「アナタ、困ってる?」
無機質な表情と声を心掛けながら、綾袮が出した言葉に、スタッフは目を剥いた。ヴィルフリートとウィリアムが驚いているのも解ったのだけれど、綾袮は重ねてポーザの言葉を紡ぐ。
「わたしハ訊いてイル。アナタ、困ッテいる?」
「訊いてどうするんだい、お嬢ちゃん?」
スタッフが面白そうに訊き返したのに、綾袮はスッと片腕を上げて、人差し指でスタジオのセットを指し示した。
「わたしのルヴィス、貸シテアゲル。エディル一緒に」
綾袮の言葉の真意が酌めないというように、スタッフが眉を寄せたのに、綾袮は重ねて言葉を紡ぐ。
「剣を見て想い出した。ルヴィス、トテモ強かった。ルヴィスに敵う者イナカッタと。エディルとても強イケレド、ルヴィスには適ワナい。ルヴィス、とテも強い。あノ頃のルヴィス、わたし、見タイ」
駄手に何年かの演劇経験が有るわけではない。とても無機質な表情と声のお人形になりきってみせた綾袮に、スタッフやヴィルフリートやウィリアムが度肝を抜かれているのが解る。
いや、正確に言えば、綾袮が言った言葉に対してかもしれないのだけれど……。スタッフが挑戦的な色を宿した瞳で綾袮を見つめる。
「へぇ、面白いな。lamiaの花嫁人形さん、きみはこの二人を僕らに貸してくれるの? 言っとくけど、真剣勝負の大事な場面なんだ。学芸会のような剣を見せられても困るよ?」
「イエ! ルヴィスの剣ヲ見テ!! 見テ言エ!! ルヴィス、トテモ強い。」
綾袮の言葉で、スタッフがヴィルフリートとウィリアムに視線を移す。
「……っていうのがきみらのお姫様の意見らしいんだけど、聴いてもらえるのかな? 繰り返すけど、学芸会のお遊戯の剣じゃ困るんだけどね」
スタッフの言葉に、ウィリアムが鼻で笑った。
「舐められたものだな。駄手に中世を生きてきたわけじゃないんでね。剣ぐらいは扱えるさ。まぁ、ポーザの言う通り、俺はルヴィスには適わないがね。ルヴィス、どうする?」
ウィリアムの言葉に、ヴィルフリートも不遜な笑みを浮かべた。
「人間に協力する義務なんて持ち合わせてはいないんだけどね。ぼくのポーザが見たいと望んでいるなら、ぼくがポーザの言葉を拒否する理由はない」
ウィリアムとヴィルフリートの言葉に、スタッフは挑戦的に微笑んだ。
「ふぅん? じゃあ、見せてもらおうかな。そのきみ達の腕前って奴を」
控室に戻って、綾袮は顔を真っ赤にして縮こまっていた。
「ア、アハハハハハ!! 綾袮、傑作なことしてくれるよな!?」
「周囲の人間達の顔、見てた? 虚構のlamiaが本気で剣を扱えるわけなんかないだろって顔してたのに、僕らが剣を交えた瞬間に目の色変えたよ! あはは、確かに凄いよ、綾袮。
だけど、僕らが本当に剣を扱えたからこそ切り抜けられたんだからね? 当時の中世を生きたと言っても、綾袮の設定通りとはいかなかったかもしれないんだからね」
ヴィルフリートの言葉に、綾袮は無言で立ち上がった。それから、先程のお礼として小道具さんからくすねてきた銀の短剣をヴィルフリートやウィリアムには気付かれないようにソファーの下から取り出す。
後ろ手に銀の短剣、勿論レプリカだけれど、それを構えて、ソファーの背を使い、綾袮は一気にヴィルフリートの目の前へと跳躍した。
ひらり、と空中に身体を舞い上がらせ、トンッと涼しげな音を立てて、ヴィルフリートの前から姿を消す。今度はヴィルフリートの身体を使って、ヴィルフリートの背後に跳んで……。ヴィルフリートの首筋スレスレに銀の短剣を突き立てて、優雅に微笑む。
「油断大敵よ? 私の愛しいヴァンパイアさん!」
綾袮の行動が理解出来なかったのか、ヴィルフリートとウィリアムは固まったまま動かない。そんなヴィルフリートに、綾袮はクスクスと微笑んだ。
「あら、まだ気付いては頂けないの? 私の動きを見なかった? 貴方達と対峙する聖女として、厳しい訓練を積んできたの。一般の市井の人々の出来る真似ではなくてよ、ヴィリー。
けれどね、これぐらいなら出来るけれど、私は純粋な剣の勝負では貴方に敵わない。私は設定したのではなくて、実際に貴方の腕前を知っていたから、貴方とウィルを、少しお貸ししてさしあげたの」
ぐらり、と眩暈がした。綾袮の中で誰かが叫ぶ声が聞こえる。ああ、外野が何だかうるさい。目の前の二人は何を言っているのだろうと綾袮は思う。聞こえない、聞こえ過ぎる、きこ…………ドッチ?
―――――ヤメテ。アナタハモウイラナイノ。アタシハモウ、アナタハイラナイ。カレハアナタヲキョゼツシタ!! アナタデアルアタシヲキョゼツシタ!!
後書き
作者:未彩 |
投稿日:2015/11/18 22:32 更新日:2015/11/21 22:05 『永遠の終わりを待ち続けてる』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。 |
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